日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

三宅一生さんの訃報

2022-08-09 19:17:55 | 徒然

ご存じの方も多いと思うのだが、ファッションデザイナーの三宅一生さんが、亡くなられた。
朝日新聞:デザイナーの三宅一生さん死去 84歳 70年代から世界的に活躍

三宅さんと言えば、「プリーツ・プリーズ」という、布を細かく折りたたんだ(=プリーツ)加工をし、平面的なファッションデザインが有名だ。
MIYAKE ISSEI:PLEATS PLEASE

1枚の布を細かく折りたたむことで、平面でありながら立体的なフォルムを作り出すことができるだけではなく、サイズフリーという服でもあった。
扱いやすさや小さくまとめる事ができ、ドレスとしても場所を選ぶことがない、というデザインは「TPO」に縛られない服でもあった。
ドレスコードが厳しい欧州で受け入れられたのは、このようなサイズフリー・TPOフリーというこれまでにない、ファッションを提案してきたからだと思う。

それは、同じ日本出身のデザイナーである高田賢三さんや一世代前の森英恵さん、とも一線を期すデザインであったし、三宅さんよりも若い川久保玲さんや山本耀司さんとも、違う感覚であった。
川久保玲さんや山本耀司さんの「日本風」な表現に、三宅さんは影響を与えたかもしれないが、デザイン上では干渉しあうようなことは無く、それらが逆に「日本人デザイナーのファッション表現の幅広さ」へと繋がっていったように思う。

三宅さんがこだわった「1枚の布」という発想の基は、日本の着物にある、と言われている。
着物は、平面的でサイズそのものもさほど関係がない。
七五三の着物を10歳過ぎのお子さんが着ても、十分に着られるような仕立て方をしている。
20歳の頃に仕立てた着物を40代で着ることもできるのは、体に沿った立体的な仕立て方をしていない為だ。
このような日本の「着物」という服飾文化を新しいスタイルで表現したのが、三宅さんの「プリーツ・プリーズ」だったのだ。

「立体的な服作りをしない」ことで、服に人を合わせるのではなく、人に服を合わせるという発想は、欧州ではセンセーショナルなこととして、受け入れられた。
その後を追うように登場する、川久保玲さんや山本耀司さんもアプローチは違うが、「日本」を強く印象付けるデザインで欧州での人気を勝ち得た、ということがある。
ただ残念なことに、川久保玲さんや山本耀司さんに続く、世界的なファッションデザイナーが育っていないように感じている。
もちろん、ファッションの世界を目指す若い人たちは、数多くいると思う。
それが「世界という舞台」で活躍を目標にしているのか?というと、どうなのだろう?

ファストファッションが台頭してから、日本のファッションそのものが、楽しいモノではなくなってきたように感じる事がある。
「奇抜な目を引くファッション」というのではなく、どこかしら個性が感じられるデザインや素材選び等が、横並びになり「価格と合理性」が求められるようになってきているような気がするのだ。
このような社会環境では、新しいデザイナーの誕生は難しいのかもしれない。

三宅さんの訃報は、「日本人の『着るもの』の文化」を、世界に伝える時代の終焉のような気がしている。


地方の伝統工芸に注目し始めたスターバックス

2022-08-08 16:47:03 | ビジネス

ファッション専門誌・WWDを見ていたら、意外なコラボレーション企画の記事があった。
スターバックスが、地域限定のグッズを全国14エリアで販売をしている、という記事だ。
WWD:「スターバックス」が全国14エリアで地域限定のグラスやマグカップを販売 各地の伝統技術にフォーカス 

このような「伝統工芸品」を知らしめるきっかけとなったのは、柳宗悦などが始めた「民芸運動」だろう。「日常生活で使う道具にこそ、美しさがある=生活の中にある美」という考えは、その後様々なカタチで私たちの暮らしの中に根付いてきたと言っても過言ではないかもしれない。
例えば、10年ほど前に盛んに言われた「LOHAS」という考え方や「スローライフ」等は、直接的な「民芸運動」のような「日常生活で使う道具の美」を指しているわけではないが、自分が気に入った道具を長く使う、という考え方も「生活美」と考えられる。

何故スターバックスが、このような「地方の伝統工芸」との共同企画を始めたのだろう?
一つは、スターバックスの「社会貢献」という部分があるだろう。
「地域と共存していく」ということは、これからの企業の大命題の一つでもあるからだ。
スターバックスのような飲食店の主なお客様は、地元の生活者だろう。
地元の「手仕事」を再発見することで、地場産業の還元ということを考えているのでは?ということが考えられる。

流石に江戸切子のグラス3万8500円などは、気軽に購入できる商品ではないが、このような地方の伝統工芸に注目し、コラボレーションをするというのは、全国展開をしているからこそできる事だろう。
扱っている伝統工芸品もスターバックスらしく、コーヒーにまつわるものなので、スターバックスの愛好家にとっては手に取りやすいだろう。
場合によっては、スターバックスの愛好家ではなく、伝統工芸品の愛好家がスターバックスで購入する、ということもあるかもしれない。

WWDの記事のページには、スターバックスだけではなく、ユニクロ等の「海外の途上国の伝統的技術を使ったアクセサリー」等を紹介している。
グローバル企業を目指すのであれば、自社だけの利益を求めるのではなく、地域に対する様々な還元が求められる時代になってきている、ということでもあるのだ。
だが、グローバル企業だからこのような「地域に対する様々な還元が求められているのか?」と言えば、決してそうではないはずだ。
多くの企業は、企業がある地域の生活者から支持をされなくては、企業として成り立つことが難しい、という時代になってきている。
かつてのような「企業城下町」というような意味ではなく、企業がその地域に経済的な面(=雇用という形での経済的還元)だけではなく、文化という支援もまた行うことが求められるようになってきている、ということなのだと思う。

そのような「地域の魅力の発見」をサポートすることが、企業規模に関係なくブランド価値を高める、ということにも繋がっているということなのだ。
「グローバル=海外進出」という概念を一度壊し、自分たちの足元にある文化を再発見することで、これまでとは違うイノベーティブな発想が生まれるのかもしれない。


ヒット曲とチャートハックとの関係

2022-08-06 20:45:06 | マーケティング

Yahoo!のトピックスに、珍しいテーマの記事があった。
KAI-YOU:Billboard運営が警告「チャートハック目的では、音楽を”聴く”とは言えない」

「Billboard」という名前そのものを、ご存じない方もいらっしゃるかもしれない。
米国の音楽ヒットチャートを分析・公表をしている企業だ。
日本の「オリコン」のような企業だと、思っていただければよいかもしれない。
ただ、Billboard誌が毎週発表する音楽チャートは、その国の音楽業界に与える影響が絶大である、という点は理解しておく必要があると思う。
いわゆる「全米音楽チャート〇位」と発表される、音楽チャート=Billboard誌、ということになるからだ。

何故それほど、絶大な影響力があるのか?と言えば、Billboardの総合チャートは「CD売り上げ、ラジオのオンエア回数、ダウンロード回数、ストリーミング回数」に加え、YouTube等の動画再生回数等を集めたデータによる「今、一番聞かれている音楽順位」を発表しているからだ。
その歴史も長く、客観性の高いデータを集める事で、業界内での信頼もある。
かつては、「CashBoxs」という同じ音楽や映画のチャート誌があったが、こちらは「音楽の聴き方」がCDからダウンロード等に変わっていく中で、撤退をしている。
いわば、「音楽チャート=Billboard」ということになる。
そのBillboard誌が、「ファンダム」と呼ばれる熱狂的なファンの行動に対して、警告をし、改ざんされているのでは?と思われるデータを排除する、というが今回の記事の内容だ。

この「ファンダム」という名称そのものは、聞いたことがない方のほうが多いと思う。
私も実は、今回初めて知った言葉なのだが、その行動については心当たりがある。
某アイドルグループの「握手券付きCD」を一人で大量に購入し、CDそのものは二束三文で中古CDショップへ売り払う行為が、「本当のCDセールスと言えるのか?」と話題になったことがあるからだ。
CDセールだけではなく、年末の音楽賞などについても「実力が伴わない受賞」と、言われることもあったように記憶している。
このような話は、音楽ファンでなくとも「あ~~~あのアイドルグループの話か!」と、思い出される方も数多いだろう。

同様のことが、CD以外のダウンロードやストリーミングでも起きている、という。
というよりも、CDそのもののセールが減少していく中、代わりに音楽を聴くツールとして登場したダウンロードやストリーミングにとって代わられた、ということなのだと思う。
その中でBillboard側が注目したのが、Twitterのようだ。
ご存じの通り、Twitterの短い文の中や文章とは別に「#〇〇」とつける事で、「#〇〇」に興味のある人が「♡」を押してくれたり、リツイートをすることで、拡散していくことになる。
いわば、広告宣伝の役割もしているのが「#〇〇」に対する、「♡」やリツイートということになるのだ。
となると、新譜がリリースされると、「ファンダム」と呼ばれる熱狂的なファンたちは、作品についての感想+#〇〇ではなく、「#新譜」+#アイドル名+ダウンロード先やストリーミング先を、自分のTwitterに書き込み、ファン同士がそのようなことを繰り返すことで、トレンドワードの上位に食い込ませ、ダウンロードやストリーミング回数を増やすという、ことを繰り返している、という現実があるという指摘なのだ。

ファン心理として分からないわけではないのだが、音楽ファンであればやはり「音楽を聴いて、自分の感想」をTwitter等に書き込むことの方が、ミュージシャン側にとってもうれしいのでは、ないだろうか?
と同時に、新譜のリリースと共に旧作にも注目してもらい、自分たちの音楽をより深く知ってもらいたい、という気持ちがミュージシャン側にはあると思うのだ。

その一方で、インフルエンサーという言葉が一時期流行したが、今は特定のインフルエンサーではなく、ごく普通の人達のSNSでの評判が、時には大きな宣伝力にもなり、その逆効果も生み出す時代である、ということも感じるのだ。


100%の完成品ではなく、80%の製品を市場が育てる

2022-08-04 20:10:33 | ビジネス

朝、スマホでニュースのチェックをしていると、「面白いな~」という製品の紹介があった。
MBS NEWS:”風のカーテン”で飛沫を遮断!元「シャープ」の技術者集団が開発…スピード勝負で開発に取り組むベンチャー企業に密着

コメント欄には、決して好意的な内容ばかりではなかった。
「好意的ではないコメント」を読みながら、このようなスピード勝負の製品開発の場合は、むしろ好意的ではないコメントが重要なのかもしれない、という気がしたのだ。

日本の企業の場合、「新製品=100%完成品」ということを求めすぎる傾向があると、感じている。
もちろん、人の命を預かるような製品や、一つのバグが社会に大きな影響を与えるような金融システム等は、市場に出す前に何度も試作を繰り返し、安全性が確認されたものでなくては、ならないだろう。

ただ、今回のような「改良の余地あり」という状況で市場に出せる商品やシステムもあるのでは?という、ことなのだ。
随分前の話なので、現在は違うかもしれないが、GAFAの一つであるGoogleは市場に出す時80%位で十分、という考えを持っていると、言われてきた。
当然80%の出来であれば、様々なバグや不具合等が起きる。
Googleはバグや不具合が起きる事を、ある程度想定して市場にシステムを出しているのだ。
その目的は何か?と言えば、このようなITシステムの世界で最重要課題が「スピード」だからだろう。
いち早く、市場に新しいシステムを出すことで、その市場の優位性を保つことができる、という考えだ。

他にあるのは、「ユーザーにとって使いやすさ、便利さをユーザーから教えてもらう」ということもあるのでは?という点だ。
GoogleというIT企業だからこその発想だと思うのだが、「システムを考えた人の使いやすさ」というのは、ある意味「プロが使いやすい」ということかもしれない。
しかし、使う人達の多くは「ITのプロ」ではない。
むしろ「ITそのものを知らない人」という可能性のほうが高い。
だからこそ、AppleやGoogleは、「(誰もが)直観的に使える操作性」ということを求めてきたのでは?
「使いやすさ」の意味と目的が、それまでの日本の企業と大きく違っていたように、思うのだ。

そしてGoogleは、「あなたにとっての使いやすさ・便利さを教えてください」という考えを、押し出すことで「自分もGoogleに操作性等の希望を言っていいんだ!」という、企業に対する意見のハードルを下げる事に成功している。
その結果、ユーザーはGoogleという企業に対して「親しみ」を感じ、自分もGoogleのメンバーの一員という感覚を持つことに成功している(のではないだろうか?)
この「企業に親しみを持ってもらう」ことは、Googleにとって大ききブランド価値を上げるへと繋がる。

そのように考えれば、この「風のカーテン」という製品そのものは、まだまだ「開発途上」の製品かもしれない。
ただ、上述したように、生活者のアイディアが取り込まれるコトで「製品開発に生活者が参加し、企業や製品に対してのブランド価値を高める」ということができる要素がある、ということでもある。

開発にスピードが求められる製品だからこそ、このような「途上の製品を市場が育てる」という、発想が企業側にも必要な気がするのだ。


「新しい資本主義」とは、何だろう?

2022-08-03 14:48:32 | ビジネス

ここ数日、ブログを途中まで書きながら、書き上げる事が出来なかった。
酷暑による体調不良(というよりも、思考力の低下か?)によるところが大きいのだが、ジグソーパズルのピースが合わないような感覚があったからだ。
その理由を考えていたら、不足していたピースが見つかったのだ。
それが、岸田総理が就任当時から言っている「新しい資本主義」だ。
朝日新聞:なぜ日本は格差が広がるのか 吉川洋さんが語る「新しい資本主義」

まず押さえておきたいのが、マルクスの考えた「資本論」だ。
Diamondon-line:3分でわかる!マルクス『資本論』

実際「3分でわかるのか?」と言えば疑問ではあるが、マルクスの「資本論」の理解が無くては、岸田総理の言う「新しい資本主義」の本質が分からない。
個人的に注目したいのが、マルクスの「資本論」の中に、「将来の優秀な労働力の確保」というものがある。
マルクスが生きた時代の言葉なので、今となっては相当乱暴な言葉のように感じるのだが、「将来の優秀な労働力」という言葉を「子どもへの様々な支援」と置き換える事もできるだろう。
ご存じの通り、日本はOECD諸国の中でも、「子どもに対する公的教育支出」が少ないという指摘が、されている。
OECD :iLibrary 日本

このレポートにあるように、日本の場合「私的=ここの家庭による支出」に、支えられているということが分かる。
「ここの家庭による支出=親の経済力」によって、教育の機会に格差が出るというだけではなく、地方では当たり前のように考えられている「男女に対する教育の考え」によっても、その格差が起きている、ということにも繋がっている。
それが、政府が考えるような「昭和のモデル家庭」であれば、まだ様々な面でカバーできていたのが、一人親家庭が増えたりしたことで「教育」に対する支出格差がますます広がってきている、という現実がある。

同様に、昨日報じられた「最低賃金」も関係してくる。
「地方だから生活費が安い」と思われがちだが、決してそのようなことは無い。
物価は安くても、高齢者が多い地域(=地方)であれば、社会保障費等にかかる金額は大きくなる。
必要最低限の生活費そのものが、地域によっては最初から少ない、ということもあり得るのだ。

とすると、岸田総理が考える「新しい資本主義」なるモノは、これらの問題を解決したうえでの「資本主義」ということになるはずだ。
特に「子どもに対する公的支援」となると、そのようなビジョンは政府だけではなく、社会全体の共通理解となっているのだろうか?という、疑問がある。
都市部における「お受験熱」に対し、「地方における大学進学率の低さ」、これらはすべて地続きの問題のはずだ。
これらの問題を解決する一つの方法として、「子どもに余裕のある教育投資」ができるだけの「最低生活費の確保=最低賃金格差の縮小」、ということにも関わってくる問題でもあるのだ。

ただ今の岸田政権を見ていると、このような問題を直視しているようには思えない。
それどころか、安倍元総理の銃殺を発端とした、「政治と金、宗教」という問題すら、うやむやになりそうな気配がある。
岸田総理の考える「新しい資本主義」とは?という内容を分かりやすく、実現可能な立案を国会で論議してほしいのだが…無理かもしれない。