日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

プレゼンテーションを成功させるには

2013-07-31 20:12:20 | 仕事のコツ

ここ2週間ほど、本来の仕事とは関係のない仕事でバタバタしている。
依頼があった仕事というのは、「講義録を作る」と言うもの。
基となる講義を聴き、ICレコーダーに録音した内容を聞きながら、一つのテキストを作っていくと言うこと。
そして、レコーダーを聴きながらいただいたレジメを確認、補足する内容を書き加え文章にする、と言うのが仕事の内容でもある。

このお仕事を頂いてから感じることがある。
それは「プレゼンテーションは編集力」ということだ。
最近話題になるコトが多い「TED」
NHKでは「スーパープレゼンテーション」というタイトルで放送されているので、ご覧になっていらっしゃる方も多いと思う。
youtubeなどでも、日本語字幕付で見られるのでご覧になられた方も多いと思う。
「TEDファン」という方もいらっしゃるかも知れない。

このTEDを見ていると、プレゼンテーションの本質はなんだろう?と、考えさせられる。
と言うのも、上述した通りICレコーダーなどに録音した講義を聴いてみると、案外講義中の話があちらこちらに飛んでいて、わかり難いと言う感じがすることが多いのだ。
講義をされる先生方は、実績があり海外でもご活躍された経験のある方もいらっしゃる。
「プレゼンテーション」そのものには、慣れていらっしゃると思うのだが、改めて聴き直すと、意外にもわかり難いという感じのことが多い。
稚拙ながら私も、人前で話しをしている時というのは、おそらく一貫性が無く聴き手となる人達にとって、わかり難い話し方をしているのでは?と、反省をしている。

それに比べ「TED」の場合、プレゼンターの話が様々な事例やスライドを取り入れながらも「一つの話」としての統一感があり、聴き手・視聴者にとって分かりやすく、スンナリ理解できるような気がするのだ。
「この差は何だろう?」と考えると、上述した「編集力」と言う点だと言う気がするのだ。

かつて「パワーポイント」が登場した頃、「パワーポイントを使う=プレゼンテーション」という、勘違いのような認識があった。
その頃多く見られたのが、「パワーポイントの内容を読む」ということだった。
これでは、事前にレジメとして渡されているパワーポイントの内容を読めば、何もその場にいなくても良いのでは?と言う感じがあった。
さすがに今、その様なプレゼンテーションをされる方はいらっしゃらないと思うのだが、「編集力」となると、如何だろう?

以前、「TED」の舞台裏のような番組を見たことがあるのだが、プレゼンターは様々な工夫をし、リハーサルを繰り返す中で、一つのストーリーを創り上げていっていた。
おそらく、「プレゼンテーション」とは、相手を説得させる言葉では無く、「話」なのだと思う。
その「話」を、聴き手にスーッと理解させる為に必要なことが「編集力」なのでは?


風変わりな自転車。どうやって使うと面白い?

2013-05-28 15:23:50 | 仕事のコツ

先日、ネットで調べ物をしていたら風変わりな自転車を見つけた。
ZIGOLeaderと言う前2輪の三輪車だ。

 

 この前2輪の自転車を見た時、10年ほど前話題になった「幼児2人載せママチャリ事故防止の為の自転車デザイン募集」というのを、思い出したのだ。
当時は、ママチャリの前後に子どもを乗せる席を前・後ろに付けてはフラフラと自転車に乗るお母さん達の事故が問題になっていた。
その様な事故を防ぐために、国土交通省だったと思うのだが、子どもを2人乗せてもふらつかないママチャリデザイン募集、と言うのをした。
結局、今までのママチャリの主要部分を太くし、安定感を持たせるデザインが一般的になり、応募作品としてあった前2輪タイプの三輪車は、一般市場に登場するコトなく終わっていた、と思っていた。
ところが、海外ではこの様な自転車がある、と言うコトを初めて知ったのだった。

この自転車の前部分に子どもを乗せるとなると、子どもの視線は地面に近くなり運転をしているお母さん(別にお父さんでも良いのだが)とは、随分違う風景を見ることになる。
車の排気ガスなども気になるとは思うのだが、一方ではゆったりと座った状態で風を切って移動する、と言う感覚は気持ち良いかも知れない。

それが子どもでは無く、ペット用のカートだったらどうなのだろう?
欧州では、この様な前2輪の三輪車の前部分をカートにして、荷物を運んでいると言う写真を見たコトがある。

文化の違いと言ってしまえばそれまでだが、日本は「荷台は後ろ」という発想が強い様に思う。
だからこそ、「荷台を前にする」とどんなことが起きるのか?
どうやって使うと便利なのだろうか?
と言うコトを、考えてみることがとても大切だと思うのだ。
「発想・着眼点を変える」と言われても、具体的なイメージとなるモノがないと、なかなか変えるコトは難しい。
だからこそ、この様な具体性のあるものを「自分だったら、どんな風に使ったら便利だろう?」と考えることが大切だと思う。


フリーペーパーで、発想力をつける

2012-12-11 19:09:57 | 仕事のコツ
拙ブログに来て下さる方の多くが、男性諸氏のようなので余り気にとめたコトが無いかも知れない、スーパーに置かれているフリーペーパー。
ご覧になられる方は、どのくらいいらっしゃるのだろうか?
実は、スーパーだけではなく東急ハンズやプラザ(旧ソニープラザ)などの店頭に置かれているフリーペーパーを貰ってくるのが、趣味のようなトコロがある。
東急ハンズは、様々な取扱商品の写真掲載。
眺めているだけで新商品がわかったり、「こういうモノが欲しかった!」と思うような商品に出会うコトができる。
プラザの場合は、やはり「(若い女性の)今の流行」という点で、参考になるコトが多い。

スーパーの場合は、客層が様々なこともありバラエティーにとんでいる。
ほとんどは、お店やカルチャーセンターの募集チラシ、旅行会社のツアーパンフレットなのだが、時々変わったフリーペーパーを見つけるコトがある。
しばらく前に見つけたのは、「特許庁」の関連団体のフリーペーパーだった。
「特許庁」の関連というのは、いわゆる「コピー商品」についての注意を促すフリーペーパーで、著名な女優さんのインタビューなどもあり、なかなか豪華な内容だった。

そして久しぶりに買い物に出かけたスーパーで今回見かけたのは、社団法人中央酪農会議が出している「MILK CLUB 別冊」というフリーペーパー。
「MILK JAPAN」と言うWEBサイトもあるようだ。

このフリーペーパーの目的は、乳製品の販売促進と酪農に対する理解を深めて貰う、と言うコトのようだ。
ご存じの様に、酪農に限らず日本の農業全体が高齢化により減少傾向にある。
それに拍車をかける様に、飼料などの高騰で酪農家はとても厳しい状況にある。
その様な「酪農の今」を伝える記事などを読んでいて、いろいろなコトを考えるのだ。
例えば「飼料の高騰」というけれど、別に米国から輸入する量を減らして、産業廃棄物として捨てられる「おから」や、精米時に出る「米ぬか」などを上手に利用すると言う方法はないのだろうか?とか、酪農や農業、林業場合によっては水産業などを今までのような位置づけの産業として考えるのではなく、「環境産業」と捉えるコトでもっと違う事業展開ができるのではないだろうか・・・などなど。

フリーペーパーは、その時々の情報を得るコトができる一つの方法だと思う。
それだけでは無く、それらの情報をもとにいろいろな考えを巡らせる、トレーニングの材料にもなる。
なんと言っても材料費は「ただ」なのだ。
仕事には直接関係が無い!と思わずに、時々フリーペーパーを眺めて見てはいかがだろう。



見方を変えると、言葉の意味も変わってくる

2012-04-12 19:36:12 | 仕事のコツ
新社会人の研修が終わり、そろそろ配属が決まり始めたことだと思う。
真新しいスーツ姿の新人たちは、職場の空気をフレッシュなものにしてくれる。
だが、そのフレッシュの空気も数ヶ月も経つと、随分変わってるはずだ。
よく言えば「職場に慣れた」、悪く言えば「新鮮味がなくなった」というコトになる。
このように、一つのモノゴトを複数の角度から見ると、まったく違ったモノに見えてくる。
実はマーケティングの基本の一つは、この「多角的視点」だとも言えると思う。

同じ様に、言葉も見方を変えると意味も変わる。
例えば「金太郎飴のような・・・」という例え。
多くの場合「似たり寄ったりで、変化が無い」とか「変わりばえしない」という、余り良い意味で使われることが無い。
その理由はご存知の通り、「どこを切っても同じ」というコト。

しかし、実際に「金太郎飴」を作っている飴屋さんからすれば「どこを切っても同じ顔が出てくるように作るのは、とても大変なこと」だと言いたいのでは。
むしろ「同じ顔を作るための技術は、一朝一夕で習得できるモノではない」と、いう思いがあるのでは。

そしてある職場では、この「金太郎飴」のようなことがとても重要なコトもある。
その代表的な職場が、ファーストフード店だろう。
日本中、場合によっては世界中の同じファーストフード店で提供されるサービス(注文のとり方~商品の作り方の手順~提供されるまでの時間~お客様に渡すまで)は、こと細かくマニュアル化され、マニュアル化されることによって、均一のサービスを全国で提供することが出来ている。

とすれば「金太郎飴のような・・・」という表現の中にも「金太郎飴のように、同じ顔が出てくる高い技術を持っている」という意味の解釈があっても良いと思う。
もちろん、慣用句としての「金太郎飴のような・・・」という意味を十分理解した上で、自分なりの解釈を+αする、という点が重要だ。
「自分の解釈は、これだから」と無暗に言うことは、周囲からの理解が得られるものではない、という点を忘れなければの話だが。

「金太郎飴」という例えを出したが、大切なことは「一つの視点に縛られない」というコト。
特に今のような様々な価値観が激しく変わり、情報そのものが複数ある時代では、一つのコトに縛られるリスク、というコトもある。
「過去の成功事例が、ほとんどに立たない時代」だからこそ、多角的で多次元的な見方・発想力が大切なのだと感じている。





数字は信頼できるのか?

2011-10-04 20:33:05 | 仕事のコツ
「マーケティングの仕事をしています」と言うと、「あぁぁ、マーケティングリサーチの仕事をしているんですね」と、言われるコトが多い。
もしくは「統計を取る仕事ですね」と、言われるコトもある。
どうやら世間的には「マーケティング=統計分析」というイメージが強くあるらしい。

ところで「統計数字」というのを、疑ったコトはあるだろうか?
国が行う「人口統計調査」などは別にして、企業が行う「嗜好調査」や「意識調査」などだ。
場合によっては、テレビ局の人たちが戦々恐々とする「視聴率」や、「内閣支持率」と行った調査の統計数字だ。

テレビ局と新聞社が行う「内閣支持率」などは、自動抽出で電話をかけ回答を求めると言う形式を取っている。
問題なのは、対象世帯数と回答率だ。
現在の様に、固定電話よりも携帯電話の方が台数が多くなると、当然固定電話を持っていない家庭も増えてくる。
これまで、一人世帯なら携帯電話だけしかない、と言うイメージだったかも知れないが、今は一人世帯以外でも固定電話を持っていない家庭は多くなっているのではないだろうか?
と言うのも、WiFiの様に無線でインターネットが普通にできるようになると、固定電話を設置する必要そのモノがなくなりつつあるからだ。
何よりも、その方が通信費用を抑えるコトができる。
また、固定電話を持っている若年世帯だけではなく、高齢者世帯でも「オレオレ詐欺対策」として、普段から「留守番電話」にしている場合も増えてきているのでは?
その様に考えると、一見納得できそうな「内閣支持率」であっても「本当に?」と、考え直してみる必要が出てくる。

テレビの視聴率に至っては、相当限られた世帯数を対象としている。
テレビ番組が深夜放送されなかった頃(今から35年くらい前)、放送が終わると「砂嵐」状態画面になったが、その時間帯でもわずかながら「視聴率があった」と言われていた。
それは「テレビのスイッチがついていた」という状態であって、「テレビを見ていた」という訳では無い、と言うコトになる。
それでも「視聴率」として、数字が上がるのもまた事実なのだ。

その様に考えると「市場調査の数字って、本当にそうなの?」と、一度疑う必要がある。
むしろ、この「疑う」というトコロからスタートすると、思っている。
その「数字」が出てくる背景にあるモノ・コトとは?と言うトコロを想像し、逆の視点から見えるモノは何だろう?と、考える・・・それがマーケティングの仕事の一つだと思っている。

職場が孤独化していません?

2010-04-27 20:57:32 | 仕事のコツ
以前、紹介した「ソーシャルブレインズ」について、新人の皆さんに知ってもらいたい、と思ったことがある。
そして、それは職場の先輩や上司となる人たちにも、知ってもらいたいことだった。

一言で言うなら、「職場で孤独化していませんか?」というコト。
「孤独化」と言っても、職場でいじめられているとか、疎外感を味わっているという意味ではない。
パーテーションなどで仕切られた環境の中で、仕事をしていませんか?という意味だ。

いつ頃からだろうか?日本のオフィスでも一人づつ仕切りがされるようになり、周囲を「壁」に囲まれて仕事をするようになってきた。
個人の成果を求めるためには、周囲と一緒に考えたり、チョッとした(無駄)話をしたりする時間は非効率的であると、考えられるようになってきた。
アメリカのテレビ番組などでも、ごく当たり前のようにパーテーションで区切られた半個室のような状態で仕事をするのを目にした。
最近の事情は知らないが、なんとも「孤独感・孤立感」のある雰囲気だったような覚えがある。
確かに、それなりにカッコ良さそうな感じはあったし、パーテーションで区切られた壁に、家族の写真など「自分の部屋」のように、カスタマイズして仕事に励む姿もそれはそれで、アリなのかも・・・と思った。

実際私もそのような環境(=パーテーションで机一つ自分の部屋状態)で仕事をした経験があるのだが、私には合わなかったようだ。
確かに、集中して考えごとはできるのだが、それよりも壁に囲まれたようで息苦しくてたまらない。
何より考えに煮詰まった時、気分転換になるような話が周囲とは出来ないし、外の景色も見えない。

いきなり周囲の人に話し掛けるのは、傍迷惑のように思えるかも知れないが、考え事をしながら、周囲の雰囲気や会話というモノはある程度把握している。
それは「注意力散漫」というのではなく、周囲の気配を常に感じ取るような感覚なのだ。

そしてそのような会話をするコトで鍛えられるのが、「コミュニケーション力」だろう。
職場で一番コミュニケーション能力が鍛えられる方法は、飲み会などの幹事を引き受けることだといわれている。
①参加メンバーを募り
②スケジュールを調整し
③予算を決め
④場所をピックアップし
⑤お店と交渉をし
⑥参加者に連絡をする
というステップは、プレゼンテーション力も必要だし、予算管理能力や交渉力も必要だ。
パーテーションで区切られ、メールだけのやり取りをしていては、目の前にいる「相手の気持ちを覗う」コトは出来ない。

「相手の気持ちを覗う=相手の気持ちを想像する」コトが出来ずに企画を立てても、それは独り善がりなモノだろう。
そのような企画のプレゼンテーションをされる側にとっては、時間と労力のムダだ。

これらの基となっているのが「ソーシャルブレインズ=社会能」というコトなのだ。
とすれば、パーテーションで区切られたオフィスやメールだけのやり取りは、企業にとってプラス要素はさほどないのではないだろうか?
それだけではなく、企業という組織の連帯感も失われてしまうのではないだろうか?
(「飲み会=組織の連帯感を高める」訳ではないので、嫌がる人を無理に誘わないコトも大切な「社会力」だ)

時々、若い人たちと話すときに感じる「自分と他者との境界線のあやふやさ」や「自由や個性のはき違い」を考えると、この「孤独化」なのでは?と、思い至ったのだった。

見方を変えてみよう

2010-04-06 20:43:25 | 仕事のコツ
新人たちの研修も、今週くらいで終わるところも多いのではないだろうか?
この時期に行われる「研修」は、「ビジネスの基礎」というべき内容で、電話での接遇や名刺の受け取り方といった内容のところが多い。
むしろ、配属後が本格的な「研修」という感じだろうか?
以前なら「OJT研修」などで、ある程度時間をかけて「新人育成」ができたのだが、今の多くの企業はそれほど時間をかけることができないのではないだろうか?
「現場で仕事を覚える」というコトのほうが、多いのかも知れない。

とすれば、仕事を教える側の「仕事に対する理解力+説明力(=伝達力)」が大きく問われる。
特にマーケティングという「ビジネスの基礎」の説明は、「ドラッカーやコトラー、レビットの本を読んでおいて」では、新人たちも右往左往してしまうだろう。
そんなコトを思っていたら、毎日新聞のWEBサイトで面白い記事を見つけた。
それが元気が出る商売の話という記事だ。

以前から、「ビジネスと恋愛は似ている」といわれているが、そんな見方で説明をするとわかりやすいかも知れない。
いくらコチラ(=企業)が、イロイロ思い描いていても一人相撲であっては、お客様が振り向いてくれるわけではない。
大切なコトは、いかに振り向いてもらえるのか?というコトだろう。
そして、恋愛関係のような「コミュニケーション」を創り上げられるか?というコトだ。

そんな見方でビジネスを見てみると、案外理解されやすいかもしれない・・と、思わせる記事だ。

マネージメントとは

2010-01-19 21:19:37 | 仕事のコツ
先日、FMを聞いていたらオーボエ奏者の宮本文昭がゲストとして登場していた。
クラシック音楽とはチョッと・・・という方でも、一度くらいは宮本さんの演奏を聞かれたことがあると思う。
というのは、今から20年以上前、現在のJTのテレビCMに登場され、オーボエを演奏しておられたからだ。
まぁ、オーボエ奏者とタバコという組み合わせは「・・・???」という気がしたのだが、それでも、印象深く残っているのは演奏が素晴らしかったコトとCMの雰囲気がとても合っていたからだろう。

その宮本さんが、番組でお話されていてとても印象深かったことがある。
それは、オーケストラの第一オーボエ奏者として、小澤征爾さんと一緒に演奏された時の話だった。
演奏された楽曲は聞き逃してしまったのだが、一番盛り上がる場面で小澤さんの指揮がフッと止まったというのだ。
グッと拳を握り締め、その拳をあげたまましばらくそのままの状態でオーケストラはそのまま演奏を続けていた・・・という。
譜面通りなら、ダイナミックで細かなリズムが刻まれるという場面なのに、小澤さんは暫し拳を握り締めたまま、オーケストラのメンバー一人ひとりの演奏に耳を傾け、「自分たちの考え・イメージできる音を十分出し切りなさい」というような、指揮をされたという。

宮本さん曰く、「上手な指揮者は、体を大きく使わない」そうだ。
「大きく体を使わない=派手なアクションの指揮をしない」というコトのようなのだが、それはオーケストラの中で指揮者が目立つコトが、良い演奏に繋がらないというコトが間々としてあるからだという。
オーケストラのメンバー一人ひとりは、もちろんプロであり、演奏会のために入念な準備と練習を重ねてきている。
それは指揮者といえども同じ。
ただ、現実として指揮者のいないオーケストラは存在するし、四重奏団などでは指揮者はいない。
では何故、指揮者が必要なのか?といえば、オーケストラの団員一人ひとりの持っている力を引き出し、まとめるために必要なのだという。

このお話を聞きながら、オーケストラの演奏というのは、演奏者一人ひとりが「丁々発止」の演奏をし、それを引き出すために指揮者がいるのかも知れない・・・と、思ったのだ。
そして、それは企業などの組織における「マネージメント」も同じなのでは?と。
マネージメントをする側は、スタッフ一人ひとりが十分力が発揮できるような雰囲気作りをし、チームとしてリードをし、まとめるというコトが重要で、何も「チームの成果=自分の成果」ではないはずだ。
と同時に、どのような立場であっても「プロ」として、十分な準備(=勉強や情報収集、コミュニケーション)を怠らないというコトが、スタッフとして、チームのメンバーとして必要なコトなのでは?とも思ったのだ。

仕事というのは、「プロ」が「丁々発止」で行うコトなのでは、ないだろうか?
「丁々発止」と言っても、喧嘩をするというコトではない。
「自分の持っている力を出し、チームのみんなの力を引き出す」というコトだ。
そんなコトを考えてしまった、オーケストラの話だった。

数字のマジック

2010-01-12 13:09:36 | 仕事のコツ
「日航の株式上場廃止」が、今朝の新聞各紙の一面にあった。
コレを受けて、午前の取引ができない状態になっていた。
いずれにしても、「飛行機を飛ばしながら、経営再建」を目指すコトになるようだ。
ただし、経営上大きな負担となっている「企業年金」の減額が、ポイントだといわれている。

考えてみれば、実質的には既に倒産状態にある企業なのだから、厚生年金の上乗せとなる「企業年金」は諦めてもらうのは、当然だと思う。
まして、昨年から始まっている「公的資金投入」=「税金投入」がされているのだから、納税者の納得が得られるような行動が、求められるのは仕方ないと思う。
思うのだが、どうやら現在受給されているOBの半分くらいの皆さんは、「イヤダ!!」と言っていらっしゃるようだ(その後、2/3をわずかに越える人たちが了承したようだが・・・)。

で、今日のお昼のニュースを見ていたら面白いことに気が付いた。
今回の日航救済策で、もしOBの皆さんが「年金を減らされるのがイヤダ~」と言って、株式上場が廃止されたりして「年金基金」が解散となると、現在の支給額の65%減額されるらしい。
現在日航側が、年金受給者に対してお願いをしているのは、30%の減額だ。
ココで、数字のマジックという事なのだ。

現在の受給金額を100とした場合、
減額を了承すると70の年金がもらえる。
ところが「いやだ~!!」と言って、このまま「年金組合」が解散してしまうと・・・。
なんと!35の年金額になってしまう。
言い換えれば、70の半分の受給額となってしまうのだ。

「数字のマジック」という理由がおわかりになっただろうか?
単に「30%減額」、「65%減額」と言われただけであれば、「ふ~ん」とか「いやだ!」と思うだけだが、
100だけど経営不振で70で我慢するのか?、それを拒否して70の半分35で納得するのか?
と問われれば、その数字の持つイメージがまったく変わってしまう。

見方を変えれば見える風景が違うように、数字もまた違う見方をすれば、まったく違う印象を与えてしまうのだ。

違う視点でモノをみる

2009-06-14 07:48:25 | 仕事のコツ
「鳩山総務大臣VS西川社長(と小泉改革支持派?)」の決着は、鳩山さんの事実上の更迭で終わった。
鳩山(弟)さんは、相当意味深なコトバを残しているコトは気になるが。

この「鳩山総務大臣VS西川社長(と小泉改革支持派?)」について、様々な意見があるようだ。
もちろんそれは、様々な立場の違いによって起きる「意見の相違」なのだが、その「意見の相違」というモノを読んでみて、考えるというコトもこの問題を考えるためには必要なコトのように思う。

おそらく一番多いと思われる意見は、拙ブログでも書いてきたような、「問題のすりかえが起きているのでは?」とか「かんぽの宿二束三文払い下げ」の説明責任をしていない西川さんへの疑問といった、意見や考えなのではないだろうか?
ところがまったく違う見方が、日経新聞WEBサイトに掲載されている「BIZ」には、「日本郵政問題の裏にあるもの」というタイトルで、佐山展生さんが文を寄せられている。
ご存知の方も多いと思うのだが、佐山さんはテレビのニュース番組などにゲストとして出演をされている「経済の論客」だ。
コンサルティング会社経営の傍ら、大学院でも教鞭をとっていらっしゃる。

佐山さんが書かれている通り、収益のまったく上がっていない事業を買い取るのであれば、二束三文で買い上げられても仕方ないし、それはある意味当然だという意見は、「当然だ」と考えられる方もいらっしゃるだろうし、「何故それ以前に、経営努力をしなかったのか?」とか、「従業員を含めての一括売却では無く、建物のみの売却を考えなかったコトが問題だ」と考える方もいらっしゃるだろう。

大切な事は、そのような様々な意見や考えがあり、そのことに対して西川さんは説明をしなくてはいけなかったのではないか?というコトだ。
そして何もこのようなコトは、今回のようなコトだけではない。
企業内でも、あるはずなのだ。
問題があるのではなく、「様々な意見や考えを聞いているのか?」というコトだ。

西川さんは、徹頭徹尾「私のやり方は間違っていない」的態度で押し通している。
「聞く耳を持たない」のではない。
「聞く耳を持ちたくない」のだ。
だから、「説明責任」というモノを感じていないし、堂々と「郵政民営化を推進し、土台を作るのが、私の責務だと感じている」と言えるのだと思う。
少なくとも、私にはそのように見える。
そして、そのような思考にある種の危険なモノを感じてしまうのだ。

西川さんのような立場だからこそ、様々な意見や考えに耳や心を傾ける必要があると思うし、ビジネスマンとして当然の態度であり思考だと思うのだ。
何故なら、様々な意見や考えが「事業の方向性を軌道修正」させてくれるからだ。

個人的に西川さんに一種の胡散臭さを感じるのは、西川さんが銀行の頭取時代に起こした「デリバティブ商品と抱き合わせで証券を販売し業務停止命令」を受けたコトがあるからなのだが、銀行出身なら顧客サービス低下を招いても仕方ない・・・と、変に納得もしたのだった。