けっこうな御点前で
「茶道」をあなたは何と読みますか? 私はずっと「さどう」と読んできましたが、最近、テレビで「ちゃどう」と言うのを続けて耳にしました。辞書で「さどう」を見ると、「→ちゃどう」となっていて、「ちゃどう」を見ると、「お茶をたてる作法」と書いてあります。つまり、「ちゃどう」が本来の読み方なのかな~という感じなのです。「なのかな~」というのは、「さどう」に慣れているからピンと来ないのです。このように感じるのはやはり私だけではないようで、「ちゃどう」は耳障りだというコメントも頂いています。
4月5日に「全然いいです」について書きました。否定ではない「全然」という言い方が出てきて、「全然ない」と言うと思ったら「全然ある」と言うのですから、話の流れが乱れてとても困るのですが、若い人に「『全然ある』って気持ち悪くない?」と言ったら、「昔はもともと肯定で使ってたんだよ」と言われました。明治・大正時代は肯定でも「全然」と言っていたことは私も承知していますが、もうほとんどの人が昭和生まれであり、今は平成、否定で使うことにすっかり慣れていたのに、なぜ今更また混乱させるのか。得意顔で昔はこうだったなんて言われても、はい、そうですか、とは言えません。
芸能人が変な言葉を乱発するのは単に流行のキーワードを盛り込みたいだけなので、それはそれ、しょうがない。芸能人は「はやり」が好き! はやり、命! メディアは「新しい」「インパクト」「先駆け」が大好き! 「ちゃどう」も、耳に新しい、しかも、これは間違いではない、辞書にちゃーんと載っている、どうだ?! ってなわけです。「切断されていなく」も、業界の人みんなで言えば怖くない、慣れさせればこっち(業界)のものだ・・・ってか?(`へ´)プンプン。
でも、少しは、そのことが世の中に及ぼす影響というものを考えてもらえないものなのでしょうかね。一般の人は、強制的に慣らされ、いつしか変だと思わなくなるのでしょうけれども、テレビの力というのは恐ろしいもので、とてつもなく変化が速い、速すぎて困ります。一部のスーパースプレッダーが正誤を考えもせずにどんどん変化させていっていいのでしょうか? そうして言葉が乱れていっても、変化であると認めなければならないのでしょうか? 変化にも、受け入れられるものとそうでないものがありますよね。
「茶道」をあなたは何と読みますか? 私はずっと「さどう」と読んできましたが、最近、テレビで「ちゃどう」と言うのを続けて耳にしました。辞書で「さどう」を見ると、「→ちゃどう」となっていて、「ちゃどう」を見ると、「お茶をたてる作法」と書いてあります。つまり、「ちゃどう」が本来の読み方なのかな~という感じなのです。「なのかな~」というのは、「さどう」に慣れているからピンと来ないのです。このように感じるのはやはり私だけではないようで、「ちゃどう」は耳障りだというコメントも頂いています。
4月5日に「全然いいです」について書きました。否定ではない「全然」という言い方が出てきて、「全然ない」と言うと思ったら「全然ある」と言うのですから、話の流れが乱れてとても困るのですが、若い人に「『全然ある』って気持ち悪くない?」と言ったら、「昔はもともと肯定で使ってたんだよ」と言われました。明治・大正時代は肯定でも「全然」と言っていたことは私も承知していますが、もうほとんどの人が昭和生まれであり、今は平成、否定で使うことにすっかり慣れていたのに、なぜ今更また混乱させるのか。得意顔で昔はこうだったなんて言われても、はい、そうですか、とは言えません。
芸能人が変な言葉を乱発するのは単に流行のキーワードを盛り込みたいだけなので、それはそれ、しょうがない。芸能人は「はやり」が好き! はやり、命! メディアは「新しい」「インパクト」「先駆け」が大好き! 「ちゃどう」も、耳に新しい、しかも、これは間違いではない、辞書にちゃーんと載っている、どうだ?! ってなわけです。「切断されていなく」も、業界の人みんなで言えば怖くない、慣れさせればこっち(業界)のものだ・・・ってか?(`へ´)プンプン。
でも、少しは、そのことが世の中に及ぼす影響というものを考えてもらえないものなのでしょうかね。一般の人は、強制的に慣らされ、いつしか変だと思わなくなるのでしょうけれども、テレビの力というのは恐ろしいもので、とてつもなく変化が速い、速すぎて困ります。一部のスーパースプレッダーが正誤を考えもせずにどんどん変化させていっていいのでしょうか? そうして言葉が乱れていっても、変化であると認めなければならないのでしょうか? 変化にも、受け入れられるものとそうでないものがありますよね。