日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

楽をさせない

2009-05-25 05:44:58 | 仕事のコツ
「アンチエイジング」と言う言葉を、盛んに聞くようになって大分経つような気がする。
ゴシップ満載の週刊~高級家庭婦人月刊誌と呼ばれるモノまで、「女性向け雑誌」と呼ばれる雑誌には、毎号「アンチエイジング」のページが組まれている。
それどころか、時折男性向け雑誌にも「アンチエイジング」と言うコトバを、見かけるようになった。
今や「アンチエイジング」は、大人の関心事項となりつつあるのかも知れない・・・と、思う程だ。

そんな中、雑誌だったかテレビを見ていたら面白いコトを知った。
それは「楽をさせない」コトだ。
女性の一番の関心事項である美容ではなく、体や脳のアンチエイジングと言うコトだ。
特に「脳のアンチエイジング」には、「楽をさせない」コトが一番らしい。
「脳のアンチエイジング」と言うのは、「ボケないため」と言うだけではない。
「脳の活性化」と言う意味でも、「楽をさせない」コトが重要だと言うコトだ。

「脳の活性化」と言うと、成長期の子どもの頃がピークで二十歳を過ぎれば落ちていくばかりのように言われていたのだが、今では違う考えが主流になりつつあるらしいのだ。
そのキーワードが「楽をさせない」と言うコトなのだが、「楽をさせない」と言うコトはどういうことなのか?と言えば、「考えるコト」なのだ。

「幾つになっても分らないこと」と言うコトはあり、その度に人に聞き、理解しようとする努力をするコトも大切なのだが、それ以上にテレビを見ながら・本を読みながら「考える」コトが良いらしい。
小さな子どものように、「何?何故?どうして?」という疑問符を一杯頭の中に浮かべ、自分なりに考えると言うコトが、脳を活性化させ、「脳のアンチエイジング」に役立つと言うコトらしい。
それも、成功体験ばかりの人よりも失敗経験のある人のほうが、物事にとらわれることなく「考えるコト」ができると言う。

ビジネスパーソンにとって、一番身近なトコロでは会議だろう。
「自分と意見が違う」と言うコトは常にある。
むしろ「違って当たり前」だ。
しかし「違うだろう!」で終わるのではなく、「何故、そのような考えなのか?」とか「自分と違う点は何処だろうか?」と、考えながら自分の考えを整理し、まとめるという作業は、脳がフル回転をしているので、大変なコトだが、そのような訓練を繰り返すことが「脳のアンチエイジング」に繋がるというのだ。

考えてみれば「しなやかな感性の持ち主」というのは、常に「何?何故?どうして?」というコトをいつも探している人のような気がする。
人から答えをもらうばかりでは、脳は年齢以上に歳を取り、老化の一途を辿ってしまう・・・と言われれば、確かにそのように感じることはしばしばある。
人から教えてもらうことは大切だが、それを鵜呑みにするのではなく、自分で「で、何?何故?どうして」をプラスして、自分なりの答えを見つけることが、「脳のアンチエイジング」になるとすれば、早速はじめてみよう・・・と言う気になるのだ。



そのコピーってアリ?

2009-04-17 21:22:16 | 仕事のコツ
今、名古屋は市長選挙の真っ最中。
至る所に「選挙看板」が掲げられている。
その看板を目にするたびに思う事がある。
それは「キャッチフレーズ」だ。

与党系無所属の候補者は、「カットよりも躍進」とある。
これは他の候補者が「市財政のムダをカットして、豊かな市民生活」風な、コピーを全面に出していることに対抗してだろう。

それはわかるのだが、果たして「カットよりも躍進」と言うコピーは、アリなのか?と、看板を目にするたびに思ってしまうのだ。
その理由は、おわかりだろう。
「カット(削減)」と「躍進」には、何の関連性もないからだ。

選挙ポスターなどのキャッチコピーを見ると、時々「そのコピーはアリですか?」と言うモノを目にする。
別に言葉を専門に扱う仕事をしているわけではないのだが、やはり広告などの仕事をする際には「コトバ」そのものだけではなく「(生活者に)伝わる」というコトを重視している。
「コトバ」そのものに、違和感があっては人をひきつけるコトが出来ないからだ。

もう一つ重要なことは「何を伝えたいのか?」ではなく、「何を伝えなくてはいけないのか?」という点だ。
広告などの場合、「伝えたいこと」ばかりが優先され、「伝えなくてはいけないこと」がぼやけてしまう事がよくある。
結果、自己満足度の高い広告は作れても、受け手となる生活者にとっては「何が言いたいのか分らない」という広告になってしまうのだ。

最近、我が家に送られてくるDMなどをみて見ると、この「自己満足度の高いDM」が実に多くなってきているような気がする。
もちろん、レイアウトなども影響しているのだが、こうなるとデザイナーとコピーライターの自己満足発表会となってしまい、受け手である私にとっては不愉快極まりないDMとなってしまう。
ただ、このようなDMが増えてきている背景を考えると、キチンと指導をし、アドバイスをしてくれる先輩や上司がいなくなっているのでは?と、思ってしまう。

話は選挙ポスターから離れてしまったが、1枚の限られたスペースに自分の主張・公約を掲げると言うのは、なかなか難しい。
何よりも「あれも・これもやります」という総花的な主張や公約など、今の生活者にとっては「出来ないことを言われてもね~」と、冷ややかな目でみられるのがオチだ。
であれば、自分の政治信条や理想を明確にした上で、できることを整理し、その順位の高い内容を分りやすいコトバで書き出し、書き出したコトバを削ると言う方法で伝えるしか方法はないのだ。
むしろ、キャッチコピーの基本はそんなトコロにあるのではないだろうか?
少なくとも、一流と言われるコピーライターさんならともかく、普通の人はそんなトコロからトレーニングをはじめるのが、ベストだと思う。



事例研究がHow toに変わる時

2008-09-01 07:24:38 | 仕事のコツ
お盆休みのとき、何冊かの本を読んで過ごした。
その中の1冊は、以前紹介した高機能自閉症の方が書かれた本だった。
そして、故河合隼雄さんと中沢新一さんの対談集などなども読んだ。

その河合さんと中沢さんの対談集の中で、いくつか気になることがあった。
そのひとつが「事例研究発表の方が科学的研究発表の方が、参加者の興味が違う」という内容の言葉だった。
この言葉は河合さんから出た言葉で、心理学研究発表の場で「このような治療法をしたら、このように治りました」という内容の話をすると、参加者は熱心に聞き、具体性に欠ける科学的研究発表では、人気もなければ熱心に聞く人もいないというのである。

この一節を読みながら「確かにそうだろうな~」と思ったのだが、反面「聞き方ひとつで、事例研究がHow toになってしまうのでは?」という気がしたのだ。
というのも、私自身がこのような経験を幾度となくしているからなのだ。

2、3年前、「郵政公社(現郵便事業会社)、トヨタ・カンバン方式を導入」という話題があった。
丁度、年末の年賀状シーズン前の頃だった。
トヨタのカンバン方式を導入し、業務効率化を図るというのが目的だったのだが、蓋を開けてみたらまったく違う結果となってしまっていた・・・というコトだった。
年賀状配達の遅延が多く、誤配達も目立ったのだ。
当然、コレでは苦情が多くなる。
効率・合理化のお手本とされていた「トヨタ・カンバン方式」が、郵便事業には合わなかったのだ。

他にも、「○○で成功」という事例を導入して、失敗した事例は数多い。
何故、その様な失敗をしてしまうのか?といえば、「How to」として、その事例をそのまま取り入れてしまうからだ。
トヨタのカンバン方式は、クルマなどを製造する事業では参考になる方法だろう。
しかし、郵便事業はクルマを製造するわけではないので、参考にはならなかったはずなのだ。

成功事例を聞きながら、「我が社では?」という疑問や検証をしながら、成功事例のエッセンスを参考にするだけで、実際はオリジナルのモノを作っていかなくては、意味がないのである。

臨床心理学という、一人ひとりの状況が違うはずの現場でも、事例研究がもてはやされているというコトに、やや心配しながら読み進めたのだ。
といっても、実際研究発表を聞いている臨床心理学の先生たちは、それぞれの患者さん達の顔を思い浮かべながら、聞いていると思うのだが・・・。

視点を変えてみよう

2005-11-27 22:43:50 | 仕事のコツ
「骨折をしてしまったことは、致し方ない」と諦めというか、開き直ってしまうところがある。
しかし、骨折をして感じたことを少し述べてみたい。
もしかしたら「モノを見る」ということと、関係しているかも知れないと感じたからだ。

骨折をした箇所は、右足のくるぶしから小指方向へ1.5~2.0㎝といったところ。
昨日担当してくださった、整形外科の先生に言わせると「一番(骨が)、くっ付き難いところ」だそうだ。
だからだろう、私の「松葉杖では、(階段の昇り降りなど)生活に支障をきたすので、出来れば他の方法で治療できないか?」というお願いに、「それは出来ません」の一言で終わってしまった。

この「松葉杖」というモノ、足を捻挫したり骨折をしない限り、ご用のないモノだと思う。
U-2さんが下さったコメントにあるとおり、突然松葉杖を使うことになると「気落ちする」という傾向がある。
傍で見るより、本人にとって掛かる負担は肉体的にも精神的にも大きいのだ。

実際、使ってみるととにかく「不安定」な「生活補助具」である。
医療関係者からすれば、「松葉杖」は「医療器具」だと思う。
でも、実際に使う怪我人にとっては「生活補助具」なのだ。
「生活補助具」という視点で観れば、生活をするための移動補助具(もしくは、「歩行補助具」)なのだが、怪我をしていない足だけではなく、上半身まで相当動作が制限される(=生活に支障をきたす)ことになる。
あの形状を見れば、当然といえば当然なのだが、自分の体(=体重)を、あの細い先で支えなくてはいけない。
その為実際には、腕や手のひらで自分の体重を支えるということになるのだ。
怪我をしていない、もう片方の足で自分の体を支えるというイメージでは、上手に使いこなせない。
したがって、「松葉杖を使うトレーニング」が必要になる(もしかしたら、トレーニングが必要なのは、私のように「運動神経に難あり」人間だけ?)。

でも、怪我をしている本人からすれば「上手に使いこなす為のトレーニングが必要」というのは、都合が悪すぎる。
体そのものは、元気なのでトイレに行ったり、歯を磨いたり、部屋を移動したりという当たり前の動作を、直ぐにしなくてはならないのだ。
それこそ、トレーニングをして上手に使いこなせる頃には、足の怪我は治ってしまっている可能性だってある。
それでは、松葉杖を使う意味が半減してしまうのではないだろうか?

では、何故そのようなズレが利用者と医療関係者との間に生まれるのだろう?
それは、医療関係者が「松葉杖」の商品ポジショニングを「医療器具」としているのに対して、利用者である患者は「生活補助具」として使っているからではないだろうか?
あの形状が、患者にとってベストなデザインなのか?
何よりも、患者の利用期間と使いこなせるようになるまでの訓練期間が合っているのか?
そんな見方をこれまでされてきたのか、疑問を感じるのだ。

医療の現場というのは、患者よりも医師など医療スタッフの発言が強い。
それは「専門性」ということにおいて、様々な知識や技術を必要としているからだろう。
しかし、そこに「患者の視線・視点」というモノが、欠けているのではないだろうか?
「快適な治療期間の提供」ということも、医療には求められるのでは?
それは、医療という分野だけではなく、様々な分野でも同じコトなのだ。
そのような視点が、「イノベーション」へと変わっていくのではないだろうか?
そんなことを思いながら、拙ブログを見てくださる方の中に医療関係者の方がいて、「松葉杖」の形状を見直したり、「快適な治療期間の提供とは?」という疑問を持ってくださることを願っている。

「歩く」という行為の複雑さを「痛い」思いをしながら、感じています。
あ~、早く自分の足で「普通」に歩きたい!!

あなたなら、どう使う?-商品アイディア-

2005-07-15 19:11:06 | 仕事のコツ
「現場主義」にコメントを下さったあけさとさん、ありがとうございます。
藤巻(弟)さんは、伊勢丹でバイヤーをされていた頃から「カリスマ」と呼ばれていて、私も「伊勢丹の売り場」を何度も観に行った経験があります。
とにかく、よく勉強をされている方で婦人衣料の担当をされているときは、その素材のから最新のファッションまで、勉強していらっしゃいました。
そのような方が、バイヤーをしマネージャーをされているのですから、伊勢丹の販売担当者はお客様に対する「提案」がたくさんありましたね。
こちらが、勉強することばかりでした。

コンビニエンスストアーやスーパーマーケットに行くと、チョッと変わったキットカットの新しい商品が出ている。
別に「○○味」という意味での新商品ではない。
保温・保冷タンブラーに入ったキットカットなのだ。
この商品を見て「どんな使い道があるのだろうか?」と考えた。
単に「家庭やオフィスで使う」というのではなく、「どんなところで使うと、面白いだろう?」という視点での「使い道」である。

早速購入をし、中身のキットカットは冷蔵庫へ。
まず、「飲み口のある蓋」がある。
そして、内側タンブラーと外側タンブラーの間にパッケージがあり、印刷された紙のようだ。
内側と外側に空気の層があるために、「保冷・保温」が出来るということも分かる。
取扱としては、通常のプラスチックコップと同じで、食器洗剤でOK。


最近は、スポーツ観戦のときに販売されるソフトドリンクを紙コップから「マイ・タンブラー」持参を呼びかけているところもある。
とすれば、ディポジット式にして商品代金にいくらかの金額をプラスして、回収時に容器代を返金。
次に目をつけたのは、パッケージとして使われている「印刷された紙」。
これを、Jリーグやプロ野球のマッチデーニュースのように使えないだろうか?
普通のパッケージデザインでは面白くないので、パッケージとして印刷されている紙を「試合観戦の思い出になるようなモノや、チームニュー-スにしたら?」と考えた。
そうすれば、お客さんが内側のタンブラーと外側のタンブラーを分解してくれるから、回収後の手間も一つは省ける。

お客さまの側から見ると・・・どうなるか?が問題。
ドーム球場などは別だが、プロ野球やJリーグの試合は早春から夏真っ盛りの8月、晩秋となることまである。
サッカーだけについていえば、元旦の天皇杯まであると考えると早春から冬までの長いシーズン。
暖かい飲み物が欲しい時期も冷たい飲物が欲しい季節もある。
かといって、水筒を持ち歩くのは・・・という人には、向いてそうだと思われる。
後は、ビールなどのアルコール飲料は?
蓋を外せば、OKなのではないか?という期待がある。

と言うようなことを、一つの商品からいろいろ考えてみるのもマーケターとしては、楽しくも苦しい時間なのである。

どんなアイディアが浮かびましたか?

現場主義

2005-07-11 08:32:00 | 仕事のコツ
以前のエントリーでも紹介をしているのだが、朝日新聞の土曜日版「be」に連載されている『フジマキに聞け』というコラムがある。
今回、藤巻幸男(フジマキ弟)さんが読者からの質問「総合スーパーマーケットに、将来性は無いのでしょうか?」に、「現場主義」という回答をしている。

おそらく、マーケティングという仕事をしている人たちの多くは、「街歩き」が大好きなのでは?
当然、私も大好きである。
とにかく、街のにおいや風、行き来する人たちの表情やファッション、女性の場合はメイクなどのスタイルを観て感じることが、楽しいくアイディアの元となる「疑問」がイッパイあり、「市場を観る目」を鍛える方法の一つだと思っている。

ビジネス雑誌などで見かける「市場」というのは、「売上」等の「統計的数字」が中心となっている。
仕事で「統計的数字」=「データ」を扱うことも多いのだが、鵜呑みにする危険性を常に感じている。
なぜなら、売上などのデータは「結果」でしかないからである。
その過程で起きているはずの、「生活者は何故、その商品を買ったのか?」という「生活者の気分・気持ち」というものは、書いてないからである。
そのデータを見て「将来的に○○は、市場が××となる」というだけでは、説得力も無ければ現実性も無い。
ところが、なぜかそのような「データ」中心のほうが「受けが良い」という現実もある。
このような場合は、「現実的な生活者」を観ることが無い人たちに、多いような気がしている。
まぁ、週末はゴルフや自分の趣味で時間を過ごすばかりで、スーパーマーケットなどに買い物へいくようなことが無い人に限って、このような「データ」が大好きなのだが。

だいぶ前に読んだ雑誌に「P&G:マーケティング力の復活」という記事があった。
ビジネス環境が厳しくなるにつれ、マーケティング部門は縮小される傾向があるのは、何も日本だけのことではないらしい。
ところが、その結果「目先の収益ばかりを求める」あまり、「長期的なビジネス戦略がおざなりになり、収益面でも成果が現れなくなった」というのである。
そこで、マーケティング部門を再編成させ、P&Gの所有している様々ブランド力を検証するため「現場重視」へと転換したところ、実際の数字ではつかみきれなかった「ブランド力」と「生活者の気持ち・気分」といったものが明確になった。というのである。
以来「戦略で迷いが出たら、現場へ」という言葉が、一種の合言葉のようになっている。という。

会社で偉い顔をしている人、アナリストやエコノミストと言われる人たちも、「仕事を離れれば、一人の生活者」なのだ。
むしろ「生活者としての自分の視点」をいうものを、もっと大切にして欲しい。
もし、そのような生活をしていないのなら、したり顔でアレコレ机上の論理を言って欲しくない。
「まず、現場へ出かけよう!」そこから見えてくる、いろいろなことがあるはずである。

フジマキさんの回答を読みながら、強く頷くのであった。

企業データを活用しよう

2005-06-16 17:59:12 | 仕事のコツ
昨日のエントリ「失敗に寛容な企業へ・・・」について、トラックバックを下さった何かをすれば何かが変わるさん、社長の本音日記さん、ありがとうございました。
様々な意見や考え方があり、とても勉強になりました。
そして、連続コメントを下さった「兵庫県の某職員」さん、ありがとうございました。
「もったいない」と「ありがたい」という言葉は、ワンセットのように昔は使われていましたね。
日本人の国民性?としてあった「総ての恵みへの感謝」が、このような独特の言葉と発想を生んだんでしょうね。とても豊かさを感じる言葉だと思います。

マーケティングという仕事を始めた頃、「市場調査をされているんですか」とよく聞かれました。
「マーケティング=市場調査」というのが、長い間一般的だったので仕方ないのですが・・・。
その後は「販売ノウハウの提供」だとか「上手な儲け方を教えてくれる」と言われるようになり、これまた説明するのに苦労するのですが・・・。
その「市場調査」ですが、ネット社会のお陰で様々な企業が「ニュースリリース」というカタチでオープンにしています。
例えば・・・「花王」のニュースリリースには
『現代サラリーマンの太りやすい生活行動』調査という「研究開発データ」が5月末に発表されています。
その後、高濃度茶カテキンの体脂肪低減効果について、機構の一端を解明というデータが発表されているのです。
花王は既に「高濃度茶カテキン」商品を市場に出しているので、ある意味「中高年サラリーマンの肥満調査」から「高濃度茶カテキン商品」への誘導とも受けとめられそうですが、そのデータを読み解くのは受け手である、私たち。

実は、「市場調査」をするよりも、このような企業データを探してきて、違う切り口でビジネスに展開することのが、少なからずあります。
目的とそのデータの扱い方を最初から考えて、実施している企業もたくさんありますが、その目的があやふやで「とりあえず、やってみようか」という場合が案外あるのです。
様々な「市場調査」や「意識調査」というのは、膨大な費用と時間、労力が必要となります。
そして、「役に立たなかった~」という場合も多いのです。
であれば、ネット上で公開されている複数の企業データを活用する方が良い、という場合もあるのです。
要は、「データをどうやって活用するか」ということなのです。

企業データを上手に活用してみませんか?
生かすも殺すもあなた次第・・・。

連想ゲームをしませんか?

2005-05-16 01:19:51 | 仕事のコツ
「知っている意味」にコメントを下さった千紫万紅のttkttさんありがとうございました。
本当に「どうしたらいいんですか?」という質問には、困ってしまいますね。
もっと「自分で考えて、調べ、行動する」ということをして欲しい・・・。
ただ、同世代のお母さん達を見ていて感じることは、「子どものため」という言葉で「子どもの行動範囲を狭め、様々なことを用意している」ということ。
それが「知っているけど、どうしたらいいのか分からない」に繋がっているような気もします。
そして「メディア・リテラシー」についてコメントを下さった「酔狂人」さん、ありがとうございました。
確かにメディア自体「公平中立」ということが無いのかも知れません。
鋭い指摘だと思います。
むしろメディアに関わる人たち自身が「われわれは公平中立である」といえば言うだけ、「公平中立」から離れていってしまうような気がしますし、そこにメディアに関わる人たちの「一種の驕り」のようなモノを感じます。

「知っているの意味」の中で、「考える」事の大切さを書きました。
もう一つ「発想」ということについても「どうしたらいいのか分からない」といわれます。
最初から「一つの答えを用意」されていたり、「答えは一つしかない」と『思い込んでいる』と「発想力」は、衰えてしまいます。
そこで「連想ゲーム」という方法はいかがですか?
用意するのは、罫線の無い白い紙(ミスコピーの裏で十分)と筆記具。
紙の中心に、テーマとなる「言葉」を書いて、とにかく思い浮かぶ言葉を書き出していくという、とても単純な方法。
書き出した言葉に枝葉となる言葉を書き足していっても、問題ありません。
書き出せるだけ書き出す・・・そうすると、日ごろ自分がどんな視線でモノを見ているのか分かってきます。
たくさん書き出すことが出来れば、それだけ「連想するモノ、コト」が多いということになりますし、書き出せないなら「固定観念」に縛られているという見方も出来ます。

案外、自分達が「答え」だと思っていることが「メディアや周囲から影響を受けた判断」だったり、「思い込み」だということが、分かってきます。
実は「思い込み」が、柔軟な発想力の壁となっていることが分かると思います。
「思い込み」というフレームを外すことが、ビジネスチャンスを広げる一つです。



メディアの危険性-NHKの番組変改-

2005-01-18 12:15:27 | 仕事のコツ
昨年暮から、NHKが揺れている。
ことの発端は、「紅白歌合戦」のプロデューサーが詐欺行為をしていたことだった。
それから、出るわ出るわの大騒ぎ!!
海老沢会長辞任を労働組合が請求するような事態になったのに、肝心の海老沢さんは「辞任すると示唆」しただけで、いつ辞めるのか分からない状態が続いている。
そして今回の、NHKの番組に自民党の偉い人が番組の内容を一部変更させたとか、させなかったとか・・・。
このことを、報道した朝日新聞には「取材経過」を今日掲載しています。
誰かが嘘をついていることになるのですが・・・。

それよりも、気になることがあります。
NHKは「みなさまのNHKだから受信料を払ってください。その受信料で番組制作をしています。」と話しています。
でもNHKの予算は、国会で決まります。
国会で予算が決まる=税金でNHKの経営が成り立っている。ということになりませんか?
では、受信料はどこへいったのでしょう???
受信料は、番組制作費にのみに使われていて、職員の給与は税金で賄われているということでしょうか?
どうも、そこが見えてきませんね~。
何でも、NHK放送会館に行って「事業報告書を見せてください」と言うと、見せてくれるらしいのですが、入館申請を書いて、チェックを受けて「見せて下さい」とお願いするというのも、本末転倒だと考えますが・・・(これは、受信料支払い拒否をしたときに、NHKの職員さん二人がかりでお見えになって話されたことです)。
もうひとつ。
国会で予算が決まるのであれば、政治の力が何らかのカタチで関わることは至極当然だと思うのです。
とすれば、「放送の公平性が、失われている」ということにもなってしまいませんか?

もしかしたら、NHKが言いたいことは「ひとつの情報を鵜呑みにしてはいけない」ということではないでしょうか?
その物事の本質を見るために、いくつモノ情報を集めて多角的に見ないといけない」という・・・。
そして「海老沢会長が辞任」しても、受信料を支払うことを検討するべき!という教えでしょうか?

引退、誰が決めるの?-セルフマネージメント-

2005-01-13 23:45:01 | 仕事のコツ
スポーツナビに「来年の古田選手」について球団社長がコメントという記事が、Upされています。
この記事を、読んだ古田選手はどんな気持ちになるのでしょうか?

この記事で、違和感を感じるのは「プロスポーツ選手の引退を決めるのは誰?」ということです。
野球でもサッカーでも、今は契約更新の時期です。
志半ばで、その舞台から去らざる得ない人もいれば、怪我などの理由から去っていく人もいるでしょう。
期しくも昨日の日刊スポーツには「21歳東京MF今野がC級コーチ講習会参加」(※)という記事が出ています。
記事の中に「サッカー選手の平均的活躍期間は、約5年。引退平均年齢25歳」とあります。
若いですね・・・大学を卒業して2年余りで、一度目の引退です。

しかし、普通に企業で働くサラリーマンもいずれ「定年退職」という引退がやってきます。
今は、社会状況などの理由で50代でも「早期退職」というカタチで、退職される方も少なくない状況です。
一介のサラリーマンであっても、自分で自分の引退を決めなくてはいけなくなってきています。
社会学者のPFドラッガー氏は、いくつかの著書で「NPOやボランティアなどの活動に参加して、仕事以外の自分を発揮する場所を見つける」ということを、提案しています。
それも、自分の強みを生かしたことに携わるべきであると。
自分の強み、ってなかなか分からないものです。
その為に必要なことは、自分自身をマネージメントすることが大切だとも。
自分自身をマネージメントする。というのは、大変なことです。
でも今後2・3年以内に始まる、団塊の世代の定年退職を考えれば重要なことでしょうね。

ちなみに、古田選手は朝日新聞土曜日版「be」の「フロントランナー」のインタビューで、「将来は、GMになりたい」と答えていらっしゃいました。
さて、「引退勧告」のようなことをほのめかした球団社長は、この記事なんと読んだのでしょうか?

※サッカー「C級コーチ講習」とは
毎年、シーズンオフに現役選手を対象に行われている、指導者になるための資格講習会。
サッカーの場合、取得級により指導できる対象が決まる。
Jリーグの監督になるためには「S級」が必要。