湖南市にある「妙感寺」は臨済宗妙心寺派の寺院として、南北朝期の1336年頃に創建されたといいます。
創建は大本山妙心寺の第二世微妙大師によるものとされ、その微妙大師は南北朝時代の後醍醐天皇の側近だった藤原藤房とされています。
妙感寺には南北朝期の「木造十一面千手観音坐像」が安置されており、奥の院に当たる裏山には鎌倉後期の「磨崖地蔵菩薩像」があると聞きます。
仏像と磨崖仏の両方に拝観出来るとあれば行かない訳にはいきませんが、両仏とも想像以上の見事な姿を拝ませていただくことが出来ました。
藤房卿は三十九歳で出家し、四十二歳の時に公卿時代の知行地であった当地に草庵を結ばれたといい、微妙大師の諡号は昭和天皇によって1927年に送られたものだそうです。
妙感寺は1570年に織田信長の焼き討ちに遭ったといい、寺院には微妙大師の墓所となる南北朝期の五輪塔が残されています。
境内の建造物としては「東福門院御殿」と十一面千手観音を安置する「観音堂」があるのみで、さほど広くはないものの整備された池と緑豊かな境内は清々しい雰囲気があります。
「東福門院御殿」は「後水尾天皇」の中宮であり、徳川秀忠と正室・江夫妻の7番目の子(5女)の徳川和子が上洛・入内する時に築かれた水口御殿の一部を移転した物とされます。
「東福門院御殿」へは入ることは出来ませんが、「十一面千手観音坐像」は開扉された「観音堂」に安置されており拝観可能。
観音堂は昭和12年に建築されたもので、十一面千手観音の他にも閻魔大王などの仏像が安置されています。
「十一面千手観音坐像」は南北朝期の仏像と推定されている像高164cmの大きな坐像です。
何度か修復されているのでしょう、欠損部は見当たらず千手の拡がりも見事なものです。
間近に拝観出来ることがありがたく詳細に渡って観ることが出来ますが、町指定文化財にとどまっているのは室町前後の仏像であることや、修復の度合いによるのかもしれません。
とはいえ、観た瞬間に息を呑むような仏像であることには違いはないと思います。
では磨崖仏を求めて山道を登ります。
登り道の左側のシダの奥には「不老の滝」があり、暗くて裸眼では見えるが写真で撮るのは明暗が強すぎて全体は撮れない。
しばらく山の登り段を登って行くことになりますが、いつもこんな道ばかり歩いていますね。
途中に獣避けと思われるネットが張ってあり、“獣のいる森に入るのか?”と不安を感じながらネットをくぐって山道を進む。
山道を歩いて道が開けている所まで行くと、簡易的な建物があり、その中に通称「山の地蔵尊磨崖佛」と呼ばれる三尊形式の磨崖仏の姿がある。
像の高さは173cmとされ、滋賀県下でも最大クラスに属するといいます。
地蔵尊の両脇に2躰の脇侍が彫られていますが、説明板によると“地蔵経にいう掌善、掌悪の二童子であろうか”とあり、“この形式を「近江形式」という”とあります。
また、この磨崖仏は鎌倉後期の作ともされています。
山を降りる帰り道は距離や道筋が分かっているため余裕を持って周囲を見渡すことが出来ましたが、山のあちこちに巨石があるのは湖南地方独特の光景ということになるのでしょう。
巨石に石仏が彫られているように見えるものがあったが、これは見誤りか?磨崖仏や石仏巡りでは見誤りもまた楽しということになります。
「妙感寺」は仏像あり、磨崖仏あり、小滝あり、山道ありと実に魅力的な寺院でした。
当初予定していたのは「車谷不動磨崖仏」と「山の地蔵尊磨崖佛」でしたが、帰り道にもう一ヶ所、湖南の磨崖仏を拝観して帰ることにします。
創建は大本山妙心寺の第二世微妙大師によるものとされ、その微妙大師は南北朝時代の後醍醐天皇の側近だった藤原藤房とされています。
妙感寺には南北朝期の「木造十一面千手観音坐像」が安置されており、奥の院に当たる裏山には鎌倉後期の「磨崖地蔵菩薩像」があると聞きます。
仏像と磨崖仏の両方に拝観出来るとあれば行かない訳にはいきませんが、両仏とも想像以上の見事な姿を拝ませていただくことが出来ました。
藤房卿は三十九歳で出家し、四十二歳の時に公卿時代の知行地であった当地に草庵を結ばれたといい、微妙大師の諡号は昭和天皇によって1927年に送られたものだそうです。
妙感寺は1570年に織田信長の焼き討ちに遭ったといい、寺院には微妙大師の墓所となる南北朝期の五輪塔が残されています。
境内の建造物としては「東福門院御殿」と十一面千手観音を安置する「観音堂」があるのみで、さほど広くはないものの整備された池と緑豊かな境内は清々しい雰囲気があります。
「東福門院御殿」は「後水尾天皇」の中宮であり、徳川秀忠と正室・江夫妻の7番目の子(5女)の徳川和子が上洛・入内する時に築かれた水口御殿の一部を移転した物とされます。
「東福門院御殿」へは入ることは出来ませんが、「十一面千手観音坐像」は開扉された「観音堂」に安置されており拝観可能。
観音堂は昭和12年に建築されたもので、十一面千手観音の他にも閻魔大王などの仏像が安置されています。
「十一面千手観音坐像」は南北朝期の仏像と推定されている像高164cmの大きな坐像です。
何度か修復されているのでしょう、欠損部は見当たらず千手の拡がりも見事なものです。
間近に拝観出来ることがありがたく詳細に渡って観ることが出来ますが、町指定文化財にとどまっているのは室町前後の仏像であることや、修復の度合いによるのかもしれません。
とはいえ、観た瞬間に息を呑むような仏像であることには違いはないと思います。
では磨崖仏を求めて山道を登ります。
登り道の左側のシダの奥には「不老の滝」があり、暗くて裸眼では見えるが写真で撮るのは明暗が強すぎて全体は撮れない。
しばらく山の登り段を登って行くことになりますが、いつもこんな道ばかり歩いていますね。
途中に獣避けと思われるネットが張ってあり、“獣のいる森に入るのか?”と不安を感じながらネットをくぐって山道を進む。
山道を歩いて道が開けている所まで行くと、簡易的な建物があり、その中に通称「山の地蔵尊磨崖佛」と呼ばれる三尊形式の磨崖仏の姿がある。
像の高さは173cmとされ、滋賀県下でも最大クラスに属するといいます。
地蔵尊の両脇に2躰の脇侍が彫られていますが、説明板によると“地蔵経にいう掌善、掌悪の二童子であろうか”とあり、“この形式を「近江形式」という”とあります。
また、この磨崖仏は鎌倉後期の作ともされています。
山を降りる帰り道は距離や道筋が分かっているため余裕を持って周囲を見渡すことが出来ましたが、山のあちこちに巨石があるのは湖南地方独特の光景ということになるのでしょう。
巨石に石仏が彫られているように見えるものがあったが、これは見誤りか?磨崖仏や石仏巡りでは見誤りもまた楽しということになります。
「妙感寺」は仏像あり、磨崖仏あり、小滝あり、山道ありと実に魅力的な寺院でした。
当初予定していたのは「車谷不動磨崖仏」と「山の地蔵尊磨崖佛」でしたが、帰り道にもう一ヶ所、湖南の磨崖仏を拝観して帰ることにします。