浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

拉致問題

2014-05-29 23:08:16 | 政治
 北朝鮮による日本人の拉致は、北朝鮮による国家犯罪である。拉致された可能性のある日本人は多く、いまだ解決に至っていない。これは明確に人権問題であるから、原状復帰すべきであるし、北朝鮮は不法行為を行ったのであるから、その責任を負わなければならない。

 この問題、小泉内閣のときに進展を見せた。拉致問題の部分的解決と平壌宣言とがセットになっていた。しかしその後、まったく進まなかった。それは、日本側がずっと強硬な姿勢を示し続けたからで、硬軟とりまぜての対応をしてこなかったからだ。敵対関係のなかでは、解決すべきものも解決しない。

 では今度はなぜ進展を見せたのか。まずやはり大きな問題は、朝鮮総連本部の建物の問題であろう。北朝鮮としてはこの建物を何が何でも死守したい。しかしそれは現実的にはきわめて難しくなっている。そこで、拉致問題とこの問題を結合して、拉致問題で妥協する代わりに、建物の継続使用を可能にしてもらおうという魂胆なのだろう。

 どういうかたちであろうと、拉致は不法行為である。拉致問題を取引材料とするのではなく、北朝鮮側が一方的に解決すべきである。人権問題は、即解決されるべきなのだ。

 さて、北朝鮮との間では、植民地支配にかかわる日本の責任についての決着がついていない。拉致問題が解決されていくということは、日本の責任として植民地支配の問題を、解決に向けて努力していかなければならない。ボールは日本に返される、日本はどうする!!
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【本】加藤哲郎『日本の社会主義』(岩波書店)

2014-05-29 15:41:34 | 社会
 加藤氏のたくさんの文献をもとに立論していく作業には、いつも唖然とするのだ。この本の巻末には、たくさんの文献が掲げられている。

 さて、この本、副題に「原爆反対・原発推進の論理」とある。しかし日本の社会主義についての記述は、明治からである。まさか原子力エネルギーは明治期からあるのではない。そこでの主眼は、日本の社会主義のスタートが、社会主義、民主主義、平和主義、国際主義であって、そこには「非戦・平和」という観点があったことを確認しようとするものである。

 というのも、戦後日本の社会主義は、本来コインの裏表であって切り離すことのできない核開発、それを「原水爆」と「原発」、つまり「平和利用」と「兵器としての使用」とを劃然と分け、前者には反対の姿勢をより、後者については推進を掲げてきた、そのことは「平和」とは正反対のものであることを示そうとしているのだ。

 本書を読んでいろいろなことを知った。日本の社会主義を担ってきた日本共産党、日本社会党(社会民主党)。前者が反原発という政策をもっているのかどうかボクはよく分からない。現象的には、「反原発」を唱えているようだが、いつからそうなったのかは分からない。20代のころ、ボクは原水禁世界大会に参加したことがある。そこでは、共産党系が、原発について肯定的なことを主張していたという記憶がある。後者については、1970年代初めから「原発反対」を掲げてきたことを知っているし、また本書にもその指摘がある(264頁)。

 学者のなかでも、武谷三男は有名な自然科学者であるが、彼も当初は原子力の平和利用を熱心に唱えていたようだ。そのほか、平和利用を主導していたのは、平野義太郎、有沢広巳らである。

 しかしボクは、これらの事実を追及しようとは思わない。ボク自身の認識も、原子力の危険性についてはチェルノブイリで気づきはしたが、しかし積極的に反原発の運動に関わっては来なかった。何と言っても、2011年3月の福島第一原発の事故で大いに覚醒されたからだ。自分を差し置いて批判はできない。

 社会主義者に焦点をあてながら、原爆・原発にどういう姿勢を示してきたかが記されているが、もちろん積極的に推進した正力や中曽根の動向も記され、とくに岸信介の弟である「佐藤栄作こそ、日本の自立的核武装を企図し、それを可能にする「原子力の平和利用」=原子力発電を具体的・本格的に稼働させた張本人」(246頁)であるという指摘は重大だ。

 現在の岸・佐藤の系統である安倍政権の原発推進の彼方には、核武装の野望が存在しているからだ。

 そのほか、マンハッタン計画のスタッフのなかにソ連のスパイが入り込んでいたということなど、新しい知識がふんだんに記されている。

 K氏に推薦されて読んだ本。ボクも薦めたい本だ。
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集団的自衛権の論議

2014-05-29 09:28:49 | 政治
 まず『朝日新聞』記事(一部)。

自衛隊派遣、中東も想定 首相、国会で答弁 集団的自衛権

2014年5月29日05時00分

 安倍晋三首相は28日の衆院予算委員会で、他国を武力で守る集団的自衛権の行使が認められた場合、自衛隊を中東・ペルシャ湾のホルムズ海峡へ派遣することを想定している、と明らかにした。首相は日本から遠く離れた地域へも自衛隊を派遣する可能性を示し、米国以外の国を守る考えにも踏み込んだ。


 まさに際限なく、自衛隊は海外で戦うのだ。

 次は『東京新聞』記事(一部)。


首相「戦闘地域活動」否定せず 武力一体化の制限緩和

2014年5月28日 22時33分

 安倍晋三首相は28日の衆院予算委員会集中審議で、自衛隊の海外任務拡大に向け、憲法が禁じる「他国の武力行使との一体化」の制限緩和を検討していく方針を表明した。一体化を避けるため設定してきた「非戦闘地域」の考え方の見直しにも言及し、戦闘地域での自衛隊による支援活動を明確には否定しなかった。戦闘地域での活動に実際に乗り出せば、安全保障政策の大きな転換となる。


 そして『中日新聞』社説。
 
集団的自衛権 平和主義守り抜くなら

2014年5月29日

 国民の命と暮らしを守るには、軍事的対応の強化が唯一の回答だろうか。戦後日本の「繁栄の礎」を築いた平和主義という憲法の理念を、一内閣の判断で骨抜きにすることがあってはならない

 安倍晋三首相の記者会見を受けて「集団的自衛権の行使」容認をめぐる本格的な国会論戦が始まった。きのうの衆院予算委員会に続き、きょうは参院外交防衛委に舞台を移して集中審議が行われる。

 首相は初日の論戦で「日本は七十年間、平和国家の歩みを進めてきた。その道から外れることはないし、これからもその道を歩んでいく」と強調した。同時に「国民の命と暮らしを守らないといけない」とも述べた。

 政府が果たすべき第一の役割は平和を維持し、国民の命と暮らしを守ることである。その点、首相の主張に異論はない。問題は、どうやって守るのかだ。

 例えば、政府が検討事例に挙げた、紛争地から避難する邦人を輸送する米輸送艦の防護である。

 首相は十五日の記者会見で、お年寄りや乳児を抱く母子を描いたイラストを示しながら、「彼らが乗っている米国の船を今、私たちは守ることができない」と、行使容認の必要性を強調した。

 しかし、これは現実から懸け離れた極端な例である。米艦艇に輸送を頼らなければいけない緊迫した状況になるまで、お年寄りや乳児を抱える母子が紛争地に取り残されるだろうか。そうなるまで手を打たなかったとしたら、政府の怠慢にほかならない。

 首相はきのう「日本人が乗っていない船を護衛できないことはあり得ない」とも述べた。ついに馬脚を現したという感じだ。

 これでは、集団的自衛権の行使容認が、日本国民の命をどう守るかではなく、米軍の軍事行動と一体化することが主目的であると疑われても仕方があるまい。

 集団的自衛権は国連憲章で加盟国に認められた権利だが、安全保障理事会に報告されたこれまでの例を振り返ると、米国や旧ソ連など、大国による侵攻を正当化するものがほとんどだ。そのような権利の行使が、平和主義国家の歩みと相いれるだろうか。

 現実から懸け離れた事例を示して、お年寄りや乳児を抱えた母子を守らなくていいのかと情緒に訴え、一内閣の解釈変更で憲法の趣旨を変えてしまう。

 平和主義を守り抜くというのなら、そんな政治手法をまずは封印する必要があるのではないか。
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日本社会の変容(2)

2014-05-29 08:57:40 | 社会
 少子高齢化は、際限なく進むことがわかっている。少子化は止まるところを知らず、変え声だけはあるものの、それを何とかしようとする政策は皆無だ。若者の生活安定よりも大企業など企業のために低賃金政策を展開していることから、若者は結婚して子どもを育てることができなくさせられている。

 子どもがいない国は、いつかは衰退する。

 ところが、安倍政権は、そうした傾向に拍車をかけながら、「一等国」になろうと必死である。国連の常任理事国は、核兵器をもち、軍隊を世界各地に派遣して軍事行動を行っている。

 安倍政権は、核兵器保持と海外への軍隊派遣、アジアアフリカなどでの殺戮する国家が「一等国」であると頑なに信じているようだ。

 集団的自衛権容認の論議をみていると、とにかく自衛隊を海外にだして戦闘行動に従事させたいということがことの本質であることは明らかだ。そして日本は対米隷属国家という安倍にとってはおそらく屈辱的な状況にあるから、アメリカ軍の艦船などを集団的自衛権で軍事的に防護することで、アメリカと「対等」であるという自己満足を得たいのだろう。アメリカ本土に自衛隊の軍事基地でも建設したいのだろうか。

 対米隷属国家日本は、安倍らの主観的な願望がどんなものであろうとも、アメリカ帝国の掌の上で動くしかない、というのが現状だろう。

 アホな政治家が権力を掌握するとろくなことはない。安倍にしても、石破にしても、彼らの思考には民主主義的な認識のひとかけらもない。おそらく理解できないのだ。

 日本には、問題がたくさんあるが、いちおう民主的な制度はある。だが、彼らはその制度についての理解を持たず、みずからの思考を権力的に実現しようとするだけだ。制度をそのままにして、いや制度も壊しつつ、強引にみずからの主観的欲望をかなえようとする。

 そういう安倍政権に対する怒りや嘆きが、どうも少ない。

 1930年代から40年代前半にかけて、大日本帝国は「大戦争」に突き進んだ。その背後には、帝国臣民の熱い支持があった。今また、そういう支持がみられる。見よ、週刊誌の扇情的な見出しを!週刊誌はそういう記事を載せれば売れると踏んでいるのだ。毎号毎号、新聞に紹介される週刊誌の広告は、現代の帝国臣民の意識を表しているのだろう。

 今、「戦後民主主義」が最終的に否定される段階に来ている。まさに戦後日本社会の変容である。だが、これは地獄への道である。

 近現代史をふりかえるとき、庶民の大勢は非理性的に「時流」に身を投じて、歴史をつくってきたことに気付く。たいがいの庶民は政治的には、「受け身」だ。そして「時流」は、基本的には体制的な思考と親和的である。「受け身」的に「時流」に投げ込まれ、そしてその「時流」をより強化していく。

 ボクは、いつも開高健の小説、「パニック」を思い出す。日本の庶民は、そこに描かれた鼠と一緒なのかも知れない。

 だがそれでも、その「時流」の本質を把握できる眼を、たとえ少数であっても持たなければならない。「時流」に抗する少数が、実は歴史を切り開いてきたのである。
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