僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

「高月町の野神さん」3~高月・渡岸寺・唐川(赤後寺)~

2020-06-11 06:01:01 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 湖北地方にはスギやケヤキの古木を「野神さん」として祀り、現在も五穀豊穣の神としてお盆の頃に「野神祭」が行われている集落があると聞きます。
野神さんは集落のはずれにあることが多く、村へ悪いものを入れない結界であったりするのかとも思われ、害のあるもの(害虫)を集落の外へ追い出す意味もあるのかと思われます。

後者は松明を持ったり、鉦・太鼓を鳴らしたりしながら田畑を回る郷回り「虫送り」の神事として残っているとも聞きます。
早春に行われる「オコナイ」神事や、夏の「野神祭」によって五穀豊穣を願う神事が伝承されていることは、「観音の里」と呼ばれる高月の人々の信仰深さを表しているのかもしれません。

<高月の野神さん>



「高月の野神さん」は工場の敷地の一角にあり、周囲を工場の建屋に取り囲まれた場所にある野神さんでした。
野神さんとしては珍しい「ムクの木」で幹周は3m、樹高30mの堂々たる姿で樹勢の良い実に見事な巨樹で、このようなところにあるのは違和感を感じつつもよくぞ残してくれたと思います。



この事業所の沿革によると工場は1964年に開設されたようですから、元々は農地だった場所を買収して建てられたと思われ、その際に「野神さん」だけが工場の敷地内に残されたのでしょう。
高月集落の隣村の宇根集落の野神さんも工場の敷地内にあったそうですが、「宇根の野神さん」の方は今は現存しないと聞きます。





「高月の野神さん」の後方にある少し盛り上がった塚には「前田俊蔵」という方の壮絶な話があります。

明治16年、日照りが100日余りも続いて水が枯れ、稲も苗も今にも枯れ死んでしまいそうになった。
28歳の前田俊蔵は、美濃の夜叉ヶ池へ行って龍神に雨を祈り、その祈願の甲斐あって大雨が降り、数ヶ村あまねくうるおい、枯れていた稲もみなことごとく蘇った。
村へ戻った前田俊蔵は龍神さまに“雨に恵まれたら私の命を捧げますと誓った”と書き残し、この場所で自害したと伝わります。

高月では、前田俊蔵を「郷土の義人」として死を惜しみ、碑文を刻んだ碑を建て、その徳を後々にまで伝えています。


(高月 大円寺 前田俊蔵碑)

現在の高月町は、用水路が張り巡らされていて農業用水を確保していますが、かつては日照りの年などに集落間で死者も出るような流血の水争いなどがあったようです。
高時川に堰を造って支流(川の両岸)に水を流して下流の集落に水を流していたといいますが、渇水の時には瀬切れを起こし、田圃が干上がっってしまうことがあったといいます。

そのため番水といわれる取水のローテーションが行われるようになり、「井落し(堰落とし)」によって高時川の水を分配して田圃に取水するようになったといいます。
これを「餅の井落し」といい、昭和の初期まで400年に渡って続いていたとされますが、時代が下るにつれて様式化された調停へと変わっていったといいます。
農村にとって水は村の生死に関わることですから血なまぐさい激しい争いの時代を経て、様式化された「餅の井落し」によって、共存する道を進んで行ったのでしょう。

<渡岸寺の野神さん>

高月町渡岸寺集落には国宝「十一面観音立像」や重文「大日如来坐像」を祀る「渡岸寺観音堂」があり、その門前の用水路の横に「渡岸寺野神」が祀られています。
何度か訪れた観音堂ですので「渡岸寺野神」のことは知ってはいたものの、今までは「野神さん」として認識して見てはいませんでした。



渡岸寺のケヤキは樹齢が300年にも及ぶと推定されており、幹周は3.2mで樹高は10mとされ、用水路の横に立っている。
田植えの季節ということもあって、水量は多く勢い良く流れているのが心地よい。



渡岸寺の境内に入ってみるとケヤキやサクラと思われる木が何本も植えられているのが新鮮で、見る方の感性が変わると見える風景が変わるのだと実感する。
これまでは用水路の野神さんとかつて仁王門の前に斜めに生えていた松だけが樹木として印象に残っていたのですが...。



境内にある「天神社」の本殿の前にも数本の木が並び、2月にはオコナイの神事が行われるそうです。
「天神社」の御祭神は「泥土煮尊」という土や砂を表わす神とされ、菅原道真公が鎮祭して産土神として祀った神と伝わります。



渡岸寺(正式には「向源寺(渡岸寺観音堂)」)は国宝・重文の仏像もさることながら「野神さん」や境内の樹木にも魅力のある寺院です。
また、すぐそばには「高月観音の里歴史民俗資料館」があり、収蔵された仏像群が素晴らしく、ある意味で渡岸寺集落は観音の里の首都とでもいうような場所かと思います。

<赤後寺のスギ>

唐川集落には2018年9月の台風21号によって倒壊するまでは「唐川の野大神スギ」という樹齢400年にも及ぶ巨樹があったといいます。
幹周7.6m、樹高20mあったといい、幾本にも枝分かれしたスギだったといいますが、残念ながら一度も見ることなく消滅してしまいました。



唐川集落にある「赤後寺」にも巨大スギがあり訪れてみると、スギは数本あるものの「赤後寺のスギ」と呼ばれる幹周6.4m、樹高40mとされた二股のスギがありませんでした。
台風による倒壊被害を防止するために切られたとのことらしいのですが、赤後寺にはまだスギの巨樹が数本残されているのが救いです。



残されているスギでもっとも大きいのは太い巨樹の根から若い幹が伸びている二股のスギでしょうか。
根っこの部分にもう1本あったようですが、その木は伐られて株だけが残っていました。





「赤後寺」は平安前期の重文「千手観音立像」「聖観音立像」が祀られており、度々の戦火では土の中や川に沈めて守ってきた仏像だと伝わります。
そのため手首やつま先のない痛々しい姿をされていますが、逆に包容力を感じる仏像で、通称「コロリ観音」と呼ばれている仏像です。


コメント
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