朝日新聞のWebサイトをチェックしていたら、「イメージ一新どころか、逆戻り?」と感じる記事があった。
一応、日経や毎日等の全国紙のWebサイトもチェックしたのだが、朝日のWebでしか見られなかったようなので、朝日のスクープなのか?と、思いながら、記事を読んでみた。
朝日新聞:萩生田光一、平沢勝栄両氏を政党支部長に選任へ 自民が方針
今年10月に石破さんが、それまでの自民党を変える!という意気込みで総裁選に出て、総理になった。
その時、多くの有権者は「これまで石破さんは、旧来の自民党を批判してきたのだから、自民党内部から変えてくれるのでは!」という、期待があったと思う。
しかし、早々の総選挙を実施したり、総選挙の時には公認をしていなかった俗に言われる「裏金問題議員」についての公認などについて、大きく揺れた総選挙となってしまった。
その結果として、総選挙後の支持率は低迷している、と言ってよいだろう。
このことは、総理になった直後から「前言撤退」のような発言が度重なったことも大きく影響しているのだと思うのだが、弱小与党という状況では仕方ないのかもしれない。
そこに、この朝日新聞の記事だ。
これでは「選挙で、有権者が選んだのだから禊は終わった」と、言っているようなモノではないか。
「石破さんになって、自民党が大きく変わるのでは?」という、思いを持っていた人たちからすれば、「石破さんも同じ」と思われても仕方ないだろう。
ただ、この一連の流れを見ていて感じることが一つある。
それは、石破さんが「全幅の信頼を寄せている」と言われる、森山幹事長をはじめとする石破さんの政治的ブレーンの存在だ。
このブレーンの人たちは、本当に「自民党を一新させる気があるのだろうか?」と、感じることが多々あるのだ。
そもそも総選挙を進言したのも森山幹事長だったのでは?という、噂があったような気がする。
自民党結党以来の逆風の中、それでも与党にとどまることができたのは、自民党という政党が持っていた盤石な基盤がモノを言ったのと、意外にも若い世代での自民党支持があったためだと言われている。
とはいえ、世間的には石破さんに期待していたことは、「脱自民党・新しい自民党」だったのでは?
にもかかわらず、ここで裏金議員として名前が挙がっていた人物を政権には登用しなくても、政党の支部長にする、という方針はいかがなものだろう?
少なくとも、「新しい自民党。裏金疑惑からの脱却」からは、相当後退した印象を持たれても、仕方ないのでは?
この決定は、内閣とは関係が無い自民党内でのコトとはいえ、ますます「自民党って変わらないな~。結局裏金かよ」という印象を持たれることを、想定していなかった、ということになるだろう。
今日、お昼にスマホに表示された速報を見て、「ご高齢でしたからね~」と思わずつぶやいてしまった。
速報の内容は、讀賣新聞の主筆である渡辺恒雄氏の訃報だ。
色々なコトが言われているが、一応発行部数日本一と言われる讀賣新聞社及びグループ会社のトップだった、ということになる。
子の訃報を聞いた時、頭に浮かんだことは「これで日本のプロ野球、セリーグが変わるのかな?」ということだった。
野球ファンではない私ですら、プロ野球のセリーグにおける「読売ジャイアンツ」偏重ということを実感しているほど、セリーグは読売ジャイアンツという球団が支えているのでは?と、感じている。
もちろん、関西であれば「阪神」、広島であれば「広島カープ」と、地元で根強い人気球団はある。
ただ名古屋に関していうなら、コアな中日ファンはいるものの、隠れジャイアンツファンも多い、という事実がある。
なぜなのか?と考えると、やはり圧倒的に「ジャイアンツ戦」のテレビ中継が多いからだろう。
この「ジャイアンツ中心のテレビ中継」が、読売ジャイアンツというチームのイメージつくりに大きく影響したのは、間違いないと思う。
特に昭和30年代後半から昭和40年代は「長嶋・王」という、当時の野球界に2大スター選手が在籍し、セリーグだけではなくプロ野球のトップオブトップのような存在であったことも、大きな要因だろう。
このようなスター選手が在籍することで、対戦相手のチームにプレッシャーを与えられる事が優位にはたらき?ジャイアンツはV9という、9年連続日本一に輝いている。
一言でいうなら、長い間日本のプロ野球は読売ジャイアンツを中心に動いてきた、ということなのだ。
だからこそ、ドラフトで逆指名として、ジャイアンツの名前を上げる選手たちも多かったのだ。
そのようなジャイアンツ人気に陰りが起き始めたのは、やはりサッカーのJ‐リーグの影響かもしれない。
読売ジャイアンツの他、読売サッカークラブ(現・ヴェルディ川崎)を持っており、J‐リーグのチェアマン・川淵三郎氏が「地域名をチーム名に付ける」という方針に大反対をするだけではなく、現在のJ1のチーム数が増えること、開催方法などでも反対し続けたからだ。
渡辺氏は、サッカーというスポーツのことを良く知らないどころか、野球というスポーツについても、どれだけ理解があったのかは、未だに不明な部分がある(と言われるゆえんである)。
渡辺氏にとって、野球もサッカーも新聞社の宣伝の一環であり、試合に勝てば新聞の売り上げが伸びる、と考えていたようだった。
新聞社の主筆とはいえ、プロスポーツ界にこれだけの発言力が持てたのには、それなりの理由がある。
それは渡辺氏が、正力松太郎氏の後継者であった、ということだろう。
正力松太郎氏は政界にも影響力を持ち、戦後の自民党の大物議員たちと懇意な関係にあった。
表沙汰にしなくても、暗黙の了解のようにその関係は知られていたし、そのことで盾を突くような人物もいなかった。
そのコネクションをそっくりそのまま引き継いだのが、渡辺氏だったのだ。
そう考えると、テレビ中継などを管轄する現在の総務省などにも睨みを利かせることなど、たやすいことだっただろう。
結果、プロ野球中継は対ジャイアンツ戦ばかりになっていったのもわかる気がする。
そのような巨大な影響力を持っていた、渡辺氏がこの世を去ったことで、プロ野球のセリーグはどのようになっていくのだろう?
かつてのような「ジャイアンツ一強」という時代ではない、ということ。
何より、スポーツ中継の中心がテレビ中継からDAZNなどへ移行していることなどを考えると、渡辺氏が考えていた「スポーツは新聞を売るための宣伝の一つ」という、考えは既に終わっているのだと思う。
果たして、来シーズン以降のセリーグ(の地上波中継)は、どのように変わるのだろうか?
今朝、朝のFM番組を聴いていたら、日経新聞のスクープとして、ホンダ・日産が持ち株会社を設立、その後三菱自動車も加わる、というニュースを知った。
日経新聞:ホンダ・日産が経営統合へ 持ち株会社設立、三菱自動車の合流視野
ホンダと日産が経営統合の協議をしている、という話もビックリしたが、何よりも驚いたのは日経新聞の企業名の並び順序だった。
これまでなら「日産・ホンダ」という並び順だったのでは?
それが「ホンダ・日産」という並びになっている、ということはこの話は日産ではなく、ホンダ側が主導的、あるいはホンダ側優位で進められてきた話なのでは?という、想像がつく。
では、何故ホンダ側が日産にこのような「経営統合」や「持ち株会社」の話を持ち掛けたのか?
一つは、トヨタ一強のように言われている日本の自動車業界に、風穴を開けたい、という気持ちがホンダにも日産にもあったのでは?ということだ。
確かにここ10年ほどの間で、トヨタはダイハツをはじめいすゞなどの自動車メーカーを傘下に収めることに成功している。
結果ダイハツは今でも軽自動車の分野の市場を確保しているが、いすゞは自家用車事業から撤退し、いわゆる大型商用車に完全にシフトしている。
トヨタはこれまで自社の不得意で市場的優位性のない分野の企業を傘下に収めることで、一大トヨタグループをつくることに成功してきた、という経緯がある。
当然、ホンダや日産はそのことに対して危機感を覚えていたはずだ。
日産の場合、経営不振に陥った三菱自動車を傘下に収めたことで、三菱自動車は息を吹き替えしつつある気がする。
ただ、解せないのはホンダが何故日産との経営統合を進めるのか?という点だ。
若い方はご存じないかもしれないが、1960年代~1970年代、日産は「技術の日産」というキャッチコピーで、企業の強みを訴えるCMを出していた。
それに対して、ホンダは創業者・本田宗一郎の精神を引き継ぎ「チャレンジする企業」というスタンスだった。
トヨタのような「ファミリーカーのトヨタ」という、位置づけではなかった、という点では共通している。
とすれば、ホンダ側も日産側も「これからの自動車、モビリティーとは?」という発想を、多角的求めているということなのかもしれない。
だからと言って、企業の独自性を失いたくないからこそ、持ち株会社をつくることで資金面での強化を図ることを考えたのか?ということも考えられる。
とすれば気になるのは、軽自動車のスズキとバイクのヤマハ発動機の動きだ。
この2社は、実はトヨタ自動車が一定数の株を保有している。
それだけではなく、ヤマハ発動機についてはトヨタのスポーツカーのエンジンを供給してきた、という実績を持っている(トヨタ自動車の知人は、全力で否定していたが)。
トヨタ側は様々な面で経営というよりも技術面での協力を得たい為に、株式の保有率を上げようとしているようだが、いずれも断っている、と言われている。
バイクという分野に限って言えば、スズキとヤマハ発動機は、ホンダのライバル企業ということになる(この点については、小・中学と浜松で過ごしてきたので、実感として持っている)。
ただ、トヨタが自社の弱い事業分野の企業を次々と傘下としてきたことが、果たして日本の自動車産業にとってプラスだったのか?という、疑問もある。
そして今回のように、ホンダと日産の経営統合によって、日本の自動車産業の再編がされることが、日本の自動車産業にとってプラスばかりではないような気がするのだ。
もちろん「自動車産業・オールジャパン」として、来年発足する米国のトランプ政権等に対抗することや、新興企業となる中国やインドなどの自動車メーカーなどに立ち向かう為には、必要なことなのかもしれない。
ただ、それぞれの自動車メーカーのオリジナリティや創業の精神だけは忘れずにいて欲しい、と願うのだ。
毎朝聞くFM番組に「My Olympic」というコーナーがある。
タイトル通り、オリンピック出場を目指す若いアスリートやオリンピアンと呼ばれるオリンピック出場経験のあるアスリートへのインタビュー番組だ。
時間もわずか5分程度なので、一人のアスリートを2週間ほど特集する、という構成になっている。
そして今月の前半は、ソフトボール女子で活躍をされた髙山樹里さんが、ゲストになりソフトボールの話やその後チャレンジをされたスケルトンなどの話をされていた。
そして今日のお話が「ナチュラル・リュージュ」という、日本では聞き馴染みのないウィンタースポーツの振興に携わっている、というお話だった。
髙山さんがソフトボールを引退された後で始められたスケルトンという競技も、冬季オリンピックで話題になることはあっても、毎シーズン話題になるような冬のスポーツではない。
理由は、競技人口と競技場所の少なさだろう。
スケルトンをはじめリュージュもいわゆる「そり競技」ということもあり、北欧などで盛んなスポーツということになるのだろう。
ただ髙山さんのお話を聞きながら、フッと思ったコトがある。
それが「ネイチャースポーツ・ツーリズム」だった。
この言葉自体は、私の造語(とさせていただきたい)なので、認知されている訳ではないのだが、この「ナチュラル・リューズ」は、特別なコースをつくるのではなく、林道などに積もった雪を踏み固め、そこに水をまき凍らせたコースでリューズをするというスポーツだからだ。
日本の林道は、林業そのものの衰退で北欧のように整備されていない可能性が高いのだが、降雪地帯であればこのような日本では馴染みが無くても海外では一般的なスポーツを紹介しながら、日本独特の地形を楽しみながらそり遊びをする、ということができるのでは?と、考えたのだ。
夏になれば、急流の多い日本の川をラフティングのようなスポーツで楽しむ、ということも考えられるだろう。
他にも、晩秋から初冬にかけてなら「雲海を見る為に、山に登る」という考えもあるかもしれない。
スポーツと言っても、野球やサッカー、陸上競技のようなモノに限る必要はないと思う。
事実、最近のオリンピック種目は以前に比べ随分バラエティに富んでいる。
むしろ、「遊びから始まったスポーツ」が、新たにオリンピック種目となっているように感じる。
「ツーリズム」というと、しっかりとしたホテルを用意して、観光地をPRして…と考えがちだが、せっかく日本には海外では見られない特徴的な地形を持っている。
その地形と自然をスポーツ感覚の遊びをツーリズムの一環として、考えても面白いのではないだろうか?
幸いなコトに、このような地域には統廃合で廃校となってしまった小学校などの校舎が残っている場合が多い。
小学校の校舎の構造は、それなりにしっかりしているので、アスベスト対策をきちんとすればそれなりの宿泊施設として転用できるのでは?
そしてそれが、災害時の避難所と活用できるのではないだろうか?
随分前から始まった、名古屋駅周辺の再開発事業。
最初は、JR名古屋駅の建て替えだった(と記憶している)。
その後も名古屋駅をはさんだ大通りの向かい側にあった「毎日ビルと豊田ビル」も解体され、その後建て替えられている。
そして「大名古屋ビルヂング」も建て替えられ、すっかり名古屋駅周辺は昭和の面影が亡くなってしまっている。
そのような名古屋駅周辺の中で、唯一昭和からある建物と言えば、名鉄百貨店と近鉄ビルかもしれない。
名鉄百貨店と言えば、「ナナちゃん人形」という名前で親しまれている巨大な人型のモニュメント(?)がある。
季節折々、名古屋で開催されるイベントやプロ野球の開幕戦などに合わせ、衣装が変わることで度々話題を呼んでいる。
ある意味、名駅のランドマーク的存在、と言っても過言ではないと思う。
この「ナナちゃん人形」を運営・管理しているのが名鉄百貨店本店なのだが、その名鉄百貨店本店が2026年に閉店するという。
日経新聞:名鉄百貨店、名古屋駅前の本店26年春に閉店へ 再開発加速
確かに、名鉄百貨店本店は、JR名古屋駅に併設している高島屋や栄の三越などに比べ、ターミナル百貨店としてそれなりに集客力はあるとはいえ、現在のJR名古屋高島屋ができたことで、集客に苦戦しているのでは?という、印象を持っていた。
とはいえ、名鉄百貨店の強みはターミナル百貨店ということで、名鉄電車を利用する人達にとっては「買い物しやすいデパ地下」という場所でもあったような気がする。
何故なら、百貨店の売り場から地続きで名鉄電車の改札に行けるからだ。
百貨店と改札に通じる通路に扉そのものが無い、というやや特徴的なつくりをしているのが、名鉄百貨店本店でもあるのだ。
そのような特殊な造り方がされている名鉄百貨店を閉店し、再開発ということになると名鉄電車の利用者は不便になるだろうな~と、想像する。
それどころか隣接する近鉄ビルも一緒に閉店するのでは?という、気すらしてくるのだ。
というのも、名鉄電車・名鉄百貨店・近鉄ビルは全て地下通路で繋がっており、至極便利が良い。
その一部が閉鎖されるとなると、買い物客ではなく電車の利用者の利便性が悪くなることが、目に見えているからだ。
これまでJR名古屋駅や毎日ビルと豊田ビルの建て替えが、不便ではあるが思いの他問題なく進めることができたのは、乗り継ぎの駅と直結していなかったからだ。
名鉄百貨店の収益に関しては、様々なコトが言われてきたのは事実だ。
何より、少し離れたところにあった「名鉄レジャック」という、ゲームセンターや飲食店を集めたビルも閉館し、取り壊されている。
もちろん、建物の老朽化も取り壊された大きな理由だと思うのだが、やはり名古屋駅周辺の再開発という理由の方が大きかったのではないだろうか?
とすれば、名鉄百貨店本店の閉店は、一つの事業の終わりというだけではなく、名古屋駅全体の再開発の最終プランのような気がする。
ただ、名古屋市民だけではなく、名駅利用者から愛されてきた「ナナちゃん人形」の今後が気になる方々は多いのではないだろうか?
2日ほど前、Uberタクシーが「子ども送迎サービス」を始める、という話題を、FM番組で知った。
日経新聞:ウーバー配車、未成年も利用可能に 習い事の送迎など
Uberと言えば、Uber Eatという、いわゆる「出前」を手始めに、最近では配車なども手掛ける様になってきている。
とはいえ、Uberのドライバーはタクシードライバーとは違い、国土交通省から認可されたタクシー事業者ではない(と、認識している)。
個人的には、「配車サービスは、国土交通省から認可された事業者のタクシーに乗りたい」という気持ちの方が強い。
料金のこともあるのだが、やはり「道を知っている」という点では、タクシー事業者の方が安心できるからだ。
ただ、Uberも配車サービス事業に参入したのは、「タクシー不足を解消する」という目的で、政府が進めている「ライドシェア」事業を見据えた事業展開ということなのだと思う。
「運ぶ」という点では、人も物も同じだからだ。
人を乗せるのであれば、それ相応の安全運転が求められるので、ライドシェア事業を展開するのであれば、「ゴールド免許保有者」等の条件が必要となるだろうし、そのような条件を設けずに事業展開するのは、リスクが大きい気がする。
そのような「タクシー不足」を解消する為の「ライドシェア」であり、UberTaxiということになると思う。
その延長線に「子ども送迎サービス」があると思うのだが、この「子ども送迎Uber Taxi」の需要は高い気がしている。
それは都市部の「中学受験」の為に小学生が夜遅くまで塾で勉強することが、当たり前のようになりつつあったり、逆に地方で小・中学校の統廃合により、通学時間が伸び、部活動の帰りが遅くなる、ということが考えられるからだ。
都市部・地方関係なく「子どもの帰り時間が遅くなる傾向がある」とすれば、「Uber子どもお迎え配車サービス」の需要があると考えられるからだ。
だからと言って、Uberやライドシェアのようなサービスにまかせっきり、というのもどうなのだろう?
都市部における夜遅くまでの塾通いはともかく、地方では「地域社会が子どもたちを守る」という意識を持ち、「地域のライドシェア事業」として、地域住民主体で行う、という方法もあるのでは?
日ごろ顔を見る近所のおじさんやおばさんが、迎えに来てくれる方が利用する親も子どもも安心するような気がするのだ。
そのような「地域住民主体のライドシェアサービス」の運営ができれば、その地域全体に住む人達も増えるだろうし、新しいコミュニティーの手段となるのでは?
「Uber配車サービス」そのものは、これまでのタクシー事業者が事業展開できなかった「ニッチ」なビジネスかもしれない。
ただ、その「ニッチ」なビジネスを、地域社会で行うということがあってもよいのでは?という、ことなのだ。
日本時間の昨日、ノーベル賞授賞式が行われた。
各部門の受賞者たちが、受賞スピーチをすることが慣例になっている。
世界でただ一つの核兵器による被害国であり、長い間「核兵器廃絶」を訴えてきた、日本被団協の受賞スピーチは万雷の拍手が送られたようだ。
Reuters: 「次の世代が運動の継承を」日本被団協、ノーベル平和賞受賞演説 「核のタブー」弱体化に危機感
日本の報道機関のニュースサイトでは、Reutersほどの動画が無かった(あるいは、有料サイトとなっている)為、全スピーチを見ることができないのが、残念だ。
このスピーチには、広島・長崎で起きた被ばく体験の話だけではなく、現在も世界で進行している様々な紛争や戦争に対しても、言及している点がとても今日的である、という点でも大きな意味を持っていたのでは?と、感じている。
ただ被爆国・日本にとって、このノーベル平和賞の受賞は手放しで喜べるモノなのだろうか?
それを考えさせられるのが、授賞式でスピーチをした田中さんの「日本政府は、原爆犠牲者に対して補償をしてこなかった」と、2度繰り返した点だ。
焦土と化した戦後の日本において、犠牲者に対する政府としての補償など、手が回らなかった」ということもあるだろう。
被爆者に対して「被爆者手帳」の交付により、医療費などの優遇措置も、一つの「政府補償」と言えるのかもしれない。
戦後の日本において、被爆者や被爆者家族が社会的差別を受けた、という事実もあったはずだ。
何より、この時多くの親を失った子供たちの人生に何等かの補償をしてこなかった、というのもまた事実なのでは?
それを言ったら「戦争孤児全てが対象となるべきだ」という、考えも起きてくるだろう。
その事実が、今現在も世界で進行している市民を犠牲にした紛争や戦争の将来のツケともいえるのでは、ないだろうか?
一部の大人たちの都合によって多くの市民の生活が失われ、多くの犠牲者は生活力を持たない子供たちでもある。
その子供たちの未来の補償をどうするのか?
そのような想像力が、世界の権力者たちに求められているのではないだろうか?
世界が武力による不安が高まる時だからこそ、ノーベル賞委員会は、被団協を平和賞に選出したのではないだろうか?
今一度、核兵器に頼らない人間の英知による平和的解決が、未来への補償となる、ということを真剣に考える必要があると、ノーベル平和賞を訴えかけているように思うのだ。
一昨日、シリアのアサド大統領がロシアに亡命、というニュースがあった。
このニュースを聞いた時、中東そのものが(政治的に)大きく揺れているのか?という印象を持った。
実際、イラン・イラク・パレスチナの関係は、とても難しいモノがあり解決の道すら見えていない、という感じだ。
その一方で、シリアの情報そのものは、日本では乏しいモノだったような気がする。
その為、「反政府勢力がアサド大統領を亡命するまでに追いやった」というニュースを見た時、シリアもまた大混乱に陥るのでは?という、懸念を持ったのだ。
しかし、日本の大手メディア以外からの情報から読み解くと、実は長い間シリアの人たちはアサド一家の独裁政治によって、相当抑圧された生活を強いられていた、ということもわかってきた。
BBC News:【解説】アサド政権崩壊、シリアと周辺のパワーバランスはどうなるのか
このBBC Newsによると、さっそくイスラエルがシリアに攻撃を仕掛けているようだ。
BBC News:イスラエルがシリア各地で空爆との現地報道 化学兵器の研究施設も対象か
地図を見るとわかるのだが、先日まで秋篠宮ご夫妻が訪問していたトルコは、シリアの隣国という位置にある。
その為、トルコにはシリア難民が数多くいるはずだ。
シリアという国から逃げ出した人達の多くは、アサド大統領時代の抑圧から逃れてきた人たちも既に数多くいるのでは?と、想像するとトルコ政府としては、日本の皇族を快く迎えれられる状況ではなかったような気がする。
終始、かたい表情をされていたエルドラン大統領の心情は、心穏やかではなかったのでは?
もちろん、シリアと接する国の中でヨルダンのように、政治的に安定している国にとっても、今回のシリアでの出来事は大きな影響を与えることになるだろう。
そしてアサド大統領をロシアが受け入れたことで、ロシアの威信に打撃となっているのでは?という、指摘もされている。
BBC News:【解説】シリア・アサド政権の崩壊、ロシアの威信へ打撃
ロシアがアサド政権をバックアップする代わりに、シリア国内にロシア軍が駐留していたということを初めて知った。
おそらくロシアにとって、シリアにロシア軍を駐留させることで、イラン・イラク・イスラエルといった国々へ何等かの影響を与えることができるということよりもNATOをはじめとする西側諸国に対する牽制という目論みもあったのではないだろうか?
日本では、ウクライナvsロシア、あるいはイスラエルvsパレスチナということばかりに目が行っていたが、世界情勢はそれほど簡単なものではなかった、ということを改めて知った気がする。
そしてそのような「大国のバックアップを受けながら、紛争が続いている地域」が世界には数多くある、ということだろう。
このアサド政権崩壊の前には、韓国では大統領が「戒厳令」を出し、わずか数時間後に解除される、ということが起きている。
このことで尹大統領は、韓国内での政治的力を失いつつある。
来年、米国ではトランプ氏が大統領に復活する。
「国際政治が大きく揺れ動く年」が、まさに始まろうとしているのではないか?
その中で、日本はどのような舵取りをしなくてはならないのか?
与えられた課題は、とても難しく世界を見据えられる多眼的思考が求められそうだ。
先日、中山美穂さんの訃報が報じられた時、とてもビックリした。
まだまだ50代とお若く、美しい女性の突然の訃報だったからだ。
しかも亡くなられた場所が、自宅浴室ということで、私の周囲では「ヒートショックだったのかな?」という話で、もちきりとなった。
ご存じの通り「ヒートショック」は、浴室と脱衣所や浴室に通じる廊下などとの温度差があることで、起きる事故だ。
寒い脱衣所や廊下から、あたたかな浴室に入ることでそれまで縮こまっていた血管が、急激に広がる為血圧が急上昇し、循環器に影響を及ぼす、という症例だ。
しかし、このような浴室と他の屋内との温度差による「ヒートショック」だけではない、ということをXのポストで知った。
その方は、中山さんが亡くなる前に「ヒートショック」により浴室で倒れられた状況を詳しく書かれていた。、
要因となったのは「長風呂」だ。
ポストされた方の承諾を得ていないので、詳細を拙ブログで書くことはできないが、ヒートショックで倒れた時は、助けを求める声すら出ない状況だったという。
このポストを読んだとき、「長風呂でヒートショックが起きるのか?」と驚いたのだが、もしかしたらヒートショックが切っ掛けで、循環器に影響を及ぼし、例えば心筋梗塞などを起こしてしまったのでは?と、考えたりした。
もう一つ考えたのが「溺死」だ。
実は、私も時々やってしまうのだが、お風呂に入っている間に気持ちよくなり眠ってしまう、ということがある。
ほとんどの場合は、口や鼻にお湯が入ることで自分が眠っていた事に気づくのだが(私の場合は、このパターン)、中には気づかず眠ったままお湯を飲みこみ溺死してしまう、という。
そして冬の入浴事故は、交通事故の2倍らしい。
交通事故は、いろいろなところで「交通安全」という言葉とともに注意喚起が常にされているが、入浴時の事故の注意喚起が十分ではないと感じるのは、季節的なものということもあるだろうし、事故対象者が高齢者が多いという限定的なイメージがあるからだろう。
今回の中山さんの事故は、高齢者でなくてもこのような事故は起きる、ということだろう。
因みに、政府広報に「冬の入浴事故」についてのコンテンツがあったので、紹介をしておくのでお時間のある方は、ご覧いただきたい。
政府広告:交通事故死の約2倍?!冬の入浴中の事故に要注意! (コンテンツ内に動画あり)
SNS界隈で話題になっているらしい「万引き自慢」。
ことの発端は、ある音楽評論家の方のプロフィールからだった。
Modelpress:音楽評論家、突如レコード万引きの過去を語り出して炎上「犯罪自慢ダサすぎる」と怒りの声も…
この音楽評論家のプロフィールを拝見すると、私と同世代ということが分かった。
とすれば、おそらく聴いてきた音楽なども似たようなモノだったのだろうな?と、想像がつく。
中学・高校と洋楽ファンであった私だが、欲しいレコードがあるからと言って万引きをする、という発想は一ミリも無かった。
というよりも、音楽そのものが好きでその音源であるレコードはとても大切に扱うべきモノだったし、大切なモノだからこそ自分のお小遣いで買いたかった。
もちろん、限られたお小遣いから自由に買える訳ではないので、1枚のレコードを買うことそのものもアレコレと考え、買っていた。
だからこそ、欲しかった1枚のレコードを手にしたときの嬉しさは、とても大きく大切に聴き込んだものだ。
今のようなサブスク時代の聴き方とは、全く別の聴き方をしていた時代でもあったのだ。
だからと言って、サブスクで音楽を楽しむコトを否定する気はないし、とても便利な時代になり好きな音楽を好きなだけ楽しむことができることが、うらやましいと感じることも多々ある。
そして気が付いたのだが、時折このような「若いころ、こんな悪いことをしていたんだぜ!」というような、「昔の不良自慢」をするオジサン(時にはオバサンもか?)が世間をにぎわす。
「にぎわす」というよりも、「炎上する」といった方が良いのかもしれない。
「炎上」理由は、「不良自慢の内容」が、「窃盗」であったり「恐喝」や「脅迫」といった、犯罪行為だからだ。
簡単に「万引き」や「いじめ」と言っているが、「万引き=窃盗」であり、「いじめ=恐喝や脅迫」といった、れっきとした犯罪であり、被害者の立場に立てば、許されるべきことではない。
にもかかわらず、何故「昔の不良自慢」をするのだろう?
その心理は、どういったことなのだろうか?
アゴラ:男はなぜ「オレって昔はワルでさ」みたいな自慢をするの?
アゴラで紹介されている記事は、半分書籍のPRを兼ねているとしても、どうやら「昔の不良自慢」の背景には、「不良をしていた頃の自分は、カッコよかった」という思い込み心理のようなモノがありそうだ。
それを単純に「男性脳」と言ってしまうことに、疑問もない訳ではないのだが、ある種の「征服欲」のようなモノなのだろう。
「何としても手に入れたい!」→「自分が手に入れなくてはいけない」→「手段を選んでいる場合ではない」という感じなのだろうか?
女性の場合は「マントを取りたい(=相手に対する支配欲)」ということなのかもしれない。
そう考えると、この「万引き自慢」をした音楽評論家の方は、還暦を過ぎるようなオジサンになっても、思考がお子様以下なのだろう。
むしろ、理性ではなく本能に近い感覚しか持っていないのかもしれないし、「相手を思う想像力(創造力)も欠如している」のだろう。
それで音楽評論(音楽を創り出した人や音楽を評論する)と名乗るのは、辞めていただきたい(というのが本音だ)。