勧請縄は、村境や神社の境内に呪物を付した注連縄を吊るす民俗行事で、道切りと呼ばれることがあり、滋賀県では湖東・湖南地方に集中しています。
トリクグラズと呼ばれる呪物は集落ごとに独特の様式があり、吊るし方にも違いがあるものの、年頭に村内安全・五穀豊穣・疫病退散などを祈念するという願いは共通です。
近江八幡市の白王町王ノ浜の「若宮神社」は、現地でどうしても場所が分からない神社でしたが、事前に地図を調べて場所を特定してから訪れました。
勧請縄を吊るす神社というこもさることながら、王ノ浜若宮神社の御祭神が「惟喬親王」ということが訪れる動機をなっています。
惟喬親王は皇太子として天皇に即位するはずであったが、弟宮の母親が太政大臣・藤原良房の娘であったため、後ろ盾の力関係により表舞台から退くことになったという。
晩年は、京都大原の地に隠棲して病没されたとされますが、滋賀県の愛知川源流の小椋谷に19年間暮らして轆轤の技術を伝授したという伝説もあります。
この話を起源として惟喬親王は「木地師」の祖とされ、小椋谷は「木地師集団の支配所」として全国の木地師たちの保護・統括をしていたという。
琵琶湖や西の湖近くのにある白王町王之浜では都を逃れた惟喬親王が琵琶湖の「宮ヶ浜」(近江八幡市)に上陸し、当地に隠れ住んだという伝説があります。
惟喬親王は「この地で手芸や細工を教えられた」との伝説が残り、王之浜若宮神社の御祭神として祀られています。
王ノ浜集落は西の湖に近い大浜山の麓にあって民家の数も少なく、神社を探すのに難儀しました。
神社は集落のさらに端にありましたが、鳥居に勧請縄が掛けられているのを見て一安心です。
勧請縄は主縄の下に大きく束ねた小縄が左右2本づつ下げられ、中央にはトリクグラズ、その上に小幣が3本立てられてある。
トリクグラズは円形の輪に大量の枝葉が付けられており、小幣には紅白の紐が水引のようにくくられています。
王ノ浜の勧請縄はかつては境内を横切るように長い主縄が吊るされていたようですが、今は鳥居に掛けられる長さになり、小縄も少なくなっているようです。
拝殿から本殿の間は屋根があるのですが、本殿は石段が組まれた上に祠が祀られており、石段の左右は注連縄で結界が切られている。
寂寞とした場所に祀られている神社ですので、平安の世に皇子が隠れ住んだとの伝説を思い起こしてしまうような場所でした。
次に小船木町の諏訪神社にある勧請縄を探しに行きますが、村の小さな神社はナビには出てこないので該当する町内を探すことになります。
田圃が迷路のような分譲住宅地になっていたり、古い集落では極端に細い道を通ることになったりとなかなか難しい中、やっと発見。
境内に入るとまず注連縄を巻かれた御神木が見えてくる。
内部が空洞になって痛々しいものの、若い枝が延びて生命力の強さを感じさせる。
反対側に回り込むと、注連縄は円形の部分を残して結ばれています。
環境庁のデータベースでは樹種はシラカシ、幹周375cm・樹高15mで健全度は一部枯損となっています。
勧請縄は境内の裏側、ちょうど八幡山が見える方向に向けて吊るされています。
小縄にはカシとマツの枝葉が付けられて、本数は13本なのは今年が閏年ゆえということ。
西邑泰郎さんの「勧請縄ー個性豊かな村境の魔よけー」では、ここは近江八幡に通じる古い道の起点になるので昔は「道切り」で路上にあったのではと推測されています。
神社裏側の方向には八幡山や近江八幡の古い町があり、方向が北東ですので鬼門封じの意味もあるのかもしれません。
トリクグラズは円の中に十字に枝を挿してカシトマツの枝葉を大量に付けている。
この変わった形をしたトリクグラズは「鬼の顔」を模しているといい、鬼の出入口方角とされる鬼門を「鬼の顔」をした呪物が守っているようにも思えます。
諏訪神社の御祭神は健御名方命(タケミナカタノカミ)で水神である竜神や蛇神の姿で描かれることがあり、狩猟や農耕の神とされています。
本殿の囲いの中には1372年(南北朝期)に寄進されたという石灯籠には「小舟木町 惣中」とあり、小舟木が惣村を形成していたことが分かるとされます。
森尻町の八幡神社もあると知って探さなければほぼ見つからない場所にあります。
勧請縄を探すのに困るのは、集落の中に車を乗り入れると通行するのが困難な道が多々あることで、地元の方は慣れているでしょうけど他所者はかなり苦戦します。
八幡神社の勧請縄は本殿の覆い屋に直接吊るされ、左右6本づつ下げられた小縄は中央寄りの3本が束ねられている。
縄は手編みではないようだが、簡略化しつつも伝統行事を残しているようです。
トリクグラズは円形に丸められた枝にスギの葉が付けられています。
主縄には竹を割って作った小幣が挿され、それぞれに紙垂が下げられています。
森尻町の勧請縄の変わったところは、社殿の横にある木にも勧請縄が巻かれていることです。
御神木ということになるのか分かりませんが、かつてはもっと広い境内地に森があり、勧請縄は道切りの形で吊るされていたのかもしれません。
近江の村落には独特の信仰や伝統行事が幾つか残り、年頭行事の「勧請縄」や湖北では2月頃に行われる「オコナイ」があります。
それ以外にも「野神さん」や「山之神」への信仰や観音信仰や村落独自のお祭りなど、村落特有の信仰や伝統的行事があり興味深く感じています。
トリクグラズと呼ばれる呪物は集落ごとに独特の様式があり、吊るし方にも違いがあるものの、年頭に村内安全・五穀豊穣・疫病退散などを祈念するという願いは共通です。
近江八幡市の白王町王ノ浜の「若宮神社」は、現地でどうしても場所が分からない神社でしたが、事前に地図を調べて場所を特定してから訪れました。
勧請縄を吊るす神社というこもさることながら、王ノ浜若宮神社の御祭神が「惟喬親王」ということが訪れる動機をなっています。
惟喬親王は皇太子として天皇に即位するはずであったが、弟宮の母親が太政大臣・藤原良房の娘であったため、後ろ盾の力関係により表舞台から退くことになったという。
晩年は、京都大原の地に隠棲して病没されたとされますが、滋賀県の愛知川源流の小椋谷に19年間暮らして轆轤の技術を伝授したという伝説もあります。
この話を起源として惟喬親王は「木地師」の祖とされ、小椋谷は「木地師集団の支配所」として全国の木地師たちの保護・統括をしていたという。
琵琶湖や西の湖近くのにある白王町王之浜では都を逃れた惟喬親王が琵琶湖の「宮ヶ浜」(近江八幡市)に上陸し、当地に隠れ住んだという伝説があります。
惟喬親王は「この地で手芸や細工を教えられた」との伝説が残り、王之浜若宮神社の御祭神として祀られています。
王ノ浜集落は西の湖に近い大浜山の麓にあって民家の数も少なく、神社を探すのに難儀しました。
神社は集落のさらに端にありましたが、鳥居に勧請縄が掛けられているのを見て一安心です。
勧請縄は主縄の下に大きく束ねた小縄が左右2本づつ下げられ、中央にはトリクグラズ、その上に小幣が3本立てられてある。
トリクグラズは円形の輪に大量の枝葉が付けられており、小幣には紅白の紐が水引のようにくくられています。
王ノ浜の勧請縄はかつては境内を横切るように長い主縄が吊るされていたようですが、今は鳥居に掛けられる長さになり、小縄も少なくなっているようです。
拝殿から本殿の間は屋根があるのですが、本殿は石段が組まれた上に祠が祀られており、石段の左右は注連縄で結界が切られている。
寂寞とした場所に祀られている神社ですので、平安の世に皇子が隠れ住んだとの伝説を思い起こしてしまうような場所でした。
次に小船木町の諏訪神社にある勧請縄を探しに行きますが、村の小さな神社はナビには出てこないので該当する町内を探すことになります。
田圃が迷路のような分譲住宅地になっていたり、古い集落では極端に細い道を通ることになったりとなかなか難しい中、やっと発見。
境内に入るとまず注連縄を巻かれた御神木が見えてくる。
内部が空洞になって痛々しいものの、若い枝が延びて生命力の強さを感じさせる。
反対側に回り込むと、注連縄は円形の部分を残して結ばれています。
環境庁のデータベースでは樹種はシラカシ、幹周375cm・樹高15mで健全度は一部枯損となっています。
勧請縄は境内の裏側、ちょうど八幡山が見える方向に向けて吊るされています。
小縄にはカシとマツの枝葉が付けられて、本数は13本なのは今年が閏年ゆえということ。
西邑泰郎さんの「勧請縄ー個性豊かな村境の魔よけー」では、ここは近江八幡に通じる古い道の起点になるので昔は「道切り」で路上にあったのではと推測されています。
神社裏側の方向には八幡山や近江八幡の古い町があり、方向が北東ですので鬼門封じの意味もあるのかもしれません。
トリクグラズは円の中に十字に枝を挿してカシトマツの枝葉を大量に付けている。
この変わった形をしたトリクグラズは「鬼の顔」を模しているといい、鬼の出入口方角とされる鬼門を「鬼の顔」をした呪物が守っているようにも思えます。
諏訪神社の御祭神は健御名方命(タケミナカタノカミ)で水神である竜神や蛇神の姿で描かれることがあり、狩猟や農耕の神とされています。
本殿の囲いの中には1372年(南北朝期)に寄進されたという石灯籠には「小舟木町 惣中」とあり、小舟木が惣村を形成していたことが分かるとされます。
森尻町の八幡神社もあると知って探さなければほぼ見つからない場所にあります。
勧請縄を探すのに困るのは、集落の中に車を乗り入れると通行するのが困難な道が多々あることで、地元の方は慣れているでしょうけど他所者はかなり苦戦します。
八幡神社の勧請縄は本殿の覆い屋に直接吊るされ、左右6本づつ下げられた小縄は中央寄りの3本が束ねられている。
縄は手編みではないようだが、簡略化しつつも伝統行事を残しているようです。
トリクグラズは円形に丸められた枝にスギの葉が付けられています。
主縄には竹を割って作った小幣が挿され、それぞれに紙垂が下げられています。
森尻町の勧請縄の変わったところは、社殿の横にある木にも勧請縄が巻かれていることです。
御神木ということになるのか分かりませんが、かつてはもっと広い境内地に森があり、勧請縄は道切りの形で吊るされていたのかもしれません。
近江の村落には独特の信仰や伝統行事が幾つか残り、年頭行事の「勧請縄」や湖北では2月頃に行われる「オコナイ」があります。
それ以外にも「野神さん」や「山之神」への信仰や観音信仰や村落独自のお祭りなど、村落特有の信仰や伝統的行事があり興味深く感じています。
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