都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「三宅砂織 『CONSTELLATION』」 Yuka Sasahara Gallery
Yuka Sasahara Gallery(新宿区西五軒町3-7 高橋工芸社ビル3階)
「三宅砂織 『CONSTELLATION』」
10/13-11/17
写真やペインティングなどの平面作品を中心に制作を続けるという、三宅沙織(1975~)の東京初個展です。アルミ、フォトグラムなどを用いて多様な表現を試みています。

ともかく印象深いのは、フィルムに点を描き、それを紙に焼き付けてプリントするというフォトグラムの作品です。少女たちがどこかメルヘンを思わせる世界に漂っていますが、その白い点などが刺繍のようにモチーフを象っています。まるで白いレースを解いて、その糸で描いたような感覚とも言えるかもしれません。また、シャボン玉のように浮く水玉模様の装飾も幻想的でした。夢心地の空間を見る思いがします。
アルミ板を用いたペインティングも充実しています。ここでは主にメリーゴーランドやその乗り物の馬などが、水墨画を思わせるようなタッチで描かれています。そしてこれらも上のフォトグラムと同じように、一種の少女趣味的な雰囲気がにじみ出ていますが、その他、彩色の絵画やオブジェなどを見ると、単にそうした要素だけを表現したのではないということが良く分かりました。ようは、メリーゴーランドの馬の上で首つりをするかような少女も描かれていたりするわけです。
決して派手ではありませんが、一見、作品より隠されたような毒々しい表現には感じるものがありました。
今月17日までの開催です。(11/9)
「三宅砂織 『CONSTELLATION』」
10/13-11/17
写真やペインティングなどの平面作品を中心に制作を続けるという、三宅沙織(1975~)の東京初個展です。アルミ、フォトグラムなどを用いて多様な表現を試みています。

ともかく印象深いのは、フィルムに点を描き、それを紙に焼き付けてプリントするというフォトグラムの作品です。少女たちがどこかメルヘンを思わせる世界に漂っていますが、その白い点などが刺繍のようにモチーフを象っています。まるで白いレースを解いて、その糸で描いたような感覚とも言えるかもしれません。また、シャボン玉のように浮く水玉模様の装飾も幻想的でした。夢心地の空間を見る思いがします。
アルミ板を用いたペインティングも充実しています。ここでは主にメリーゴーランドやその乗り物の馬などが、水墨画を思わせるようなタッチで描かれています。そしてこれらも上のフォトグラムと同じように、一種の少女趣味的な雰囲気がにじみ出ていますが、その他、彩色の絵画やオブジェなどを見ると、単にそうした要素だけを表現したのではないということが良く分かりました。ようは、メリーゴーランドの馬の上で首つりをするかような少女も描かれていたりするわけです。
決して派手ではありませんが、一見、作品より隠されたような毒々しい表現には感じるものがありました。
今月17日までの開催です。(11/9)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
「畠山直哉 『Slow Glass』」 高橋コレクション
高橋コレクション(新宿区西五軒町3-7 ミナト第3ビル3階)
「畠山直哉 『Slow Glass』」
10/13-11/24

水玉に濡れるフロントガラス越しに捉えられていたのは、雨に泣く街角の光景でした。写真家、畠山直哉の個展です。
タイトルにもある「Slow Glass」とは、とあるSF小説に出てくる「光の速度を遅らせるガラス」という素材にインスピレーションを得ています。上に挙げた作品でも、鮮やかな光がまるで帯のように空間を舞い、通常なら一瞬間で消えてしまうその痕跡を確かに残していました。ちょうど夜の都会を車で猛スピードで駆け抜け、その瞬くネオンだけが目に焼き付いたとでも言えるような世界かもしれません。鮮やかに色付く光の稲妻が空を引き裂いています。
ビルや邸宅などを写した作品も印象に残りました。遠目からでは水玉に覆われてぼんやりとしか浮かび上がりませんが、個々の水玉に近づくと、その隠されたリアルの光景が比較的鮮明に見えてきます。もちろんその光景は上下に反転されたものです。レンズとガラスを通して屈折した外界が、光の色だけにも還元されて美しく表現されていました。
どしゃぶりの雨の中で車に乗っていると、たとえそれが銀座のど真ん中を走っていようとも奇妙な孤独感に襲われることがあります。畠山の作品を見てそんなことも思い出しました。
今月24日までの開催です。(11/9)
「畠山直哉 『Slow Glass』」
10/13-11/24

水玉に濡れるフロントガラス越しに捉えられていたのは、雨に泣く街角の光景でした。写真家、畠山直哉の個展です。
タイトルにもある「Slow Glass」とは、とあるSF小説に出てくる「光の速度を遅らせるガラス」という素材にインスピレーションを得ています。上に挙げた作品でも、鮮やかな光がまるで帯のように空間を舞い、通常なら一瞬間で消えてしまうその痕跡を確かに残していました。ちょうど夜の都会を車で猛スピードで駆け抜け、その瞬くネオンだけが目に焼き付いたとでも言えるような世界かもしれません。鮮やかに色付く光の稲妻が空を引き裂いています。
ビルや邸宅などを写した作品も印象に残りました。遠目からでは水玉に覆われてぼんやりとしか浮かび上がりませんが、個々の水玉に近づくと、その隠されたリアルの光景が比較的鮮明に見えてきます。もちろんその光景は上下に反転されたものです。レンズとガラスを通して屈折した外界が、光の色だけにも還元されて美しく表現されていました。
どしゃぶりの雨の中で車に乗っていると、たとえそれが銀座のど真ん中を走っていようとも奇妙な孤独感に襲われることがあります。畠山の作品を見てそんなことも思い出しました。
今月24日までの開催です。(11/9)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
「特別展覧会 狩野永徳」 京都国立博物館
京都国立博物館(京都市東山区茶屋町527)
「特別展覧会 狩野永徳」
10/16-11/18

10月末に関西へ出向いたのも全てはこの展覧会のためでした。激動の桃山時代を駆け抜けた稀有な絵師の画業を、史上初めて一堂に総覧します。京博の永徳展です。
展示の構成は以下の通りです。大まかに言えば中央室(セクション4)の「洛中洛外図屏風」を挟んで、前半が水墨画、後半が金碧障壁画という流れになっていました。
1「墨を極める」:初期から晩年までの水墨画。「花鳥図襖」、「許由巣父図」など。
2「永徳と扇面画」:永徳の扇面画。
3「為政者たちのはざまで」:狩野派、及び永徳と権力者の関わり。「織田信長像」など。
4「時代の息づかい - 風俗画 - 」:代表作「洛中洛外図屏風」、新発見の「洛外名所遊楽図屏風」など。
5「桃山の華 - 金碧障壁画 - 」:狩野派と障壁画。「群仙図襖」。
6「壮大なる金碧大画」:「唐獅子図屏風」と「檜図屏風」。
まず一通りを見て感じたのは、永徳画の真髄は人物表現にあるのではないかということです。実はこの展示に行く前、私の関心は「唐獅子図」や「檜図屏風」などのどちらかと言えば剛胆な大画にありましたが、実際に時間を割いて見入ったのは「洛中洛外図屏風」をはじめとする精緻な風俗画、及び水墨画における実に表情豊かな人物の描写でした。また真に迫る「織田信長像」は、思わず目を背けたくなってしまうほどの威圧感を覚えます。今回、特に印象深い上位三点を挙げるとしたら一に豪華絢爛な「洛中洛外図屏風」、二に冷酷無比の「織田信長像」、そして三に威風堂々の「唐獅子図」となるかもしれません。

そもそもいかにも狩野派的と言えるような山水図は好きではありませんが、永徳の「琴棋書画図襖」による人物の快活な表情には非常に魅力的なものを感じます。全体の構図は、元信の影響をも伺わせる厳格さを見せていますが、そこに現れる人々が、まさにふき出し枠があっても違和感のないほど豊かな面持ちにて描かれているのです。またそれは「二十四孝図屏風」でも同様で、例えば虎と対峙する二人の男性の滑稽な表情や、赤ん坊を抱いて話し込む微笑ましい女性の顔が、颯爽としながらも細やかなタッチにて鮮やかに示されています。永徳の簡素な筆が人物を象るということは、そこへ魂が吹き込まれるのと同義なのかもしれません。今にも画中の人物が動き出しそうな気配すら感じさせています。

その画における魂という点で白眉なのが、かの凄惨な「織田信長像」でしょう。青白く、また細い面長の顔は、まるで物の怪に取り憑かれたように険しく不気味ですが、例えば眉間によった皺や横に切れた目、そして太い鼻などに、神経質でかつ猜疑心にとらわれながらも、本質を見抜く知性と強い意思を感じ取れるようにも思えました。ちなみにこの作品はおそらく信長没後の遺像ではないかということですが、当時、これを見た人々は、故人をも越えてしまうように迫力のある信長の再来に怖れおののいたのではないでしょうか。息をのむような緊張感が強く発せられています。

個々にドラマを持つ計2485名の人物が、一つの混沌とした都市を生み出す様を捉えた「洛中洛外図屏風」はもはや圧巻と言う他ありません。一度の観賞にてこの屏風の全てを追うのは不可能ですが、どの場面においても時代を越え、あたかも見る側までが息づく人々の輪に加われるかのような臨場感に溢れた光景が表現されています。また全体を覆う金雲も効果的です。雲によってそれぞれの空間が繋げられ、全体の一体感が生み出されているのはもちろんのこと、それこそ例えばWEB上の地図などを拡大して地上に降りていくかのような感覚、つまりは上空から雲をかき分け、目を凝らして見ることでようやく開けてくる街の賑わいと言うような、まさに京の街を高みから俯瞰してさらに覗き込むような気分を味わうことが出来るのです。前もって抱いていた金雲が多いのではないかという印象は、実物を前にすると完全に消え失せました。雲が視線を下界へ巧みに誘導します。スケール感は適切です。
金碧障壁画では、州信印の「四季花鳥図屏風」や伝永徳の「秋草図屏風」などよりも、やはり上でも触れたような魂の宿る人物の登場する「群仙図襖」や「二十四孝図襖」(伝永徳)に見応えがありました。ともに地の金箔が一部剥離しているという状態に難のある作品ではありますが、例えば見送りの者たちを従えて白鶴で空を駆ける仙人などは実に飄々とした様で描かれています。ここには、水墨の「琴棋書画図襖」などに通じる永徳の冴えた人物表現を見ることも出来そうです。

二頭の獅子が、信長と秀吉のイメージに重ねられることも多いという「唐獅子図屏風」は、その大きさからして大変に圧倒的です。図版を見ていただけでは到底思いもつかないような縦2メートル20センチ、横4メートル半という巨大な画面の中で進み行くのは、まさしく戦乱の桃山を踏みつけて歩く王者の姿でした。また、獅子の隆々とした体躯やその燃え上がるような尾、そして空間をザックリと切り刻むかのようにせり上がる岩などが大変な重量感をもって表現されています。それにしてもこれだけの大画面でありながらも構成、または細部が散漫にならないところが殆ど驚異です。見る側としては、それこそ物陰にでも姿をくらまして、この勇ましい獅子の通り過ぎる様を待つしかありません。目の合った瞬間、かの鋭い牙で噛み砕かれてしまいそうな恐怖感さえ覚えました。

身悶えの「檜図屏風」はもはや病的と言えるでしょう。幹は狭まった上下の空間を突き抜けるようにそびえ立ち、枝はあたかも笞を振ってのたうち回っているかのように空間を切り刻んでいました。襖より改装されたという屏風の場に全く収まりきらないこの激しい巨木は、自身の運命の最後を知って、それを呪いながら雄叫びを挙げるかの如く苦しんでいます。ここに、時代を駆け抜け、燃え尽きるかのように人生を閉じた永徳、さらには疾風の如く過ぎ去った桃山時代そのものの断末魔の叫びが示されているのかもしれません。この屏風を冷静に正視するのは困難でした。
会期はあと一週間です。平日の日中でもゆうに一時間を越える待ち時間が出ているそうですが、まさに一期一会の展覧会として語り継がれていくような内容であることは間違いないのではないでしょうか。また一人一人の鑑賞者に「永徳とは何ぞや。」という問いを投げかける展示でもあります。彼への熱い眼差しは今始まったばかりです。
今月17日までの開催です。(10/26)
「特別展覧会 狩野永徳」
10/16-11/18

10月末に関西へ出向いたのも全てはこの展覧会のためでした。激動の桃山時代を駆け抜けた稀有な絵師の画業を、史上初めて一堂に総覧します。京博の永徳展です。
展示の構成は以下の通りです。大まかに言えば中央室(セクション4)の「洛中洛外図屏風」を挟んで、前半が水墨画、後半が金碧障壁画という流れになっていました。
1「墨を極める」:初期から晩年までの水墨画。「花鳥図襖」、「許由巣父図」など。
2「永徳と扇面画」:永徳の扇面画。
3「為政者たちのはざまで」:狩野派、及び永徳と権力者の関わり。「織田信長像」など。
4「時代の息づかい - 風俗画 - 」:代表作「洛中洛外図屏風」、新発見の「洛外名所遊楽図屏風」など。
5「桃山の華 - 金碧障壁画 - 」:狩野派と障壁画。「群仙図襖」。
6「壮大なる金碧大画」:「唐獅子図屏風」と「檜図屏風」。
まず一通りを見て感じたのは、永徳画の真髄は人物表現にあるのではないかということです。実はこの展示に行く前、私の関心は「唐獅子図」や「檜図屏風」などのどちらかと言えば剛胆な大画にありましたが、実際に時間を割いて見入ったのは「洛中洛外図屏風」をはじめとする精緻な風俗画、及び水墨画における実に表情豊かな人物の描写でした。また真に迫る「織田信長像」は、思わず目を背けたくなってしまうほどの威圧感を覚えます。今回、特に印象深い上位三点を挙げるとしたら一に豪華絢爛な「洛中洛外図屏風」、二に冷酷無比の「織田信長像」、そして三に威風堂々の「唐獅子図」となるかもしれません。

そもそもいかにも狩野派的と言えるような山水図は好きではありませんが、永徳の「琴棋書画図襖」による人物の快活な表情には非常に魅力的なものを感じます。全体の構図は、元信の影響をも伺わせる厳格さを見せていますが、そこに現れる人々が、まさにふき出し枠があっても違和感のないほど豊かな面持ちにて描かれているのです。またそれは「二十四孝図屏風」でも同様で、例えば虎と対峙する二人の男性の滑稽な表情や、赤ん坊を抱いて話し込む微笑ましい女性の顔が、颯爽としながらも細やかなタッチにて鮮やかに示されています。永徳の簡素な筆が人物を象るということは、そこへ魂が吹き込まれるのと同義なのかもしれません。今にも画中の人物が動き出しそうな気配すら感じさせています。

その画における魂という点で白眉なのが、かの凄惨な「織田信長像」でしょう。青白く、また細い面長の顔は、まるで物の怪に取り憑かれたように険しく不気味ですが、例えば眉間によった皺や横に切れた目、そして太い鼻などに、神経質でかつ猜疑心にとらわれながらも、本質を見抜く知性と強い意思を感じ取れるようにも思えました。ちなみにこの作品はおそらく信長没後の遺像ではないかということですが、当時、これを見た人々は、故人をも越えてしまうように迫力のある信長の再来に怖れおののいたのではないでしょうか。息をのむような緊張感が強く発せられています。

個々にドラマを持つ計2485名の人物が、一つの混沌とした都市を生み出す様を捉えた「洛中洛外図屏風」はもはや圧巻と言う他ありません。一度の観賞にてこの屏風の全てを追うのは不可能ですが、どの場面においても時代を越え、あたかも見る側までが息づく人々の輪に加われるかのような臨場感に溢れた光景が表現されています。また全体を覆う金雲も効果的です。雲によってそれぞれの空間が繋げられ、全体の一体感が生み出されているのはもちろんのこと、それこそ例えばWEB上の地図などを拡大して地上に降りていくかのような感覚、つまりは上空から雲をかき分け、目を凝らして見ることでようやく開けてくる街の賑わいと言うような、まさに京の街を高みから俯瞰してさらに覗き込むような気分を味わうことが出来るのです。前もって抱いていた金雲が多いのではないかという印象は、実物を前にすると完全に消え失せました。雲が視線を下界へ巧みに誘導します。スケール感は適切です。
金碧障壁画では、州信印の「四季花鳥図屏風」や伝永徳の「秋草図屏風」などよりも、やはり上でも触れたような魂の宿る人物の登場する「群仙図襖」や「二十四孝図襖」(伝永徳)に見応えがありました。ともに地の金箔が一部剥離しているという状態に難のある作品ではありますが、例えば見送りの者たちを従えて白鶴で空を駆ける仙人などは実に飄々とした様で描かれています。ここには、水墨の「琴棋書画図襖」などに通じる永徳の冴えた人物表現を見ることも出来そうです。

二頭の獅子が、信長と秀吉のイメージに重ねられることも多いという「唐獅子図屏風」は、その大きさからして大変に圧倒的です。図版を見ていただけでは到底思いもつかないような縦2メートル20センチ、横4メートル半という巨大な画面の中で進み行くのは、まさしく戦乱の桃山を踏みつけて歩く王者の姿でした。また、獅子の隆々とした体躯やその燃え上がるような尾、そして空間をザックリと切り刻むかのようにせり上がる岩などが大変な重量感をもって表現されています。それにしてもこれだけの大画面でありながらも構成、または細部が散漫にならないところが殆ど驚異です。見る側としては、それこそ物陰にでも姿をくらまして、この勇ましい獅子の通り過ぎる様を待つしかありません。目の合った瞬間、かの鋭い牙で噛み砕かれてしまいそうな恐怖感さえ覚えました。

身悶えの「檜図屏風」はもはや病的と言えるでしょう。幹は狭まった上下の空間を突き抜けるようにそびえ立ち、枝はあたかも笞を振ってのたうち回っているかのように空間を切り刻んでいました。襖より改装されたという屏風の場に全く収まりきらないこの激しい巨木は、自身の運命の最後を知って、それを呪いながら雄叫びを挙げるかの如く苦しんでいます。ここに、時代を駆け抜け、燃え尽きるかのように人生を閉じた永徳、さらには疾風の如く過ぎ去った桃山時代そのものの断末魔の叫びが示されているのかもしれません。この屏風を冷静に正視するのは困難でした。
会期はあと一週間です。平日の日中でもゆうに一時間を越える待ち時間が出ているそうですが、まさに一期一会の展覧会として語り継がれていくような内容であることは間違いないのではないでしょうか。また一人一人の鑑賞者に「永徳とは何ぞや。」という問いを投げかける展示でもあります。彼への熱い眼差しは今始まったばかりです。
今月17日までの開催です。(10/26)
コメント ( 16 ) | Trackback ( 0 )
「マラブ・太陽 野口里佳」 ギャラリー小柳
ギャラリー小柳(中央区銀座1-7-5 小柳ビル8階)
「マラブ・太陽 野口里佳」
10/27-11/30
ピンホールカメラを用いて微睡みの風景を捉える野口里佳の個展です。太陽の色を抽出した「太陽」一点と、コウノトリの一種であるマラブという鳥を写す「マラブ」シリーズなどが展示されています。

一連の「マラブ」は、インスタレーションとして見ても美感に秀でています。暗がりの展示室をぐるっと一周、取り囲むようにして写し出されたマラブは、あたかも作り物ように殆ど動かず、ただ茂みの中でぼんやりと立っていました。草の緑や花の黄色、そして木漏れ日がブレンドされて澱んだ光景に、ただ一羽のマラブだけがピンホールカメラに追われているのです。そもそもマラブとは飛ぶこともなく、あまり動きのない鳥だとのことですが、野口のカメラを通すと、あたかもそれをビデオに映し出してじっと観察しているかのような感覚も味わうことが出来ます。そう言う意味では映像的です。
テーブルのように置かれた「白い紙」も印象に残りました。どこかのスキー場を映し出した写真なのでしょうか。横1.4メートル、縦1メートルはあろうかという画面に、雪より溢れ出さんとするばかりの白が捉えられています。そう言えば「太陽」もその輝かしいオレンジ色が飛び出すばかりに滲み出していました。一つの風景が溶け合ってある特定の色に還元されていく、または、さながら失われた記憶を辿りながら何とか脳裏に映像を絞り出すような気分も感じられる作品です。
今月末まで開催されています。(11/9)
「マラブ・太陽 野口里佳」
10/27-11/30
ピンホールカメラを用いて微睡みの風景を捉える野口里佳の個展です。太陽の色を抽出した「太陽」一点と、コウノトリの一種であるマラブという鳥を写す「マラブ」シリーズなどが展示されています。

一連の「マラブ」は、インスタレーションとして見ても美感に秀でています。暗がりの展示室をぐるっと一周、取り囲むようにして写し出されたマラブは、あたかも作り物ように殆ど動かず、ただ茂みの中でぼんやりと立っていました。草の緑や花の黄色、そして木漏れ日がブレンドされて澱んだ光景に、ただ一羽のマラブだけがピンホールカメラに追われているのです。そもそもマラブとは飛ぶこともなく、あまり動きのない鳥だとのことですが、野口のカメラを通すと、あたかもそれをビデオに映し出してじっと観察しているかのような感覚も味わうことが出来ます。そう言う意味では映像的です。
テーブルのように置かれた「白い紙」も印象に残りました。どこかのスキー場を映し出した写真なのでしょうか。横1.4メートル、縦1メートルはあろうかという画面に、雪より溢れ出さんとするばかりの白が捉えられています。そう言えば「太陽」もその輝かしいオレンジ色が飛び出すばかりに滲み出していました。一つの風景が溶け合ってある特定の色に還元されていく、または、さながら失われた記憶を辿りながら何とか脳裏に映像を絞り出すような気分も感じられる作品です。
今月末まで開催されています。(11/9)
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
「小西真奈『どこでもない場所』」 ARATANIURANO
ARATANIURANO(中央区新富2-2-5 新富二丁目ビル3階)
「小西真奈『どこでもない場所』」
10/27-12/1

実際の光景を絵画化する過程において「どこでもない場所」へと転化させているという、小西真奈(1968~)の個展です。エッジも利いた、面を強く感じさせる颯爽としたタッチにて、海辺の光景などをどこか寂し気に表しています。

展示では、横2メートルの大作ドローイングと、それにモチーフを借りた小品など数点が紹介されていますが、とりわけ惹かれたのはグレーを基調に海岸線をまとめた「Movie.2007」でした。一本の道が三角形を描くように曲がって海へと伸び、その向こうには、まるで氷山のように白んだ岩場に遮られた海が広がっています。印象的なのは、浜辺で佇む数名の人間の様子です。場違いなスーツ姿の男性などが傘をさしながらぼんやりと歩き、また立ち止まっていますが、それらはあたかも体だけがそこに映し出され、実際の人間は全く別の場所にあるかのような空疎な気配を漂わせているのです。海辺も人間たちもどこにでもありそうな景色ではありますが、不思議と両者を組み合わせると非現実的な、全く奇怪で夢のような心象風景へと変化していました。
ここアラタニウラノと同時に、有楽町の第一生命ギャラリーでも彼女の作品が展示されています。そちらも拝見出来ればと思いました。
12月1日までの開催です。(11/9)
*関連リンク
projectN(オペラシティアートギャラリー) 小西真奈
VOCA2006:VOCA賞を受賞しています。
「小西真奈『どこでもない場所』」
10/27-12/1

実際の光景を絵画化する過程において「どこでもない場所」へと転化させているという、小西真奈(1968~)の個展です。エッジも利いた、面を強く感じさせる颯爽としたタッチにて、海辺の光景などをどこか寂し気に表しています。

展示では、横2メートルの大作ドローイングと、それにモチーフを借りた小品など数点が紹介されていますが、とりわけ惹かれたのはグレーを基調に海岸線をまとめた「Movie.2007」でした。一本の道が三角形を描くように曲がって海へと伸び、その向こうには、まるで氷山のように白んだ岩場に遮られた海が広がっています。印象的なのは、浜辺で佇む数名の人間の様子です。場違いなスーツ姿の男性などが傘をさしながらぼんやりと歩き、また立ち止まっていますが、それらはあたかも体だけがそこに映し出され、実際の人間は全く別の場所にあるかのような空疎な気配を漂わせているのです。海辺も人間たちもどこにでもありそうな景色ではありますが、不思議と両者を組み合わせると非現実的な、全く奇怪で夢のような心象風景へと変化していました。
ここアラタニウラノと同時に、有楽町の第一生命ギャラリーでも彼女の作品が展示されています。そちらも拝見出来ればと思いました。
12月1日までの開催です。(11/9)
*関連リンク
projectN(オペラシティアートギャラリー) 小西真奈
VOCA2006:VOCA賞を受賞しています。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
「開館50周年 特別記念展」(後期展示) 逸翁美術館
逸翁美術館(大阪府池田市建石町7-17)
「開館50周年 特別記念展」(後期展示)
10/27-12/9

逸翁美術館についてはこちらのエントリでもご紹介しました。開催中の特別記念展です。佐竹本藤原高光や大江山絵詞をはじめ、光信の秀吉像、長次郎や道入、それに光悦や乾山の茶碗、さらには蕪村の奥の細道画巻などが出品されています。まさに開館50周年の記念年に相応しいラインナップです。
作品画像がないのでお伝えし難いのですが、通称プラチナ経とも呼ばれる「大方廣仏華厳経(二月堂焼経切)」(奈良時代)の美しさには目を奪われました。これは端正な書体で経の書かれた紺紙の軸ですが、その表面がまさにプラチナ経と言われる由縁の通り、やや灰色がかった白に輝いています。ちなみに下部の破損は1667年、お水取りの際に焼けてしまった跡だそうです。歴史を感じさせます。
本人に見せて選ばれた一枚とも伝えられる、狩野光信の「豊臣秀吉画像」(桃山時代)も展示されています。悠然とした構えでありながらも、どこか睨みを利かせた眼差しで前を向く秀吉の姿が捉えられていますが、特にその目の描写が、京博の永徳展の「織田信長像」に極めて似ていました。(永徳展の図録にも説明されています。)永徳がこの画を見て、かの迫力ある信長像を完成させたのかもしれません。

茶人逸翁のコレクションを公開する美術館と言うこともあってか、茶器の展示が非常に充実していました。ここではお馴染みの樂に見る深い味わいにも惹かれるところですが、志野焼の「志野柑子口花入」も大変に魅力的です。そもそも志野の花入自体が非常に珍しい品ですが、温かみのある白い釉薬に少し歪んだ胴、そして全体のずんぐりとした形にはどこか愛嬌を感じてしまいます。またその他では「信楽手付鉢 銘大やぶれ」も挙げたいところです。まずは火割れして出来たという大きな裂け目が印象に残りますが、あたかも今先ほどまで竈に入れられていたかのような赤々とした色も目に焼き付きます。それにしてもこの存在感は圧倒的です。這うような取っ手や歪みきったフォルムの生み出す力強さは見事でした。(そもそもは失敗作として伝えられた作品です。)

「大江山絵詞」(南北朝時代)も見応えありました。これは勅命を受けた源頼光が大江山の鬼神を対峙する絵巻物ですが、ここでは目が5個はあろうかという赤鬼の首を大勢の武士が切り落とそうとしています。おどろおどろしい顔から血が吹き飛ぶ様はまさにグロテスクです。色も比較的鮮やかに残っています。

門外不出の「佐竹本藤原高光」や、応挙の「雪中松図屏風」なども出品されています。ちなみに後者の応挙の構図は、かの三井記念美術館の誇る「雪松図」とほぼ同じです。「雪中松図屏風」は「雪松図」よりも少し早い時期に描かれたものですが、確かに細部の表現こそ「雪松図」に遠く及ばないとは言え、遠目からだとまるで複製だと勘違いしてしまうほどでした。一度、並べて拝見してみたいものです。
風情ある建物で味わう日本美術の優品はまた格別です。12月9日まで開催されています。(10/27)
「開館50周年 特別記念展」(後期展示)
10/27-12/9

逸翁美術館についてはこちらのエントリでもご紹介しました。開催中の特別記念展です。佐竹本藤原高光や大江山絵詞をはじめ、光信の秀吉像、長次郎や道入、それに光悦や乾山の茶碗、さらには蕪村の奥の細道画巻などが出品されています。まさに開館50周年の記念年に相応しいラインナップです。
作品画像がないのでお伝えし難いのですが、通称プラチナ経とも呼ばれる「大方廣仏華厳経(二月堂焼経切)」(奈良時代)の美しさには目を奪われました。これは端正な書体で経の書かれた紺紙の軸ですが、その表面がまさにプラチナ経と言われる由縁の通り、やや灰色がかった白に輝いています。ちなみに下部の破損は1667年、お水取りの際に焼けてしまった跡だそうです。歴史を感じさせます。
本人に見せて選ばれた一枚とも伝えられる、狩野光信の「豊臣秀吉画像」(桃山時代)も展示されています。悠然とした構えでありながらも、どこか睨みを利かせた眼差しで前を向く秀吉の姿が捉えられていますが、特にその目の描写が、京博の永徳展の「織田信長像」に極めて似ていました。(永徳展の図録にも説明されています。)永徳がこの画を見て、かの迫力ある信長像を完成させたのかもしれません。


茶人逸翁のコレクションを公開する美術館と言うこともあってか、茶器の展示が非常に充実していました。ここではお馴染みの樂に見る深い味わいにも惹かれるところですが、志野焼の「志野柑子口花入」も大変に魅力的です。そもそも志野の花入自体が非常に珍しい品ですが、温かみのある白い釉薬に少し歪んだ胴、そして全体のずんぐりとした形にはどこか愛嬌を感じてしまいます。またその他では「信楽手付鉢 銘大やぶれ」も挙げたいところです。まずは火割れして出来たという大きな裂け目が印象に残りますが、あたかも今先ほどまで竈に入れられていたかのような赤々とした色も目に焼き付きます。それにしてもこの存在感は圧倒的です。這うような取っ手や歪みきったフォルムの生み出す力強さは見事でした。(そもそもは失敗作として伝えられた作品です。)

「大江山絵詞」(南北朝時代)も見応えありました。これは勅命を受けた源頼光が大江山の鬼神を対峙する絵巻物ですが、ここでは目が5個はあろうかという赤鬼の首を大勢の武士が切り落とそうとしています。おどろおどろしい顔から血が吹き飛ぶ様はまさにグロテスクです。色も比較的鮮やかに残っています。

門外不出の「佐竹本藤原高光」や、応挙の「雪中松図屏風」なども出品されています。ちなみに後者の応挙の構図は、かの三井記念美術館の誇る「雪松図」とほぼ同じです。「雪中松図屏風」は「雪松図」よりも少し早い時期に描かれたものですが、確かに細部の表現こそ「雪松図」に遠く及ばないとは言え、遠目からだとまるで複製だと勘違いしてしまうほどでした。一度、並べて拝見してみたいものです。
風情ある建物で味わう日本美術の優品はまた格別です。12月9日まで開催されています。(10/27)
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
「大徳川展」(前期展示) 東京国立博物館
東京国立博物館・平成館(台東区上野公園13-9)
「大徳川展」(前期展示)
10/10-12/2(前期:10/10-11/4、後期:11/6-12/2)

前期展示の最終日に見てきました。全300点にも及ぶ徳川家ゆかりの宝物が、東博・平成館を所狭しと埋め尽くす「大徳川展」です。そのスケール、そして会場の混雑においても並外れた展覧会でした。
構成は以下の通りです。ちなみに会場の半分が「第一章」で占められています。(第一会場=第一章、第二会場=第二、三章。)
第一章「将軍の威光」
歴代将軍所有の武具や工芸品など。また「東照大権現」として祀られた家康の神格化の過程を辿る。
第二章「格式の美」
将軍の威光を示す茶器や能装束。秀忠による尾張家への「御成」の際の茶室を再現。
第三章「姫君のみやび」
将軍家婚礼の品々を公開。東福門院和宮の調度品など。

ともかく光圀の例の印籠や家康所用の鎧、それに源氏物語絵巻から茶入れ、または応挙、探幽らの軸や屏風までが揃う展示です。全てに力を入れて見ると何時間かかるかわかりません。と言うことで、実際のところあまり関心のない徳川家関連の工芸や資料などは流し目で見て、まずは茶道具、絵画、屏風などを中心に楽しむことにしました。すると見るべき作品は意外と少なく定まってきます。上の構成で挙げると、主に第二会場にある品々です。

まず茶器で目を引くのは大名物といわれる茶入です。前期展示では合わせて三点ほど紹介されていましたが、中でも「銘新田」(南宋時代。前期)に見入りました。これは利休が天下一の茶入れと称し、秀吉も愛用していた品ですが、後の大阪城落城の際、家康がわざわざ探させて見つけ出し、そして水戸家に伝わったというものであるそうです。斑模様にかかる深みのある釉薬が、仄かな銀色に輝いています。

大名物ではありませんが、長らく行方不明で、何と今年になって発見されたという茶入「銘秋野」(南宋時代。通期)も印象に残りました。どこか可愛らしくも見える、おちょぼ口のような開口部が特徴的です。また器関連では、「油滴天目」(金時代。通期)も一点出ていました。率直に申し上げると、例えば三井の安宅コレクションに出ていた天目の美感には及びませんが、油滴がまるで小石を敷きつめたように外周をほぼ均一に埋め尽くしています。やや大振りの、どっしりとした貫禄のある天目でした。

全体の出品点数を鑑みると絵画はごく僅かですが、やはり注目したいのは応挙の「百蝶図」(1775年。前期)です。さながら『蝶の舞い』とも言える光景が目に飛び込んできます。水草のように揺れる草花が淡いタッチで表現され、そこに大小の様々な蝶がちょうど右下より左上へと飛び出すように連なっていました。またアザミでしょうか。透明感のある紫色をはじめとする瑞々しい彩色も優れています。
さて、まさに贅の限りを尽くした雅やかな調度品も充実していましたが、こちらはその散りばめられた例の「丸に三つ葵」のせいもあったかもしれません。どこか興ざめしてしまう、失礼ながらあまり趣味が良いと感じられないものも目立ちました。それにもう一つ、これは展示とは関係ありませんが、刀をどう見て良いのかが未だによく分かりません。国宝の太刀が数点出ていましたが、どうも今ひとつ感じるものがないのです。
晴天の休日ということもあったのでしょうか。ちょうど私が会場を出た頃には、入場まで30分待ちの掲示が出ていました。またどの展示ケースの前も黒山の人だかりですが、とりわけ第一会場の混雑は相当のものがあります。先に第二会場より見てしまうのが良さそうです。
昨日、6日より始まった後期にもう一度行ってくるつもりです。12月2日まで開催されています。(11/4)
*関連エントリ
「大徳川展」(後期展示) 東京国立博物館
「大徳川展」(前期展示)
10/10-12/2(前期:10/10-11/4、後期:11/6-12/2)

前期展示の最終日に見てきました。全300点にも及ぶ徳川家ゆかりの宝物が、東博・平成館を所狭しと埋め尽くす「大徳川展」です。そのスケール、そして会場の混雑においても並外れた展覧会でした。
構成は以下の通りです。ちなみに会場の半分が「第一章」で占められています。(第一会場=第一章、第二会場=第二、三章。)
第一章「将軍の威光」
歴代将軍所有の武具や工芸品など。また「東照大権現」として祀られた家康の神格化の過程を辿る。
第二章「格式の美」
将軍の威光を示す茶器や能装束。秀忠による尾張家への「御成」の際の茶室を再現。
第三章「姫君のみやび」
将軍家婚礼の品々を公開。東福門院和宮の調度品など。

ともかく光圀の例の印籠や家康所用の鎧、それに源氏物語絵巻から茶入れ、または応挙、探幽らの軸や屏風までが揃う展示です。全てに力を入れて見ると何時間かかるかわかりません。と言うことで、実際のところあまり関心のない徳川家関連の工芸や資料などは流し目で見て、まずは茶道具、絵画、屏風などを中心に楽しむことにしました。すると見るべき作品は意外と少なく定まってきます。上の構成で挙げると、主に第二会場にある品々です。

まず茶器で目を引くのは大名物といわれる茶入です。前期展示では合わせて三点ほど紹介されていましたが、中でも「銘新田」(南宋時代。前期)に見入りました。これは利休が天下一の茶入れと称し、秀吉も愛用していた品ですが、後の大阪城落城の際、家康がわざわざ探させて見つけ出し、そして水戸家に伝わったというものであるそうです。斑模様にかかる深みのある釉薬が、仄かな銀色に輝いています。

大名物ではありませんが、長らく行方不明で、何と今年になって発見されたという茶入「銘秋野」(南宋時代。通期)も印象に残りました。どこか可愛らしくも見える、おちょぼ口のような開口部が特徴的です。また器関連では、「油滴天目」(金時代。通期)も一点出ていました。率直に申し上げると、例えば三井の安宅コレクションに出ていた天目の美感には及びませんが、油滴がまるで小石を敷きつめたように外周をほぼ均一に埋め尽くしています。やや大振りの、どっしりとした貫禄のある天目でした。

全体の出品点数を鑑みると絵画はごく僅かですが、やはり注目したいのは応挙の「百蝶図」(1775年。前期)です。さながら『蝶の舞い』とも言える光景が目に飛び込んできます。水草のように揺れる草花が淡いタッチで表現され、そこに大小の様々な蝶がちょうど右下より左上へと飛び出すように連なっていました。またアザミでしょうか。透明感のある紫色をはじめとする瑞々しい彩色も優れています。
さて、まさに贅の限りを尽くした雅やかな調度品も充実していましたが、こちらはその散りばめられた例の「丸に三つ葵」のせいもあったかもしれません。どこか興ざめしてしまう、失礼ながらあまり趣味が良いと感じられないものも目立ちました。それにもう一つ、これは展示とは関係ありませんが、刀をどう見て良いのかが未だによく分かりません。国宝の太刀が数点出ていましたが、どうも今ひとつ感じるものがないのです。
晴天の休日ということもあったのでしょうか。ちょうど私が会場を出た頃には、入場まで30分待ちの掲示が出ていました。またどの展示ケースの前も黒山の人だかりですが、とりわけ第一会場の混雑は相当のものがあります。先に第二会場より見てしまうのが良さそうです。
昨日、6日より始まった後期にもう一度行ってくるつもりです。12月2日まで開催されています。(11/4)
*関連エントリ
「大徳川展」(後期展示) 東京国立博物館
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
「第59回 正倉院展」 奈良国立博物館
奈良国立博物館(奈良市登大路町50)
「第59回 正倉院展」
10/27-11/12

会期初日の朝一番に見てきました。奈良国立博物館で開催中の「第59回 正倉院展」です。今年の展示の特徴は公式HPの記載をご覧いただくとして、以下、惹かれた作品をいつものように挙げていたいと思います。

まずは「国家珍宝帳」にも記載された屏風の残欠、「羊木臈纈屏風(ひつじきろうけちのびょうぶ)」と「熊鷹臈纈屏風(くまたかろうけちのびょうぶ)」です。これが屏風と言うのが何とも不思議な印象もしますが、仄かな光沢さえ放つ葉の薄い水色を味わいをはじめ、地を透かして象る羊や鷹の造形が非常に巧みに出来ていました。また、鷹の先に舞う小鳥や、足を跳ね上げて駆ける鹿などの躍動感にも見入るものがあります。ちなみにこの二点の屏風のデザインはどこか西方的(実際に、ササン朝ペルシアの羊文に通じる部分があるとのことです。)ですが、前者には「天平勝宝三年」という年号が記されており、確かに国内で作られたものだと分かっているのだそうです。

正六角形の床石に須恵器の硯をはめ込み、その上で木製の台に置いた「青斑石硯(せいはんせきのすずり)」も見事です。まずはその重々しい青斑石などの交じる床石が印象に残るところですが、より感銘するのは木製台の側面に表現された細やかな模様でした。象牙やツゲ、それに錫などの素材が精緻に組み合わされ、色も様々なモザイクを美しく象っています。ちなみにこれは木画と呼ばれる技法だそうです。当時の高い彫刻技術を垣間見られるような気がしました。
モザイクといえば、上の硯と同じ木画の方法で花、雲、そして飛鳥の模様を示した「紫檀木画箱(したんもくがのはこ)」も艶やかです。極めて細い線などで花などが象られ、そこへ白い羽や緑色の胴体をした色鮮やかな鳥が、ゆらゆらと舞うかのように描かれています。残念ながら当時より現存するのは蓋の部分(箱は後に作られたものです。)だけですが、焦げ茶色の蓋に浮かぶ紋様の美しさは目に焼き付きました。これは一推しです。

ハイライトはやはり「紫檀金鈿柄香炉(したんきんでんのえごうろ)」ではないでしょうか。これは僧侶が法会の際、手に持って焼香をするために使ったという仏具で、外面に花、鳥、そして蝶などの象嵌紋様が雅やかに飾られています。それに柄の端には金の獅子も鎮座し、蓮の花にはガラス製の玉もはめ込まれていました。また金銅の炉内に残った灰の跡が、この作品の使われた長い歴史を感じさせてくれるというものです。ちなみに宝庫には5点の香炉が残っていますが、これだけが唯一のシタン製だそうです。

楽器もいくつか出品されていましたが、一番に挙げたいのは「墨絵弾弓(すみえのだんきゅう)」における、弓の内側に描かれた画、「散楽図」です。この「散楽図」とは、古代中国で流行した奇術の軽業や、踊りなどを取り入れた民間芸能で、ここではそれらの様子が、細やかでかつ生き生きとした様子で表されています。ちなみにこの一角は展示室内でもとりわけ混雑していますが、列に並んででも是非味わいたい作品です。またその他には、ほぼ現在の笙を思わせる「う」と呼ばれる管楽器や、新羅楽に用いたという「琴」なども記憶に残りました。ともに木製ですが、その保存状態の良さには目を見張るものがあります。

全体が矢印の形をしたような旗の「彩絵仏像幡(さいえのぶつぞうばん)」も忘れられません。これは全長2メートル30センチ強にも及ぶ大きな幟ですが、中に彩絵による菩薩像が4体ほど示されています。宝庫唯一の仏像を描いた幟ということで制作年代にも諸説あるそうですが、(平安期という説もあるそうです。)今度は決して細やかとは言えない、むしろそののびやかな描写による仏の様子が興味深く感じられます。大らかな出で立ちです。
静かな空間で古代の美品に感じ入るとまではいきませんが、作品点数(全70点)がそれほど多くないので、混雑の割にはゆっくりと見ることが出来ました。また会場の最後には書が紹介されていましたが、特に「四分律・唐経(しぶんりつ)」の厳格な書体を見ると思わず身が引き締まる思いがします。仏教の規則が事細かに表されているのです。
今年の混雑はそれほどではないそうですが、展覧会のサイトには、会場の状況がほぼリアルタイムで更新されています。そちらを確認した上でのお出かけをおすすめしたいです。
次の月曜日、12日まで開催されています。(10/27)
「第59回 正倉院展」
10/27-11/12

会期初日の朝一番に見てきました。奈良国立博物館で開催中の「第59回 正倉院展」です。今年の展示の特徴は公式HPの記載をご覧いただくとして、以下、惹かれた作品をいつものように挙げていたいと思います。


まずは「国家珍宝帳」にも記載された屏風の残欠、「羊木臈纈屏風(ひつじきろうけちのびょうぶ)」と「熊鷹臈纈屏風(くまたかろうけちのびょうぶ)」です。これが屏風と言うのが何とも不思議な印象もしますが、仄かな光沢さえ放つ葉の薄い水色を味わいをはじめ、地を透かして象る羊や鷹の造形が非常に巧みに出来ていました。また、鷹の先に舞う小鳥や、足を跳ね上げて駆ける鹿などの躍動感にも見入るものがあります。ちなみにこの二点の屏風のデザインはどこか西方的(実際に、ササン朝ペルシアの羊文に通じる部分があるとのことです。)ですが、前者には「天平勝宝三年」という年号が記されており、確かに国内で作られたものだと分かっているのだそうです。

正六角形の床石に須恵器の硯をはめ込み、その上で木製の台に置いた「青斑石硯(せいはんせきのすずり)」も見事です。まずはその重々しい青斑石などの交じる床石が印象に残るところですが、より感銘するのは木製台の側面に表現された細やかな模様でした。象牙やツゲ、それに錫などの素材が精緻に組み合わされ、色も様々なモザイクを美しく象っています。ちなみにこれは木画と呼ばれる技法だそうです。当時の高い彫刻技術を垣間見られるような気がしました。
モザイクといえば、上の硯と同じ木画の方法で花、雲、そして飛鳥の模様を示した「紫檀木画箱(したんもくがのはこ)」も艶やかです。極めて細い線などで花などが象られ、そこへ白い羽や緑色の胴体をした色鮮やかな鳥が、ゆらゆらと舞うかのように描かれています。残念ながら当時より現存するのは蓋の部分(箱は後に作られたものです。)だけですが、焦げ茶色の蓋に浮かぶ紋様の美しさは目に焼き付きました。これは一推しです。

ハイライトはやはり「紫檀金鈿柄香炉(したんきんでんのえごうろ)」ではないでしょうか。これは僧侶が法会の際、手に持って焼香をするために使ったという仏具で、外面に花、鳥、そして蝶などの象嵌紋様が雅やかに飾られています。それに柄の端には金の獅子も鎮座し、蓮の花にはガラス製の玉もはめ込まれていました。また金銅の炉内に残った灰の跡が、この作品の使われた長い歴史を感じさせてくれるというものです。ちなみに宝庫には5点の香炉が残っていますが、これだけが唯一のシタン製だそうです。

楽器もいくつか出品されていましたが、一番に挙げたいのは「墨絵弾弓(すみえのだんきゅう)」における、弓の内側に描かれた画、「散楽図」です。この「散楽図」とは、古代中国で流行した奇術の軽業や、踊りなどを取り入れた民間芸能で、ここではそれらの様子が、細やかでかつ生き生きとした様子で表されています。ちなみにこの一角は展示室内でもとりわけ混雑していますが、列に並んででも是非味わいたい作品です。またその他には、ほぼ現在の笙を思わせる「う」と呼ばれる管楽器や、新羅楽に用いたという「琴」なども記憶に残りました。ともに木製ですが、その保存状態の良さには目を見張るものがあります。

全体が矢印の形をしたような旗の「彩絵仏像幡(さいえのぶつぞうばん)」も忘れられません。これは全長2メートル30センチ強にも及ぶ大きな幟ですが、中に彩絵による菩薩像が4体ほど示されています。宝庫唯一の仏像を描いた幟ということで制作年代にも諸説あるそうですが、(平安期という説もあるそうです。)今度は決して細やかとは言えない、むしろそののびやかな描写による仏の様子が興味深く感じられます。大らかな出で立ちです。
静かな空間で古代の美品に感じ入るとまではいきませんが、作品点数(全70点)がそれほど多くないので、混雑の割にはゆっくりと見ることが出来ました。また会場の最後には書が紹介されていましたが、特に「四分律・唐経(しぶんりつ)」の厳格な書体を見ると思わず身が引き締まる思いがします。仏教の規則が事細かに表されているのです。
今年の混雑はそれほどではないそうですが、展覧会のサイトには、会場の状況がほぼリアルタイムで更新されています。そちらを確認した上でのお出かけをおすすめしたいです。
次の月曜日、12日まで開催されています。(10/27)
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
11月の予定と10月の記録 2007
肝心の永徳をはじめとする関西の展覧会のエントリもまだ整理出来ていませんが、恒例の「予定と振り返り」を挙げてみました。
11月の予定
展覧会
「没後50年 川合玉堂展」 山種美術館( - 11/11)
「キスリング - モンパルナスの華」 府中市美術館( - 11/18)
「セザンヌ 4つの魅力」 ブリヂストン美術館( - 11/25)
「Great Ukiyoe Masters(後期展示)」 渋谷区立松濤美術館( - 11/25)
「大徳川展」 東京国立博物館( - 12/2)
「川瀬巴水 - 旅情詩人と呼ばれた版画絵師 - 」 大田区立郷土博物館( - 12/2)
「工芸館30年のあゆみ」 東京国立近代美術館・工芸館( - 12/2)
「ヴラマンク展」 鎌倉大谷記念美術館( -12/8)
「シュルレアリスムと美術」 横浜美術館( - 12/9)
「鳥獣戯画がやってきた!」 サントリー美術館(11/3 - 12/16)
「フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展」 国立新美術館( - 12/17)
「ムンク展」 国立西洋美術館( - 2008/1/6)
コンサート
「NHK交響楽団第1604回定期」 プッチーニ「ボエーム」 (11日)
「ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト」 ショスタコーヴィチ「交響曲第9番」他 (18日)
10月の記録
展覧会
「メルティング・ポイント」 東京オペラシティアートギャラリー(6日)
「鈴木理策 熊野 雪 桜」 東京都写真美術館(6日)
「伊藤若冲『菜蟲譜』/関東の文人画展」 佐野市立吉澤記念美術館(7日)
「印象派とエコール・ド・パリ展」 日本橋三越本店ギャラリー(13日)
「谷文晁とその一門」(後期) 板橋区立美術館(13日)
「BIOMBO/屏風 日本の美」 サントリー美術館(6、19日)
「日本美術『今』展」 日本橋三越本店ギャラリー(21日)
「Great Ukiyoe Masters」(前期) 渋谷区立松濤美術館(21日)
「ベルト・モリゾ展」 損保ジャパン東郷青児美術館(21日)
「美の求道者 安宅英一の眼 安宅コレクション」 三井記念美術館(21日)
「狩野尚信生誕400周年記念特別展」(後期) 二条城・展示収蔵館(26日)
「元伯宗旦と樂茶碗」 樂美術館(26日)
「相国寺の禅林文化」 相国寺承天閣美術館(26日)
「神坂雪佳 京琳派ルネサンス」 細見美術館(26日)
「特別展覧会 狩野永徳」 京都国立博物館(26日)
「現代美術の皮膚」 国立国際美術館(27日)
「第59回 正倉院展」 奈良国立博物館(27日)
「開館50周年 記念特別展」(後期) 逸翁美術館(27日)
「河口龍夫展」 兵庫県立美術館(27日)
ギャラリー
「五感×LIFE」 リビングデザインセンターOZONE(6日)
「岩尾恵都子展」 GALLERY MoMo(6日)
「政田武史 New Paintings」 WAKO WORKS OF ART(6日)
「あるがせいじ 新作展」 ヴァイスフェルト(11日)
「渡辺豪 鏡面 face」 ARATANIURANO(14日)
「藤本由紀夫 SILENT et LISTEN」 シュウゴアーツ(17日)
「青山悟 Crowing in the studio」 ミヅマアートギャラリー(19日)
今月もまた色々並べましたが、地味ながらもやはりおすすめしたいのは松濤の浮世絵展です。実は先日、早速後期に出向き、改めて質の良い浮世絵を見る喜びに感じ入ったわけですが、ともかく春信の繊細さに触れると、浮世絵に対する認識を改めさせられます。(私の浮世絵嫌いもほぼ解消しました。)必見の展示です。
また浮世絵関連としては、大田区の郷土博物館で行われている巴水展も見逃せそうもありません。既にご覧になられた方の記事も拝見しましたが、版画下絵や渡辺版以外の作品が多く出ているのだそうです。楽しみになってきました。(無料です!)
コンサートは二つです。いつもながらまだ行けるかどうかわかりませんが、ともに当日券が出るようなので都合がつけば聴いてくるつもりです。
先月は上に触れた浮世絵展をはじめ、永徳、鈴木理策、安宅コレクション、BIOMBOと、例の「ベスト10」にも入れたいような展覧会が続きました。まさに芸術の秋にふさわしいラインナップです。
それでは今月も宜しくお願いします。
11月の予定
展覧会
「没後50年 川合玉堂展」 山種美術館( - 11/11)
「キスリング - モンパルナスの華」 府中市美術館( - 11/18)
「セザンヌ 4つの魅力」 ブリヂストン美術館( - 11/25)
「Great Ukiyoe Masters(後期展示)」 渋谷区立松濤美術館( - 11/25)
「大徳川展」 東京国立博物館( - 12/2)
「川瀬巴水 - 旅情詩人と呼ばれた版画絵師 - 」 大田区立郷土博物館( - 12/2)
「工芸館30年のあゆみ」 東京国立近代美術館・工芸館( - 12/2)
「ヴラマンク展」 鎌倉大谷記念美術館( -12/8)
「シュルレアリスムと美術」 横浜美術館( - 12/9)
「鳥獣戯画がやってきた!」 サントリー美術館(11/3 - 12/16)
「フェルメール『牛乳を注ぐ女』とオランダ風俗画展」 国立新美術館( - 12/17)
「ムンク展」 国立西洋美術館( - 2008/1/6)
コンサート
「NHK交響楽団第1604回定期」 プッチーニ「ボエーム」 (11日)
「ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト」 ショスタコーヴィチ「交響曲第9番」他 (18日)
10月の記録
展覧会
「メルティング・ポイント」 東京オペラシティアートギャラリー(6日)
「鈴木理策 熊野 雪 桜」 東京都写真美術館(6日)
「伊藤若冲『菜蟲譜』/関東の文人画展」 佐野市立吉澤記念美術館(7日)
「印象派とエコール・ド・パリ展」 日本橋三越本店ギャラリー(13日)
「谷文晁とその一門」(後期) 板橋区立美術館(13日)
「BIOMBO/屏風 日本の美」 サントリー美術館(6、19日)
「日本美術『今』展」 日本橋三越本店ギャラリー(21日)
「Great Ukiyoe Masters」(前期) 渋谷区立松濤美術館(21日)
「ベルト・モリゾ展」 損保ジャパン東郷青児美術館(21日)
「美の求道者 安宅英一の眼 安宅コレクション」 三井記念美術館(21日)
「狩野尚信生誕400周年記念特別展」(後期) 二条城・展示収蔵館(26日)
「元伯宗旦と樂茶碗」 樂美術館(26日)
「相国寺の禅林文化」 相国寺承天閣美術館(26日)
「神坂雪佳 京琳派ルネサンス」 細見美術館(26日)
「特別展覧会 狩野永徳」 京都国立博物館(26日)
「現代美術の皮膚」 国立国際美術館(27日)
「第59回 正倉院展」 奈良国立博物館(27日)
「開館50周年 記念特別展」(後期) 逸翁美術館(27日)
「河口龍夫展」 兵庫県立美術館(27日)
ギャラリー
「五感×LIFE」 リビングデザインセンターOZONE(6日)
「岩尾恵都子展」 GALLERY MoMo(6日)
「政田武史 New Paintings」 WAKO WORKS OF ART(6日)
「あるがせいじ 新作展」 ヴァイスフェルト(11日)
「渡辺豪 鏡面 face」 ARATANIURANO(14日)
「藤本由紀夫 SILENT et LISTEN」 シュウゴアーツ(17日)
「青山悟 Crowing in the studio」 ミヅマアートギャラリー(19日)
今月もまた色々並べましたが、地味ながらもやはりおすすめしたいのは松濤の浮世絵展です。実は先日、早速後期に出向き、改めて質の良い浮世絵を見る喜びに感じ入ったわけですが、ともかく春信の繊細さに触れると、浮世絵に対する認識を改めさせられます。(私の浮世絵嫌いもほぼ解消しました。)必見の展示です。
また浮世絵関連としては、大田区の郷土博物館で行われている巴水展も見逃せそうもありません。既にご覧になられた方の記事も拝見しましたが、版画下絵や渡辺版以外の作品が多く出ているのだそうです。楽しみになってきました。(無料です!)
コンサートは二つです。いつもながらまだ行けるかどうかわかりませんが、ともに当日券が出るようなので都合がつけば聴いてくるつもりです。
先月は上に触れた浮世絵展をはじめ、永徳、鈴木理策、安宅コレクション、BIOMBOと、例の「ベスト10」にも入れたいような展覧会が続きました。まさに芸術の秋にふさわしいラインナップです。
それでは今月も宜しくお願いします。
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
第3回銀座あおぞらDEアート@泰明小学校
まさしく抜けるような晴天に恵まれました。銀座、泰明小学校に集う14ギャラリー、計100作家による今日、一日限りのイベントです。「第3回あおぞらDEアート」へ行ってきました。

昨年は残念ながら天候にたたられ、会場の各ブースには雨よけのパラソルがいくつも並んでいましたが、今年はともかく眩しいくらいの太陽が校庭へ降り注いでいます。上空を遮るものなど殆どありません。私が現地に着いたのは午後1時半前だったかと思いますが、まずちょうど始まった太鼓を使った民族音楽のショーに見入りました。また、併催の無料似顔絵コーナーも行列が出来るほどの盛況です。心なしか去年よりも活気があるような気がします。


「あおぞらDEアート」は基本的に各画廊の持ち寄った現代アートの展示即売会という性格を持っていますが、その良さはともかくも画廊にありがちな敷居の高さが全くないということです。昨年のエントリの繰り返しにもなりますが、各ブースで販売されている作品は僅か1000円程度からと手軽で、さり気ない日常のワンシーンを飾ってくれるようなものも目立ちます。それにもう一つ重要な点は、ブースにおられる作家さんとざっくばらんにお話出来るということです。皆さん、こちらの素人な質問にも丁寧に答えて下さいました。このアーティストと触れ合えるということが、現代アートを見る楽しみの一つでもあると思います。

何巡か行き来していると必然と印象深いものが定まってくるわけですが、私が惹かれたのは日本画の田村光太郎、幻想的な版画の北村麻衣子、そして精密極まりないペン画の岩名慶子、そして瑞々しいシャボン玉のような水彩を描く早川知加子の各氏でした。また昨年は配布されていたかどうか定かではありませんが、以下のような各アーティストを紹介するリーフレットが作成されていたのも嬉しいところです。作家をより深く知る切っ掛けにもなります。

一日限りというのが寂しい限りですが、また来年の開催を心待ちにしたいです。

昨年は残念ながら天候にたたられ、会場の各ブースには雨よけのパラソルがいくつも並んでいましたが、今年はともかく眩しいくらいの太陽が校庭へ降り注いでいます。上空を遮るものなど殆どありません。私が現地に着いたのは午後1時半前だったかと思いますが、まずちょうど始まった太鼓を使った民族音楽のショーに見入りました。また、併催の無料似顔絵コーナーも行列が出来るほどの盛況です。心なしか去年よりも活気があるような気がします。






「あおぞらDEアート」は基本的に各画廊の持ち寄った現代アートの展示即売会という性格を持っていますが、その良さはともかくも画廊にありがちな敷居の高さが全くないということです。昨年のエントリの繰り返しにもなりますが、各ブースで販売されている作品は僅か1000円程度からと手軽で、さり気ない日常のワンシーンを飾ってくれるようなものも目立ちます。それにもう一つ重要な点は、ブースにおられる作家さんとざっくばらんにお話出来るということです。皆さん、こちらの素人な質問にも丁寧に答えて下さいました。このアーティストと触れ合えるということが、現代アートを見る楽しみの一つでもあると思います。




何巡か行き来していると必然と印象深いものが定まってくるわけですが、私が惹かれたのは日本画の田村光太郎、幻想的な版画の北村麻衣子、そして精密極まりないペン画の岩名慶子、そして瑞々しいシャボン玉のような水彩を描く早川知加子の各氏でした。また昨年は配布されていたかどうか定かではありませんが、以下のような各アーティストを紹介するリーフレットが作成されていたのも嬉しいところです。作家をより深く知る切っ掛けにもなります。


一日限りというのが寂しい限りですが、また来年の開催を心待ちにしたいです。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
光彩時空2007@国立西洋美術館
ムンク展を観賞し終えた後、ちょうど前庭で始まったので見てきました。照明デザインの第一人者、石井幹子氏プロデュースのライトアップショーです。確か昨年は東博で見た記憶がありますが、今年は場所を移して西美での開催でした。

スケジュールを見ると、夕方5時より夜8時までライトアップや管楽アンサンブルなどのイベントが絶え間なく続くようですが、ともかく外は寒かったものではじめの第一回、シニャックの「サン=トロペの港」のライトアップショーだけ眺めてきました。基本的に音楽に合わせながら、作品の断片などが正面の壁面に映し出されるという仕掛けです。酷い手ぶれの上に、斜めからの撮影になってしまいましたが、以下に少し写真を載せておきます。雰囲気だけでも伝わると嬉しいです。



率直に申し上げると、敷地も広い東博での光彩時空の方がスケールの点で圧倒的でした。とは言え、例の世界遺産登録も噂されているコルビュジエの建物を使ったライトアップです。贅沢なのはこちらなのかもしれません。
光彩時空は明日4日までの開催ですが、詳細スケジュール(pdf)は西美HPにも掲載されています。ちなみに同HPは、しばらく前に全面リニューアルされて見やすくなりました。
ムンク展の感想はまた後日書きたいと思います。

スケジュールを見ると、夕方5時より夜8時までライトアップや管楽アンサンブルなどのイベントが絶え間なく続くようですが、ともかく外は寒かったものではじめの第一回、シニャックの「サン=トロペの港」のライトアップショーだけ眺めてきました。基本的に音楽に合わせながら、作品の断片などが正面の壁面に映し出されるという仕掛けです。酷い手ぶれの上に、斜めからの撮影になってしまいましたが、以下に少し写真を載せておきます。雰囲気だけでも伝わると嬉しいです。








率直に申し上げると、敷地も広い東博での光彩時空の方がスケールの点で圧倒的でした。とは言え、例の世界遺産登録も噂されているコルビュジエの建物を使ったライトアップです。贅沢なのはこちらなのかもしれません。
光彩時空は明日4日までの開催ですが、詳細スケジュール(pdf)は西美HPにも掲載されています。ちなみに同HPは、しばらく前に全面リニューアルされて見やすくなりました。
ムンク展の感想はまた後日書きたいと思います。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
「相国寺の禅林文化」 相国寺承天閣美術館
相国寺承天閣美術館(京都市上京区今出川通烏丸東入)
「相国寺の禅林文化 - 室町から近世へ - 」
2007/9/15-2008/3/23(前期:9/15-12/9、後期:12/15-翌年3/23)

等伯の優れた二点の屏風だけでもわざわざ出向く価値があるのではないでしょうか。若冲展の賑わいもどこへやら、すっかり静まり返った承天閣美術館での展覧会です。館蔵の書、絵画、工芸品など約80点ほどの作品が展示されています。

にわか天目ファンには嬉しいお出迎えです。展示室入ってすぐに鎮座するのは、「黒天目茶碗添堆朱倶利天目台」(宋)でした。ほぼ単一の黒光りした黒天目ですが、角度を変えると仄かに灯る七色の光を見ることが出来ます。また、シンプルな草花の模様の描く天目台も力強いものです。逞しい造形美に溢れています。

器では「瀬戸黒茶碗」と仁清の「色絵桐波紋文茶碗」の、桃山、江戸対決も見応えがありました。軽妙で流麗な波模様の靡く仁清に対し、表面の縮れた瀬戸黒の趣きは無骨です。ちなみに瀬戸黒では例の宗旦が書付けを行っていました。利休所持の茶碗とも伝えられているのだそうです。
あまり聞き慣れない絵師ですが、林良の「鳳凰石竹図」(明)と伝牧谿の「柿栗図」(宋)も充実しています。前者は明中期に活躍していた花鳥画家で、大岩にのって見事な尾を靡かせる鳳凰を大胆なタッチで描いています。また柿栗図は淡墨のみの即興的な作品です。栗の刺々しい毬が点描にて示される一方、柿はたらし込み風にて瑞々しさを強調しています。対象に応じたその描き分けも器用でした。


さて注目の等伯ですが、まずは琳派顔負けのリズミカルな線描で秋草を表した「萩芒図屏風」(江戸)が見逃せません。雅やかな金地を背景にして右隻に萩、左隻にはすすきが描かれていますが、その右から左へと靡く草を示した構図感が極めて秀逸です。と言うのも、右隻の萩は大きく風に揺らぐ様が表現されていますが、左隻のすすきはあまり靡いていません。つまりここには、右から左へと流れる大きな風が示されているというわけのです。だからこそ左隻の左端のすすきはまだ直立したままなのでしょう。轟く風に揺れて触れ合う、萩やすすきのサワサワという音が聞こえてくるのような作品でした。

ちらし表紙を飾る等伯の「竹林猿猴図屏風」(江戸)も貫禄十分です。左隻ではかの「松林図」を思わせる竹林が直立し、右隻では親子を含む三匹の猿がユーモラスに木からぶら下がっています。また簡素な墨線だけで表した、その奥行き感に優れた空間構成も見事です。枝からは仄かに葉が浮かび上がり、左隻ではうっすらと土坡も確認すること出来ました。靄に包まれたような空気を肌に感じるような作品です。幽玄な世界に引き込まれます。
その他、禅院の広間で祭事を行う際に使ったという探幽の座頭屏風、まさに文人画の極みとも言える迫力に満ちた池大雅の「渓亭山暁・秋山行旅図屏風」(江戸)も見応えがありました。ちなみに池大雅は、かの若冲とも昵懇の梅荘顕常(相国寺第113世住持)に詩の添削を依頼する関係にあったのだそうです。
もちろん、若冲の「葡萄小禽図」と「月夜芭蕉図」の鹿苑寺障壁画も合わせて展示されています。超ロングランの展覧会です。一度の展示替えを挟み、来年3月末まで開催されています。おすすめします。(10/26)
「相国寺の禅林文化 - 室町から近世へ - 」
2007/9/15-2008/3/23(前期:9/15-12/9、後期:12/15-翌年3/23)

等伯の優れた二点の屏風だけでもわざわざ出向く価値があるのではないでしょうか。若冲展の賑わいもどこへやら、すっかり静まり返った承天閣美術館での展覧会です。館蔵の書、絵画、工芸品など約80点ほどの作品が展示されています。

にわか天目ファンには嬉しいお出迎えです。展示室入ってすぐに鎮座するのは、「黒天目茶碗添堆朱倶利天目台」(宋)でした。ほぼ単一の黒光りした黒天目ですが、角度を変えると仄かに灯る七色の光を見ることが出来ます。また、シンプルな草花の模様の描く天目台も力強いものです。逞しい造形美に溢れています。

器では「瀬戸黒茶碗」と仁清の「色絵桐波紋文茶碗」の、桃山、江戸対決も見応えがありました。軽妙で流麗な波模様の靡く仁清に対し、表面の縮れた瀬戸黒の趣きは無骨です。ちなみに瀬戸黒では例の宗旦が書付けを行っていました。利休所持の茶碗とも伝えられているのだそうです。
あまり聞き慣れない絵師ですが、林良の「鳳凰石竹図」(明)と伝牧谿の「柿栗図」(宋)も充実しています。前者は明中期に活躍していた花鳥画家で、大岩にのって見事な尾を靡かせる鳳凰を大胆なタッチで描いています。また柿栗図は淡墨のみの即興的な作品です。栗の刺々しい毬が点描にて示される一方、柿はたらし込み風にて瑞々しさを強調しています。対象に応じたその描き分けも器用でした。


さて注目の等伯ですが、まずは琳派顔負けのリズミカルな線描で秋草を表した「萩芒図屏風」(江戸)が見逃せません。雅やかな金地を背景にして右隻に萩、左隻にはすすきが描かれていますが、その右から左へと靡く草を示した構図感が極めて秀逸です。と言うのも、右隻の萩は大きく風に揺らぐ様が表現されていますが、左隻のすすきはあまり靡いていません。つまりここには、右から左へと流れる大きな風が示されているというわけのです。だからこそ左隻の左端のすすきはまだ直立したままなのでしょう。轟く風に揺れて触れ合う、萩やすすきのサワサワという音が聞こえてくるのような作品でした。

ちらし表紙を飾る等伯の「竹林猿猴図屏風」(江戸)も貫禄十分です。左隻ではかの「松林図」を思わせる竹林が直立し、右隻では親子を含む三匹の猿がユーモラスに木からぶら下がっています。また簡素な墨線だけで表した、その奥行き感に優れた空間構成も見事です。枝からは仄かに葉が浮かび上がり、左隻ではうっすらと土坡も確認すること出来ました。靄に包まれたような空気を肌に感じるような作品です。幽玄な世界に引き込まれます。
その他、禅院の広間で祭事を行う際に使ったという探幽の座頭屏風、まさに文人画の極みとも言える迫力に満ちた池大雅の「渓亭山暁・秋山行旅図屏風」(江戸)も見応えがありました。ちなみに池大雅は、かの若冲とも昵懇の梅荘顕常(相国寺第113世住持)に詩の添削を依頼する関係にあったのだそうです。
もちろん、若冲の「葡萄小禽図」と「月夜芭蕉図」の鹿苑寺障壁画も合わせて展示されています。超ロングランの展覧会です。一度の展示替えを挟み、来年3月末まで開催されています。おすすめします。(10/26)
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
「現代美術の皮膚」 国立国際美術館
国立国際美術館(大阪市北区中之島4-2-55)
「現代美術の皮膚」
10/2-12/2

「皮膚」の持つ脆さを通して、人間の在り方や作品における「表面」を見つめ直す(チラシより引用。一部改変。)という展覧会です。日米欧の現代アーティスト11名が、広々とした空間を駆使してのインスタレーション的な展示を行っています。

そもそも皮膚と作品の表面を関連づけることにはやや無理があるような気もしますが、そのまま皮膚をイメージさせるもの、または表面の物質感を打ち出した作品を楽しめることは事実です。入口すぐに展示されているマーク・クインの人型のオブジェからして、皮膚や生命の感触を思わせる作品と言えるのではないでしょうか。人がまるで地面から湧いたような「求心状態」(1996)は非常に不気味です。どろどろに溶けたような銀のプールから、ガラスに象られた頭部や手足が浮き上がっています。また上の画像にあげた「悟りへの道」(2006)も、体の皮膚が爛れて、内部の筋肉が剥き出しとなった姿が捉えられていると出来るのかもしれません。
皮膚を用いた作品も展示されています。ティム・ホーキンソンの「範囲周波数によって分割された皮膚のプリント」(2000)は、ずばり自身の皮膚を紙に転写して一つのモザイク画のように見せた作品です。例えばセロテープに指紋をつけたような皮膚の痕跡が、一片5センチ四方の小さなタイル状に連なって約2メートルほど続いています。ただしプリントされた色はブルーです。この色によって皮膚に独特な感触が消され、単純な模様へと変化するのが興味深く感じられました。

展示のハイライトは、山本現代での個展の記憶も新しい小谷元彦のオブジェ群でしょう。個々の作品についての感想はその際に記録したので繰り返しませんが、小谷の作品をここ大阪で、しかも10点をゆうに超える規模で見られる機会などそうないのではないでしょうか。また、山本現代の個展には出ていなかった、木片を用いたオブジェにも見入りました。約30センチ四方ほどの焦げた木片に漆が塗りかけられ、蜂の巣のように開いた穴がまるでゴムのような質感を見せています。かのホイップクリームをかけたような、さながら化石か太古の生物ような奇怪な立体と合わせ、その凝った物質感に強い魅力を感じました。

シュウゴアーツの個展では今ひとつその魅力が感じられなかったヤン・ファーブルも、今回は打って変わって見事です。「昇りゆく天使たちの壁」(1993)のドレスには、何と無数の玉虫が貼付けられています。小さな虫がまるで皮膚の組織の一つを象るかのように繋がっているのです。
まずは小谷のオブジェを見るだけでも楽しめる展覧会だと思います。12月2日までの開催です。(10/27)
*関連エントリ
「小谷元彦 『SP2 New Born』」 山本現代
「ヤン・ファーブル個展」 シュウゴアーツ
「現代美術の皮膚」
10/2-12/2

「皮膚」の持つ脆さを通して、人間の在り方や作品における「表面」を見つめ直す(チラシより引用。一部改変。)という展覧会です。日米欧の現代アーティスト11名が、広々とした空間を駆使してのインスタレーション的な展示を行っています。

そもそも皮膚と作品の表面を関連づけることにはやや無理があるような気もしますが、そのまま皮膚をイメージさせるもの、または表面の物質感を打ち出した作品を楽しめることは事実です。入口すぐに展示されているマーク・クインの人型のオブジェからして、皮膚や生命の感触を思わせる作品と言えるのではないでしょうか。人がまるで地面から湧いたような「求心状態」(1996)は非常に不気味です。どろどろに溶けたような銀のプールから、ガラスに象られた頭部や手足が浮き上がっています。また上の画像にあげた「悟りへの道」(2006)も、体の皮膚が爛れて、内部の筋肉が剥き出しとなった姿が捉えられていると出来るのかもしれません。
皮膚を用いた作品も展示されています。ティム・ホーキンソンの「範囲周波数によって分割された皮膚のプリント」(2000)は、ずばり自身の皮膚を紙に転写して一つのモザイク画のように見せた作品です。例えばセロテープに指紋をつけたような皮膚の痕跡が、一片5センチ四方の小さなタイル状に連なって約2メートルほど続いています。ただしプリントされた色はブルーです。この色によって皮膚に独特な感触が消され、単純な模様へと変化するのが興味深く感じられました。

展示のハイライトは、山本現代での個展の記憶も新しい小谷元彦のオブジェ群でしょう。個々の作品についての感想はその際に記録したので繰り返しませんが、小谷の作品をここ大阪で、しかも10点をゆうに超える規模で見られる機会などそうないのではないでしょうか。また、山本現代の個展には出ていなかった、木片を用いたオブジェにも見入りました。約30センチ四方ほどの焦げた木片に漆が塗りかけられ、蜂の巣のように開いた穴がまるでゴムのような質感を見せています。かのホイップクリームをかけたような、さながら化石か太古の生物ような奇怪な立体と合わせ、その凝った物質感に強い魅力を感じました。

シュウゴアーツの個展では今ひとつその魅力が感じられなかったヤン・ファーブルも、今回は打って変わって見事です。「昇りゆく天使たちの壁」(1993)のドレスには、何と無数の玉虫が貼付けられています。小さな虫がまるで皮膚の組織の一つを象るかのように繋がっているのです。
まずは小谷のオブジェを見るだけでも楽しめる展覧会だと思います。12月2日までの開催です。(10/27)
*関連エントリ
「小谷元彦 『SP2 New Born』」 山本現代
「ヤン・ファーブル個展」 シュウゴアーツ
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
次ページ » |