◆ちゃんとしゃべれ!治納由気(はるなゆき)◆

変な日本語、敬語もどき、崩れていく日本語、そして、正しい日本語とハムスター。

「~ていなく」について補足。

2007-11-24 20:18:25 | 気になる言葉、具体例
                      食べてはおらぬ
 17日に「切断されていなく」という言い方について書いたところ、「おる」謙譲語説の弊害ではないかというご意見を頂いたのですが、思い当たることがあります。ちなみに、私は、「おります」の形で謙譲語になるという教育を受けました。例えば、電話がかかってきて「○○さんはご在宅でしょうか」と問われれば、「はい、おります」と答えますし、「お待ちしています」より「お待ちしております」のほうがより丁寧で謙遜した言い方であると思っています。
 でも、「~ておられる」は、動作・状態の継続を表す「~ている」の文語的な言い方「~ておる」に尊敬の助動詞「れる」が付いて尊敬語化したものである、また、「~ており」は「~ていて」より改まった表現、単なる丁寧語であって、謙譲語ではないと思っています。実際、長い間、世の中の多くの人が、そして、メディアも、そういうふうに使ってきたのではないでしょうか。
 以前、「~ております」は謙譲語なので、「~ておられる」という尊敬表現に違和感を持つ人がいるという話をNHKの番組で聞いたのですが、私は、ということは、「~ておられる」は敬意の度合いが低い、万人に通じる上等な尊敬語ではないのかな、と受け取りました。でも、多くのメディアはそれ以上に解釈し、「~ておられる」は誤用だ、「~ており」もおかしい、というふうに流れていったようで、このごろそういう言い方は聞かれなくなってきました。そのくせ、「いらっしゃっております」なんて言うのですから、全く矛盾していますが。
 ついこの間まで「~ており」と言っていたのに、今は「~ていて」と言っていますよね。でも、さすがに「~ていなくて」とは言いにくかったのか、「~ておらず」はまだ聞かれたのですが、それも今はほとんど「~ていなく」になりました。メディアは「新しい」「インパクト」「先駆け」が大好き! 正誤はさほど気にしない。そして、だれかがそうすると一斉に同じような流れになる、という性質があるように思います。
 「切断されていない」の「ない」は打消の助動詞で、その連用形が「なく」であり、「見えなくなる」「見えなくて」のように他の活用語や助詞に連なるから連用形と言うわけで、「なる」や「て」を省くことはできないのです。助動詞でも、「彼を座らせ、説教した」「殴られ、蹴られ、転倒した」のような中止形というのがあって、それは耳に慣れた言い方ですが、「切断されていなく」は耳に慣れていますか?
 同じ打消の助動詞でも、「ぬ」の連用形「ず」の中止形はずーっと使われています。「質問に答えず、身動きもせず、ただ座っていた」「答えが分からず、黙っていた」「切断されておらず、大丈夫だと思った」というのは当たり前の言い方です。これがあったから「~ていなく」とは言わなかったのではないでしょうか。「質問に答えなく、身動きもしなく、ただ座っていた」とはだれも言いませんね。
 「やむをえなくて」「やむをえず」、「100年たっても腐らなくて」「100年たっても腐らず」、「店が営業していなくて」「店が営業しておらず」、「友達は一人もいなくて」「友達は一人もおらず」、「電気もついていなくて」「電気もついておらず」が、耳に慣れた自然な言い方ですよね。ずーっとこうだったのに、「切断されていなく」もすでに耳に慣れてしまいましたか? しょっちゅう耳に入ってきますが、私はまだ慣れません。
 明日の記事も、この続きですm(_ _)m。
コメント (2)
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