浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

事実は事実

2014-05-21 17:38:54 | 近現代史
 これは『沖縄タイムス』の記事。いくら否定しようとも、こういうように史料は語る。

旧軍文書に「慰安所」宮古島での存在裏付け

【東京】沖縄戦時、宮古島に慰安所があり、日本軍兵士が通っていたことを裏付ける旧日本軍の文書が見つかった。これまで宮古島の慰安所の存在については住民の証言はあったが、軍の文書で裏付けられるのは初めて。関東学院大の林博史教授と佐治暁人講師が厚生労働省から情報公開請求で入手した。飢えで苦しむ宮古島で、兵士が軍の食料を住民に売って慰安所へ通った実態が記されており、林教授は「住民を守らない軍の姿が鮮明に表れている」と指摘する。(大野亨恭)

 資料は厚労省所蔵の、1945年11月20日付の軍法会議判決を記した書類で、提出した第28師団司令部と受け取った法務局の印が押された公文書。

 文書には、当時宮古島に駐留していた第28師団の衛生上等兵が軍の食料などを横流しして住民に売却、得た金を使い慰安所で「遊興浪費」したとして、懲役1年の刑に処したことと、その判決理由が記されている。

 それによると、被告人の衛生兵は宮古島陸軍病院で炊事勤務に従事。45年8月中旬には軍から馬肉約40キロを預かって病院へ戻る途中、民家で2斤(約1・2キロ)を20円で売却し、慰安所へ行った-などと複数回の犯行が記されている。

 旧日本軍が中国などアジア各地に設置した慰安所は終戦後、閉鎖されたとされているが、発見された文書には〈10月2日に(砂糖菓子の)金花糖60キロを受け取り、翌3日にうち2キロを20円で売却し、慰安所で遊興した〉とあり、宮古島では10月上旬まで慰安所が残っていたことも分かった。林教授によると戦後も慰安所が継続していたことを示す文書が見つかったのは初めてだという。

 宮古島には沖縄戦当時、陸海軍合わせて約3万人が駐留していた。住民は戦中から戦後にかけ、ソテツを食べて一家が中毒死するなど飢えに苦しんだが、軍は終戦後も食料を住民に渡さず、一部の兵士は売り渡して慰安所に通っていた。林教授は「この資料には軍隊が住民を守らないことが明確に記されている。日本軍の特徴そのものだ」と指摘する。

 沖縄戦時、宮古島には少なくとも17カ所の慰安所があり、ほとんどが朝鮮半島から連れてこられた女性だったことが、研究者らの調査で分かっている。
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【本】木村真三『「放射能汚染地図」の今』(講談社)

2014-05-21 14:16:55 | 読書
木村真三さんは、NHKEテレの「放射能汚染地図」に関係した人だ。今も福島県に住み、放射能汚染の状況をみずから率先して調査している。

 学者として何ができるのかという視点から、地域住民や自治体(二本松市)と協力して、汚染された福島で生きる人たちがどう放射能と折り合いながらいきていくのかを模索している。

 福島の原発事故に伴う放射能汚染については、様々な情報が流されている。とくに政府や福島県は、あたかも何ごともなかったかのような根拠ない「安全神話」を振りまいている。もっとも許せないのは、子どもの甲状腺癌の出現について、「原発事故とは因果関係がない」と言い続けていることだ。「あるかないかは科学的にはいまだ断定できない」というのが現時点で言えることなのだろうが、ひたすら否定を繰り返している。

 現実に「安全」ではまったくない。しかしそこで生きていかざるを得ない人々がいる。第五章は「放射能と暮らす時代を生き抜くために」である。福島県だけではない、実は日本全国の住民は多かれ少なかれそういう状況に生きていかざるを得ないのである。どう生きていくか、木村さんは必死だ。

 政府や県、電力会社は、まったくあてにならないからこそ、住民自らが身近な自治体と共に、学び、調査し、考え、行動し、とにかく前向きに取り組んでいくこと、そのために奔走する。

 木村さんは、住民や自治体のそうした動きを支え、指導し、現状をきちんと見つめながら、地に足が着いた取り組みを展開している。

 この本は、今年2月に出た本だ。良心的な科学者による、良心的な内容が書かれている。福島の現状と、そこに住む人々の努力、自治体の取り組みがわかる。

 ボクは図書館で借りたのだが、読むべき本である。

 木村さんが関わる二本松市の動きは、下記でみることができる。

http://www.city.nihonmatsu.lg.jp/site/higashinihondaishinsai-kanren/20121204-2.html 
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2014-05-21 11:28:42 | 日記
 昨夜は雨が降るという予報であった。

 一昨日までに、サツマイモの苗を植えるために、畑の畝を3通りつくった。
 昨日、黒いマルチ(プラスチック製農業用被覆材)で畝を覆い、苗を植えるべく穴を開けた。さすがに疲労して、昨夜ははやく就寝。

 サツマイモは、雨が降る前、雨のあとに植えるのがよいという。昨夜、予報通りに雨が降った。今朝は曇り、計画通りに、畑に行って苗を植えた。約60本。植え終わったあと、急に雨が降り出した。まったく好都合の雨。

 今年のサツマイモはよくできることだろう。

 今畑には、小松菜、タマネギ、スイカ、レタス、ジャガイモ(男爵、キタアカリ、メイクイーン)、イチゴ、トウモロコシ、トマト、ニンニク、ズッキーニ、大根、ニンジン、里芋、ピーマン、キュウリ、メロン、冬瓜、カボチャ、ゴーヤが植わっている。

 ジャガイモやタマネギがもうじき収穫となる。

 畑は、ほとんど毎日行く必要がある。毎日1時間程度体を動かす。以前も書いたが、農作業をしている時は、無心の状態、何も考えずに、ひたすら作業をする。ときどき、鳥が来て、ボクの作業を見学していく。

 大地に働きかける労働は、万人がやる必要があると思う。幼い頃にやっていたから、もう絶対にやらないと豪語する人もいる。

 今、庭にはバラの花が咲き誇っている。夕顔の芽がやっと顔を出した。夕顔は、ひそやかで清楚、慎み深い、夜、月の光をうけて白く静かに咲き続ける。

 ボクの好きな花は、バラと夕顔。

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