浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

I was born

2014-05-06 21:17:00 | 日記
 今年、詩人の吉野弘さんが亡くなった。吉野さんの詩、I was born は 生きるということを考えさせる。

 「何のために生まれてきたのか」という問いに、高校時代のボクは悩んだ経験がある。

I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は
生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね


 何でオレなんて生んだんだ!という怒りにも似た気持ちをもったことがあった。

蜉蝣という虫はね。生まれてから二、三日で死ぬん
だそうだが それなら一体 何の為に世の中へ出てくる
のかと そんな事がひどく気になった頃があってね----
 僕は父を見た。父は続けた。
----友人にその話をしたら 或日 これが蜉蝣の雌だと
いって拡大鏡で見せてくれた。説明によると 口は全く
退化して食物を摂るに適しない。胃の腑を開いても 入
っているのは空気ばかり。見ると その通りなんだ。と
ころが 卵だけは腹の中にぎっしり充満していて ほっ
そりした胸の方にまで及んでいる。それはまるで 目ま
ぐるしく繰り返される生き死にの悲しみが 咽喉もとま
で こみあげているように見えるのだ。淋しい 光りの
粒々だったね。


 いろいろ人生を体験し、また本を読んだり、考えぬいた結果、ボクは、生きていることそのものに価値があるのだという結論をもち、今を生きている。

 あなたもまた・・・

 You were born



 
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人間がいなくなる

2014-05-06 20:14:22 | 日記
 ミニバラが次々と咲き始めている。赤、ピンク、そして黄色。昨年末購入したバラも、大きな赤い花をつけている。
 ボクがもっとも好きな花は、バラ、それも赤のバラである。バラの花言葉は、「美」と「愛」である。とくに赤いバラのそれは、「あなたを愛します」「愛情」「美」「情熱」「熱烈な恋」。そういえば思春期の頃、『マノン・レスコー』や『椿姫』などを読んで、熱烈な愛にあこがれたことがあった。

 今はもう枯れてしまったが、つるバラのマリア・カラス、赤というかピンクというか、とても豪華な大輪の花がこの5月の連休の頃、100以上も咲き誇り、我が家の前を通る人びとは必ず見ていったことを思い出す。

 今はミニバラを門の前に出してある。

 バラは病気になりやすい。葉がうどんこ病や黒星病におかされる。常に水遣りとこの病気対策に意を用いないといけない。

 そしてもうひとつ好きな花は夕顔である。これは白、それも夜の間だけ咲く。「はかない恋・夜の思い出・夜・魅惑の人・逆境を克服する力」がその花言葉だそうだ。毎年、前年に咲いた花の種をとっておいて、種から咲かせている。ただし夕顔の種は殻に覆われているので、傷をつけてあげないと発芽しにくい。今、鉢の中にその種を蒔いている。

 今日は、実家の庭の草刈りをおこなった。石を取り除いたら、小さなヘビがいた。久しぶりに見た。実家の周辺からも自然が消えていく。我が家の庭で、こうしてヘビが世代をつないでいるというのもなかなか感動的である。実家の周辺は、高齢者世帯だけ。人間だけが世代をつながない。子どもは、どこかに出て行く。おそらく都会。

 地方にすむ人間は、いずれいなくなるのだろう。人間以外の動植物は、いま、人間の存在を疎ましく思っているようだ。人が住まなくなって、家が朽ちていき、そして最終的にそこは動植物の天下となる。

 地方から人間はいなくなる、と記したが、本当は住めなくさせられているのだ。あの福島の原発の周辺のように。

 
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『毎日新聞』の「記者の目」 これは秀逸。

2014-05-06 19:15:01 | メディア

記者の目:第五福竜丸・ビキニ事件60年=平塚雄太(静岡支局)

毎日新聞 2014年05月06日 東京朝刊


 ◇国策の悲劇、繰り返すな

 太平洋ビキニ環礁で行われた米国の核実験で1954年3月、静岡県焼津市のマグロ漁船・第五福竜丸が「死の灰」を浴びたビキニ事件から60年が過ぎた。日本の貨物船や漁船1000隻近くが被ばくした可能性がありながら、日米両国は当時、被害を第五福竜丸だけに矮小(わいしょう)化した。東京電力福島第1原発事故に見舞われても住民被ばくを過小評価し、原発再稼働を急ぐ日本政府の姿勢を見ると、「国策優先」という歴史が繰り返されているように見える。国は今からでもビキニ事件の被ばく実態を調査し、放射線被害の教訓とすべきだ。

 「放射能症とその後遺症ではないか」。今年1月、浜松市の医師、聞間(ききま)元(はじめ)さん(69)は、第五福竜丸所有会社の男性元社員(88)を診察して直感した。元社員は帰港した第五福竜丸で海水かき出し作業などを2カ月間手伝った。当時、めまいや脱毛の症状を放置していたという。60歳を過ぎて胃がんや大腸がん、甲状腺障害を発症した。乗組員の整髪などの世話をした当時の保健所職員にも間接被ばくが推定される症状があるという。

 ◇延べ856隻に上る、全国の被災船

 旧厚生省の調べでは、ビキニ事件の被災船(魚を廃棄した船)は全国で延べ856隻に上る。1000隻以上が何らかの放射線被害を受けたとの研究者の指摘もある。出漁船の3分の1を占めた高知県の市民団体は「がんなどに苦しむ元船員は多い」とし、元船員たちの被ばく影響調査を広島大と進める。聞間さんは「隠れた被ばく者はまだいる。政府が広範囲に調べていれば、福島第1原発事故の被ばく調査にも役立ったはずだ」と指摘する。

 本来なら国の責任で、被ばくが疑われる関係者をきちんと調べるべきだった。しかし、60年の節目に事件を取材して私が感じたのは、都合の悪いものを消し去ろうとした核大国・米国の身勝手さであり、それに追従した日本政府の情けない姿勢だった。

 広島・長崎への原爆投下から10年もたっていなかった当時、米国は、ビキニ事件をきっかけに日本で反米、反核感情に火が付くのを恐れた。冷戦のさなか、船員の被ばく実態など核実験の詳細が公になることも極度に警戒した。第五福竜丸は現在、保全運動が実って東京都内で展示されているが、米側は当時、機密保持を理由に海へ沈める提案さえしていた。

 事件から1年足らずの55年1月、米国は乗組員や全国の水産関係者らに計約7億2000万円を「見舞金」として支払った。以降、日本政府は「問題は解決済み」との立場を取ってきた。この年、日米原子力協定が結ばれ、原子力基本法が成立。日本の原発開発はビキニ事件にふたをする格好で国策として走り出した。

 第五福竜丸の乗組員23人のうち16人が既に他界した。死因は肝臓がんなど肝機能障害がほとんどで、被ばく治療に伴う輸血でC型肝炎に感染したとの見方が有力だ。だが日本政府がビキニ事件との因果関係を事実上認めたのは、事件半年後に急性放射線症で死亡した無線長、久保山愛吉さん(当時40歳)だけである。

 ◇福島原発事故に重なる国の姿勢

 原爆や米核実験について研究する広島市立大広島平和研究所の高橋博子講師は「日本政府は安全保障や経済的な理由で米国の原子力政策に追随し、自国民の被ばくから目を背けた。福島の原発事故でも住民の被ばく線量などを積極的に公表しておらず、その姿勢はビキニ事件から変わっていない」と話す。

 焼津市では当時、水揚げされた魚の廃棄に追い込まれた。市民には第五福竜丸を「厄介者」とする雰囲気さえあったという。「お前らのせいで焼津の魚は売れなくなった」と乗組員は白い目を向けられた。操舵(そうだ)手だった見崎(みさき)進さん(87)は豆腐店を始めたものの、「原爆豆腐」と心ない言葉を浴びた。焼津に限らず全国の水産業が打撃を受けた。福島の農水産業者らが直面する風評被害を思うと、国策のツケを払うのは、またも国民の側だと憤りを感じる。

 ビキニ事件では、被ばくした事実さえ知らぬまま世を去った可能性のある人たちがいる。全国の船員の名前や乗った船が記された60年前の「船員保険」の資料は、厚生労働省所管の日本年金機構に保管されている。操業日時や場所、船員たちの健康状態を分析すれば、被ばくとの関連についての調査が可能なはずだ。分析結果は、福島の被災者たちの健康調査などに有効活用できるかもしれない。久保山さんは「原水爆の被害者は私を最後にしてほしい」と言い残して絶命した。その遺志をかなえるためにも、ビキニ事件の真相を解明しなければならない。
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