浜名史学

歴史や現実を鋭く見抜く眼力を養うためのブログ。読書をすすめ、時にまったくローカルな話題も入る摩訶不思議なブログ。

近世の「集団的自衛権」

2014-06-25 21:21:22 | 日記
 日本で江戸幕府が成立し、戦国の動乱が終わり「平和」な社会が本格化する頃、中国では王朝交替の激しい戦いが繰り広げられていた。

 漢民族の明が、女真族の清に倒されようとしていた。
 その時、清に追われて南下した「南明政権」は、幕府に対して何度か援兵を求めた。

 また日本人の母親をもつ鄭成功は、清朝に抵抗して戦っていた。1658年には南京も攻略するほどであった。その鄭成功も江戸幕府に援兵を求めた。明の儒者、朱舜水も長崎に来て援兵を求めた。

 しかし幕府は、その要請を拒否した。

 まさに「集団的自衛権」の行使要請を、幕府は拒否したのである。

 また、戦国時代が終焉を迎えた日本では、戦闘になれた人々が海外に出て行った。彼らはヨーロッパ諸国の傭兵として、東南アジアなどで戦った。日本は当時傭兵を送り出し、兵站基地としての機能を果たしていた。これに対して幕府は、武器・傭兵の輸出を禁止した。

 この一連の動きを見ると、幕府はたいへん賢明であったといえよう。

 安倍政権は、武器輸出を解禁し、「集団的自衛権」を行使するつもりのようだ。安倍政権はこの幕府の賢明な判断を学ぶべきである。

  

 
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「松坂の一夜」

2014-06-25 20:32:54 | 日記
 今日、「「国学」の誕生」ということで、50数人の前で講義を行った。「国学」の誕生を、近世の社会状況を背景に、儒学を含めた学問の歴史の中に位置づけ、さらに宣長に至る契沖、荷田春満、賀茂真淵のそれぞれの思考について紹介し、最後は宣長が歴史的事実であると思い込んだ『古事記』がいかなるものであるかを話して終わった。

 そのなかで、聴講者にもっとも関心をもたれたのは、賀茂真淵と宣長が決して順調な師弟関係にはなかった、ということであった。

 賀茂真淵は浜松出身である。だから浜松市には、小さな賀茂真淵資料館というものがある。

 馬淵と宣長は、一度だけ「松坂の一夜」として会ったことがある。宣長はそこでの邂逅の場面を、後に記している。『玉勝間』である。

 ところが、馬淵は『万葉集』を最大限に評価する一方、宣長は『源氏物語』をはじめ、平安朝文学が好きであり、技巧に富む和歌も詠んだ。「物のあはれ」を見出したとされるゆえんである。

 馬淵と宣長は一度しか会ってはいないが、手紙でそれぞれの意思を伝え合っていた。ところが、馬淵は宣長の『万葉集』のとらえ方が気に入らない。
 
 だから、「是は新古今のよき歌はおきて、中にわろきをまねんとして、終に後世の連歌よりもわろくなりし也。右の歌ども一つもおのがとるべきはなし。是を好み給ふならば万葉の御問も止給へ。かくては万葉は何の用にも立たぬ事也」、「惣而信じ給はぬ顕はなれば、是までの如く答は為まじき也」という馬淵の、宣長宛書簡があるのである。

 通説は、いつかは崩される。

 今日の講演内容をつくるために、たくさんの本を買い読んだ。謝礼をこえるカネを投下した。

 今度は8月である。また平田篤胤以降の「国学」を追わなければならない。
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「一強」という問題とメディア

2014-06-24 07:20:43 | 政治
 今日の『毎日新聞』のネット記事(一部)である。

自民党:相次ぐ舌禍、「1強」の慢心?

毎日新聞 2014年06月24日 東京朝刊

 政府・自民党が、閣僚や同党の東京都議の相次ぐ失言に危機感を強めている。自民党の石破茂幹事長は23日、都議の女性蔑視ヤジ問題を陳謝し、菅義偉官房長官も「不適切な発言だ」と改めて強調。党執行部は先週末からヤジを飛ばした本人に謝罪を迫るなど早期の幕引きを求めてきた。しかし国会でも都議会でも多数を占める「1強」のおごりがゆるみにつながっているとの指摘もあり、引き締めは容易ではなさそうだ。


 そして今日の『中日新聞』社説。以下に紹介するが、その中に「「決められない国会」も問題だが、「決めてはならないことを決めてしまう国会」もまた、問題なのだ。」とある。「決めてはならないことを決めてしまう」国会と、「決められない」国会、この両者を天秤にかけたときに、どちらを尊重すべきか。明らかに、決めてはならないことは決められないようにする国会こそがあるべき姿である。

 今まで、マスメディアが国会を非難するときに多用された「決められない政治」は、「言論の府」としての国会にとって、あるべき姿ではなかったのか。問題があるから決められないのである。マスメディアが「決められない国会」と非難するときの立ち位置は、官僚や自民党からのものであった。

 メディアは無責任である。現在の自民党「一強」は、メディアの報道が作り出したものでもある。『中日(東京)』は「決められない国会」といった主張はしていなかったと記憶するが、『毎日』はしていた。そのほかのメディアもそれを輪唱していた。つまり、メディアは自民党に肩入れしていたのだ。

 自民党が選挙で「圧勝」したらどういう事態が生まれるか、そうした想像力をメディアはもたない。

 細川内閣の時、「政治改革」ということばで小選挙区制が成立したが、小選挙区制がいかなる事態を招くのかは、日本の歴史を振り返ればすぐにわかることだ。しかし、メディアは、小選挙区制導入という「政治改革」が行われなければ日本の政治はダメになると、それはそれは熱心に報道していた。そのなかには、今では考えを改めた山口二郎という政治学者もいた。「一強」は、小選挙区制が産みだしたものだ。

 メディアは、現在の安倍政権の暴走を批判するなら、選挙制度の改正を強く主張すべきだ。民意をできるかぎり国政に反映できる選挙制度はいかなるものかを報道すべきではないか。


通常国会終わる 「言論の府」劣化を憂う

2014年6月24日

 昨年とは様変わりである。衆参ねじれ状態解消後、初めての通常国会が終わった。法案の成立率は上昇したが、審議の形骸化も目立つ。暮らしを最優先に、との国民の期待に応えたとは言えない。

 97・5%。安倍内閣が二十二日に閉会した通常国会に提出した法案の成立率である。成立率が90%を超えたのは、国会がねじれ状態となる前、第一次安倍内閣当時の二〇〇七年以来、七年ぶりだ。

 法案成立率の高さは、一つの目安ではある。しかし、高いからといって、充実した審議が行われたとは限らない。「決められない国会」も問題だが、「決めてはならないことを決めてしまう国会」もまた、問題なのだ。

 議員提出分も含めて成立した法律には、高齢者の負担増となる地域医療・介護総合確保推進法、首長の権限を強める改正地方教育行政法、憲法改正の手続きを定めた改正国民投票法、特定秘密を監視する審査会を衆参両院に置く改正国会法などが含まれる。

 これらは国民の暮らしや国の在り方に関わる重要な法律だ。審議は衆参両院で多数を得た与党ペースで進んだが、国民にその利点や問題点を明らかにした上で、議論を尽くしたと言えるのだろうか。

 非協力的な野党を切り捨て、協力的な勢力は味方に付ける。数の力で持論を通そうとする安倍晋三首相率いる自民党政権の政治手法があらわになってはいまいか。

 極め付きは「集団的自衛権の行使」を、政府の憲法解釈を変更して認めようとしていることだ。

 憲法九条の平和主義を骨抜きにし、戦後日本の「国のかたち」を変えてしまう重要問題であるにもかかわらず、与党内の調整ばかりに力を注ぎ、国会審議をないがしろにするとは何ごとか。

 国会審議形骸化の責任は与党だけにあるわけではない。特に、民主党は野党第一党の責任を果たしているとは言い難い。安全保障など、徹底した党内論議で政策をまとめ上げる気迫がなければ、政権側に足元を見透かされてしまう。

 いわゆる第三極勢力も、日本維新の会は分党を決め、みんなの党は「政治とカネ」の問題で党首が交代した。野党の内紛、弱体化は政権与党を利するだけだ。

 言うまでもなく、国会は国権の最高機関だ。いくら議院内閣制とはいえ、国会が首相官邸の思うがままであってはならない。「言論の府」としての誇りと責任感、民主主義を全うする使命感を、与野党ともに取り戻すべきである。


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侮蔑される日本人

2014-06-23 20:57:46 | 日記
 東京都議会でヤジを飛ばした議員が「自首」したようだ。

 『毎日新聞』の記事。

都議会:「品のないヤジよくない」一転認めた鈴木章浩都議

毎日新聞 2014年06月23日 13時49分(最終更新 06月23日 14時06分)

 東京都議会で塩村文夏(あやか)都議(35)に女性蔑視のヤジを浴びせたことを認めた自民党の鈴木章浩(あきひろ)議員(51)は、20日に都議会内で報道陣の取材に応じた際は「寝耳に水でびっくりしている」とヤジへの関与を否定していた。主なやり取りは次の通り。

 --周囲からヤジは聞こえたのか?

 ◆よく分からない。ただ、品のないヤジは良くない。同じことが起きないようにしないといけない。

 --自身がヤジを飛ばしたのではないか?

 ◆私はない。寝耳に水でびっくりしている。

 --塩村都議が涙する姿をどう感じた?

 ◆後で気づいた。(議場を)出て。「声に詰まったな」とは感じた。どういうヤジでどうなったかは、あの場では分からなかった。

 --自民党所属議員への聞き取りには、どう答えたのか?

 ◆今のような話を。人ごとではないので、しっかりと受け止め、まず、私たちからそういうことがないようにしないといけない。

 --議場で笑い声も聞こえた。記憶は?

 ◆騒がしいのは感じた。議会でこういうことが起きていること自体が申し訳ない。

 --(今回は)議員辞職に匹敵するか?

 ◆女性の心を傷つけたのは、重く受け止めるべきだ。議員辞職する、しないは、本人がどう受け止めるかの結果。犯人が特定されても、「辞めた方がいいよ」とか、その人に言うことはない。
 
◇鈴木章浩都義、3期目51歳

 鈴木章浩氏(51)は大田区議を経て、2007年の都議選で初当選し現在3期目。都議会では、総務委員会副委員長や自民党政調会長代行を務めている。

 ヤジへの関与が取りざたされたことについて20日、報道陣に問われた際は「寝耳に水でびっくりしている」と完全否定し、「議員辞職する、しないは、本人がそのこと(ヤジ)をどう受け止めるかだ」と話していた。

 鈴木氏は、妊娠・出産を巡る都の支援体制について、塩村氏が質問中に「早く結婚した方がいいんじゃないか」とヤジを飛ばした。

 一方、鈴木氏は自身のホームページで、ヤジの内容とは裏腹に「子育て支援の充実」「女性が働きやすい社会の実現」を重点施策に掲げていた。

 また、12年8月には石原慎太郎知事(当時)の下で都が進めていた尖閣諸島(沖縄県石垣市)の購入計画に同調。「調査」を目的に無許可のまま船から泳いで魚釣島に上陸し、沖縄県警に軽犯罪法違反容疑で事情聴取を受けた。【竹内良和】



都議会:ヤジは鈴木章浩・自民都議 認めて会派を離脱へ

毎日新聞 2014年06月23日 13時57分(最終更新 06月23日 18時38分)

 東京都議会の本会議で塩村文夏(あやか)議員(35)が女性蔑視のヤジを浴びせられた問題で、都議会自民党の吉原修幹事長は23日午後、都庁内で記者会見し、同党の鈴木章浩(あきひろ)議員(51)が「早く結婚した方がいい」と発言したことを認めた。鈴木議員は、会派を離脱する。吉原幹事長は謝罪した。ヤジは自民党席の一角から上がったと指摘されており、自民都議から「自分は無関係なのに迷惑だ」との不満も漏れ、早期収束を促す声が強まっていた。

 「今回の『セクハラやじ』騒動。私は一切関係ございません」。自民のベテラン都議は21日付で、自身のホームページにこんなコメントを掲載した。インターネット上で、この都議を「犯人」とする情報が広まっていることへの対応だった。「多くの女性に不快な思いをさせていることを深く認識し謝罪すべきであります。自分で言った言葉に責任を持つくらいの事をしなくてどうしますか?」とも記し、発言者に名乗り出るよう促している。

 ある自民都議は「無関係なのに、事務所に電話がひっきりなし。対応しているスタッフがかわいそうだ」とこぼし、早期の問題収束に期待をにじませた。

 都議会でのヤジを巡っては、自民党の野田聖子総務会長が20日の記者会見で「とても不愉快。成長戦略の一丁目一番地は女性の活躍。仮に自民党議員のヤジであれば、安倍晋三首相の成長戦略を否定しかねない発言だ」と非難。石破茂幹事長は21日の読売テレビの番組で「誰であれ『自分でした』と言っておわびすべきだ。仮にわが党であったとすれば、党としておわびをしなければいけない」と指摘した。【川口裕之、竹内良和、和田浩幸】


 このヤジ、世界に報道された。
http://www.theguardian.com/world/2014/jun/20/tokyo-assemblywoman-sexist-abuse
 日本人の人権感覚のなさが広く報道された。しかし、この記事を読んで、この都議会議員、嘘もつく人なんだと思った。問題となった時点で素直に「私がやりました」というべきであった。
 またWikipediaでこの議員のところをみたら、大田区議会議員時代、海外視察の報告書を二度もコピペしたと書かれていた。さらにこの議員、尖閣に上陸した人だった。その理由が、「日本人の誇り」のためだって!!

 もう一つ、中国での事件。これも日本人が侮蔑される要因となる。

日本人駐在員による痴漢行為、書店内で女性のスカートの中を撮影―広東省珠海市

 21日、杭州日報は中国広東省珠海市で女性のスカートを撮影した日本人男性が逮捕されたと報じた。携帯電話を足にくくりつけ、スカートの下に足を伸ばして撮影するという手法だったという。

 撮影した日本人男性は日本企業の従業員で3カ月前に珠海市に赴任してきたばかり。警察は行政拘留(裁判なしで科される簡易な処罰)5日間の処罰を下した。(翻訳・編集/KT)

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政治家とメディア

2014-06-23 07:16:26 | 日記
 朝起きて、新聞を見る。月曜日は週刊誌の広告が載る。しかし、最近の『ポスト』、『現代』両方とも、知性や品性に欠けるものが多い。その見出しを見るだけで買うわけではないが、無責任な放言や退廃的な内容が多すぎる。そういう記事を載せると売れるから、ということだろうが、ということは庶民がそれを求めているのだろうか。

 今日の『現代』の見出しは、自衛隊が北朝鮮と中国と戦う、というものだ。そして横に「覚悟せよ、ニッポン人」とある。メディアが戦争を煽る。戦争が起きる前というのは、メディアが先鋒をつとめるものだ。1930年代に発行されていた新聞記事も同様だった。

 戦争が終わったとき、メディアはそうした役割を果たしてきたことを反省したはず。だが現在の雑誌メディアにはそうした気配はない。

 今日の『中日新聞』社説は、沖縄慰霊の日に関する内容であった。日本で唯一地上戦が行われたところだ。社説に「戦場に対する想像力を欠いた安全保障論は空疎」とあるが、メディアも同様だ。戦争が起きるということは、戦場となるところが生じるということだ。戦場ではどのようなことが起きるのか、それを想像することは可能だ。そうした事例が、過去にも、いや現在でもたくさんあるからだ。

 メディアの役割は、センセーショナルな記事を載せるのではなく、国民に冷静で理性的な議論を引き出せるようなものを提供すべきなのである。この記事を書いている記者、そして講談社の社員は、戦争が起きたら戦場に行くのか。こういう無責任な振る舞いには、怒りすら覚える。

 今、一部の新聞や雑誌、そして書籍までも、センセーショナルな内容のものが増えている。活字の世界は、知性と理性が主導するものでなければならないと思っているが、そうした願望は踏みにじられている。

 しかし、知性と理性が欠けているものは、メディアだけではなく、政治家も同じ。東京都議会の某議員のヤジ、石原環境大臣の「金目」発言、そして今日の新聞報道にあった、暴言政治家・麻生太郎の問題発言。

 麻生は、いじめられる子は、「勉強できず」「けんか弱い」「金持ち」であるというのだ。安倍政権の閣僚の一人である麻生が行ったこの発言、「いじめ」問題の解決に資するものであるかどうか、一目瞭然である。まさに知性と理性に欠ける発言である。

 
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オシムに関わって

2014-06-22 22:02:16 | メディア
 NHKスペシャル「民族共存へのキックオフ~"オシムの国"のW杯~」をみた。サッカーが民族対立を超えるシンボルとなっている姿を知った。スポーツの可能性を示すもので、見て考えさせられた。

 ユーゴスラヴィアという国があった。第二次大戦後、チトーという大統領が、異なる民族や宗教の人々とともに、ひとつの国をつくっていた。

 チトーが亡くなってから、ユーゴスラヴィアは分裂し、内戦を起こし、そして殺しあった。今は、内戦もなくなり、平和な日常が戻っているようだ。しかし、民族や宗教が異なるという、それだけで殺しあったそのことが、憎悪として残されている。もちろん表面にはでてこないかもしれないが、しかし憎悪は確実に存在する。自分の家族が殺されたという事実、この事実は消えないからだ。こういう憎悪が徐々に歴史のなかに消え去っていくためには、相当長い時間がかかる。

 今まで一緒に仲良くコーヒーを飲んでいた人びとが、一方は殺す側に回り、他方は殺される。この理不尽。本来殺しあう必要はまったくなかったはずなのに。
 そこには、民族の違いをことさらに強調して対立をつくり出し殺しあいをさせ、それを政治的に利用した誰かがいるはずだ。

 戦争は、いかなる名前がつけられようとも、どういう理由が掲げられようとも、その本質は殺しあい、破壊し合うことだ。その戦いが終わった後でも、憎悪は残る。

 だからこそ、戦争は、決して、してはならない。「平和のための戦争」という矛盾した言い方があるが、「平和のため」という肯定すべきことばがくっついてはいるが、それであっても戦争は戦争なのだ。

 サッカーというスポーツ、時には浦和レッズによる排外主義的な動きもあるが、ボスニアの例のように、民族間の対立を超える役割も果たすことが出来る。

 ただ、そこにオシムという人物の存在が必要であった。スポーツだけに専念するのではない、知的な思慮深い人物がいた。

 スポーツも、そういう人材を育成すべきだ。勉強させないで、読書をさせないで、ひたすら部活動に専念させる大人たち。彼らの多くは、勉強や読書の楽しさを知らないままに生きていく。

 日本には、オシムのような人は生まれないかも知れない。


 
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『衝口発』

2014-06-22 20:23:15 | その他
 『衝口発』は、江戸時代、藤貞幹という国学者が著したものだ。日本の神代を含めた上代について、研究したものだ。成稿は1781年である。

 これに対して、本居宣長は『鉗狂人』(けんきょうじん)を著して反駁した(1785年)。この「鉗狂人」の意味は、狂人に首かせをかけるという意味である。つまり藤貞幹を「狂人」として、首かせをかけようとしたというわけだ。

 宣長は、激しく憤激したのだろう。

 宣長は、『古事記』の記述をほとんど歴史的事実としてみずからの考えを構築した。「漢意」をすべて除去して、「原日本」(固有の起源を持った日本)を示そうとしたから、藤の主張は許せなかった。

 藤の主張は、スサノオは「辰韓の主」であるとか、「本邦の言語、音訓共に異邦より移り来たる者也。和訓には種々の説あれども、十に八九は上古の韓音韓語、或は西土の音の転ずるもの也」、「歌は韓の古俗なること明かなり」・・・というものである。中国や朝鮮の古代史と比較しながら研究した結果を記したのである。

 常識的に考えて、古代日本は「漢字」にみられるように、中国・朝鮮の大陸文化と切り離すことはできない。近世においても、それが常識的な考えだったのだ。

 しかし宣長は、「漢意」を除去すれば、「原日本」をつかみ出すことができると考えていたから、「原日本」に中国や韓が入り込んでいるということには耐えられず『鉗狂人』を著したのだが、その反駁はきわめて感情的なものであった。

 そもそも、『古事記』そのものが「漢」や「韓」を排除して書かれたものなのだ(といっても、文化後進国日本では、漢字を使わなければならなかった)。『古事記』は8世紀初めに完成したといわれる。663年に白村江の戦いで、唐・新羅の連合軍に敗れた倭は、敗れたがゆえに、余計に意識して倭なるものを立ち上げようとした。倭をやめて国号を「日本」とした。これも、中国からみれば日本は東にあるから「日の本」だというのである。日本列島に住む者にとっては、「日の本」って何?といいたくなる。中国や韓を意識してつくった国号が「日本」なのである。

 「日本」を立ち上げるために、韓や漢を離脱しようとしたのである。その意図をさらに宣長は徹底したといえるだろう。
 
 いづこのいかなる人にかあらむ。近きころ衝口発といふ書をあらはして、みだりに大御国のいにしへをいやしめおとして、かけまくもいともかしこき皇統をさへに、はばかりもなくあらぬすぢに論じ奉れるなど、ひとへに狂人の言也。故に今これを弁じて、名づくることかくの如し

 これがその本の序文である。

 この宣長の言説に対して、上田秋成が反論を加えた。その詳細は省くが、秋成の科学的な指摘に対して、宣長は非理性的に反論した。

 日本は世界の中心であるという日本中心主義は、その後も喧伝され、その結果としての1945年を経て、それは今も生きている。

 こうした排外主義的な言説を歴史的に解き明かしながら、再び狂信的なナショナリズムが席巻しないように、注意しなければならない。


 
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権力と暴力

2014-06-22 15:44:20 | 政治
 政治権力が何らかの政策を推進しようとする、その政策に反対する運動が無視し得ないとき、政治権力は何をするか。権力は必ず不定形の暴力をつかう。それは権力の常套手段であって、戦後の歴史でもしばしばそういう姿が見られた。たとえば、1960年の安保闘争のとき。

 そして暴力を駆使するのは、警察とか軍隊とかではなく、非公式の暴力組織をつかう。右翼暴力集団や宗教組織などである。

 辺野古新基地建設現場の海岸に、反対運動の拠点であるテントがある。ボクもそこにいったことがある。そのテントが荒らされたという。本土のニュースでも報道されたかも知れないが、ボクは知らなかった。

 以下、『沖縄タイムス』の記事。

辺野古の抗議テント荒らされる 展示物など破壊
2014年6月20日 11:46

 【名護】米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古沖への新基地建設に反対し、抗議の座り込みを続けるヘリ基地反対協議会のテントが20日午前、何者かに荒らされ、掲示物などが破壊されているのが見つかった。県外の子どもらが送った折り鶴なども引きちぎられ、無残な状況。安次富浩共同代表は「暴力と破壊行為で言論を封鎖しようとする許されない行為。まるで今の社会情勢を反映している」と怒りをあらわにした。

 テントが襲われたのは、2004年の座り込み開始から10年間で初めてという。安次富代表によると、前日はメンバーが午後4時に撤収。20日午前7時50分ごろ、安次富代表がテントに来て看板や傘などが浜に投げ捨てられているのを見つけた。

 テント内に張られた写真や新聞記事、横断幕なども引きちぎられて床や浜に散乱しており、「テント村」の看板は2つに割れていた。

 安次富代表は「ボーリング調査を目前にした嫌がらせだろうが、今後も私たちスタンスは変わらない。テントを片付けて、今日からまた頑張っていく」と語った。20日は座り込み開始から3715日目。

 
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沖縄 辺野古

2014-06-22 07:32:51 | その他
 沖縄の辺野古、皆さんは行ったことがあるだろうか。とても美しい海だ。ジュゴンが生息し、海に入れば熱帯魚が鮮やかな色を見せながら、泳いでいる。その海に、恒久的な米軍基地が建設されようとしている。

 沖縄の意識ある人々は、ずーっと監視活動をしている。今まで、名護市長らとともに、新基地建設を阻止してきた。しかし、安倍政権は、強引に建設を進めようとしている。

 以下のような、情報があった(「琉球朝日放送」)。日米は、さっさと工事を進めてしまおうという魂胆だ。

 日本は、今も米軍は日本のどこでも、基地建設可能である。「日米地位協定」という植民地的協定があるからだ。

 しかし、そう簡単に基地は建設されないだろう。


辺野古への基地建設に向け日米両政府は20日、名護市辺野古キャンプシュワブ沿岸部の、立ち入りを禁止する水域を大幅に拡大することを合意しました。

日米両政府は20日、日米合同委員会を開き、これまで沿岸から50メートルの範囲だった立ち入り禁止水域を最大で2キロまで拡大することで合意しました。立ち入り禁止水域の拡大をめぐっては、埋め立てに反対する市民らが、アメリカ軍の演習ではなく、工事を目的とした拡大は違法ではないかとして法的根拠を質していました。

しかし、20日の日米合同委員会の発表では、この水域を地位協定に基づき、アメリカ軍と沖縄防衛局が共同使用する形で合意することで、工事に伴う水域拡大の妥当性を示す恰好となっています。

政府は7月にも立ち入り禁止水域内でのボーリング調査に着手すると見られていて、埋め立てに向けた手続きが最終段階を迎えています。


http://www.qab.co.jp/news/2014062055094.html
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なーんだ

2014-06-21 16:10:53 | 
 何かの本を読んでいたら、今「ポエム」の時代、とかなんとかあって、その関係書として、小田嶋隆『ポエムに万歳!』(新潮社)が紹介されていた。買おうか買うまいか迷った末、図書館で予約。すでに数人の方が予約していた。ずっと待っていて、やっと今日。

 しかし借りてきて、あっという間に読んでしまった。「ポエム」に関係したものは、最初と最後の対談だけ。その間の文は、読んでも読まなくてもいい、そんなに刺激があるものではない。時間がない人は、読む必要がない。

 今、「ポエム」の時代だといっても、それに関して論じられているわけではない。ネット上で、「ポエム」的な文がはびこり、それが他の分野でもつかわれているということを、おそらく小田嶋氏が最初に指摘したのだろう。それで終わり。

 だから、この本は「なーんだ!」という、ボクにとっては期待外れの本であったということ。

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新自由主義者が政策をつくっている

2014-06-21 09:29:22 | 政治
 新自由主義とは、企業が「公共的なるもの」を破壊して、すべてを利益追求の手段としてしまうという考え方である。その利益追求も、極大までの利益追求である。

 すでに、地方自治体が「公共」的な仕事として行っていた業務が、民間委託とか、指定管理などによって、民間企業に渡された。地方自治体は、自らの業務として行うよりも、より経費がかからないようにということを名目に民間企業に業務を渡す。したがって、民間企業は委託された経費をもとに地益を出さなければならない。となると、そこで働く人々を低賃金で働かせるしかない。もちろん正社員ではない、非正規の労働者をつかう。

 さて、今週号の『週刊金曜日』。農業問題の記事があった。新自由主義者は、こんどは農業での金儲けを狙っている。本来ならば、農業政策は農業に関わりのある者が中心となって立案すべきであるが、その立案の場、政府の諮問機関「産業競争力会議」や「規制改革会議」には、農業関係者はいない。構成は、大企業の経営者主体、政府関係者と学者であるが、ほとんどすべてが新自由主義者である。つまり民間企業に最大限の利益追求をさせようという人々だ。

 新自由主義の政権・安倍政権は、まず「農業特区」を設定して、そこを突破口にして、民間企業の農業への算入を狙っている。

 農作物をつくるということは、土地と作物と自分との対話であり、またそれを基本とした同じ農業者との共同体的なつながりによってこそ、成りたつものだと思っている。同じようにつくっていても、作物の出来不出来があり、なぜそうなるか、回答はないので、自ら考えたり、近隣の助言を求める。農業に関する智恵が、農業には必要なのだ。その智恵を蓄積しながら、日本の農業は人々に農作物を提供してきた。

 そして農業は農作物をつくるだけではなく、自然保護にも益するものだ。手塩にかけて土を作り、そこで作物をつくる。そのことが自然破壊を食い止めてきた。中山間地のそれは、災害を防ぐ大きな役割を担う。しかし、広大な面積を確保できない中山間地は、機械化など省力的な農業はできないだろう。

 もし企業が農業に参入し、一般農家を駆逐していけば、そうした中山間地は利益が出ないところとされ、荒れていく。

 折しも、国連が2014年を「国際家族農業年」としている。その趣旨は、

2014年は「国際家族農業年」 ~家族農業の果たす役割の大きさを再認識しよう~
2014年05月12日

国際家族農業年(International Year of Family Farming)

 世界では、およそ4億の家族農業世帯が、数十億の人々のために食料を生産しています。こうした中小規模の農家は気候変動をはじめとする数多くの課題に直面し、廃業の危機にさらされるケースも少なくありません。

 国連は2014年を「国際家族農業年」に制定することにより、家族農業が果たす役割の大きさに対する人々の認識を高めます。飢餓や貧困を撲滅し、特に農村部において食料の安全保障と栄養を提供する上で、家族農業は重要な存在となっています。また、天然資源を守り、持続可能な開発を促進する上でも、大きな役割を果たしています。国際年をきっかけに、家族農業を農業・環境・社会政策の中心に据えるよう、各国政府からの支援を引き出すことを目指します。


http://www.unic.or.jp/news_press/features_backgrounders/8482/


 国際的にも、企業による農業ではなく、家族による小経営農業が、農業の基本なのである。アメリカなどのあくなき利潤追求を基本とする企業経営は、例外なのである。

 今、日本政府は、家族農業ではいよいよ生活できなくさせて(今までもそうした政策を続けてきている。欧米では食料の自給率を高めるために、様々な農業保護政策が行われているのに・・・)、農民を農業労働者へと変え、民間企業の利潤追求に手を貸そうとしている。

 農業問題を、しっかりと注視しなければならない。


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【本】大山誠一『天孫降臨の夢』(NHKブックス)

2014-06-20 14:26:10 | 
 最近、日本という国を誇りたいという気持を持つ人が増えてきているようだ。その背景には、経済大国であることを誇った日本が、すでにピークを過ぎて「落ち目」になりつつあるという事実があるのだろう。これからの日本人は人口減などにみられるように、下り坂を生きることになる。

 さてそういう人のなかに、日本の神道に誇りを持とうという者がいるそうだ。神道の起源をさかのぼると、それはアニミズムに行き着くようだ。現在でも、自然崇拝的な要素が、神道にはある。そしてその自然崇拝的な信仰をまとめあげたのが、8世紀に編纂された『古事記』『日本書紀』(『記紀』)となる。

 といっても、この『記紀』はきわめて政治的な意図のもとに編纂されたている。言うまでもなく、「当時の天皇家の日本統治の正当性を神代ににまでさかのぼって筋立てしようとした」(大野晋『日本人の神』、河出文庫)ものである。その意味で、『記紀』は政治的文書ともいえるのである。

 したがって、神野志隆光が指摘するように、「人間一般に対する関心をもたず、というより、人間一般を意識することなく、いわばノーカウントにして成りたつ神話化である。それが『記』『紀』の全体性の質であり、そこで民族文化や民衆社会につながる質―人間の出現―を見ようとすることは不可能である」。

 さて、天皇家が日本を統治することを正当化するために編纂された『記紀』には、天孫降臨の話がある。『古事記』『日本書紀』とはその話に大きな違いがあるが、基本は、地上の葦原中国(あしはらなかつくに)を支配するためにアマテラスの孫であるニニギが天下るということなのだが、ボクは以前からなぜ「孫」なのかが不思議であった。

 この天皇の神話化が図られたのが、持統天皇の頃。なお「日本」という国号も、「天皇」という尊称も、この天武・持統の頃からつかわれ始めたことがわかっている。

 この頃の天皇には、たくさんの妻がいた。天智天皇の娘でのちに天皇となる持統は、天智の弟と婚姻関係になり、草壁皇子を生む。持統の姉も、天武の妻となって大津皇子を生む。また他の妻と、市皇子も生まれる。有能な持統は、自らの子である草壁を皇位につけようとするが早世してしまう。草壁皇子には天智の娘・後に元明天皇となる女性との間に軽皇子(のちの文武天皇)がいた。持統はみずからの孫である軽皇子を皇位に就けようとするのだ。ところが草壁皇子がなくなったとき、軽皇子は7歳。持統はみずから天皇となって、孫の成長を待ったのだ。

 持統は、「天照らす 日女の命」(アマテラス)となって、孫である軽皇子を皇位につけるべく、軽皇子をニニギとして、神話をつくりだしたのである。

 697年持統は文武に譲位する。そして、文武の妻は、藤原不比等の娘・宮子、宮子がのちの聖武天皇を生む。ちなみに聖武天皇の妻は、有名な光明子、この女性も不比等の娘であった。

 これが「天孫降臨」の背景なのである。

 日本神話は、天皇制神話であること、この本質はしっかりとおさえておかなければならないだろう。

 大山誠一のこの本は、持統天皇の企ての背後に、藤原不比等がいること、日本の天皇制(基本的に、天皇が国政審議の場にいない)をつくりだしたのは、不比等であると断じていく。それは、天皇を神格化して、天皇を利用して、藤原氏が政治の実質的な担い手になるための制度であるとする。

 藤原不比等の企てはさておいて、「天孫降臨」の歴史的背景については、なるほどと思った。
 

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議員の品性

2014-06-20 10:14:19 | 社会
 日本の政治家には品性が欠ける人が多い。県や市町村議会の議員も同様だ。議員の姿を見ていて、利益誘導だけに熱心で、市政の問題や市の財政などについて興味関心を持つ人は圧倒的に少ない。議会は行政のチェック機関であるという認識を持たず、行政の一員であるという自覚がある。

 ある集まりで、地元の議員の挨拶を聞いたことがある。「私ども、行政を預かる者として・・・・」という発言に驚いたことがある。

 選挙について、「出たい人より、出したい人を」ということばがあるが、「出たい人」ばかり。議員のような、ああいう人たちと同じ人間だとみられたくないという賢明な認識を多くの人が持っているからか、議員に立候補する人間は、ふつうより自意識と名誉欲が強い人が多く、そのなかに下品な輩も混じる。
 
 東京都議会で起きたのも、なるほど、である。こういう人権意識をもたない人を議員に当選させる選挙民にも責任がある。

 以下は『朝日』記事(一部)

女性都議に「産めないのか」 自民?議員席からヤジ

2014年6月19日05時20分

 「自分が早く結婚すればいい」「産めないのか」。18日の都議会で、妊娠、出産、不妊に悩む女性への支援の必要性を訴えた女性都議に対し、議場からこんなヤジが飛び、所属会派が抗議する騒ぎになった。

 ヤジを受けたのはみんなの塩村文夏氏(35)。塩村氏は涙ながらに質問を続けた。ヤジは自民都議らが座る一角から上がっていた。終了後、みんなの両角穣幹事長が、自民の吉原修幹事長に抗議した。

 吉原幹事長は、発生源が自民かどうかは「わからない」としながらも、「各会派が品位を持って臨むべきだ」と話した。
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電子書籍の怪

2014-06-20 10:04:57 | 
 『朝日新聞』のwebをみていて、興味深い記事を見つけた。電子書籍はせっかく買っても、配信側が撤退したりすると、消えてしまうというのだ。

 この記事(但し一部)

買ったはずの蔵書が消える 電子書籍、企業撤退相次ぎ

2014年1月30日18時24分

 せっかく買い集めた蔵書が消える――。電子書籍の世界で、紙の本ではありえない事態が起こり始めた。電子書籍は買っても「自分の物」にならない契約が多く、企業の撤退などで読めなくなるケースがあるからだ。電子書店は乱立状態で、「撤退は今後も続く」(出版関係者)可能性がある。事業者に説明責任を求める声も強まりそうだ。


 電子書籍は、ボクの場合3冊しか購入していない。hontoで2冊、アマゾンで1冊、Kindleも持っているが、あれはほとんど無料の古典を読むためにつかっている。

 電子書籍での購入は、「アマゾンの電子書籍ストアの規約は「お客様にライセンスが提供されるものであり、販売されるものではありません」と明記」されているというのだ。ということは、電子書籍は本を買うのではなく、読む権利を得るというもののようだ。

 ボクは基本的に本は紙のもので読む、というのも、多くは赤線を引いたり書き込みをするからだ。電子書籍でもそれは可能であるが、本そのものに書き込んだほうが、あとから再読するときに便利なのである。

 この記事を読んで、本はかさばるけれども、やはり紙の本で持っていようと思う。



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同じ口調

2014-06-19 08:52:43 | 社会
 マスメディアは、サッカー・ワールドカップに夢中だ。各テレビ局のスポーツ担当のアナウンサーは、日本チームのシャツを着ている。みんな同じ。

 サッカーのコメンテーターが長時間話すが、話していることはほとんど同じ。それだけではなく口調も一緒。たとえば「頑張るしかないので」というところを、サッカー関係者は、「の」のところを「ん」で話す。「頑張るしかないんで」というように。この「ので」を「んで」で話すのが、サッカー関係者の共通した口調である。

 さて、昨日あのNHK経営委員の百田尚樹氏が、静岡青年会議所の講演会で、「日教組は日本のがん」、「南京大虐殺はなく、従軍慰安婦はうそ」などと発言したそうだ。

 「日教組は何十年間も、純粋無垢な子どもたちに贖罪意識を教え込んでいる。まず『日本は素晴らしい』ということを教えなければならない」、「日本人でいることが恥ずかしいと教え込まれた子どもたちは立派な大人になれない」、「自虐思想があるので、南京大虐殺、従軍慰安婦問題にノーと言えない。正しい歴史知識を身につけたら、歴史ねつ造というのはすぐ分かる」

 そして「(東京大空襲)わずか2時間で一般市民12万人が焼き殺された。大虐殺で戦争犯罪だ」と語った。何人が犠牲になったのか正確なところは分からないが、東京大空襲は無差別爆撃で許されない行為である。百田氏がいうように、原爆投下も含めて、「戦争犯罪」である。しかし同時に、日本軍も、たとえば中国の重慶に対して無差別爆撃を行ったことも知っておく必要があるだろう。

 百田氏の先の発言、日教組、南京大虐殺、従軍慰安婦については、昨日記したので書かないが、安倍首相らのお友だちやその支持者は、いつも同じことを話す。

 教育現場で、日教組の組合員が意図的に「贖罪意識を教え込む」ことなんかないし、日本の「素晴らしい」ことも教えている。「日本人でいることが恥ずかしいと教え込まれ」る子どもはいるのだろうか。歴史の授業で言えば、歴史研究の成果に基づいたことを教えるのである。どの教科も、学問研究の成果にもとづいたものを教える、のである。「嘘」を教えることはないのだ。

 基本的に、こういう人たちは、誰かが言ったことを、学問的な裏付けなどを確認しないまま放言を繰り返す。昨日も記したように、これらの発言は「内向き」なものであり、国際的には相手にされないものである。

 逆に、こういう発言が日本人を辱めている、と思うのだ。

 そして公益社団法人である青年会議所という組織、百田氏が語ることに同調する傾向があるようだ。

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