日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

古着からリサイクル繊維 ‐もっと注目されて良い日本の技術‐

2024-02-07 21:25:07 | ビジネス

先日、日経新聞のWebサイトに、セイコーエプソンが「古着から繊維再生の実現化」という内容の記事があった。
日経新聞:セイコーエプソン、衣類を繊維に戻す装置 再生率50%超 

日経の記事にある通り、今後EUでは衣料品の廃棄処分ができなくなることが決まっている。
EU内での処分ができないとなれば、行先はアフリカやアジアで処分ということになるだろう。
その為の経費や海外での廃棄処分が判明した時の企業ダメージを考えると、このような技術は高級ファッションブランドを数多く有するEU内では、期待される技術だろうし、それらの技術を積極的に取り入れ、「再生された繊維で新たなファッションを生み出す」ということそのものが、新たな企業価値を付加することにもなるだろう。

それだけではなく、ファッション産業そのものが「環境汚染産業」というありがたくない指摘を受けている。
朝日新聞:世界2位の環境汚染産業 ファッション業界の地殻変動 繊維製品の回収も拡充へ 

この朝日新聞の記事は、2022年5月30日付けなので、2年前からファッション業界では問題視されていた懸案事項であった、ということになる。
2年ほどで技術が確立したとは思わないが、廃棄処分ではなく新たな繊維としてつくられる、という技術の進歩は大きなことだと思う。
この技術の中心となったのが、日本の企業であるという点でも国内外に対する「日本の再生技術」をアピールできる出来事だろう。

とはいえ、この技術開発のパートナーとなったのは、香港繊維アパレル研究開発センターである、ということも知っておく必要があるだろう。
エプソン(リリース):ドライファイバーテクノロジーを応用した繊維再生の新技術開発へ、HKRITAと協業 

グローバルな時代なのだから、海外の研究所と協業して技術開発を行うのは、やぶさかなことではない。
ただ、もし国内にある同様の研究施設との協業で、このような技術開発がされていたとすれば、そこには膨大な特許権が生まれ、もたらされるモノも大きい。
このようなことに対しての国を含めての積極的な投資が行われない、ということがとても残念な気がする、ということなのだ。

だからこそ、ファッション産業の「環境汚染産業」と言われるゆえんのもう一つの理由「染色」という環境汚染問題に、国を含めての積極的投資をして欲しいと考えている。
というのも、「環境汚染産業」と言われる理由のほとんどが、石油由来の繊維の製造、染色、という点だからだ。

ファッション産業と環境問題は、様々な面がある。
以前「動物虐待」の象徴と言われていた毛皮だが、代わりに搭乗した「フェイクファー」は「環境汚染につながる」と言われるようになった。
リアルな毛皮も化学繊維で作られたフェイクファーも時代に合わなくなってきている。
上述したように「科学染料」による「環境汚染」も、待ったなしの問題として欧州のファッション産業は対応を迫られ始めている。
そのような状況を解決する技術開発が、世界中で求められ始めているということを国も注目して欲しいと、考えている。


食品ロスと恵方巻

2024-02-06 17:39:11 | アラカルト

立春も過ぎ、暦の上では春となった。
立春の前の日と言えば、「(春の)節分」ということになる。
全国各地、神社やお寺等では「節分行事」が行われたはずだ。
今年は、「コロナ禍」が5類相当へ移行し、大きな声を出し豆まきなどが行われたようだ。

そして「節分」と言えば、昨今は豆まきよりも「恵方巻」の方が、メジャーになった感がある。
おそらく、マンションの高層化により「豆まき」そのものができない家庭が増え、代わりに「恵方巻」で「節分気分を味わう」という、家庭が増えたのでは?と、想像している。
生活環境の変化ということになると思うし、ある意味仕方ないとも思っている。

とはいえ「恵方巻」と言えば、「食品ロス」の象徴のようにもなっている。
この場合「恵方巻」という食べ物が、悪いわけではない。
見込み製造の結果、大量の「恵方巻」が食べられることなく、廃棄処分されるという意味だ。

であれば、「子ども食堂」のようなところへ届けるとか、ホームレスの炊き出しに提供する、という方法もあるとは思うのだが、その恵方巻を無償で提供して良いのか?という話が当然出てくる。
以前問題になったのは、コンビニのアルバイトやフランチャイザーのオーナーが、大量購入をし、最終的に廃棄処分をした、ということだったが、どうやらこの時の批判(?)により、本部社員が大量に購入することで「売上」をつくりつつ、廃棄処分をするということになってきているようだ。
Yahoo!:「本部社員が自腹で買い取り」恵方巻の廃棄、消費者は毎年知らずに費用負担 経済・環境・社会への影響大 

自腹負担となれば、当然自腹購入した人にとっては「余分な買い物」ということになる。
それを捨てる為に使うのだから、経済的ロスとなるのは当然だろう。
しかもその量は、大量だ。
セブンイレブン等は5億円超分の恵方巻を処分している、と記事にある。
その処分費用は、誰が出すのか?と言えば、おそらく廃棄処分をする自治体に住む人達ということになるだろう。
見出しにある「消費者は毎年知らずに費用負担」というのは、このことを指している。
勿論、恵方巻をつくった人達の労力も無駄になる、ということだ。

この問題を解決する為には?と考えた時、おせちや恵方巻、クリスマスケーキ等「食品ロス」として名前の上がる「行事食」に関して、「売り切れゴメン+完全予約」という方法くらいしかないのでは?
それほど、世間の人達は「恵方巻」が食べたいのか?と、「何となく節分だから…」という程度の人たちの方が多いのでは?
サイズも「ハーフサイズでも、福を呼ぶ」というキャンペーンをすれば、1本食べることを躊躇していた人たちが、購入するかもしれない。
製造本数を減らし、生活者が食べやすいサイズの「恵方巻」で、十分なのではないだろうか?

行事食というだけではなく、社会的な不安が多い今だからこそ「福を呼び込みたい」と思う人達は多いと思う。
であれば、神社仏閣で行われる「節分会に出かける」という提案があってもよいのでは?と、思うのだ。



テイラー・スウィフトと社会的影響力

2024-02-05 20:19:54 | アラカルト

今日、米国最大の音楽賞である「グラミー賞」の授賞式があった。
今年の話題は、史上最多ノミネート回数のテイラー・スウィフトが、どの部門で受賞をするのか?ということだった。
そして予想通り、最優秀アルバム賞を受賞している。
他にも、主要部門のノミネートが女性で多く、主要部門での受賞者も女性が多かった。
その意味では、昨年の米国音楽シーンをけん引したのは、女性ミュージシャンたちだった、ということになるのだろう。
とはいえ、米国の音楽賞に興味のあるのは洋楽ファン位で、日本国内の話題としての「グラミー賞」の扱いは、決して大きなものではない。
ところが今回、テイラー・スウィフトが受賞したことと連動するかのように、米国のIT企業を動かす騒動が起きている、と日本でも報じられている。
産経新聞:IT大手にも米政権にも広がる波紋 偽画像が拡散が示したテイラー・スウィフトさんの存在感 

これまで日本でも、女性アイドルや女優さんの顔とヌードモデルの写真を合成させ、あたかも顔写真を使われた女性アイドルや女優さんのヌードのように見せる、という輩はいた。
その度ごとに、顔写真を使われた女性アイドルや女優さんが、相手を訴える等の手段で対抗していたような気がするのだが、今回のテイラー・スウィフトの場合、生成AIが創り出したものであったため、IT企業を巻き込む騒動となったようだ。
生成AIが悪いのではなく、このようなプログラムを仕組んだ人が問題なのだが、上述した通り「合成写真をつくる」ということをある種の趣味(というのだろうか?)としている人は、以前からいたし、これからもいるだろう。

とすれば、生成AIでそのようなことができなくなるようにする、というのがIT企業側の防衛策ということになる。
その為に、使われた生成AIのソフトを提供しているIT企業が、一時使用を停止。
拡散させないようにSNSの規制をかける等の方法がとられた、という訳だ。

それだけにとどまらないのは、テイラー・スウィフト自身が、これまでに積極的な政治的発言をしてきたことで、政治への影響力も強くある。
現在次の大統領選挙に向け、共和党、民主党の候補者選び真っただ中ということもあり、その発言が注目されている、という訳だ。
勿論、これまで米国のミュージシャンは、政治的発言をすることに積極的であった。
有名なところでは、ブルース・スプリングスティーンは自作「Born In The U.S.A」の使用について、故レーガン大統領が選挙キャンペーンに使用したことに対して、抗議を行ったということがあった。

それに対して、政治的発言はあるモノのテイラー・スウィフトの場合、ブルース・スプリングスティーンのように表立ったメッセージ性のある楽曲は、無かった気がする。
にもかかわらず、何故テイラー・スウィフトが政治的影響力があるのか?と言えば、それは彼女の音楽以外での話題だろう。

例えば、以前契約をしていたレーベルとの「原盤権」や「盗作疑惑」等で訴えられるものの、裁判の取り下げ等を含めほぼテイラー・スウィフト側が勝っている。
その意味で、テイラー・スウィフトは「戦う女性」でありミュージシャンとしても自分の主張をはっきりできる、という女性という社会的認識が一般的になっているのでは?と、想像することができる。
だからこそ、社会的影響力が大きいと判断したIT企業や政治的影響力がある、という認識が持たれているのだろう。




AIは若者向けのモノではない?‐エイジテック‐

2024-02-04 20:43:36 | ビジネス

朝日新聞のWebサイトに、1月にラスベガスで開催された「CES2024」についての記事があった。
朝日新聞:次のトレンドはIT✕高齢者=「エイジテック」 AI進化で急成長 

AIは当然、ITという言葉を聞くと「若者向け」あるいは「パソコン等に詳しい人向け」という、認識を持たれる方も少なくない。
まして、高齢者となればITは勿論AI等は「無縁」のモノという、感覚を持っている方も多いと思う。
実際、スマートフォン等を使いこなす高齢者を見ると「お年を召しているのに、凄いですね~」という言葉を、かけたくなる。

しかし視点を変えると、「生活をサポートするツール」をITやAIに求めるのであれば、必然的に「社会的ハンディのある人達」が、対象となってくるはずだ。
そして、そのような「社会的ハンディ」がボリュームゾーンとして顕著なのが、「高齢者」ということになる。

また今20代、30代の人達であっても、いつかは「高齢者」と呼ばれる年齢に達する。
まして今や日本では「人生100年時代」とも、言われるようになってきている。
100歳を超える高齢者が、特別な存在ではなく、身近な存在になる、ということでもあるのだ。

とはいっても、加齢に伴う老化は避けられない。
その「老化」を悪いコトとしてとらえる傾向が、強いようにも感じる部分は多々あるが、その「老化」を受け入れた上で「自分らしい生き方と人生のエンドロール」を考える必要があり、その為のサポートツールとしてITやAIを活用しよう、という考えが「エイジテック」ということになるのだろう。

おそらくこのような問題は、先進諸国ではますます重要になってくるだろう。
そう考えると「エイジテック」と呼ばれる市場は、とても大きな市場であると言える。
日本の場合、独居老人と生活ケアを必要としている老人の多くが、重なっているのでは?と考えている。
何故なら、現在実家で独居老人状態の父が、そのような状況だからだ。
デイケアなどを利用しつつも、やはりそれだけでは不安なところもあるし、何より「時代小説が好きだった」父が、興味を失ったということも、心配の種でもある。
興味の対象が代わったのであれば問題はないのだが、本も読まずボンヤリと過ごす日が増え始めている、ということに遠距離介護をしている私としては、不安な部分でもあるのだ。
そのような部分をもしITやAIがカバーできるというのであれば、随分家族の心理的負担も減るのでは?という気がするのだ。

もう一つ忘れてはいけないのは、「社会的ハンディのある人が使い易い」ということは、そうではない人にとっても使い易い、ということでもある。
病気をしたり怪我をすると、日常生活がままならないことになる。
その時、手助けとなるのが「エイジテック」の技術、ということも十分考えられるのだ。
それだけではなく、子育て中に親ごさんにとっても、安心を提供できる技術なのでは?という、気がしている。
何故なら、子供の成長過程は、「できないことができるようになる過程」であり、高齢者の老齢化は「できていたことができなくなる過程」でもあるからだ。

そのような視点で考えると、「エイジテック」という考えは、「ユニバーサル・テック」ということになるのかもしれないし、そのような視点で発展していってほしいと考えている。


「ルッキズム」考

2024-02-02 20:32:50 | 仕事のコツ

先月28日に麻生太郎副総裁が、福岡県芦屋町の講演会で「(上川外相について)そんなに美しい方とは…」と言ったという話題が、まだまだ続いている。
RKB(YouTube):上川陽子外相の容姿「そんなに美しい方とは」麻生太郎氏がまた……能力高く評価しつつ名前も言い間違え 

この報道がされ始めた頃、「麻生さんの暴言がまた…」という意見と「女性を容姿で判断する、古い価値観」と言った意見などがあったように思う。
いわゆる「ルッキズム(=容姿や身体的特徴などで人を判断する)」という批判だった。
それがいつしか、反論をしない上川外相にまで「なぜ反論しないのか?」という、意見まで出るようになった。

麻生さんの発言は、如何にも昭和のオジサンの言葉という気がするのだが、だからと言って反論をしない上川外相に「なぜ反論をしないのか?」という問いかけをするのは、筋違いのような気がする。
何故なら、昭和のOL達はそのような言葉を投げかけられても「常に、にっこり笑って、仕事で成果を出す」ということを、してきたからだ。
そのような体験があるからこそ、「どんな声もありがたい」という言葉で、回避しているのだ。
日経新聞:上川陽子外相「どんな声もありがたい」麻生氏の容姿発言に 

しかしそれは昭和という時代の話であって、今麻生さんのような発言をすれば「セクハラ」と言われることは目に見えているし、言われても当然だろう。
残念ながら、麻生さん位の年齢になってしまえば、「なぜこんなに言われなくてはならないのか?」という疑問を持っているだろうし、今日の謝罪の言葉にしても、今回の件を収める為の謝罪なのでは?と、感じている。
そもそも現在の自民党が置かれている立場は、「裏金問題」で追及され、岸田政権だけではなく自民党そのもの危機だからだ。
そこに、副総裁という役職者の「セクハラ発言」が加われば、自民党のダメージはより大きくなってしまう。
そのことを気にしての謝罪と考えるのが、妥当な気がする。

ところでこの「ルッキズム」ということについて、もう少し考える必要があるのでは?と、感じている。
それは、世間一般的にポジティブな意味で使われている言葉にも「ルッキズム」表現があるからだ。
例えば、見目麗しい男性に向けて使われる「イケメン」。
この言葉もまた、「ルッキズム」の象徴のような言葉なのでは、ないだろうか?
そして「イケメン」という言葉があるのであれば、当然対義語となる言葉もあるはずだ。
面と向かってそのような言葉を言う人は、少ないと思うし、例えショックを受けていたとしても、「男がそんな言葉で、くよくよするな」と、言われるのがオチだろう。

これらの言葉に共通することは、「発言者の主観によるところが大きい言葉」ということだ。
ということは、発言者が違えば同様の言葉を使わないかもしれない、ということでもある。
このような「主観による言葉」は、キャッチコピー等をつくる場合、用心すべき言葉でもある。
それは「受け手となる生活者に不快感を与えかねない」からだ。
まるで言葉狩りのように思えるかもしれないが、「主観による言葉」というのは、それだけ情報発信をするときにリスクの多い言葉である、ということなのだ。

「主観による言葉」は、一見素直な心の発露のようにも思えるのだが、実は思慮に欠ける言葉でもある。
コミュニケーションにおける最大の力となる「言葉」だからこそ、思慮が必要なのだ。