滋賀の湖南地方は天台宗の信仰と山岳信仰の影響を受けた地と一般的にされています。
湖南市の「湖南三山」と呼ばれる「常楽寺」「長寿寺」「善水寺」は全て天台宗寺院であり、南には「金勝寺」。北上すれば湖東三山の「百済寺」「金剛輪寺」「西明寺」と天台宗の大寺院が点在します。
湖南市の辺りは良質の巨石が出る土地なのでしょう、磨崖仏や石仏の多い地域と言えます。
これには“山岳信仰・密教文化・修験道・渡来人”などのキーワードが関わりそうで、数ヶ所に現存する磨崖仏を観てみたいと湖南市を訪れました。
磨崖不動明王のある「岩根山(405m)」は別名「十二坊」と呼ばれ、かつては「甲賀山」とも呼ばれていたといいます。
岩根山には湖南三山「善水寺」があり、最盛期には山中に26もの坊舎があったといい、十二坊はそのうちの12の坊舎を指すそうです。
最澄は比叡山を開創する際の用材を甲賀の地に求めたとされますが、町村合併までのこの地が“岩根村”と呼ばれていた事から甲賀五十三家の岩根氏との関係もありそうな地域となっています。
集落に車を停めて、川に沿った道を歩きだすと、要所に道案内の看板があり分かりやすい道となっている。
野鳥の囀りが聞こえてきましたが、どうやら近くでオオルリが囀っているようです。
しばらく見ていると高い木の上に留まって囀りだして視界には入ってはくるものの、デジカメのズームでは撮れない距離で証拠写真のみ。
道は雨上がりでジトジトとしてはいますが、山歩きというほどの距離ではなく、さほど辛いものではない。
磨崖仏がある場所は岩根山の入口に過ぎないと思いますが、修験者は更に山中の奥深くを巡って修行に明け暮れたのでしょう。
足元に蛇でも居たら怖いので足元を見て下向きに歩き、ふと顔を上げるとそこに「不動磨崖仏」がありました。
高さ約6m・幅2mの巨岩に刻まれた磨崖仏は像高約4m・幅2mを越える大きさで、緑の中に忽然と現れて佇む姿には圧倒される迫力があります。
顔幅だけでも幅80cmあるといい、宝剣に至っては230cmのロングサイズです。
江戸時代の作と推定されていますが、なぜここに?誰がいったい?何のために?と興味は尽きません。
いずれにしても、旅行く人や村人を見守るような道祖神のようなものではなく、修験者にとっては霊山の入り口にある結界といったものではないでしょうか。
風雪にさらされながらも風化が少ないのは、江戸期に彫られたとされていることが影響しているのか、石質によるものか。
不動磨崖仏へは段を登ってすぐ手前まで行くことが出来ますが、渓谷を挟んだ位置からも観ることができます。
不動さんの彫られた大岩は単純にビルやマンションの2階相当の高さになりますから実に大きな磨崖仏だと言えます。
訪れた時期には、まだ渓流の上を飛び交うイワツバメの姿が見られ、見送られるようにして山を後にします。
写真奥ににある山は何という山なのか分かりませんが、花園区の集落は昔ながらの農村の雰囲気が残り、村の神社や寺院を祀る穏やかな村といった印象が残ります。
磨崖不動明王尊は通称「車谷不動」と呼ばれており、甲西町には他にも磨崖仏が存在するといいます。
湖南市の山々からは修験道や山岳信仰に由来するものや、奈良時代に創建され平安時代に天台宗へと変遷していった寺院が残り、独特の宗教圏があったことが伺われます。
湖南市の「湖南三山」と呼ばれる「常楽寺」「長寿寺」「善水寺」は全て天台宗寺院であり、南には「金勝寺」。北上すれば湖東三山の「百済寺」「金剛輪寺」「西明寺」と天台宗の大寺院が点在します。
湖南市の辺りは良質の巨石が出る土地なのでしょう、磨崖仏や石仏の多い地域と言えます。
これには“山岳信仰・密教文化・修験道・渡来人”などのキーワードが関わりそうで、数ヶ所に現存する磨崖仏を観てみたいと湖南市を訪れました。
磨崖不動明王のある「岩根山(405m)」は別名「十二坊」と呼ばれ、かつては「甲賀山」とも呼ばれていたといいます。
岩根山には湖南三山「善水寺」があり、最盛期には山中に26もの坊舎があったといい、十二坊はそのうちの12の坊舎を指すそうです。
最澄は比叡山を開創する際の用材を甲賀の地に求めたとされますが、町村合併までのこの地が“岩根村”と呼ばれていた事から甲賀五十三家の岩根氏との関係もありそうな地域となっています。
集落に車を停めて、川に沿った道を歩きだすと、要所に道案内の看板があり分かりやすい道となっている。
野鳥の囀りが聞こえてきましたが、どうやら近くでオオルリが囀っているようです。
しばらく見ていると高い木の上に留まって囀りだして視界には入ってはくるものの、デジカメのズームでは撮れない距離で証拠写真のみ。
道は雨上がりでジトジトとしてはいますが、山歩きというほどの距離ではなく、さほど辛いものではない。
磨崖仏がある場所は岩根山の入口に過ぎないと思いますが、修験者は更に山中の奥深くを巡って修行に明け暮れたのでしょう。
足元に蛇でも居たら怖いので足元を見て下向きに歩き、ふと顔を上げるとそこに「不動磨崖仏」がありました。
高さ約6m・幅2mの巨岩に刻まれた磨崖仏は像高約4m・幅2mを越える大きさで、緑の中に忽然と現れて佇む姿には圧倒される迫力があります。
顔幅だけでも幅80cmあるといい、宝剣に至っては230cmのロングサイズです。
江戸時代の作と推定されていますが、なぜここに?誰がいったい?何のために?と興味は尽きません。
いずれにしても、旅行く人や村人を見守るような道祖神のようなものではなく、修験者にとっては霊山の入り口にある結界といったものではないでしょうか。
風雪にさらされながらも風化が少ないのは、江戸期に彫られたとされていることが影響しているのか、石質によるものか。
不動磨崖仏へは段を登ってすぐ手前まで行くことが出来ますが、渓谷を挟んだ位置からも観ることができます。
不動さんの彫られた大岩は単純にビルやマンションの2階相当の高さになりますから実に大きな磨崖仏だと言えます。
訪れた時期には、まだ渓流の上を飛び交うイワツバメの姿が見られ、見送られるようにして山を後にします。
写真奥ににある山は何という山なのか分かりませんが、花園区の集落は昔ながらの農村の雰囲気が残り、村の神社や寺院を祀る穏やかな村といった印象が残ります。
磨崖不動明王尊は通称「車谷不動」と呼ばれており、甲西町には他にも磨崖仏が存在するといいます。
湖南市の山々からは修験道や山岳信仰に由来するものや、奈良時代に創建され平安時代に天台宗へと変遷していった寺院が残り、独特の宗教圏があったことが伺われます。