都内近郊の美術館や博物館を巡り歩く週末。展覧会の感想などを書いています。
はろるど
「変成態 - リアルな現代の物質性 Vol.3 泉孝昭x上村卓大」 ギャラリーαM
ギャラリーαM(千代田区東神田1-2-11 アガタ竹澤ビルB1F)
「武蔵野美術大学80周年記念展 変成態 - リアルな現代の物質性 Vol.3 泉孝昭x上村卓大」
7/25-9/5
ギャラリーαMで開催中の連続シリーズ展、「武蔵野美術大学80周年記念展 変成態 」へ行ってきました。
出品作家は以下の二名です。
泉孝昭(1975~)、上村卓大(1980~)
(展示風景)
今回の一番の見所は、身近な日用品をアイデアで組み合わせて作品を生む泉と、反対にモチーフも多様に、言わば作り込まれた作品を手がける上村の、対照的な作風が呼び込んだ緊張感にあるのではないでしょうか。
泉孝昭「タイヤ」(2009)
泉孝昭「隣家のアンテナ」(2009)
泉は自分の身の回りにあるもの、例えば拾ってきた自転車なりコーヒーの缶をそのままに、オブジェと言うよりもインスタレーション的に楽しめる作品を、さながら手品の如く次々と生み出します。タイヤ、風船といった素材が、ちょっとした運動を加え、またさり気なく壁に掲げることで、意外な美感を引き出していました。
上村卓大「untitled」(2009)
一方での上村の作品は手が込んでいます。例えば一見、カラフルな既製品のポリタンクをアクリル板の上に積んだだけのように見える作品も、実はそのすべてが樹脂、つまりは色を練りこんで一から作り上げられたものでした。またサーフボードを意識した「something」など、その磨き抜かれた表面には熟練の職人芸的な貫禄すら漂っています。
上村卓大「something」(2009)
9月5日までの開催です。(夏期休廊:8/9-17)
Vol.1 「中原浩大」 2009/5/9~5/30
Vol.2 「揺れ動く物性」(冨井大裕×中西信洋) 2009/6/13~7/18
Vol.4 「東恩納裕一」 2009/9/12~10/10
Vol.5 「袴田京太朗」 2009/10/24~11/21
Vol.6 「金氏徹平」 2009/11/28~12/26
Vol.7 「鬼頭健吾」 2010/1/16~2/13
Vol.8 「半田真規」 2010/2/20~3/20
注)写真の撮影と掲載は許可をいただいています
「武蔵野美術大学80周年記念展 変成態 - リアルな現代の物質性 Vol.3 泉孝昭x上村卓大」
7/25-9/5
ギャラリーαMで開催中の連続シリーズ展、「武蔵野美術大学80周年記念展 変成態 」へ行ってきました。
出品作家は以下の二名です。
泉孝昭(1975~)、上村卓大(1980~)
(展示風景)
今回の一番の見所は、身近な日用品をアイデアで組み合わせて作品を生む泉と、反対にモチーフも多様に、言わば作り込まれた作品を手がける上村の、対照的な作風が呼び込んだ緊張感にあるのではないでしょうか。
泉孝昭「タイヤ」(2009)
泉孝昭「隣家のアンテナ」(2009)
泉は自分の身の回りにあるもの、例えば拾ってきた自転車なりコーヒーの缶をそのままに、オブジェと言うよりもインスタレーション的に楽しめる作品を、さながら手品の如く次々と生み出します。タイヤ、風船といった素材が、ちょっとした運動を加え、またさり気なく壁に掲げることで、意外な美感を引き出していました。
上村卓大「untitled」(2009)
一方での上村の作品は手が込んでいます。例えば一見、カラフルな既製品のポリタンクをアクリル板の上に積んだだけのように見える作品も、実はそのすべてが樹脂、つまりは色を練りこんで一から作り上げられたものでした。またサーフボードを意識した「something」など、その磨き抜かれた表面には熟練の職人芸的な貫禄すら漂っています。
上村卓大「something」(2009)
9月5日までの開催です。(夏期休廊:8/9-17)
Vol.1 「中原浩大」 2009/5/9~5/30
Vol.2 「揺れ動く物性」(冨井大裕×中西信洋) 2009/6/13~7/18
Vol.4 「東恩納裕一」 2009/9/12~10/10
Vol.5 「袴田京太朗」 2009/10/24~11/21
Vol.6 「金氏徹平」 2009/11/28~12/26
Vol.7 「鬼頭健吾」 2010/1/16~2/13
Vol.8 「半田真規」 2010/2/20~3/20
注)写真の撮影と掲載は許可をいただいています
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
「ジョルジュ・ビゴー展 - 碧眼の浮世絵師が斬る明治」 東京都写真美術館
東京都写真美術館(目黒区三田1-13-3 恵比寿ガーデンプレイス内)
「ジョルジュ・ビゴー展 - 碧眼の浮世絵師が斬る明治」
7/11~8/23
幕末から明治にかけて来日したフランス人画家、ジョルジュ・ビゴー(1860-1927)の画業を明らかにします。東京都写真美術館で開催中の「ジョルジュ・ビゴー展 - 碧眼の浮世絵師が斬る明治」へ行ってきました。
やはりまずビゴーと言えば、教科書に出ていた上の図版の作品です。恥ずかしながら私自身、ビゴーのイメージはその程度しかありませんでしたが、この展覧会はそうした『素人』にも、ビゴーの魅力を伝えられるよう丁寧に組み立てられていました。若い頃に手がけた挿絵などより、来日後の日本で制作された版画の数々、そして帰国後に見出した新天地での制作と、時系列に紹介された作品を見ると、ビゴーの人生を追体験しているような気分になるかもしれません。
それでは展覧会の構成です。
1.来日前の作品(1860-1881)
初期の版画作品。水彩画、または新聞をはじめ、ベストセラーとなったゾラのナナの挿絵などを描く。
2.日本滞在中の作品(1882-1889)
明治15年にフランス汽船によって来日したビゴー。パリで知り合った日本人陸軍卿を訪ね、陸軍のお抱え絵師として制作を始める。文明開化に沸いた当時の日本人の風俗を批判的に捉えた。カリカチュア。
3.帰国後の作品(1899-1927)
日本での経験を買われ日露戦争に主題をとる作品などを制作。後に娘の病気のためにパリを離れ、民衆版画と言われたエピナール版画を描くようになった。その他、発見された銅版の原版など。
来日以前の水彩、及び版画はどれも比較的サイズが小さく、あまりインパクトのある作品は見受けられませんでしたが、おおよそ風刺版画で鳴らしたビゴーとは思わないような素朴な水彩や版画の他、冒頭部分のみの紹介ではあったものの、当時のベストセラーであったゾラの「ナナ」に描いた挿絵などは印象的なものがありました。ちなみに彼は元々、兵士の生活に関心があり、それが初期の「テントの兵舎」を描く切っ掛けになっただけではなく、後の日露戦争などの戦争主題の作品の制作にも繋がっていったそうですが、その辺の経緯もまた興味深いポイントではないでしょうか。出自に関しての詳しい解説があればなお良かったとは思いましたが、ビゴー独自の社会へと開かれた目は来日以前にも蓄積されていたのかもしれません。
日本滞在中のビゴーこそ、上記の有名な図版を挙げるまでもなく、彼の名を世に知らしめた画業の中核です。ここで徹底しているのは、文明開化の渦に呑み込まれ、西欧と日本的なものに挟まれた日本人の生活などを一方的に風刺するのではなく、アジアへと侵出していた西欧人に対しても同様な批判精神を持っていたということでした。日本人の身体的な特徴、つまりメガネや低い身長云々の面を取り出して誇張して描いた連作集は、確かに我々の立場からすれば苦々しいものがありますが、人形のような芸者が西洋人を迎える風景に、そのような目的で来日する西洋人の男を糾弾した「トバエ」シリーズの一枚などは、決してオリエンタリズム一辺倒ではないビゴーの精神を見る上でも重要な作品と言えそうです。
フランスへと帰国したビゴーは意外な方向へと自身の制作を転回させていきます。戦場での記録を活かし、例えば旅順で日本軍が戦死者の死体を埋葬するシーンなどの日露戦争主題の作品を手がけてもいましたが、先にも触れたフランスの地方の民衆版画、エピナール版画には、これまでの彼の作品はない新たな魅力を見る思いがしました。もちろんここでも人形に羽織を着せたモチーフなど、日本関連のものも散見されますが、マリアなどのキリスト教を主題にした作品も登場します。残念ながらこれらの版画は、民衆向けということもあってか、現存する物が大変に少ないそうですが、通常は書かないという署名までを加えて世に出したというエピソードは、ビゴーの作家としての心意気を強く感じました。
会場は写美の一展示室ということで、スペースとしてもそう広くはありませんが、約170点にも及ぶビゴー作品を追いかけるのは相当の時間がかかります。なおその他、写真作品が30点弱ほど出ていましたが、展示中ではあまりビゴーとの関連を詳細に触れていなかっただけに、やや少々消化不良気味に終わってしまう面もありました。
風刺版画メインということで地味なのは事実ですが、ビゴー回顧展としては国内初を銘打った展覧会です。見応えはありました。
23日まで開催されています。
「ジョルジュ・ビゴー展 - 碧眼の浮世絵師が斬る明治」
7/11~8/23
幕末から明治にかけて来日したフランス人画家、ジョルジュ・ビゴー(1860-1927)の画業を明らかにします。東京都写真美術館で開催中の「ジョルジュ・ビゴー展 - 碧眼の浮世絵師が斬る明治」へ行ってきました。
やはりまずビゴーと言えば、教科書に出ていた上の図版の作品です。恥ずかしながら私自身、ビゴーのイメージはその程度しかありませんでしたが、この展覧会はそうした『素人』にも、ビゴーの魅力を伝えられるよう丁寧に組み立てられていました。若い頃に手がけた挿絵などより、来日後の日本で制作された版画の数々、そして帰国後に見出した新天地での制作と、時系列に紹介された作品を見ると、ビゴーの人生を追体験しているような気分になるかもしれません。
それでは展覧会の構成です。
1.来日前の作品(1860-1881)
初期の版画作品。水彩画、または新聞をはじめ、ベストセラーとなったゾラのナナの挿絵などを描く。
2.日本滞在中の作品(1882-1889)
明治15年にフランス汽船によって来日したビゴー。パリで知り合った日本人陸軍卿を訪ね、陸軍のお抱え絵師として制作を始める。文明開化に沸いた当時の日本人の風俗を批判的に捉えた。カリカチュア。
3.帰国後の作品(1899-1927)
日本での経験を買われ日露戦争に主題をとる作品などを制作。後に娘の病気のためにパリを離れ、民衆版画と言われたエピナール版画を描くようになった。その他、発見された銅版の原版など。
来日以前の水彩、及び版画はどれも比較的サイズが小さく、あまりインパクトのある作品は見受けられませんでしたが、おおよそ風刺版画で鳴らしたビゴーとは思わないような素朴な水彩や版画の他、冒頭部分のみの紹介ではあったものの、当時のベストセラーであったゾラの「ナナ」に描いた挿絵などは印象的なものがありました。ちなみに彼は元々、兵士の生活に関心があり、それが初期の「テントの兵舎」を描く切っ掛けになっただけではなく、後の日露戦争などの戦争主題の作品の制作にも繋がっていったそうですが、その辺の経緯もまた興味深いポイントではないでしょうか。出自に関しての詳しい解説があればなお良かったとは思いましたが、ビゴー独自の社会へと開かれた目は来日以前にも蓄積されていたのかもしれません。
日本滞在中のビゴーこそ、上記の有名な図版を挙げるまでもなく、彼の名を世に知らしめた画業の中核です。ここで徹底しているのは、文明開化の渦に呑み込まれ、西欧と日本的なものに挟まれた日本人の生活などを一方的に風刺するのではなく、アジアへと侵出していた西欧人に対しても同様な批判精神を持っていたということでした。日本人の身体的な特徴、つまりメガネや低い身長云々の面を取り出して誇張して描いた連作集は、確かに我々の立場からすれば苦々しいものがありますが、人形のような芸者が西洋人を迎える風景に、そのような目的で来日する西洋人の男を糾弾した「トバエ」シリーズの一枚などは、決してオリエンタリズム一辺倒ではないビゴーの精神を見る上でも重要な作品と言えそうです。
フランスへと帰国したビゴーは意外な方向へと自身の制作を転回させていきます。戦場での記録を活かし、例えば旅順で日本軍が戦死者の死体を埋葬するシーンなどの日露戦争主題の作品を手がけてもいましたが、先にも触れたフランスの地方の民衆版画、エピナール版画には、これまでの彼の作品はない新たな魅力を見る思いがしました。もちろんここでも人形に羽織を着せたモチーフなど、日本関連のものも散見されますが、マリアなどのキリスト教を主題にした作品も登場します。残念ながらこれらの版画は、民衆向けということもあってか、現存する物が大変に少ないそうですが、通常は書かないという署名までを加えて世に出したというエピソードは、ビゴーの作家としての心意気を強く感じました。
会場は写美の一展示室ということで、スペースとしてもそう広くはありませんが、約170点にも及ぶビゴー作品を追いかけるのは相当の時間がかかります。なおその他、写真作品が30点弱ほど出ていましたが、展示中ではあまりビゴーとの関連を詳細に触れていなかっただけに、やや少々消化不良気味に終わってしまう面もありました。
風刺版画メインということで地味なのは事実ですが、ビゴー回顧展としては国内初を銘打った展覧会です。見応えはありました。
23日まで開催されています。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
「山本昌男 - 川 - 」 ミヅマアートギャラリー
ミヅマアートギャラリー(目黒区上目黒1-3-9 藤屋ビル2階)
「山本昌男 - 川 - 」
7/22-8/22
アメリカやヨーロッパを中心に活動を続ける作家、(画廊HPより引用)山本昌男(1957~)の世界を紹介します。ミヅマアートギャラリーで開催中の個展へ行ってきました。
このところ若手作家の快活な展示の続いたミヅマですが、モノクロームに沈む山本の写真は、あたかもそれを冷ますかのようにして寡黙に並んでいました。展示されているのは、主に風景を切り取り、それを僅か20センチ四方程度の小さな画面へ落とし込んだ写真作品、数十点です。山本は元々、撮影したものをコラージュして箱に詰めたりするなど、半ばインスタレーション的に発表することが多いそうですが、今回は何ら奇を衒うことなく、あたかも日常のスナップ写真を飾るかのようにしてそのまま提示していました。空や海、そして雄大な稜線を描く山々が、時にうっすらとセピア色を帯びながら、どこか憧憬を抱かせるような表現で捉えられています。その枯れた感覚に惹かれる方も多いのではないでしょうか。
石や水などを一部、接写的に捉えた作品には、誤解を生むかもしれませんが『もの派』的な要素を感じました。被写体は限りない小声で何かを囁いています。
22日までの開催です。(夏期休廊:8/13~17)
「山本昌男 - 川 - 」
7/22-8/22
アメリカやヨーロッパを中心に活動を続ける作家、(画廊HPより引用)山本昌男(1957~)の世界を紹介します。ミヅマアートギャラリーで開催中の個展へ行ってきました。
このところ若手作家の快活な展示の続いたミヅマですが、モノクロームに沈む山本の写真は、あたかもそれを冷ますかのようにして寡黙に並んでいました。展示されているのは、主に風景を切り取り、それを僅か20センチ四方程度の小さな画面へ落とし込んだ写真作品、数十点です。山本は元々、撮影したものをコラージュして箱に詰めたりするなど、半ばインスタレーション的に発表することが多いそうですが、今回は何ら奇を衒うことなく、あたかも日常のスナップ写真を飾るかのようにしてそのまま提示していました。空や海、そして雄大な稜線を描く山々が、時にうっすらとセピア色を帯びながら、どこか憧憬を抱かせるような表現で捉えられています。その枯れた感覚に惹かれる方も多いのではないでしょうか。
石や水などを一部、接写的に捉えた作品には、誤解を生むかもしれませんが『もの派』的な要素を感じました。被写体は限りない小声で何かを囁いています。
22日までの開催です。(夏期休廊:8/13~17)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
「彫刻 労働と不意打ち」 東京藝術大学大学美術館陳列館
東京藝術大学大学美術館陳列館(台東区上野公園12-8)
「彫刻 労働と不意打ち」
8/8-23
東京藝術大学大学美術館陳列館で開催中の「彫刻 労働と不意打ち」へ行ってきました。
出品作家は以下の8名です。
大竹利絵子、小俣英彦、今野健太、下川慎六、西尾康之、原真一、深谷直之、森靖
この展覧会は芸大彫刻科が97年から隔年で開催している彫刻作家のグループ展です。陳列館の二層のフロアはそう広いわけではありませんが、一階、二階、そして屋外と、比較的サイズの大きな作品が約10点ほど紹介されていました。なお会場内は一部作品(西尾康之)を除いて撮影が可能です。以下、写真と合わせ、印象深い作品を挙げてみました。
【屋外】
「二重絶縁」下川慎六(2009/御影石・水・ヒーター)
御影石の上部には水がたまり、それがヒーターによって熱せられている。近くに寄ると湯気が揺らめいてるのを確かに見ることが出来た。(残念ながら写真には捉えられず。)彫刻に物理的なエネルギーがこめられた瞬間が示される。
【一階】
「大地の循環・Horn」深谷直之(2009/花崗岩)
四角形の花崗岩の板が連なり、山々が連なる鳥瞰的な光景が生み出される。床面に近づいて見るとなかなかの迫力。
「Room」大竹利絵子(2009/樟)
妙に取り澄ました表情でダイニングテーブルに座る大人と子ども。組み合わさらない視線が冷めた空気を呼び込む。全てに無関心なような子どもの様子が少し怖い。
「田んぼ」原真一(2009/石膏)
田植えをする農婦の姿を捉えたトルソー。水田のぬかるみに足を取られながらも、前へと進む女性の足取りは力強い。まるで泥をそのままに取りつけたような質感が面白かった。
【二階】
「Much ado about love-Kappa」森靖(2009/樟)
マリリン・モンローの似姿を再現。とは言え、その様子はおおよそリアルではなく、タイトルにもある通り『河童化』して示されている。スカートを押さえたモンローの躍動感がそのまま怪物となる様は凄みすらあった。
コンセプトはやや学究色が濃く、あまり取っ付き易い内容ではありませんが、全て本年の新作で構成された『旬』の彫刻展であることは相違ありません。比較的若い世代の作家が目立ちました。
23日までの開催です。なお入場は無料でした。
「彫刻 労働と不意打ち」
8/8-23
東京藝術大学大学美術館陳列館で開催中の「彫刻 労働と不意打ち」へ行ってきました。
出品作家は以下の8名です。
大竹利絵子、小俣英彦、今野健太、下川慎六、西尾康之、原真一、深谷直之、森靖
この展覧会は芸大彫刻科が97年から隔年で開催している彫刻作家のグループ展です。陳列館の二層のフロアはそう広いわけではありませんが、一階、二階、そして屋外と、比較的サイズの大きな作品が約10点ほど紹介されていました。なお会場内は一部作品(西尾康之)を除いて撮影が可能です。以下、写真と合わせ、印象深い作品を挙げてみました。
【屋外】
「二重絶縁」下川慎六(2009/御影石・水・ヒーター)
御影石の上部には水がたまり、それがヒーターによって熱せられている。近くに寄ると湯気が揺らめいてるのを確かに見ることが出来た。(残念ながら写真には捉えられず。)彫刻に物理的なエネルギーがこめられた瞬間が示される。
【一階】
「大地の循環・Horn」深谷直之(2009/花崗岩)
四角形の花崗岩の板が連なり、山々が連なる鳥瞰的な光景が生み出される。床面に近づいて見るとなかなかの迫力。
「Room」大竹利絵子(2009/樟)
妙に取り澄ました表情でダイニングテーブルに座る大人と子ども。組み合わさらない視線が冷めた空気を呼び込む。全てに無関心なような子どもの様子が少し怖い。
「田んぼ」原真一(2009/石膏)
田植えをする農婦の姿を捉えたトルソー。水田のぬかるみに足を取られながらも、前へと進む女性の足取りは力強い。まるで泥をそのままに取りつけたような質感が面白かった。
【二階】
「Much ado about love-Kappa」森靖(2009/樟)
マリリン・モンローの似姿を再現。とは言え、その様子はおおよそリアルではなく、タイトルにもある通り『河童化』して示されている。スカートを押さえたモンローの躍動感がそのまま怪物となる様は凄みすらあった。
コンセプトはやや学究色が濃く、あまり取っ付き易い内容ではありませんが、全て本年の新作で構成された『旬』の彫刻展であることは相違ありません。比較的若い世代の作家が目立ちました。
23日までの開催です。なお入場は無料でした。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
「牧島如鳩展 - 神と仏の場所 - 」 三鷹市美術ギャラリー
三鷹市美術ギャラリー(三鷹市下連雀3-35-1 CORAL5階)
「牧島如鳩展 - 神と仏の場所 - 」
7/25~8/23
栃木県足利市に生まれ、ハリストス正教会(*)の伝道者としてのイコン画家を出発点に、神と仏を独自の視点で描き続けた牧島如鳩(まきしま・にょきゅう 1892-1975)の画業を紹介します。三鷹市美術ギャラリーで開催中の「牧島如鳩展 - 神と仏の場所 - 」へ行ってきました。
美術館公式HPにもありましたが、ちらし表紙の作品画像に度肝を抜かれたのは私だけではないかもしれません。実際、このちらしを見るまで、牧島の名を全く知りませんでしたが、イコンを単に描き続けた職業画家の域はゆうに超え、日本の土着的な風俗を呼び込みつつ、神も仏も一に見て生み出された仏神融合的宗教画の数々には終始圧倒されました。
それでは展覧会の構成です。初めに制作の中心となる宗教画を概観した上で、時系列に牧島の画業を辿る内容となっていました。
1.「イコンと仏画」
初期より晩年のイコン、及び仏画。足利で生まれた牧島は元々、ハリストス教会の聖像画家としてスタートしたが、東方正教自体の土着性、または自身の仏教への関心にも起因して、後に仏画を多数描くようになった。
2.「足利での共同生活」
妻の結核のために伊東へ。妻の死後、弟子たちと足利で共同生活を行う。
3.「小名浜時代およびイコンと仏画の融合」
戦後、小名浜へ。(昭和27年まで滞在。)いわゆる霊験を聞いて様々な仏神融合的な宗教画を手がけていく。
4.「足利・東京放浪」
足利と東京を往復する生活。身なりも貧しく、足利では浮浪者と間違えられることもあった。
5.「願行寺に庵を結ぶ」
東京・文京区の願行寺を終の住処とした牧島。当地の禅僧と交流しながら制作を続ける。
それでは展示順に印象に残った作品を挙げます。
「ゲフシマニヤの祈り」(1934年)
天には神からの杯が降り、その下でイエスが祈りを捧げている。イエスの表情は恍惚としていながらも、その顔立ちの描写はまさに農夫のようで、非常に逞しい。土着的なものへ牧島の関心が早くも画風に表れているのかもしれない。
「十字架途上の祝福」(1957年)
群衆を導くかのようにしてゴルゴタをあがるイエス。暗がりの地面には骸骨が転がる一方、空は晴れ渡るブルーの強烈な色彩に包まれている。その対比が不気味なほどに鮮烈だ。
「聖母子像」(1950年代後半)
絹本の軸画に描かれたマリア。その様は日本画の素材感もあってエキゾチックだが、紫色の衣に包まれたマリアの姿は素直に美しかった。
「涅槃」(1967年)
血のように赤いシーツの上で眠る釈迦の姿。空には上に挙げた「十字架途上」でも見られた原色に鮮やかなブルーの晴天が広がっている。老若男女、獣までが寄り添って寄り添って群がる様子は異様な雰囲気。隣の日本画の「涅槃」と見比べるのも興味深かった。
「医術」(1929年)
結核治療のため妻が入院した伊東の病院に贈られたという一枚。中央の壇上にはイエスと菩薩を思わせる男性が並び、左下には帝王切開で子どもの生まれる手術の様子、また右下にはレントゲンを受ける妻とその様を説明する牧島本人の姿が描かれている。荒涼たる岩山、そして中身のくり抜かれた木などの背景は暗鬱で、手前中央に咲く麻酔の素材となる芥子の花は妖しく咲いていた。これぞ牧島とも言うべき特異な画風。
「空の中のイエス」(1959年頃)
全ては『空』であるという仏教の教えとイエスを重ね合わせて見た作品。漢字の『空』の冠の部分が天使に、また工の部分が寝台に見立てられ、その中をイエスが眠りこけている。こうしたイメージは一体どこから沸いてくるのだろうか。心底驚かされた。
「慈母観音像」(1948年)
乳房を露にした観音の手には、裸のイエスが抱かれている。七色に輝く光背、または観音の冠は精緻でかつ色鮮やかに描かれていた。まるでインド絵画のようでもある。
「魚籃観音像」(1952年)
牧島の作品の中で一番惹かれた一枚。これほど艶やかでかつ威厳に満ちた魚籃観音を描いた作家が他にいるのだろうか。空には星も瞬き、また天使たちを従え、波間から大きく沸き立つ水の羽衣をまといながら、眼下には街ものぞむ空にて堂々と君臨している。左からはマリアが近づいているのもまた牧島ならではの表現だろう。ちなみに本作は今も所蔵の小名浜の漁協の一室に飾られているらしい。思わず足がすくむほどに圧倒された。
「沐浴図」(1950年代前半)
特異な牧島の画風の中でも際立つ作品。一糸纏わぬ女性たちが海を望む浴場にて思い思いに寛いでいる。海に浮かぶ島、そして前景の浴場など、その光景はまるでダリかデルヴォーでも思わせるようにシュール。おおよそこの世の景色とは思えないような空間が広がっている。
如何でしょうか。ともかく一点一点、何かしらの感銘を受け、または驚かされるような作品ばかりでした。
同ギャラリーでは2006年の高島野十郎以来のヒット企画ではないでしょうか。アクの強い画家なので好き嫌いは分かれますが、言葉は悪いながらも騙されたと思って行ってみて下さい。日本の近代絵画史にこのような希有な作家がいたのかと感心すること間違いありません。
23日までの開催です。なお同ギャラリーは休館日の月曜を除き、連日夜8時(入館は7時半まで)まで開館しています。もちろんおすすめします。
*日本ハリストス正教会は、キリスト教の教会。自治独立が認められている正教会所属教会のひとつ。ハリストスは「キリスト」の意。府主教座は神田のニコライ堂。明治時代に、ロシア正教会の修道司祭聖ニコライによって正教の教えがもたらされ、これがその後の日本ハリストス正教会の設立につながった。(Wikiより引用。)
「牧島如鳩展 - 神と仏の場所 - 」
7/25~8/23
栃木県足利市に生まれ、ハリストス正教会(*)の伝道者としてのイコン画家を出発点に、神と仏を独自の視点で描き続けた牧島如鳩(まきしま・にょきゅう 1892-1975)の画業を紹介します。三鷹市美術ギャラリーで開催中の「牧島如鳩展 - 神と仏の場所 - 」へ行ってきました。
美術館公式HPにもありましたが、ちらし表紙の作品画像に度肝を抜かれたのは私だけではないかもしれません。実際、このちらしを見るまで、牧島の名を全く知りませんでしたが、イコンを単に描き続けた職業画家の域はゆうに超え、日本の土着的な風俗を呼び込みつつ、神も仏も一に見て生み出された仏神融合的宗教画の数々には終始圧倒されました。
それでは展覧会の構成です。初めに制作の中心となる宗教画を概観した上で、時系列に牧島の画業を辿る内容となっていました。
1.「イコンと仏画」
初期より晩年のイコン、及び仏画。足利で生まれた牧島は元々、ハリストス教会の聖像画家としてスタートしたが、東方正教自体の土着性、または自身の仏教への関心にも起因して、後に仏画を多数描くようになった。
2.「足利での共同生活」
妻の結核のために伊東へ。妻の死後、弟子たちと足利で共同生活を行う。
3.「小名浜時代およびイコンと仏画の融合」
戦後、小名浜へ。(昭和27年まで滞在。)いわゆる霊験を聞いて様々な仏神融合的な宗教画を手がけていく。
4.「足利・東京放浪」
足利と東京を往復する生活。身なりも貧しく、足利では浮浪者と間違えられることもあった。
5.「願行寺に庵を結ぶ」
東京・文京区の願行寺を終の住処とした牧島。当地の禅僧と交流しながら制作を続ける。
それでは展示順に印象に残った作品を挙げます。
「ゲフシマニヤの祈り」(1934年)
天には神からの杯が降り、その下でイエスが祈りを捧げている。イエスの表情は恍惚としていながらも、その顔立ちの描写はまさに農夫のようで、非常に逞しい。土着的なものへ牧島の関心が早くも画風に表れているのかもしれない。
「十字架途上の祝福」(1957年)
群衆を導くかのようにしてゴルゴタをあがるイエス。暗がりの地面には骸骨が転がる一方、空は晴れ渡るブルーの強烈な色彩に包まれている。その対比が不気味なほどに鮮烈だ。
「聖母子像」(1950年代後半)
絹本の軸画に描かれたマリア。その様は日本画の素材感もあってエキゾチックだが、紫色の衣に包まれたマリアの姿は素直に美しかった。
「涅槃」(1967年)
血のように赤いシーツの上で眠る釈迦の姿。空には上に挙げた「十字架途上」でも見られた原色に鮮やかなブルーの晴天が広がっている。老若男女、獣までが寄り添って寄り添って群がる様子は異様な雰囲気。隣の日本画の「涅槃」と見比べるのも興味深かった。
「医術」(1929年)
結核治療のため妻が入院した伊東の病院に贈られたという一枚。中央の壇上にはイエスと菩薩を思わせる男性が並び、左下には帝王切開で子どもの生まれる手術の様子、また右下にはレントゲンを受ける妻とその様を説明する牧島本人の姿が描かれている。荒涼たる岩山、そして中身のくり抜かれた木などの背景は暗鬱で、手前中央に咲く麻酔の素材となる芥子の花は妖しく咲いていた。これぞ牧島とも言うべき特異な画風。
「空の中のイエス」(1959年頃)
全ては『空』であるという仏教の教えとイエスを重ね合わせて見た作品。漢字の『空』の冠の部分が天使に、また工の部分が寝台に見立てられ、その中をイエスが眠りこけている。こうしたイメージは一体どこから沸いてくるのだろうか。心底驚かされた。
「慈母観音像」(1948年)
乳房を露にした観音の手には、裸のイエスが抱かれている。七色に輝く光背、または観音の冠は精緻でかつ色鮮やかに描かれていた。まるでインド絵画のようでもある。
「魚籃観音像」(1952年)
牧島の作品の中で一番惹かれた一枚。これほど艶やかでかつ威厳に満ちた魚籃観音を描いた作家が他にいるのだろうか。空には星も瞬き、また天使たちを従え、波間から大きく沸き立つ水の羽衣をまといながら、眼下には街ものぞむ空にて堂々と君臨している。左からはマリアが近づいているのもまた牧島ならではの表現だろう。ちなみに本作は今も所蔵の小名浜の漁協の一室に飾られているらしい。思わず足がすくむほどに圧倒された。
「沐浴図」(1950年代前半)
特異な牧島の画風の中でも際立つ作品。一糸纏わぬ女性たちが海を望む浴場にて思い思いに寛いでいる。海に浮かぶ島、そして前景の浴場など、その光景はまるでダリかデルヴォーでも思わせるようにシュール。おおよそこの世の景色とは思えないような空間が広がっている。
如何でしょうか。ともかく一点一点、何かしらの感銘を受け、または驚かされるような作品ばかりでした。
同ギャラリーでは2006年の高島野十郎以来のヒット企画ではないでしょうか。アクの強い画家なので好き嫌いは分かれますが、言葉は悪いながらも騙されたと思って行ってみて下さい。日本の近代絵画史にこのような希有な作家がいたのかと感心すること間違いありません。
23日までの開催です。なお同ギャラリーは休館日の月曜を除き、連日夜8時(入館は7時半まで)まで開館しています。もちろんおすすめします。
*日本ハリストス正教会は、キリスト教の教会。自治独立が認められている正教会所属教会のひとつ。ハリストスは「キリスト」の意。府主教座は神田のニコライ堂。明治時代に、ロシア正教会の修道司祭聖ニコライによって正教の教えがもたらされ、これがその後の日本ハリストス正教会の設立につながった。(Wikiより引用。)
コメント ( 14 ) | Trackback ( 0 )
ウェブラジオでプロムス2009を聞く
先日、バイロイト音楽祭のネット放送が終わったばかりですが、今度はイギリスのBBCより、世界最大のクラシック音楽祭とも言われるプロムスが連日無料で放送されています。楽しまれている方も多いのではないでしょうか。
BBC Proms 2009(公式HP)
公演は全て生で放送されていますが、時差があるため、やはり有用なのは配信日より一週間限定のオンデマンドです。連日プログラムが進行するため、一週間を超えた過去の録音は聞くことが出来ませんが、現在もなかなか興味深い演目が登場しています。以下、メジャーなものから、今聴くことの出来る演奏を挙げてみました。
Proms broadcasts(現在配信中のプログラム一覧。試聴はこちらから。)
Prom 26(8/5) メンデルスゾーン:「交響曲第1番」、「ヴァイオリン協奏曲」他 イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)、ティエリー・フィッシャー指揮BBCウェールズ響 残り数時間で配信は終了します。ファウストの艶やかなヴァイオリンが印象的でした。
Prom 28(8/6) モーツァルト:「ファゴット協奏曲」、マーラー:「交響曲第6番」他 カレン・ジョーヒガン(ファゴット)、ジャアンドレア・ノセダ指揮BBCフィルハーモニック まるでダンスミュージックのようにリズミカルなマーラーでした。最終楽章こそ比較的大人しいものですが、一楽章の快活な様は一見の価値ありです。
Prom 29(8/7) メンデルスゾーン:「交響曲第4番 イタリア」、レスピーギ:「ローマの松」他 ヴィヴィカ・ジュノー(メゾソプラノ)、ジャナンドレア・ノセダ指揮BBCフィルハーモニック
Prom 32(8/9) モーツァルト:「2台ピアノのための協奏曲」、ルトスワフスキ:「パガニーニの主題による変奏曲」、サンサーンス:「動物の謝肉祭」他 サンヤ・ビジャーク(ピアノ)他 ルドヴィク・モルロー指揮ブリテン・シンフォニア 歯切れの良いピアノがモーツァルトを小気味良く奏でます。
Prom 31(8/9) チャイコフスキー:「ピアノ協奏曲第1番」、ルトスワフスキ:「管弦楽のための協奏曲」、レスピーギ:「ローマの祭り」 スティーヴン・ハフ(ピアノ)ヴァシリー・ペトレンコ指揮英国国立ユース管 ハフ&ユース管の飛ばしに飛ばすチャイコンです。出来はともあれ熱気に満ちあふれていました。
Prom 33(8/10) バルトーク:「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」、ストラヴィンスキー:「結婚」他 タチアナ・モロガロワ(ソプラノ)、サイモン・クロフォード・フィリップス(ピアノ)、サム・ウォルトン(打楽器)他 エドワード・ガードナー指揮ロンドン・シンフォニエッタ 確か昨年のLFJでも似たようなプログラムがありました。
Prom 34(8/11) チャイコフスキー:「ヴァイオリン協奏曲」、ハチャトゥリアン:「スパルタカス」「ガヤネー」他 ジュリアン・ラクリン(ヴァイオリン)キリル・カラヴィツ指揮ボーンマス交響楽団
なお日本語表記については、海外のクラシック音楽のウェブラジオの番組表を更新されておられるおかかさんのブログから転載させていただきました。そちらにはこの音楽祭以外にも、多数のライブ放送の演目が掲載されています。是非ご覧下さい。
おかか since 1968 Ver.2.0
Poulenc Concerto for Two Pianos Katia and Marielle Labeque BBC SO Jiri Belohlavek Proms 2009 [1/3]
本日以降、直近のプログラムとしてはサリヴァンの喜歌劇の他、ベートーヴェンの第九交響曲なども予定されているそうです。ちなみにプロムス自体の開催は9月中旬までと長丁場です。夏の夜はしばらくこちらで音楽三昧も良いかもしれません。
Prom 35(8/12) サリヴァン:喜歌劇「ペイシェンス」(セミステージ公演) レベッカ・ボットーネ、フェリシティ・パーマー他 チャールズ・マッケラス指揮BBCコンサート・オーケストラ他
Prom 40(8/16) ストラヴィンスキー:オルフェウス、ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付」 レベッカ・エヴァンス(ソプラノ)他 イラン・ヴォルコフ指揮BBCスコティッシュ響/バーミンガム市シンフォニー・コーラス
リンクミスなどもあるやもしれません。番組表については最上段リンク先のPromsのページを改めて参照下さい。
また某動画投稿サイトに本年のPromsのコンサート映像がいくつかあがっています。ご参考までにどうぞ。(閲覧はアカウントが必要です。)
BBC Proms 2009(公式HP)
公演は全て生で放送されていますが、時差があるため、やはり有用なのは配信日より一週間限定のオンデマンドです。連日プログラムが進行するため、一週間を超えた過去の録音は聞くことが出来ませんが、現在もなかなか興味深い演目が登場しています。以下、メジャーなものから、今聴くことの出来る演奏を挙げてみました。
Proms broadcasts(現在配信中のプログラム一覧。試聴はこちらから。)
Prom 26(8/5) メンデルスゾーン:「交響曲第1番」、「ヴァイオリン協奏曲」他 イザベル・ファウスト(ヴァイオリン)、ティエリー・フィッシャー指揮BBCウェールズ響 残り数時間で配信は終了します。ファウストの艶やかなヴァイオリンが印象的でした。
Prom 28(8/6) モーツァルト:「ファゴット協奏曲」、マーラー:「交響曲第6番」他 カレン・ジョーヒガン(ファゴット)、ジャアンドレア・ノセダ指揮BBCフィルハーモニック まるでダンスミュージックのようにリズミカルなマーラーでした。最終楽章こそ比較的大人しいものですが、一楽章の快活な様は一見の価値ありです。
Prom 29(8/7) メンデルスゾーン:「交響曲第4番 イタリア」、レスピーギ:「ローマの松」他 ヴィヴィカ・ジュノー(メゾソプラノ)、ジャナンドレア・ノセダ指揮BBCフィルハーモニック
Prom 32(8/9) モーツァルト:「2台ピアノのための協奏曲」、ルトスワフスキ:「パガニーニの主題による変奏曲」、サンサーンス:「動物の謝肉祭」他 サンヤ・ビジャーク(ピアノ)他 ルドヴィク・モルロー指揮ブリテン・シンフォニア 歯切れの良いピアノがモーツァルトを小気味良く奏でます。
Prom 31(8/9) チャイコフスキー:「ピアノ協奏曲第1番」、ルトスワフスキ:「管弦楽のための協奏曲」、レスピーギ:「ローマの祭り」 スティーヴン・ハフ(ピアノ)ヴァシリー・ペトレンコ指揮英国国立ユース管 ハフ&ユース管の飛ばしに飛ばすチャイコンです。出来はともあれ熱気に満ちあふれていました。
Prom 33(8/10) バルトーク:「2台のピアノと打楽器のためのソナタ」、ストラヴィンスキー:「結婚」他 タチアナ・モロガロワ(ソプラノ)、サイモン・クロフォード・フィリップス(ピアノ)、サム・ウォルトン(打楽器)他 エドワード・ガードナー指揮ロンドン・シンフォニエッタ 確か昨年のLFJでも似たようなプログラムがありました。
Prom 34(8/11) チャイコフスキー:「ヴァイオリン協奏曲」、ハチャトゥリアン:「スパルタカス」「ガヤネー」他 ジュリアン・ラクリン(ヴァイオリン)キリル・カラヴィツ指揮ボーンマス交響楽団
なお日本語表記については、海外のクラシック音楽のウェブラジオの番組表を更新されておられるおかかさんのブログから転載させていただきました。そちらにはこの音楽祭以外にも、多数のライブ放送の演目が掲載されています。是非ご覧下さい。
おかか since 1968 Ver.2.0
Poulenc Concerto for Two Pianos Katia and Marielle Labeque BBC SO Jiri Belohlavek Proms 2009 [1/3]
本日以降、直近のプログラムとしてはサリヴァンの喜歌劇の他、ベートーヴェンの第九交響曲なども予定されているそうです。ちなみにプロムス自体の開催は9月中旬までと長丁場です。夏の夜はしばらくこちらで音楽三昧も良いかもしれません。
Prom 35(8/12) サリヴァン:喜歌劇「ペイシェンス」(セミステージ公演) レベッカ・ボットーネ、フェリシティ・パーマー他 チャールズ・マッケラス指揮BBCコンサート・オーケストラ他
Prom 40(8/16) ストラヴィンスキー:オルフェウス、ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱付」 レベッカ・エヴァンス(ソプラノ)他 イラン・ヴォルコフ指揮BBCスコティッシュ響/バーミンガム市シンフォニー・コーラス
リンクミスなどもあるやもしれません。番組表については最上段リンク先のPromsのページを改めて参照下さい。
また某動画投稿サイトに本年のPromsのコンサート映像がいくつかあがっています。ご参考までにどうぞ。(閲覧はアカウントが必要です。)
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
「謎のデザイナー 小林かいちの世界」 ニューオータニ美術館
ニューオータニ美術館(千代田区紀尾井町4-1)
「謎のデザイナー 小林かいちの世界」
7/11-8/23
大正後期より昭和初期にかけ、主に京都で絵葉書や封筒などの図案を手がけた小林かいち(1896~1968)の業績を紹介します。ニューオータニ美術館で開催中の「謎のデザイナー 小林かいちの世界」へ行ってきました。
表題の「謎のデザイナー」というのもあながち誇張ではありません。明治生まれのかいちは、昭和43年に没するまでの60年余の生涯を全うしましたが、前述の通り、その目立った制作期は大正末より昭和初期までに限られ、他の経歴なども決して詳らかになっているとは言えません。「好事家の間」(HPより引用)では知られてはいたというもの、私自身も実際にかいちの作品を意識して見たのは初めてでした。
そもそもかいちのデザインは先に海外コレクターに知られ、それが逆輸入されることで国内でも認知されるようになってきた経緯を辿っています。そして今回は、そうした彼の業績を初めて東京でまとまって紹介する展覧会です。以前にも、この展示の作品収蔵元でもある伊香保の保科美術館などで回顧展があったそうですが、この機会を逃すという手はないというわけでした。
かいちの描くデザインの溢れるロマンに心打たれたのは私だけではないはずです。優雅な曲線美によって象られた絵葉書の小宇宙は、もはや一つのドラマを演じる舞台として捉えても良いのではないでしょうか。後姿にも美しい女性の小人たちは、艶やかな服を身にまとって、夢二やミュシャ、そしてロートレックを連想させるような甘美な世界を次々と作り出していました。
「現代に通用する」(ちらしより引用)という言葉も、時に有りがちな褒め言葉になる嫌いもありますが、かいちに関してはそうした懸念も無用です。雪佳にも連なる京琳派風の千鳥しかり、伝統的な日本の花鳥画の紋様をちりばめつつも、擬人化された蝶、また十字架や鍵などといった西洋風の多様なモチーフは、幾何学的に交差する線の中で自在に登場し、まさに洋の東西を超えたモダンな図像を生み出していました。そして薄ピンクやワイン色を多用した色遣いもまた見逃せません。淡く優しい紫やピンクが仄かに広がり、図柄を生み出す繊細な感性と照応していました。
惹かれた作品をあげるとキリがないので控えますが、関東大震災で灰燼に帰した街を捉えた「廃墟」のシリーズの他、クローバーが唇に触れてキスをする「草花」、そして上にも図版を載せた花が涙してハートのエースを描く「トランプ」の模様などには強く心打たれました。
なお残念ながら本展示は図録がありませんが、その代わりとも言うべき以下の書籍が刊行されています。そちらを一読してかいちの世界に近づくのも良いのではないでしょうか。
「小林かいちの魅力 - 京都アール・デコの発見/山田俊・永山多貴子/清流出版」
会場を一巡して見終えた後、出口など視界に入らず、自然と二巡目の観覧に入っていた自分にしばらく経ってから気がつきました。かつてこの美術館での開かれた巴水展と同じくらいの衝撃を受けたかもしれません。
8月23日までの開催です。今更ながらも強くおすすめします。
「謎のデザイナー 小林かいちの世界」
7/11-8/23
大正後期より昭和初期にかけ、主に京都で絵葉書や封筒などの図案を手がけた小林かいち(1896~1968)の業績を紹介します。ニューオータニ美術館で開催中の「謎のデザイナー 小林かいちの世界」へ行ってきました。
表題の「謎のデザイナー」というのもあながち誇張ではありません。明治生まれのかいちは、昭和43年に没するまでの60年余の生涯を全うしましたが、前述の通り、その目立った制作期は大正末より昭和初期までに限られ、他の経歴なども決して詳らかになっているとは言えません。「好事家の間」(HPより引用)では知られてはいたというもの、私自身も実際にかいちの作品を意識して見たのは初めてでした。
そもそもかいちのデザインは先に海外コレクターに知られ、それが逆輸入されることで国内でも認知されるようになってきた経緯を辿っています。そして今回は、そうした彼の業績を初めて東京でまとまって紹介する展覧会です。以前にも、この展示の作品収蔵元でもある伊香保の保科美術館などで回顧展があったそうですが、この機会を逃すという手はないというわけでした。
かいちの描くデザインの溢れるロマンに心打たれたのは私だけではないはずです。優雅な曲線美によって象られた絵葉書の小宇宙は、もはや一つのドラマを演じる舞台として捉えても良いのではないでしょうか。後姿にも美しい女性の小人たちは、艶やかな服を身にまとって、夢二やミュシャ、そしてロートレックを連想させるような甘美な世界を次々と作り出していました。
「現代に通用する」(ちらしより引用)という言葉も、時に有りがちな褒め言葉になる嫌いもありますが、かいちに関してはそうした懸念も無用です。雪佳にも連なる京琳派風の千鳥しかり、伝統的な日本の花鳥画の紋様をちりばめつつも、擬人化された蝶、また十字架や鍵などといった西洋風の多様なモチーフは、幾何学的に交差する線の中で自在に登場し、まさに洋の東西を超えたモダンな図像を生み出していました。そして薄ピンクやワイン色を多用した色遣いもまた見逃せません。淡く優しい紫やピンクが仄かに広がり、図柄を生み出す繊細な感性と照応していました。
惹かれた作品をあげるとキリがないので控えますが、関東大震災で灰燼に帰した街を捉えた「廃墟」のシリーズの他、クローバーが唇に触れてキスをする「草花」、そして上にも図版を載せた花が涙してハートのエースを描く「トランプ」の模様などには強く心打たれました。
なお残念ながら本展示は図録がありませんが、その代わりとも言うべき以下の書籍が刊行されています。そちらを一読してかいちの世界に近づくのも良いのではないでしょうか。
「小林かいちの魅力 - 京都アール・デコの発見/山田俊・永山多貴子/清流出版」
会場を一巡して見終えた後、出口など視界に入らず、自然と二巡目の観覧に入っていた自分にしばらく経ってから気がつきました。かつてこの美術館での開かれた巴水展と同じくらいの衝撃を受けたかもしれません。
8月23日までの開催です。今更ながらも強くおすすめします。
コメント ( 11 ) | Trackback ( 0 )
「国立西洋美術館 常設展示」(Vol.2・新館編) 国立西洋美術館
国立西洋美術館(台東区上野公園7-7)
「国立西洋美術館 常設展示」(Vol.2・新館編)
~8/31
Vol.1に続きます。本館の後は、板張りの床面も真新しい、リニューアルされた西美新館を見てきました。
新館第8室「19世紀の絵画」。中央に立つのはロダンの「説教する洗礼者ヨハネ」です。馴染み深い作品も新調された空間で見ると新鮮味がありました。
アリ・シェフェール「戦いの中、聖母の加護を願うギリシャの乙女たち」(1826)
ギリシャの対トルコ戦争に主題をとった作品です。遠くには戦争の様子も垣間見える岩窟では、女性たちがイコン前にして祈るような仕草を見せています。この戦い、つまりミソロンギ攻防戦は、義勇兵として参加した詩人バイロンの死でも有名となりました。(キャプションを参考)
ギュスターヴ・ドレ「ラ・シエスタ、スペインの思い出」(1868)
縦3メートル近くもあるドレの大作です。黄昏の街角の光景を美しく表しています。すっと差し込む光は、画面をまるで舞台のワンシーンのように演出しました。奥にそっと壁に寄り添って立つ女性の表情も魅力的です。
ウジェーヌ・ブーダン「トルーヴィルの浜」(1867)
「海浜生活」(解説HPより)を楽しむ人々の様子が描かれています。画面の8割を占める空と、他2割の海岸で分割された構図、もしくはやや引き気味に捉えた構図に安定感があるからでしょうか。賑わいのがやがやとした様子はあまり伝わらず、むしろ静かで落ち着いた印象を受けました。
カミーユ・ピサロ「冬景色」(1873)
いつもこの作品の前に来ると、科学文明の到来した時代の気配を感じます。土手沿いの小道に立ち並ぶ支柱は、言うまでもなく電柱でした。すっきりと晴れない、やや陰った曇り空に、どことない哀愁の漂う作品です。
クロード・モネ「セーヌ河の朝」(1898)
西美常設で一番人気があるのは、やはり作品も多いモネなのでしょうか。枝垂れのモチーフも幽玄に、草むらに覆われた川面の色の渦が、モネ一流の繊細でざわめいたタッチで表されています。この色には呑み込まれてしまいました。
これまではほぼデッドスペースであった中庭(一階)横の空間に、ロダンの彫刻の並ぶ新展示室が登場しました。リニューアルで一番変化のあった箇所ではないでしょうか。
こちらは第11室、19世紀の絵画のコーナーです。後ほど紹介するセガンティーニ、ハンマースホイの新収蔵作品も加わって、より充実したスペースへと変化しました。
アンリ・ファンタン=ラトゥール「聖アントニウスの誘惑」
タイトルを知らなければ、まるでニンフたちが愉しそうに祝宴を催している様子にも見えます。七色にも光る女性たちは、手に酒を持ち、また裸体をさらけ出して、アントニウスを大仰に誘っていました。
ジョヴァンニ・セガンティーニ「羊の剪毛」(1883-84)
新収蔵作品のうちの一つです。ワイドな横長の画面に、羊飼いたちが毛を刈る光景が描かれています。眩しいほどの光に包まれて輝く羊の毛、そして土や柱のグレーや茶色などが、セガンティーニらしい澄み切ったタッチでまとめられていました。
フランク・ウィリアム・ブラングィン「しけの日」(1889)
まるで廃船のように古びた蒸気船が荒れ狂う波間を進みます。甲板より手を向ける男は、手前のボートへと指示を送っているのでしょうか。ドラマチックな構成はもちろん、力強く、メタリックな色遣いには迫力も感じられました。なお来年には同館にて、ブラングィンを回顧する企画展も予定されています。これは待ち遠しいです。(「フランク・ブラングィン展@国立西洋美術館」 2010/2/23~5/30)
ヴィルヘルム・ハンマースホイ「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」(1910)
去年、同館の一大回顧展で話題をさらったハンマースホイの作品がさり気なく展示(新収蔵品)されていました。かの企画展では、モデルの後姿や誰もいない室内など、どこかメランコリックなモチーフの連続に滅入ってしまった部分もありましたが、このようにして一枚だけ展示されると、潔癖でさえあるほどに塵一つない室内空間はもとより、一見日常を捉えたようでも、基底に流れる非日常的な沈黙の物語など、他にはない魅力があることを改めて感じました。
最後の展示室、第12室の「20世紀絵画」です。スーティンやミロ辺りのインパクトは強烈ですが、それまでの流れからすると全体としての印象がいささか薄くなってしまうのは否めません。
この日は版画展を第一目的にすべく、先にこちらを流して見るつもりで入りましたが、さすがに久々の全館展示ということもあってか、自分でも思いもつかないほど長い時間うろうろと歩き回ってしまいました。強い衝撃を与えるような作品こそ多くはありませんが、これほど安定感のある西洋絵画コレクションを楽しめる場所は、国内では西美の他に考えられません。
現在の常設展示は8月30日まで開催されています。(9月初旬に展示替えが予定されています。)
「国立西洋美術館 常設展示」(Vol.2・新館編)
~8/31
Vol.1に続きます。本館の後は、板張りの床面も真新しい、リニューアルされた西美新館を見てきました。
新館第8室「19世紀の絵画」。中央に立つのはロダンの「説教する洗礼者ヨハネ」です。馴染み深い作品も新調された空間で見ると新鮮味がありました。
アリ・シェフェール「戦いの中、聖母の加護を願うギリシャの乙女たち」(1826)
ギリシャの対トルコ戦争に主題をとった作品です。遠くには戦争の様子も垣間見える岩窟では、女性たちがイコン前にして祈るような仕草を見せています。この戦い、つまりミソロンギ攻防戦は、義勇兵として参加した詩人バイロンの死でも有名となりました。(キャプションを参考)
ギュスターヴ・ドレ「ラ・シエスタ、スペインの思い出」(1868)
縦3メートル近くもあるドレの大作です。黄昏の街角の光景を美しく表しています。すっと差し込む光は、画面をまるで舞台のワンシーンのように演出しました。奥にそっと壁に寄り添って立つ女性の表情も魅力的です。
ウジェーヌ・ブーダン「トルーヴィルの浜」(1867)
「海浜生活」(解説HPより)を楽しむ人々の様子が描かれています。画面の8割を占める空と、他2割の海岸で分割された構図、もしくはやや引き気味に捉えた構図に安定感があるからでしょうか。賑わいのがやがやとした様子はあまり伝わらず、むしろ静かで落ち着いた印象を受けました。
カミーユ・ピサロ「冬景色」(1873)
いつもこの作品の前に来ると、科学文明の到来した時代の気配を感じます。土手沿いの小道に立ち並ぶ支柱は、言うまでもなく電柱でした。すっきりと晴れない、やや陰った曇り空に、どことない哀愁の漂う作品です。
クロード・モネ「セーヌ河の朝」(1898)
西美常設で一番人気があるのは、やはり作品も多いモネなのでしょうか。枝垂れのモチーフも幽玄に、草むらに覆われた川面の色の渦が、モネ一流の繊細でざわめいたタッチで表されています。この色には呑み込まれてしまいました。
これまではほぼデッドスペースであった中庭(一階)横の空間に、ロダンの彫刻の並ぶ新展示室が登場しました。リニューアルで一番変化のあった箇所ではないでしょうか。
こちらは第11室、19世紀の絵画のコーナーです。後ほど紹介するセガンティーニ、ハンマースホイの新収蔵作品も加わって、より充実したスペースへと変化しました。
アンリ・ファンタン=ラトゥール「聖アントニウスの誘惑」
タイトルを知らなければ、まるでニンフたちが愉しそうに祝宴を催している様子にも見えます。七色にも光る女性たちは、手に酒を持ち、また裸体をさらけ出して、アントニウスを大仰に誘っていました。
ジョヴァンニ・セガンティーニ「羊の剪毛」(1883-84)
新収蔵作品のうちの一つです。ワイドな横長の画面に、羊飼いたちが毛を刈る光景が描かれています。眩しいほどの光に包まれて輝く羊の毛、そして土や柱のグレーや茶色などが、セガンティーニらしい澄み切ったタッチでまとめられていました。
フランク・ウィリアム・ブラングィン「しけの日」(1889)
まるで廃船のように古びた蒸気船が荒れ狂う波間を進みます。甲板より手を向ける男は、手前のボートへと指示を送っているのでしょうか。ドラマチックな構成はもちろん、力強く、メタリックな色遣いには迫力も感じられました。なお来年には同館にて、ブラングィンを回顧する企画展も予定されています。これは待ち遠しいです。(「フランク・ブラングィン展@国立西洋美術館」 2010/2/23~5/30)
ヴィルヘルム・ハンマースホイ「ピアノを弾く妻イーダのいる室内」(1910)
去年、同館の一大回顧展で話題をさらったハンマースホイの作品がさり気なく展示(新収蔵品)されていました。かの企画展では、モデルの後姿や誰もいない室内など、どこかメランコリックなモチーフの連続に滅入ってしまった部分もありましたが、このようにして一枚だけ展示されると、潔癖でさえあるほどに塵一つない室内空間はもとより、一見日常を捉えたようでも、基底に流れる非日常的な沈黙の物語など、他にはない魅力があることを改めて感じました。
最後の展示室、第12室の「20世紀絵画」です。スーティンやミロ辺りのインパクトは強烈ですが、それまでの流れからすると全体としての印象がいささか薄くなってしまうのは否めません。
この日は版画展を第一目的にすべく、先にこちらを流して見るつもりで入りましたが、さすがに久々の全館展示ということもあってか、自分でも思いもつかないほど長い時間うろうろと歩き回ってしまいました。強い衝撃を与えるような作品こそ多くはありませんが、これほど安定感のある西洋絵画コレクションを楽しめる場所は、国内では西美の他に考えられません。
現在の常設展示は8月30日まで開催されています。(9月初旬に展示替えが予定されています。)
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
「国立西洋美術館 常設展示」(Vol.1・本館編) 国立西洋美術館
国立西洋美術館(台東区上野公園7-7)
「国立西洋美術館 常設展示」(Vol.1・本館編)
6/4~8/31
所蔵版画展に合わせ、先だってリニューアルを終えた常設展示を見てきました。
久々に本館、そして新館合わせての全面展示ということで、質は言うまでもなく、量に関しても相応の見応えがあります。なお常設は、一部作品を除き写真撮影が可能です。ここでは本館をVol.1、新館をVol.2に分け、いくつか印象深い作品を挙げてみました。
シエナ派「聖ミカエルと龍」(14世紀)
黙示録の一節に基づくミカエルと怪物退治の物語です。ミカエルによって踏みつけられ、槍を突き刺された龍が、まさに断末魔の叫びを放っています。
ヨアヒム・ブーケラール「十字架を運ぶキリスト」(1562)
照明が反射してしまいましたが、右上方の磔刑場へと進むイエスの一行が描かれています。十字架を背負い、手を地面に落としながらも前へと進むイエスの姿は既にか弱く、その前で悲しむマリアも全身の力が抜けたように崩れおちていました。群像的な表現でありながらも、個々の情景も見事に浮かび上がってくる作品です。
レアンドロ・バッサーノ「最後の審判」(1595-96)
お馴染みの最後の審判をモチーフとします。画面は縦70センチ、横50センチほどと、そう大きくありませんが、聖人の栄光より右下への地獄へと至るドラマチックな物語には迫力がありました。
ホーファールト・フリンク「キリスト哀悼」(1637)
十字架よりおろされたイエスを人々が嘆き悲しむ様子が描かれています。暗がりにスポットライトを当てたような表現はもとより、髪を振り乱し、イエスの足にすがるマグダラの姿は非常に激情的です。インパクトがありました。
ダフィット・テニールス(子)「聖アントニウスの誘惑」
西美常設内で一番シュールで愉しい作品かもしれません。聖アントニウスを取り囲んで誘惑する魔女や魔物が我が物顔で登場します。白いドレスから伸びる足先が鳥の形をしている(つまり魔女)様子の他、空中に飛んで口から炎を吐き出し、何やら戦うような仕草を見せる魔物たちには目を奪われました。
アレッサンドロ・マニャスコ「嵐の海の風景」(1718-25)
画面の随所で跳ねるように伸びる白の描線が印象に残ります。荒々しい海が丘にぶつかり、その中を何とか進もうとする人間がか弱い存在として描かれていました。
如何でしょうか。新館の作品は、次回の「新館編」(Vol.2)のエントリにまわしたいと思います。(追記:下のリンク先にアップしました。)
「国立西洋美術館 常設展示」(Vol.2・新館編) 国立西洋美術館
ちなみに展示作品は全て図版入りにて、下記の西美HP上でも紹介されています。データベースは館内地図とも連動していて、なかなか使い勝手良く出来上がっていました。そちらも合わせてご覧下さい。
「所蔵作品 - 常設展」@国立西洋美術館
「国立西洋美術館 常設展示」(Vol.1・本館編)
6/4~8/31
所蔵版画展に合わせ、先だってリニューアルを終えた常設展示を見てきました。
久々に本館、そして新館合わせての全面展示ということで、質は言うまでもなく、量に関しても相応の見応えがあります。なお常設は、一部作品を除き写真撮影が可能です。ここでは本館をVol.1、新館をVol.2に分け、いくつか印象深い作品を挙げてみました。
シエナ派「聖ミカエルと龍」(14世紀)
黙示録の一節に基づくミカエルと怪物退治の物語です。ミカエルによって踏みつけられ、槍を突き刺された龍が、まさに断末魔の叫びを放っています。
ヨアヒム・ブーケラール「十字架を運ぶキリスト」(1562)
照明が反射してしまいましたが、右上方の磔刑場へと進むイエスの一行が描かれています。十字架を背負い、手を地面に落としながらも前へと進むイエスの姿は既にか弱く、その前で悲しむマリアも全身の力が抜けたように崩れおちていました。群像的な表現でありながらも、個々の情景も見事に浮かび上がってくる作品です。
レアンドロ・バッサーノ「最後の審判」(1595-96)
お馴染みの最後の審判をモチーフとします。画面は縦70センチ、横50センチほどと、そう大きくありませんが、聖人の栄光より右下への地獄へと至るドラマチックな物語には迫力がありました。
ホーファールト・フリンク「キリスト哀悼」(1637)
十字架よりおろされたイエスを人々が嘆き悲しむ様子が描かれています。暗がりにスポットライトを当てたような表現はもとより、髪を振り乱し、イエスの足にすがるマグダラの姿は非常に激情的です。インパクトがありました。
ダフィット・テニールス(子)「聖アントニウスの誘惑」
西美常設内で一番シュールで愉しい作品かもしれません。聖アントニウスを取り囲んで誘惑する魔女や魔物が我が物顔で登場します。白いドレスから伸びる足先が鳥の形をしている(つまり魔女)様子の他、空中に飛んで口から炎を吐き出し、何やら戦うような仕草を見せる魔物たちには目を奪われました。
アレッサンドロ・マニャスコ「嵐の海の風景」(1718-25)
画面の随所で跳ねるように伸びる白の描線が印象に残ります。荒々しい海が丘にぶつかり、その中を何とか進もうとする人間がか弱い存在として描かれていました。
如何でしょうか。新館の作品は、次回の「新館編」(Vol.2)のエントリにまわしたいと思います。(追記:下のリンク先にアップしました。)
「国立西洋美術館 常設展示」(Vol.2・新館編) 国立西洋美術館
ちなみに展示作品は全て図版入りにて、下記の西美HP上でも紹介されています。データベースは館内地図とも連動していて、なかなか使い勝手良く出来上がっていました。そちらも合わせてご覧下さい。
「所蔵作品 - 常設展」@国立西洋美術館
コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )
「かたちは、うつる - 国立西洋美術館所蔵版画展 - 」 国立西洋美術館
国立西洋美術館(台東区上野公園7-7)
「かたちは、うつる - 国立西洋美術館所蔵版画展 - 」
7/7-8/16
国立西洋美術館の開館50周年を祝して、同館所蔵の版画コレクションを概観します。開催中の「かたちは、うつる - 国立西洋美術館所蔵版画展 - 」へ行ってきました。
本展の概要は以下の通りです。
・所蔵の版画コレクションを開館以来、初めてまとまった形で紹介する展覧会。
・現在、所蔵する約3747点の版画のうち、若干の素描を加えた約130点を公開する。
・入場料は常設展扱いだが、会場は地下フロアの企画展示室を用いている。(もちろん同一の入場券で常設展も合わせて観覧可能。)
・作品を序章と全二部、うち「影」、「身体」、「肖像」などの10以上のテーマに分けて展観。
ファンにとっては定評のある西美の版画コレクションを、常設展内の版画室ではなく、広々とした企画展示室を使って見られることだけでも感涙ものかもしれません。上記の通り、実際のところ設定テーマの分類が細か過ぎるせいか、やや『お勉強色』の濃い展覧会ではありますが、(メモリアルの展示でもあるので、単純な時代別の名品展でも良かったかもしれません。)そうした学問的云々の内容は一端脇に置いておいて、素直に作品だけを見ても楽しめるのではないでしょうか。印象深かった作品をいくつか挙げてみました。
アルブレヒト・デューラー「メレンコリア」
いきなり登場するデューラーの傑作。頬杖をつきながらコンパスを持って座る、おそらくは天使の姿が描かれている。細部まで精緻に示された線はまさにデューラーならではの密度。メタリックな質感を巧みに表現する。
レンブラント・ファン・レイン「蝋燭の明かりのもとで机に向かう書生」
暗がりの中を書を前にして座る男性。肘を机の上について、頬に手をやっている。そもそも頬杖のポーズは怠惰、憂鬱、つまりはメランコリー的な様相を表すのだそう。思索もそこから派生するわけだが、考えるということも、そうした面に結びつく要素があるのかもしれない。
マックス・クリンガー「夢」
今回の展示で何点が登場するクリンガーの作品のうちの一つ。モチーフからして、この前に出てくるゴヤの「理性の眠りは怪物を生む」を連想させる。頬杖をついて大きな瞳を見開く少女の背後には、何やら悪魔的な人物たちがその夢を貪るかのようにしてのしかかっていた。
マックス・クリンガー「蛇」
エヴァが禁断の果実を持ち、蛇の差し出す鏡を見て悦に入っている姿が描かれている。この妖しさがたまらなく魅力的。クリンガーは今回の一推し。
ジョバンニ・バッティスタ・ピラネージ「ポセイドン神殿」
縦45、横70センチの大画面に列柱の連なる堂々としたポセイドン神殿を描く。柱に差し込む淡い光と影、また柱の割れ目や石の積まれた様などを示す絵画的表現が、その景色を眼前に引き出すような臨場感を演出していた。まさに圧倒的。
ロドルフ・ブレダン「死の喜劇」
沼の周囲に広がる冥界の景色。木は朽ち果て、枝葉は生気を失い、沼地は澱み、反面の骸骨はその上方で華々しくダンスする。木から浮き上がる髑髏のダブルイメージ、また意味ありげな梟、そして隆々とせり上がる雲など、まるでそれ自体が壮大な絵巻物のようにドラマチックだった。素晴らしい。
レンブラント・ファン・レイン「三本の木」
かの夜警と同時期に描かれたというレンブラントの風景画。丘の上に立つ三本の木が、まるでカーテンのように靡く大気に洗われる。実景なのか定かではないが、荒涼たる地でもしっかりと結びついて連帯する木々の姿には心打たれた。
ジュリオ・カンパニョーラ「洗礼者ヨハネ」
決して質感表現に長けているわけではないものの、その厳めしい表情にもよるのか、不思議にも生身の肉体の気配を感じるヨハネの姿である。
フランシスコ・ゴヤ「立派なお手柄 死人を相手に」
とても図版を載せられそうもないほど惨たらしい作品。首が木に突き刺さり、腕がもげ、胴がだらりとぶら下がる。数点出ていたゴヤの「戦争の惨禍」シリーズの中でもとりわけショッキングな一枚だった。
シャルル・メリヨン「死体公示所」
強い日差しを浴びているのか、白の眩しい建物が起立して連なる様子が描かれている。タイトルを見なければ単なる風景画とも思ってしまうが、下方に目を向けると死体を運ぶ男、そしてそれを見て嘆く女などの生々しい様子が示されていた。
ウジェーヌ・ドラクロワ「ファウストとメフィストフェレス」
お馴染みのファウストに取材したドラクロワの作品。メフィストの狡智な表情と、彼の乗る馬のたてがみの不気味な様が印象に残る。ちなみにドラクロワではもう一枚、文学作品にモチーフをとった「ハムレットの死」も秀逸。破滅的なフィナーレを劇画的に表していた。
テーマありきの構成なので、時代もデューラーからピカソ、また例えばゴヤの「戦争の惨禍」などが飛び飛びで並ぶなど、見る側にその都度の頭の切り替えを要求するような部分もありますが、何はともあれ、西美の版画を100点超も見られて満足出来ました。
夏休み期間中もあるのか、常設展は賑わっていましたが、こちらの版画展の空間は静寂に包まれていました。いくら国立の西美、また所蔵品の公開であるとは言え、入場料が常設を合わせても僅か420円とは超お得です。
版画ファン必見の展覧会です。16日まで開催されています。
「かたちは、うつる - 国立西洋美術館所蔵版画展 - 」
7/7-8/16
国立西洋美術館の開館50周年を祝して、同館所蔵の版画コレクションを概観します。開催中の「かたちは、うつる - 国立西洋美術館所蔵版画展 - 」へ行ってきました。
本展の概要は以下の通りです。
・所蔵の版画コレクションを開館以来、初めてまとまった形で紹介する展覧会。
・現在、所蔵する約3747点の版画のうち、若干の素描を加えた約130点を公開する。
・入場料は常設展扱いだが、会場は地下フロアの企画展示室を用いている。(もちろん同一の入場券で常設展も合わせて観覧可能。)
・作品を序章と全二部、うち「影」、「身体」、「肖像」などの10以上のテーマに分けて展観。
ファンにとっては定評のある西美の版画コレクションを、常設展内の版画室ではなく、広々とした企画展示室を使って見られることだけでも感涙ものかもしれません。上記の通り、実際のところ設定テーマの分類が細か過ぎるせいか、やや『お勉強色』の濃い展覧会ではありますが、(メモリアルの展示でもあるので、単純な時代別の名品展でも良かったかもしれません。)そうした学問的云々の内容は一端脇に置いておいて、素直に作品だけを見ても楽しめるのではないでしょうか。印象深かった作品をいくつか挙げてみました。
アルブレヒト・デューラー「メレンコリア」
いきなり登場するデューラーの傑作。頬杖をつきながらコンパスを持って座る、おそらくは天使の姿が描かれている。細部まで精緻に示された線はまさにデューラーならではの密度。メタリックな質感を巧みに表現する。
レンブラント・ファン・レイン「蝋燭の明かりのもとで机に向かう書生」
暗がりの中を書を前にして座る男性。肘を机の上について、頬に手をやっている。そもそも頬杖のポーズは怠惰、憂鬱、つまりはメランコリー的な様相を表すのだそう。思索もそこから派生するわけだが、考えるということも、そうした面に結びつく要素があるのかもしれない。
マックス・クリンガー「夢」
今回の展示で何点が登場するクリンガーの作品のうちの一つ。モチーフからして、この前に出てくるゴヤの「理性の眠りは怪物を生む」を連想させる。頬杖をついて大きな瞳を見開く少女の背後には、何やら悪魔的な人物たちがその夢を貪るかのようにしてのしかかっていた。
マックス・クリンガー「蛇」
エヴァが禁断の果実を持ち、蛇の差し出す鏡を見て悦に入っている姿が描かれている。この妖しさがたまらなく魅力的。クリンガーは今回の一推し。
ジョバンニ・バッティスタ・ピラネージ「ポセイドン神殿」
縦45、横70センチの大画面に列柱の連なる堂々としたポセイドン神殿を描く。柱に差し込む淡い光と影、また柱の割れ目や石の積まれた様などを示す絵画的表現が、その景色を眼前に引き出すような臨場感を演出していた。まさに圧倒的。
ロドルフ・ブレダン「死の喜劇」
沼の周囲に広がる冥界の景色。木は朽ち果て、枝葉は生気を失い、沼地は澱み、反面の骸骨はその上方で華々しくダンスする。木から浮き上がる髑髏のダブルイメージ、また意味ありげな梟、そして隆々とせり上がる雲など、まるでそれ自体が壮大な絵巻物のようにドラマチックだった。素晴らしい。
レンブラント・ファン・レイン「三本の木」
かの夜警と同時期に描かれたというレンブラントの風景画。丘の上に立つ三本の木が、まるでカーテンのように靡く大気に洗われる。実景なのか定かではないが、荒涼たる地でもしっかりと結びついて連帯する木々の姿には心打たれた。
ジュリオ・カンパニョーラ「洗礼者ヨハネ」
決して質感表現に長けているわけではないものの、その厳めしい表情にもよるのか、不思議にも生身の肉体の気配を感じるヨハネの姿である。
フランシスコ・ゴヤ「立派なお手柄 死人を相手に」
とても図版を載せられそうもないほど惨たらしい作品。首が木に突き刺さり、腕がもげ、胴がだらりとぶら下がる。数点出ていたゴヤの「戦争の惨禍」シリーズの中でもとりわけショッキングな一枚だった。
シャルル・メリヨン「死体公示所」
強い日差しを浴びているのか、白の眩しい建物が起立して連なる様子が描かれている。タイトルを見なければ単なる風景画とも思ってしまうが、下方に目を向けると死体を運ぶ男、そしてそれを見て嘆く女などの生々しい様子が示されていた。
ウジェーヌ・ドラクロワ「ファウストとメフィストフェレス」
お馴染みのファウストに取材したドラクロワの作品。メフィストの狡智な表情と、彼の乗る馬のたてがみの不気味な様が印象に残る。ちなみにドラクロワではもう一枚、文学作品にモチーフをとった「ハムレットの死」も秀逸。破滅的なフィナーレを劇画的に表していた。
テーマありきの構成なので、時代もデューラーからピカソ、また例えばゴヤの「戦争の惨禍」などが飛び飛びで並ぶなど、見る側にその都度の頭の切り替えを要求するような部分もありますが、何はともあれ、西美の版画を100点超も見られて満足出来ました。
夏休み期間中もあるのか、常設展は賑わっていましたが、こちらの版画展の空間は静寂に包まれていました。いくら国立の西美、また所蔵品の公開であるとは言え、入場料が常設を合わせても僅か420円とは超お得です。
版画ファン必見の展覧会です。16日まで開催されています。
コメント ( 7 ) | Trackback ( 0 )
「奇想の王国 だまし絵展」 Bunkamura ザ・ミュージアム
Bunkamura ザ・ミュージアム(渋谷区道玄坂2-24-1)
「奇想の王国 だまし絵展」
6/13-8/16
話題のだまし絵展の会期も残り僅かとなりました。文化村で開催中の「奇想の王国 だまし絵展」へ行ってきました。
展覧会の構成は以下の通りです。
第1章「イメージ詐術の古典」:アルチンボルド「ルドルフ2世」他、16世紀西欧以降におけるイメージトリック。アナモルフォーズ(歪曲像)など。
第2章「トロンプルイユの伝統」:絵で欺く。目だまし(=トロンプルイユ)の絵画。静物画など。
第3章「アメリカン・トロンプルイユ」:南北戦争以降、主に東海岸地方で隆盛したアメリカのトロンプルイユ絵画。
第4章「日本のだまし絵」:描表装、国芳の人物による人の顔を表した作品など。
第5章「20世紀の巨匠たち - マグリット・ダリ・エッシャー」:20世紀美術におけるだまし絵の世界。
第6章「多様なイリュージョニズム」:現代美術における視覚トリック。
*会場構成上、実際の順路(一部、展示作品も含む。)は上記の構成と異なっています。ご注意下さい。
なおこの展覧会では西欧のだまし絵を語る上で、普段あまり聞き慣れない三つの用語が登場します。会場でも紹介されていましたが、前もって頭に入れておいても良いかもしれません。
「ダブルイメージ」:一つの絵に別のイメージを含ませる。野菜や果物から人物を象るアルチンボルドなど。
「アナモルフォーズ」:歪んで見える絵。ある視点から覗くとイメージが浮かび上がる。
「トロンプルイユ」:目だましの手法。リアルに描くことで現実とイメージとの違いを浮き上がらせる。
さて今回の展覧会の特徴を大まかに表せば、決して「だまし絵」を学問的に検討するものではなく、むしろもっと曖昧な広義のだまし絵(単純な視覚トリックを含む。)をエンターテイメント的に見ていくものだと言えるのではないでしょうか。実のところ第4章に登場する描表装をだまし絵に含むのは疑問もありますが、目玉のアルチンボルドに始まり、それ自体で一つのシュルレアリスム展が成り立つほど充実したマグリットにダリ、さらには広重・国芳などまで、古今東西の絵を『だまし』という観点を通すとこうも面白くなってくるとは思いもよりませんでした。会場の混雑にも納得です。いわゆる絵画展でこれほど楽しめたのは久しぶりのことでした。
だまし絵云々をさておき、私として今回一番印象に深かったのは、マグリット7点、ダリ2点、デルヴォー1点と続く第5章の「20世紀の巨匠たち」でした。いつぞや同じく文化村のマグリット展を見て、何ら感じることなく終わってしまったのに自分でもがっかりした記憶がありますが、何故か今回はどれもが非常に魅力的に思えてなりません。馬に乗った人物が現実ともう一つの世界を縫うように進む「白紙委任状」をはじめ、画中画が拡大して景色全体へととねじ込むように繋がる「囚われの美女」など、絵画空間を操作して見る側に次元を超えた旅を体験させるマグリットの力量には至極感心させられます。大好きなデルヴォーの一点、屋外と屋内の景色を女性を軸に転回させた「窓」も見られて満足出来ました。
現代アートファンの端くれから言わせていただければ、ラストに登場する現代アートの品々が、会場で驚くほどの関心をもって見られていたことだけでもこの展覧会の意義は十分にあったのではないでしょうか。福田繁雄の「Sample」をはじめ、このところいささかワンパターンに過ぎる本城直季もここでは大きく輝いて見えました。下手な現代アート展より観衆の注意を作品に払わせることに成功しています。
ところで作品に一部、展示替えがありましたが、今月4日より暁斎の「弾琴五美女憩の図」野他、其一の「業平東下り図」の展観も始まりました。だまし的要素云々はさておいても、本展の日本絵画はなかなか興味深い作が揃っているので、そちらを追っかけつつ見納めとするのも良いかもしれません。ちなみに日本絵画ではまさにこの時期に涼をとるに相応しい暁斎の「幽霊図」をはじめ、伝抱一の「蓬莱山・春秋草花図」(展示は終了しています。)など、点数こそ少ないものの見所は満載でした。
最後に展覧会の現在の混雑状況についてお知らせします。先日、改めて問い合わせたところ、午後の時間帯を中心に平日では10分程度、また土休日では30分以上のチケット購入のための列が出来ているとのことでした。また最終日まで無休、連日夜9時まで開館していますが、夜間に関しては土日を含め、午後の最混雑時間帯よりは幾分余裕があるそうです。
16日までの開催です。なお終了後は兵庫県立美術館へと巡回(8/26~11/3)します。今更ながらもお見逃しなきようご注意下さい。
「奇想の王国 だまし絵展」
6/13-8/16
話題のだまし絵展の会期も残り僅かとなりました。文化村で開催中の「奇想の王国 だまし絵展」へ行ってきました。
展覧会の構成は以下の通りです。
第1章「イメージ詐術の古典」:アルチンボルド「ルドルフ2世」他、16世紀西欧以降におけるイメージトリック。アナモルフォーズ(歪曲像)など。
第2章「トロンプルイユの伝統」:絵で欺く。目だまし(=トロンプルイユ)の絵画。静物画など。
第3章「アメリカン・トロンプルイユ」:南北戦争以降、主に東海岸地方で隆盛したアメリカのトロンプルイユ絵画。
第4章「日本のだまし絵」:描表装、国芳の人物による人の顔を表した作品など。
第5章「20世紀の巨匠たち - マグリット・ダリ・エッシャー」:20世紀美術におけるだまし絵の世界。
第6章「多様なイリュージョニズム」:現代美術における視覚トリック。
*会場構成上、実際の順路(一部、展示作品も含む。)は上記の構成と異なっています。ご注意下さい。
なおこの展覧会では西欧のだまし絵を語る上で、普段あまり聞き慣れない三つの用語が登場します。会場でも紹介されていましたが、前もって頭に入れておいても良いかもしれません。
「ダブルイメージ」:一つの絵に別のイメージを含ませる。野菜や果物から人物を象るアルチンボルドなど。
「アナモルフォーズ」:歪んで見える絵。ある視点から覗くとイメージが浮かび上がる。
「トロンプルイユ」:目だましの手法。リアルに描くことで現実とイメージとの違いを浮き上がらせる。
さて今回の展覧会の特徴を大まかに表せば、決して「だまし絵」を学問的に検討するものではなく、むしろもっと曖昧な広義のだまし絵(単純な視覚トリックを含む。)をエンターテイメント的に見ていくものだと言えるのではないでしょうか。実のところ第4章に登場する描表装をだまし絵に含むのは疑問もありますが、目玉のアルチンボルドに始まり、それ自体で一つのシュルレアリスム展が成り立つほど充実したマグリットにダリ、さらには広重・国芳などまで、古今東西の絵を『だまし』という観点を通すとこうも面白くなってくるとは思いもよりませんでした。会場の混雑にも納得です。いわゆる絵画展でこれほど楽しめたのは久しぶりのことでした。
だまし絵云々をさておき、私として今回一番印象に深かったのは、マグリット7点、ダリ2点、デルヴォー1点と続く第5章の「20世紀の巨匠たち」でした。いつぞや同じく文化村のマグリット展を見て、何ら感じることなく終わってしまったのに自分でもがっかりした記憶がありますが、何故か今回はどれもが非常に魅力的に思えてなりません。馬に乗った人物が現実ともう一つの世界を縫うように進む「白紙委任状」をはじめ、画中画が拡大して景色全体へととねじ込むように繋がる「囚われの美女」など、絵画空間を操作して見る側に次元を超えた旅を体験させるマグリットの力量には至極感心させられます。大好きなデルヴォーの一点、屋外と屋内の景色を女性を軸に転回させた「窓」も見られて満足出来ました。
現代アートファンの端くれから言わせていただければ、ラストに登場する現代アートの品々が、会場で驚くほどの関心をもって見られていたことだけでもこの展覧会の意義は十分にあったのではないでしょうか。福田繁雄の「Sample」をはじめ、このところいささかワンパターンに過ぎる本城直季もここでは大きく輝いて見えました。下手な現代アート展より観衆の注意を作品に払わせることに成功しています。
ところで作品に一部、展示替えがありましたが、今月4日より暁斎の「弾琴五美女憩の図」野他、其一の「業平東下り図」の展観も始まりました。だまし的要素云々はさておいても、本展の日本絵画はなかなか興味深い作が揃っているので、そちらを追っかけつつ見納めとするのも良いかもしれません。ちなみに日本絵画ではまさにこの時期に涼をとるに相応しい暁斎の「幽霊図」をはじめ、伝抱一の「蓬莱山・春秋草花図」(展示は終了しています。)など、点数こそ少ないものの見所は満載でした。
最後に展覧会の現在の混雑状況についてお知らせします。先日、改めて問い合わせたところ、午後の時間帯を中心に平日では10分程度、また土休日では30分以上のチケット購入のための列が出来ているとのことでした。また最終日まで無休、連日夜9時まで開館していますが、夜間に関しては土日を含め、午後の最混雑時間帯よりは幾分余裕があるそうです。
16日までの開催です。なお終了後は兵庫県立美術館へと巡回(8/26~11/3)します。今更ながらもお見逃しなきようご注意下さい。
コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
「画廊からの発言 - 新世代への視点2009」 東京現代美術画廊会議
東京現代美術画廊会議 事務局:ギャラリー山口(中央区京橋3-5-3 京栄ビル1F・B1F)
「画廊からの発言 - 新世代への視点2009」
7/27-8/8
主に京橋近辺の画廊が集まり、各オーナーの推薦する若手作家を紹介します。京橋、銀座付近の計11軒(*)の画廊で開催中の「画廊からの発言 - 新世代への視点2009」へ行ってきました。
まずは参加画廊です。
藍画廊・GALERIE SOL・ギャラリーQ・ギャラリー現・ギャラリー58・ギャラリーなつか・gallery 21yo-j・ギャラリー山口・ギャラリイK・ギャルリー東京ユマニテ・コバヤシ画廊・なびす画廊
*銀座一丁目より自由が丘に移転した「gallery 21yo-j」も参加しています。それを含めると全部で12軒になります。
貸しメインで活動されているところも多いからか、決して全てがメジャーというわけではありませんが、日頃から地道に若手作家に注目して個展を開催している画廊が多いのも特徴の一つかもしれません。以下、私が廻った順に感想を挙げてみました。
鎌田あや展@ギャルリー東京ユマニテ(中央区京橋2-8-18 昭和ビルB1F)*土曜3時以降の観覧は画廊へ電話連絡が必要。
古着、鏡、それに椅子などの家具を用いてのインスタレーション。暗室のフロアには無造作に女性用の洋服が積まれ、その隙間に映像作品の流れるモニターがディスプレイされている。DM画像はつけまつげを使った鏡のオブジェ。全て作家自身の身近な素材を使ったとのことだが、会場に流れる奇妙な音楽の他、プロジェクターによって壁面全体に映し出されたキラキラ輝く映像など、女性性を全面に押し出した展示はインパクトがあった。
古池潤也展@ギャラリー山口(中央区京橋3-5-3 京栄ビル1F)
野菜のモチーフで描いた文字絵。1m四方のパネルにはネギやカブなどの色鮮やかな野菜が比較的リアルに表現され、それが点となり線となって「正」や「今」などの漢字を象る。近寄ると抽象画のようにも見えたが、展示室をぐるりと一周、取り囲む文字絵群は、何らかのメッセージ性のある散文詩のようにも感じた。
加藤崇展@ギャラリイK(中央区京橋3-9-7 京橋ポイントビル4F)
作家自身の身体を張ったパフォーマンスを映像や写真で紹介する。顔をテープでぐるぐる巻きにしたり、口に植木鉢の如く植物をつめたりといった謎めいた行為に、プラスとマイナスの意味を含めて思わず少々首を傾げてしまう。コップから七色の液体を順に吐き出し、それを最後飲み干す映像「虹」は、まるで先日ヒロミヨシイで見たクリードの作品のようだった。
柳井信乃展@ギャラリーQ(中央区銀座1-14-12 楠本第17ビル3F)
日本画の素材とビーズなどを組み合わせて、動物などのモチーフをコラージュ風に描く。ともかく印象深いのは、画面の上に登場するカラフルなビーズによって出来た蟻の装飾。数えきれないほどの小さな蟻のオブジェが、描かれた動物の足などの上を線をぬうように行進している。虫の苦手な方にはおすすめ出来ないかもしれない。
杉浦藍展@ギャラリー現(中央区銀座1-10-19 銀座一ビル3F)
板張りのフロアに唐突に立つ巨大オブジェ。壁面には何やら山のような形をした銀色のオブジェがへばりつき、中央にはカラフルなブラインドによってデコレーションされた物体が鎮座する。中を覗き込むとジオラマ的景色が広がっていたのが印象深かった。
市川裕司展@コバヤシ画廊(中央区銀座3-8-12 ヤマトビルB1)
4m×4mにも及ぶ透明アクリル板を折り、その表面に胡粉などを用いてダイナミックな波模様を描きだす。アクリル板の内部には灰色の布も挟まれ、それが絵具の色とも共鳴して、複層的な景色を生み出していた。絵画を超えた作品全体の造形には驚かされるものの、個人的には奥の小部屋の小品の方が馴染む。
深井聡一郎展@ギャラリーなつか(中央区銀座5-8-17 ギンザプラザ58 8F)
スカートを広げ、貴婦人の如く立つ陶の人形が十数点ほど並ぶ。その取り澄ました様子はまるで西洋人形のようだが、一部、人形のスカートの部分をそのまま拡大したような山のオブジェ、またはそこから手だけが伸びた作品など、シュールな味わいもまた独特のものがあった。なおなつかでは本企画に合わせての小品展を開催中。参加画廊の出品作家のドローイングなどの手頃な作品(価格も数千円から。)が数十点ほど展示されていた。
森哲弥展@GALERIE SOL(中央区銀座6-10-10 第二蒲田ビルB1F)
横10センチ、縦4~5センチほどの木片を積み重ね、高さ3メートル近くはある少年と馬の彫刻を制作する。その他、同じく木片による等身大の人物像なども展示されていた。馬に関連した小品の平面も合わせて紹介。
佐藤裕一郎展@ギャラリー58(中央区銀座4-4-13 琉映ビル4F)
展示室の両サイドに、曲線を描いて連なる計18メートルにも及ぶ日本画を並べる。斜めに走る白、そして藍色から青へと変化するグラデーションは神秘的な様相を醸し出す。ちょうど展示室の中央、両サイドと前面とに向かい合う形で作品の前に立った時、宇宙空間の中に漂うかのような気持ちにさせられた。
菊池絵子展@藍画廊(中央区銀座1-5-2 西勢ビル2F)
ホワイトキューブに鉛筆のみで描かれたドローイングが15、6点。全て壁に直接ピンで留めてある。モチーフはコンセントやサンダル、それに凧などの日常のものだが、余白を大きくとり、全て同縮尺にて、例えば脈絡もない靴とミラーボールなどを絶妙な距離感を置いて同時に描いている様子がとても面白かった。個人的に今回見た一連の展示では一番印象に深い。今後も追っかけたい作家だ。
釘町一恵展@なびす画廊(中央区銀座1-5-2 ギンザファーストビル3F)
色鮮やかな色彩感によって表された熱帯を連想させる土地の景色。地中から魂とも炎とも呼ぶべき何かが噴き出している。決して具象に忠実ではなく、例えば人の気配などを追求したという作品は、いささか捉え難いが、何か訴えてくるものは感じられた。
統一したテーマがあるわけではないので、全体として何かが提示されるわけではありませんが、主に70年代後半から80年代前半生まれの比較的若い世代の、またこのような比較的規模の小さい画廊で活躍されている作家の『今』を知るには最適な企画と言えるかもしれません。
なお画廊の地図も掲載されたちらしの情報はギャラリーなつか(オーナーインタビュー)、また展示風景はギャラリーQのサイトが便利です。エリアも京橋から銀座6丁目までと限定的なので、ゆっくり歩いて廻っても1時間半もあれば十分に見られるのではないでしょうか。
8日の土曜(最終日は17時まで)までの開催です。また公式冊子が300円で販売されていましたが、一部の画廊では無料で配布していました。
「画廊からの発言 - 新世代への視点2009」
7/27-8/8
主に京橋近辺の画廊が集まり、各オーナーの推薦する若手作家を紹介します。京橋、銀座付近の計11軒(*)の画廊で開催中の「画廊からの発言 - 新世代への視点2009」へ行ってきました。
まずは参加画廊です。
藍画廊・GALERIE SOL・ギャラリーQ・ギャラリー現・ギャラリー58・ギャラリーなつか・gallery 21yo-j・ギャラリー山口・ギャラリイK・ギャルリー東京ユマニテ・コバヤシ画廊・なびす画廊
*銀座一丁目より自由が丘に移転した「gallery 21yo-j」も参加しています。それを含めると全部で12軒になります。
貸しメインで活動されているところも多いからか、決して全てがメジャーというわけではありませんが、日頃から地道に若手作家に注目して個展を開催している画廊が多いのも特徴の一つかもしれません。以下、私が廻った順に感想を挙げてみました。
鎌田あや展@ギャルリー東京ユマニテ(中央区京橋2-8-18 昭和ビルB1F)*土曜3時以降の観覧は画廊へ電話連絡が必要。
古着、鏡、それに椅子などの家具を用いてのインスタレーション。暗室のフロアには無造作に女性用の洋服が積まれ、その隙間に映像作品の流れるモニターがディスプレイされている。DM画像はつけまつげを使った鏡のオブジェ。全て作家自身の身近な素材を使ったとのことだが、会場に流れる奇妙な音楽の他、プロジェクターによって壁面全体に映し出されたキラキラ輝く映像など、女性性を全面に押し出した展示はインパクトがあった。
古池潤也展@ギャラリー山口(中央区京橋3-5-3 京栄ビル1F)
野菜のモチーフで描いた文字絵。1m四方のパネルにはネギやカブなどの色鮮やかな野菜が比較的リアルに表現され、それが点となり線となって「正」や「今」などの漢字を象る。近寄ると抽象画のようにも見えたが、展示室をぐるりと一周、取り囲む文字絵群は、何らかのメッセージ性のある散文詩のようにも感じた。
加藤崇展@ギャラリイK(中央区京橋3-9-7 京橋ポイントビル4F)
作家自身の身体を張ったパフォーマンスを映像や写真で紹介する。顔をテープでぐるぐる巻きにしたり、口に植木鉢の如く植物をつめたりといった謎めいた行為に、プラスとマイナスの意味を含めて思わず少々首を傾げてしまう。コップから七色の液体を順に吐き出し、それを最後飲み干す映像「虹」は、まるで先日ヒロミヨシイで見たクリードの作品のようだった。
柳井信乃展@ギャラリーQ(中央区銀座1-14-12 楠本第17ビル3F)
日本画の素材とビーズなどを組み合わせて、動物などのモチーフをコラージュ風に描く。ともかく印象深いのは、画面の上に登場するカラフルなビーズによって出来た蟻の装飾。数えきれないほどの小さな蟻のオブジェが、描かれた動物の足などの上を線をぬうように行進している。虫の苦手な方にはおすすめ出来ないかもしれない。
杉浦藍展@ギャラリー現(中央区銀座1-10-19 銀座一ビル3F)
板張りのフロアに唐突に立つ巨大オブジェ。壁面には何やら山のような形をした銀色のオブジェがへばりつき、中央にはカラフルなブラインドによってデコレーションされた物体が鎮座する。中を覗き込むとジオラマ的景色が広がっていたのが印象深かった。
市川裕司展@コバヤシ画廊(中央区銀座3-8-12 ヤマトビルB1)
4m×4mにも及ぶ透明アクリル板を折り、その表面に胡粉などを用いてダイナミックな波模様を描きだす。アクリル板の内部には灰色の布も挟まれ、それが絵具の色とも共鳴して、複層的な景色を生み出していた。絵画を超えた作品全体の造形には驚かされるものの、個人的には奥の小部屋の小品の方が馴染む。
深井聡一郎展@ギャラリーなつか(中央区銀座5-8-17 ギンザプラザ58 8F)
スカートを広げ、貴婦人の如く立つ陶の人形が十数点ほど並ぶ。その取り澄ました様子はまるで西洋人形のようだが、一部、人形のスカートの部分をそのまま拡大したような山のオブジェ、またはそこから手だけが伸びた作品など、シュールな味わいもまた独特のものがあった。なおなつかでは本企画に合わせての小品展を開催中。参加画廊の出品作家のドローイングなどの手頃な作品(価格も数千円から。)が数十点ほど展示されていた。
森哲弥展@GALERIE SOL(中央区銀座6-10-10 第二蒲田ビルB1F)
横10センチ、縦4~5センチほどの木片を積み重ね、高さ3メートル近くはある少年と馬の彫刻を制作する。その他、同じく木片による等身大の人物像なども展示されていた。馬に関連した小品の平面も合わせて紹介。
佐藤裕一郎展@ギャラリー58(中央区銀座4-4-13 琉映ビル4F)
展示室の両サイドに、曲線を描いて連なる計18メートルにも及ぶ日本画を並べる。斜めに走る白、そして藍色から青へと変化するグラデーションは神秘的な様相を醸し出す。ちょうど展示室の中央、両サイドと前面とに向かい合う形で作品の前に立った時、宇宙空間の中に漂うかのような気持ちにさせられた。
菊池絵子展@藍画廊(中央区銀座1-5-2 西勢ビル2F)
ホワイトキューブに鉛筆のみで描かれたドローイングが15、6点。全て壁に直接ピンで留めてある。モチーフはコンセントやサンダル、それに凧などの日常のものだが、余白を大きくとり、全て同縮尺にて、例えば脈絡もない靴とミラーボールなどを絶妙な距離感を置いて同時に描いている様子がとても面白かった。個人的に今回見た一連の展示では一番印象に深い。今後も追っかけたい作家だ。
釘町一恵展@なびす画廊(中央区銀座1-5-2 ギンザファーストビル3F)
色鮮やかな色彩感によって表された熱帯を連想させる土地の景色。地中から魂とも炎とも呼ぶべき何かが噴き出している。決して具象に忠実ではなく、例えば人の気配などを追求したという作品は、いささか捉え難いが、何か訴えてくるものは感じられた。
統一したテーマがあるわけではないので、全体として何かが提示されるわけではありませんが、主に70年代後半から80年代前半生まれの比較的若い世代の、またこのような比較的規模の小さい画廊で活躍されている作家の『今』を知るには最適な企画と言えるかもしれません。
なお画廊の地図も掲載されたちらしの情報はギャラリーなつか(オーナーインタビュー)、また展示風景はギャラリーQのサイトが便利です。エリアも京橋から銀座6丁目までと限定的なので、ゆっくり歩いて廻っても1時間半もあれば十分に見られるのではないでしょうか。
8日の土曜(最終日は17時まで)までの開催です。また公式冊子が300円で販売されていましたが、一部の画廊では無料で配布していました。
コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
「高島屋史料館所蔵名品展」(前期) 泉屋博古館分館
泉屋博古館分館(港区六本木1-5-1)
「高島屋史料館所蔵名品展」(前期展示)
7/18-8/23(後期:8/26-9/27)
大阪の難波高島屋に付属する史料館の所蔵品を展観します。泉屋博古館で開催中の「高島屋史料館所蔵名品展」へ行ってきました。
まず関東ではやや馴染みのない高島屋史料館とは何ぞやということで、同社HPより該当の説明箇所を抜き出してみました。(一部、手を加えています。)
所在地は高島屋大阪店の東別館3階。会社設立50周年記念事業として昭和45年に創設されて以来、明治初期から京都画壇の巨匠、50余名の文化勲章受章作家を中心に日本を代表する美術家の名品、18世紀の能装束、百選会・上品会の着物など約5000点の作品を収蔵してきた。また高島屋のマスコットであるローズちゃん人形他、戦前のポスター、その他社史、専門書など約15000点の諸資料も合わせて所蔵している。
なお今回は、上記の所蔵品より、近代日本画と洋画のみを約60点ほど紹介する展覧会です。会期の途中、8月末に展示替えを一度挟みますが、その際に日本画の全てが入れ替わります。(洋画は通期で展示。)言うまでもなく、作品の全てを楽しむには前後期をそれぞれ一度ずつ鑑賞する必要がありそうです。
前期:7月18日(土)~ 8月23日(日)
後期:8月26日(水)~ 9月27日(日)
それでは早速、印象に残った作品を挙げます。
洋画
足立源一郎「初夏の乗鞍岳」
奇を衒わない夏の乗鞍の景色が色鮮やかな緑の色彩で表現されている。差し込む眩しい明かりは健康的で、微かに残る残雪は山の涼し気な様子を演出していた。
鈴木信太郎「宮島」
まるで箱庭のように宮島を描いた一枚。色遣いやタッチに梅原の画風を思い起こさせたが、二人の間に何らかの関係はあるのだろうか。
小出楢重「六月の郊外風景」
紫色を帯びた空、横へ幾重にも伸びる電線、そして前景の草木に、どこかただならぬ不穏な気配を感じる。単なる郊外の景色ではない、作家の何らかの心象が投影されているのかもしれない。
須田国太郎「孔雀」
大好きな須田に見事な大作が展示されていた。立派な孔雀の背景に滲む白と仄かなサーモンピンクに、須田ならではの色彩感を楽しむことが出来た。
岡田三郎助「東京日本橋店」
高島屋ならではの一枚。昭和8年の開店時に描かれた。和装の女性が艶やか。店の前に集う人々も店の賑わいを伝えている。
岡田三郎助「支那絹の前」
ちらし表紙にも登場する作品。着物の紋様まで浮き上がる精緻なタッチは必見。サントリーの小袖展にも出品があった記憶がある。
日本画
北野恒富「婦人図」
とりわけ印象に残る女性像。肩を露に、乳房を見せる仕草はもとより、その白い肌、対比的な黒髪、そしてしっかりと前を見据えた目、また細やかに示された着物の柄など、どれもが奇異なほど精緻に描かれていた。本展で特にインパクトのある作品かもしれない。
小杉放庵「野梅遊鳥」
つがいの野鳥を見事な筆さばきで描く。今回の展示作の中で一番、画の巧さを感じた。これは一推し。
都路華香「吉野の桜」
近美の回顧展でも出ていた一枚。華やかに咲き誇りながらも、早くも儚気に散る桜の様子が幻想的に描かれている。
竹内栖鳳「ベニスの月」
立派な聖堂が建ち、ゴンドラも浮かぶベニスの街を墨で描く。帆船の上の満月の下に広がる景色は何とも雄大だった。
川端龍子「潮騒」
今回一番の大作。中央に岩を配し、右にエメラルドグリーン、左にブルーで荒れ狂う海の景色を斬新な色遣いで描く。岩に散る金砂子は華やかだった。
私が泉屋博古館に通いだしたのはここ数年に過ぎませんが、その中で見た絵画展としては最上位に位置づけるべき展覧会と言えるかもしれません。いつもながらに素っ気ない展示でしたが、並んでいる品々には大いに感心させられるものがありました。
なお本展にはこれらの絵画と並び、もう一つの見るべきポイントが存在します。それは高島屋のマスコット人形として知る人ぞ知る「ローズちゃん」が数点紹介されていることです。昭和34年、前身のハッピーちゃんに始まり、38年頃に現在のスタイルに落ち着いたという歴代の「ローズちゃん」人形が、入口すぐのホールで来場者を出迎えていました。そちらに惹かれる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
前期は8月23日までの開催です。おすすめします。
「高島屋史料館所蔵名品展」(前期展示)
7/18-8/23(後期:8/26-9/27)
大阪の難波高島屋に付属する史料館の所蔵品を展観します。泉屋博古館で開催中の「高島屋史料館所蔵名品展」へ行ってきました。
まず関東ではやや馴染みのない高島屋史料館とは何ぞやということで、同社HPより該当の説明箇所を抜き出してみました。(一部、手を加えています。)
所在地は高島屋大阪店の東別館3階。会社設立50周年記念事業として昭和45年に創設されて以来、明治初期から京都画壇の巨匠、50余名の文化勲章受章作家を中心に日本を代表する美術家の名品、18世紀の能装束、百選会・上品会の着物など約5000点の作品を収蔵してきた。また高島屋のマスコットであるローズちゃん人形他、戦前のポスター、その他社史、専門書など約15000点の諸資料も合わせて所蔵している。
なお今回は、上記の所蔵品より、近代日本画と洋画のみを約60点ほど紹介する展覧会です。会期の途中、8月末に展示替えを一度挟みますが、その際に日本画の全てが入れ替わります。(洋画は通期で展示。)言うまでもなく、作品の全てを楽しむには前後期をそれぞれ一度ずつ鑑賞する必要がありそうです。
前期:7月18日(土)~ 8月23日(日)
後期:8月26日(水)~ 9月27日(日)
それでは早速、印象に残った作品を挙げます。
洋画
足立源一郎「初夏の乗鞍岳」
奇を衒わない夏の乗鞍の景色が色鮮やかな緑の色彩で表現されている。差し込む眩しい明かりは健康的で、微かに残る残雪は山の涼し気な様子を演出していた。
鈴木信太郎「宮島」
まるで箱庭のように宮島を描いた一枚。色遣いやタッチに梅原の画風を思い起こさせたが、二人の間に何らかの関係はあるのだろうか。
小出楢重「六月の郊外風景」
紫色を帯びた空、横へ幾重にも伸びる電線、そして前景の草木に、どこかただならぬ不穏な気配を感じる。単なる郊外の景色ではない、作家の何らかの心象が投影されているのかもしれない。
須田国太郎「孔雀」
大好きな須田に見事な大作が展示されていた。立派な孔雀の背景に滲む白と仄かなサーモンピンクに、須田ならではの色彩感を楽しむことが出来た。
岡田三郎助「東京日本橋店」
高島屋ならではの一枚。昭和8年の開店時に描かれた。和装の女性が艶やか。店の前に集う人々も店の賑わいを伝えている。
岡田三郎助「支那絹の前」
ちらし表紙にも登場する作品。着物の紋様まで浮き上がる精緻なタッチは必見。サントリーの小袖展にも出品があった記憶がある。
日本画
北野恒富「婦人図」
とりわけ印象に残る女性像。肩を露に、乳房を見せる仕草はもとより、その白い肌、対比的な黒髪、そしてしっかりと前を見据えた目、また細やかに示された着物の柄など、どれもが奇異なほど精緻に描かれていた。本展で特にインパクトのある作品かもしれない。
小杉放庵「野梅遊鳥」
つがいの野鳥を見事な筆さばきで描く。今回の展示作の中で一番、画の巧さを感じた。これは一推し。
都路華香「吉野の桜」
近美の回顧展でも出ていた一枚。華やかに咲き誇りながらも、早くも儚気に散る桜の様子が幻想的に描かれている。
竹内栖鳳「ベニスの月」
立派な聖堂が建ち、ゴンドラも浮かぶベニスの街を墨で描く。帆船の上の満月の下に広がる景色は何とも雄大だった。
川端龍子「潮騒」
今回一番の大作。中央に岩を配し、右にエメラルドグリーン、左にブルーで荒れ狂う海の景色を斬新な色遣いで描く。岩に散る金砂子は華やかだった。
私が泉屋博古館に通いだしたのはここ数年に過ぎませんが、その中で見た絵画展としては最上位に位置づけるべき展覧会と言えるかもしれません。いつもながらに素っ気ない展示でしたが、並んでいる品々には大いに感心させられるものがありました。
なお本展にはこれらの絵画と並び、もう一つの見るべきポイントが存在します。それは高島屋のマスコット人形として知る人ぞ知る「ローズちゃん」が数点紹介されていることです。昭和34年、前身のハッピーちゃんに始まり、38年頃に現在のスタイルに落ち着いたという歴代の「ローズちゃん」人形が、入口すぐのホールで来場者を出迎えていました。そちらに惹かれる方もいらっしゃるのではないでしょうか。
前期は8月23日までの開催です。おすすめします。
コメント ( 8 ) | Trackback ( 0 )
「ミリアム・アイケンス + 杉田陽平」 ギャラリー・ストレンガー
ギャラリー・ストレンガー(港区南麻布3-3-39)
「ミリアム・アイケンス + 杉田陽平」
7/18-8/8
ベルギー出身の彫刻家、ミリアム・アイケンスと、若手日本人ペインターの杉田陽平の作品を紹介します。(TABより引用。一部改変。)ギャラリー・ストレンガーで開催中の二人展へ行ってきました。
杉田というと、その隆起した画肌に驚かされた昨冬のMoMoの個展の印象も深いところですが、今回はそれより幾分抑制的でありながらも、ドイツ表現主義風のドギツイ色調とタッチ、さらには悪魔的な人物のモチーフなどの魅力は相変わることなく健在でした。手狭な同画廊の空間もあってか、展示作品数は5~6点ほどに留まりますが、背景にリヒターのような色面をとる人物や顔が浮かび、その手前に「皮」の如く絵具を張り合わせる様子は、絵画平面に複層的な表現をもたらすことに成功しています。アクの強さは並大抵ではありません。
一方のベルギーの作家、アイケンスのテラコッタによる彫像はまるでニンフです。イタリアのルネサンス絵画を思わせるような甘美な女性たちは、あくまでもふくよかに、そして優し気な表情をたたえてながら多様なポーズをとっていました。杉田とは真逆の作風ではありますが、その差異にも興味深い点があるのではないでしょうか。
8日まで開催されています。
「ミリアム・アイケンス + 杉田陽平」
7/18-8/8
ベルギー出身の彫刻家、ミリアム・アイケンスと、若手日本人ペインターの杉田陽平の作品を紹介します。(TABより引用。一部改変。)ギャラリー・ストレンガーで開催中の二人展へ行ってきました。
杉田というと、その隆起した画肌に驚かされた昨冬のMoMoの個展の印象も深いところですが、今回はそれより幾分抑制的でありながらも、ドイツ表現主義風のドギツイ色調とタッチ、さらには悪魔的な人物のモチーフなどの魅力は相変わることなく健在でした。手狭な同画廊の空間もあってか、展示作品数は5~6点ほどに留まりますが、背景にリヒターのような色面をとる人物や顔が浮かび、その手前に「皮」の如く絵具を張り合わせる様子は、絵画平面に複層的な表現をもたらすことに成功しています。アクの強さは並大抵ではありません。
一方のベルギーの作家、アイケンスのテラコッタによる彫像はまるでニンフです。イタリアのルネサンス絵画を思わせるような甘美な女性たちは、あくまでもふくよかに、そして優し気な表情をたたえてながら多様なポーズをとっていました。杉田とは真逆の作風ではありますが、その差異にも興味深い点があるのではないでしょうか。
8日まで開催されています。
コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
「混沌から躍り出る星たち 2009」 スパイラルガーデン
スパイラルガーデン(港区南青山5-6-23)
「混沌から躍り出る星たち 2009 - 『京都造形芸術大学2008年度卒業・終了制作選抜展』選抜展 - 」
7/31-8/8
今年で9回目を迎えました。京都造形芸術大学(大学院)の卒業・終了展より選抜された26組のアーティスト(卒業生のゲストアーティストを含む。)を紹介します。スパイラルガーデンで開催中の「混沌から躍り出る星たち 2009」へ行ってきました。
まずは本年の出品作家です。公式HPより転載します。
招待作家(卒業生):西村郁子
2008年度卒業制作展から選定された作家:井階麻未、大場英理子、川上幸子、極並佑、坂本いづみ、佐藤允、小路由希子、神馬啓佑、高木仁美、TOPPI(高砂光・夫馬洋輔)、武田あずみ、寺村利規、土手茉莉、橋本美香、番場文章、藤居典子、藤井秀全、藤井まり子、松浦宏美、松本高志、村林由貴、目良真弓、森山蘭子、山岡千紗、若松堅太郎
昨年同様、大学を終えたばかりの作家による、オブジェ、インスタレーション、そして平面に映像ありのバリエーション豊かな展覧会です。特段のテーマを設けないことで、それぞれの新鮮な表現を自由に受け止めることを可能としています。早速、以下に印象に残った作家を挙げてみました。
西村郁子「untitled」
スパイラルのメイン、円筒状の空間を用いての大掛かりなインスタレーション。天井から網状になった白と紫の布が円錐を描いて垂れ下がる。スポットライトを浴びて出来た影も効果的だった。
坂本いづみ「ivy.」
植物のツタを意味するというタイトル名。チェック柄の洋服が数着ほどハンガーにぶら下がり、その下部の全てが解かれ、紐状になって他と結びついている。まるで洋服同士が手を取り合っているようだ。
極並佑「modern people」
4×3mの大作ペインティング。都会の街角にある何気ない光景を、アメリカのポップアート風に描く。それ自体が色面となった太い輪郭線は、絵画を巨大な塗り絵のように象った。絵からはみ出た男女のすれ違う構図も面白い。
土手茉莉「grow」
数十個ほど吊るされた直径20センチほどの透明カプセルの中に、金魚をモチーフとしたコラージュが入っている。ちょうど半球のカプセルの重なり合う面に金魚を描いているのが興味深い。ビース、糸などで出来たその姿はとても可愛らしかった。
大場英理子「composition A-192」
入口すぐ、受付カウンター横の床面に並ぶリンゴのオブジェ。一見、紙製のようにも思えるが、実際には粘土で出来ていた。手前から奥に向かって白から青のグラデーションを描く姿も印象深い。
目良真弓「人はそれを絶望と呼んでしまうのか(自画像)」
作家自身が普段、身につけている衣装をモチーフとして描いたという自画像群。とは言え、闇に覆われた画面に洋服などが浮かび上がる姿は、おおよそ一般的な自画像のイメージとはほど遠い。(それが非常に面白い。)メゾチントの深い質感には驚かされた。ただならぬ雰囲気を感じる。
高木仁美「日々を繋ぐ」
買い物などで得られたレシートをそのまま壁に貼っただけかと思いきや、それ自体に作家の手が加えられた作品、つまりは刺繍だった。生活の記録でもあるレシートへ能動的に働きかけることで、より日々の記憶と経験を呼び覚まそうとしているのかもしれない。コンセプチュアルな要素と手仕事的な部分がうまく釣り合っている。
小路由希子「蓮歩」
金属を思わせる黒い板の上に並ぶ皿のような陶のオブジェ。表面に皺の入り、また重なり合って並ぶ様は、まさに池に浮かぶ蓮の花のイメージだった。白地にうっすらと青みを帯びた色彩感も美しい。
また上記の他、この春に東京駅の行幸ギャラリーで開催された「アート アワード トーキョー」に展示のあった数名の作家も登場していました。(なお作品は同一です。)その際に賞を得た神馬啓佑、寺村利規の作品も出ているので、見逃された方は本展で確認するのも良いかもしれません。
「アート アワード トーキョー 丸の内2009」 行幸地下ギャラリー
9日間限定の愉しいグループショーです。8日の土曜日まで開催されています。
「混沌から躍り出る星たち 2009 - 『京都造形芸術大学2008年度卒業・終了制作選抜展』選抜展 - 」
7/31-8/8
今年で9回目を迎えました。京都造形芸術大学(大学院)の卒業・終了展より選抜された26組のアーティスト(卒業生のゲストアーティストを含む。)を紹介します。スパイラルガーデンで開催中の「混沌から躍り出る星たち 2009」へ行ってきました。
まずは本年の出品作家です。公式HPより転載します。
招待作家(卒業生):西村郁子
2008年度卒業制作展から選定された作家:井階麻未、大場英理子、川上幸子、極並佑、坂本いづみ、佐藤允、小路由希子、神馬啓佑、高木仁美、TOPPI(高砂光・夫馬洋輔)、武田あずみ、寺村利規、土手茉莉、橋本美香、番場文章、藤居典子、藤井秀全、藤井まり子、松浦宏美、松本高志、村林由貴、目良真弓、森山蘭子、山岡千紗、若松堅太郎
昨年同様、大学を終えたばかりの作家による、オブジェ、インスタレーション、そして平面に映像ありのバリエーション豊かな展覧会です。特段のテーマを設けないことで、それぞれの新鮮な表現を自由に受け止めることを可能としています。早速、以下に印象に残った作家を挙げてみました。
西村郁子「untitled」
スパイラルのメイン、円筒状の空間を用いての大掛かりなインスタレーション。天井から網状になった白と紫の布が円錐を描いて垂れ下がる。スポットライトを浴びて出来た影も効果的だった。
坂本いづみ「ivy.」
植物のツタを意味するというタイトル名。チェック柄の洋服が数着ほどハンガーにぶら下がり、その下部の全てが解かれ、紐状になって他と結びついている。まるで洋服同士が手を取り合っているようだ。
極並佑「modern people」
4×3mの大作ペインティング。都会の街角にある何気ない光景を、アメリカのポップアート風に描く。それ自体が色面となった太い輪郭線は、絵画を巨大な塗り絵のように象った。絵からはみ出た男女のすれ違う構図も面白い。
土手茉莉「grow」
数十個ほど吊るされた直径20センチほどの透明カプセルの中に、金魚をモチーフとしたコラージュが入っている。ちょうど半球のカプセルの重なり合う面に金魚を描いているのが興味深い。ビース、糸などで出来たその姿はとても可愛らしかった。
大場英理子「composition A-192」
入口すぐ、受付カウンター横の床面に並ぶリンゴのオブジェ。一見、紙製のようにも思えるが、実際には粘土で出来ていた。手前から奥に向かって白から青のグラデーションを描く姿も印象深い。
目良真弓「人はそれを絶望と呼んでしまうのか(自画像)」
作家自身が普段、身につけている衣装をモチーフとして描いたという自画像群。とは言え、闇に覆われた画面に洋服などが浮かび上がる姿は、おおよそ一般的な自画像のイメージとはほど遠い。(それが非常に面白い。)メゾチントの深い質感には驚かされた。ただならぬ雰囲気を感じる。
高木仁美「日々を繋ぐ」
買い物などで得られたレシートをそのまま壁に貼っただけかと思いきや、それ自体に作家の手が加えられた作品、つまりは刺繍だった。生活の記録でもあるレシートへ能動的に働きかけることで、より日々の記憶と経験を呼び覚まそうとしているのかもしれない。コンセプチュアルな要素と手仕事的な部分がうまく釣り合っている。
小路由希子「蓮歩」
金属を思わせる黒い板の上に並ぶ皿のような陶のオブジェ。表面に皺の入り、また重なり合って並ぶ様は、まさに池に浮かぶ蓮の花のイメージだった。白地にうっすらと青みを帯びた色彩感も美しい。
また上記の他、この春に東京駅の行幸ギャラリーで開催された「アート アワード トーキョー」に展示のあった数名の作家も登場していました。(なお作品は同一です。)その際に賞を得た神馬啓佑、寺村利規の作品も出ているので、見逃された方は本展で確認するのも良いかもしれません。
「アート アワード トーキョー 丸の内2009」 行幸地下ギャラリー
9日間限定の愉しいグループショーです。8日の土曜日まで開催されています。
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
« 前ページ | 次ページ » |