やむをえなくて
ニュースで、「事故を起こしたトラック運転手は、架線は切断されていなく、大丈夫だと思ったということで」と女性記者が言いました。「切断されていなく」が尻切れトンボでむずむずする言い方ですが、残念ながらこういう言い方をするのはこの人だけではなく、やはりいつの間にか広まっているようで、たまに耳に入ってきます。「やむをえなくやりました」もそうです。「切断されていなくて」だとお堅い報道番組っぽくないなどと変に気を遣う必要はなく、素直に「架線は切断されていなくて大丈夫だと思ったということで」と言えばいいのですが、どうしてもというのなら、「事故を起こしたトラック運転手は、架線は切断されておらず、大丈夫だと思ったということで」と言うしかないでしょう。
例えば、「身支度をして出発した」を改まって言うと「身支度をし、出発した」となり、接続助詞「て」を削ることになりますが、これと同じ感覚なのではないでしょうか。あるいは、「間違いではなく、正しい」の「なく」と混同しているのでしょうか。「身支度をし」の「し」は、「する」という動詞、自立語の連用形であり、「出発した」に連なっているわけで、「て」がなくても十分これで成立しています。「間違いではなく」の「なく」は形容詞、やはり自立語の連用形で、「正しい」に連なって成立しています。でも、助詞と助動詞は、常に自立語の下に付いて文節を構成する付属語であり、その連用形を自立語の連用形と混同してはいけません。
「切断されていない」「やむをえない」の「ない」は打消の助動詞で、その連用形が「なく」ですが、「見えなくなる」「見えなくて」のように他の活用語や助詞に連なるから連用形と言うのであって、「なる」や「て」を省くことはできないのです。「なる」があるから結果が分かるわけで、「見えなく」だけだと分かりません。「て」が前後の意味上の関係を示しているのであり、これを省くと、後が続かなくて意味不明になります。「切断されていなくて」「やむをえなくて」まで言って初めて成立するわけで、何でも「て」を削ればいいというものではありません。
ニュースで、「事故を起こしたトラック運転手は、架線は切断されていなく、大丈夫だと思ったということで」と女性記者が言いました。「切断されていなく」が尻切れトンボでむずむずする言い方ですが、残念ながらこういう言い方をするのはこの人だけではなく、やはりいつの間にか広まっているようで、たまに耳に入ってきます。「やむをえなくやりました」もそうです。「切断されていなくて」だとお堅い報道番組っぽくないなどと変に気を遣う必要はなく、素直に「架線は切断されていなくて大丈夫だと思ったということで」と言えばいいのですが、どうしてもというのなら、「事故を起こしたトラック運転手は、架線は切断されておらず、大丈夫だと思ったということで」と言うしかないでしょう。
例えば、「身支度をして出発した」を改まって言うと「身支度をし、出発した」となり、接続助詞「て」を削ることになりますが、これと同じ感覚なのではないでしょうか。あるいは、「間違いではなく、正しい」の「なく」と混同しているのでしょうか。「身支度をし」の「し」は、「する」という動詞、自立語の連用形であり、「出発した」に連なっているわけで、「て」がなくても十分これで成立しています。「間違いではなく」の「なく」は形容詞、やはり自立語の連用形で、「正しい」に連なって成立しています。でも、助詞と助動詞は、常に自立語の下に付いて文節を構成する付属語であり、その連用形を自立語の連用形と混同してはいけません。
「切断されていない」「やむをえない」の「ない」は打消の助動詞で、その連用形が「なく」ですが、「見えなくなる」「見えなくて」のように他の活用語や助詞に連なるから連用形と言うのであって、「なる」や「て」を省くことはできないのです。「なる」があるから結果が分かるわけで、「見えなく」だけだと分かりません。「て」が前後の意味上の関係を示しているのであり、これを省くと、後が続かなくて意味不明になります。「切断されていなくて」「やむをえなくて」まで言って初めて成立するわけで、何でも「て」を削ればいいというものではありません。