浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

「両立」

2014-05-05 19:35:41 | 読書
 この世には分からないことがある。最近、静岡大学を退官した古代史学者・原秀三郎が勲章をもらったというので、最近の彼の著作を少し読んでみようと、図書館から1冊借りてきた。『日本古代国家の起源と邪馬台国』という本だ。発行は、國民會舘である。副題に、「田中史学と新古典主義」とある。

 田中史学というのは、田中卓という皇国史観の学問ということである。これは國民會舘での講演の記録であり、最初に原は、この田中ともうひとり所功の両氏に感謝の意を表している。

 所功という名は、家永教科書訴訟で、国側の鑑定人としてよく名前を知られている。所も皇国史観の持ち主であろう。

 ボクは、古代史については普通の知識しかないので、原が主張するいくつかの論点について言及はできないが、この講演記録を読んで気づいたことを記しておく。

 まず講演末尾で、原の主張する「新古典主義史学」に関する紹介がある。そこにこうある。

 歴史における科学とは、直観によって得た豫測(=豫説)にもとづいて、史料を分析し、吟味と検証を通じて事実および事実関係を確定することである。また、歴史叙述と歴史意識=歴史的精神(私の場合は「敬神愛国」)と歴史理論(私の場合は「マルクス・エンゲルス理論」)にもとづいた研究成果の総合であり、物語(ロマン)である。

 しかし少なくとも、ここでの講演記録を読むかぎり、「敬神愛国」はあるが、理論としての「マルクス・エンゲルス理論」はどこにあるのか、と思うのだ。

 そしてこの原の主張についての先学としてとりあげる研究者は、天文学者の荒木俊馬(敗戦直後、京都大学からパージされた)、西田直二郎、白鳥庫吉、そして田中卓らであった。その中でも、副題にあるように、田中卓の研究にもっとも依拠しての立論となっている。

 それもそのはずで、「日本国家の起源」というとき、原の場合は古代天皇制国家の起源をさぐるのであって、社会科学的な日本古代国家研究とはかけ離れたものとなっている。

 原のなかで、「敬神愛国」と「マルクス・エンゲルス理論」がどう結びついているのか、理解不能である。まったく想像できない。学問の方法論というのは、学問に対する意識や精神と結びつくものであってそれ以外ではないというのが、ボクの認識である。つまり、人間のあり方としての学問研究であり、そのための学問の方法なのである。分離はできない。

 その意味で、原はとても器用ではある。

 原は、この講演でも語っているが、原は「左翼的環境の中で育って」きた。今はそうではなく、「政治と学問とはハッキリ分離しなければならない」というのだ。つまり政治は「敬神愛国」、学問は「マルクス・エンゲルス」というのだろう。しかし、この二つは両立はできない。

 だとすると、昔「左翼」が「転向」して、「右翼」へと飛び出していった人びとと、おそらく同じようになるはずだ。いやもうそうなっているという声もある。勲章が授与された背景でもある。

コメント
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