安倍首相は、あらゆる方面でみずからの政策を強引に実現しようとしている。そのやり方は、彼の祖父岸信介が、60年安保改定を強行したことを想起させる。
国会周辺では右翼暴力団の暴力が吹き荒れた。
5月19日、国会では自民党が暴力的に強行採決を行ったが、そのとき、警察とともに右翼暴力団が使われた。そして6月15日には国会の周辺で学生のデモ隊に右翼暴力団が襲いかかり、ひとりの女子大生が亡くなり、多くの学生が傷ついた。
マスメディアは、この事態をどうとらえたか。学生の激しい行動を「暴力」として非難し、強行採決をし、右翼を利用した政府自民党の「暴力」を黙殺した。それは6月17日の新聞7社の「共同宣言」にあらわれている。
誰がその先頭に立ったのか。「読売新聞」ではないか。政府自民党も、「暴力は断固排す」という声明を出したが、それを書いたのは渡辺恒雄である。そうあのナベツネだ。今も岸の孫を全面的にバックアップしている。
岸は、右翼、メディアなど使えるものは何でも使って、正面突破を試みた。安倍はそれをまねている。
安倍政権の政治に、人々が反対の声をあげている。しかし彼は動じない。
岸は、こう証言している。
安保のときのデモというのは、いわゆる大衆じゃないと思っていました。まあ一部の大衆といってもよい。・・・一般大衆は無関心だったと思うんです、大部分は。・・あのときも国会の周りはデモでナニしていたけれども、後楽園球場では数万の人が入って→空を楽しんでいた。・・・声をだしているのは一部のつくられたナニであって、あれは大衆じゃないというのが私の当時の見方でした。
(『岸信介証言録』)
反対の声をあげるのは、「一部」。彼らは「大衆」ではない、というのだ。政府の行うことに従順な者しか相手にしないということだ。
おそらく安倍も、ついでに石破も同じ考えなのだろう。石破はデモなどの抗議活動をする人たちをテロリストであるかのような発言をしている。
今、安倍の政治を検討しようとする時、岸信介を振り返る必要がある。岸、安倍が、戦前と今を結びつける。
今の政治が続くなら、戦後史は、書き換えられなければならない。1945年は、画期ではないというように。
国会周辺では右翼暴力団の暴力が吹き荒れた。
5月19日、国会では自民党が暴力的に強行採決を行ったが、そのとき、警察とともに右翼暴力団が使われた。そして6月15日には国会の周辺で学生のデモ隊に右翼暴力団が襲いかかり、ひとりの女子大生が亡くなり、多くの学生が傷ついた。
マスメディアは、この事態をどうとらえたか。学生の激しい行動を「暴力」として非難し、強行採決をし、右翼を利用した政府自民党の「暴力」を黙殺した。それは6月17日の新聞7社の「共同宣言」にあらわれている。
誰がその先頭に立ったのか。「読売新聞」ではないか。政府自民党も、「暴力は断固排す」という声明を出したが、それを書いたのは渡辺恒雄である。そうあのナベツネだ。今も岸の孫を全面的にバックアップしている。
岸は、右翼、メディアなど使えるものは何でも使って、正面突破を試みた。安倍はそれをまねている。
安倍政権の政治に、人々が反対の声をあげている。しかし彼は動じない。
岸は、こう証言している。
安保のときのデモというのは、いわゆる大衆じゃないと思っていました。まあ一部の大衆といってもよい。・・・一般大衆は無関心だったと思うんです、大部分は。・・あのときも国会の周りはデモでナニしていたけれども、後楽園球場では数万の人が入って→空を楽しんでいた。・・・声をだしているのは一部のつくられたナニであって、あれは大衆じゃないというのが私の当時の見方でした。
(『岸信介証言録』)
反対の声をあげるのは、「一部」。彼らは「大衆」ではない、というのだ。政府の行うことに従順な者しか相手にしないということだ。
おそらく安倍も、ついでに石破も同じ考えなのだろう。石破はデモなどの抗議活動をする人たちをテロリストであるかのような発言をしている。
今、安倍の政治を検討しようとする時、岸信介を振り返る必要がある。岸、安倍が、戦前と今を結びつける。
今の政治が続くなら、戦後史は、書き換えられなければならない。1945年は、画期ではないというように。