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ドルメンとは巨石墳墓のことをいうそうだが、妙光寺山の磨崖仏の近くにある「岩神」のことを指しているかどうは分らない。
一言で妙光寺山といってもこの地は妙光寺古墳群と呼ばれて約70基の古墳が確認されているといい、ドルメン(巨石墳墓)の多い場所になっている。
また、妙光寺山のある野洲市は「銅鐸のまち」と呼ばれるほど銅鐸の出土が多いため、弥生時代~古墳時代に力のある豪族が治めていた地といえます。
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妙光寺山には「福林寺跡磨崖仏」があって、福林寺跡の方は以前訪れたことがありましたが、やっと「妙光寺山磨崖仏」にも訪れることが出来ました。
妙光寺山磨崖仏への道は、夏はブッシュが多いそうであり、秋に入ると松茸山となって入山出来なくなるため、シーズンが終わるのを待っての参拝です。
何で山の中に磨崖仏があるのか?というのは不思議な話で、大きな寺院があってその寺領だったとか、寺への道中だとか、山越えの街道があったとか...。
磨崖仏のある山の入口にはいつも獣避けのフェンスから入ることになりますが、毎度思うのは獣のいる檻の中に入るの?という心配と躊躇。
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15分くらい登れば行けるらしいと聞いてはいたが、山の中で独りは少し怖い。
急ではあるが道は整備されているので、息は切れるが木の階段を登っていく。
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やだな~と思うのは、道はあるけど途切れてしまいそうな道。
道筋の木にテープが巻いてあったので目印にして歩きましたけど、結構ジトジトとした道でした。
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随分と登った気がしたが、ここから250mの看板がある。
あとひと踏ん張りで磨崖仏が見えてくる...はず。
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さらに登るが、道はどんどんと荒れてくる。
途中で前のめりになって倒れて膝を擦りむいてしまいました。
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少し道が広がった先に見えてきたのは「岩神大龍神」の特異な姿。
磐座というよりも古墳かと思われるが、まさしくドルメンのような建造物。
石碑によると「岩神大龍神」は1500年前に鎮座したとされ、石柱が立つ巨石の祠のように見え、中にはお供え物などがありました。
元々は内部に石室があったのかもしれないが見える範囲で中はそれほど広くはなく、古墳だったとしてもかろうじて支えているかのように見える石柱がこの巨石を特異な姿に見せている。
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岩神大龍神の近くには不動明王と何かの石仏を祀った場所があり、道はそこでU字となっていて先はない。
どうしたことかと見上げてみると、山に露出する巨石に「妙光寺山磨崖仏」の姿が浮き上がる。
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道がU字になっているのは磨崖仏の下へ回り込むための道だったようで、U字の道を登って磨崖仏の下へ入る。
巨石に刻まれているのは高さ160cm・厚さ10cmの地蔵菩薩立像であり、地元では書込地蔵とも呼ばれているという。
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地蔵菩薩立像は鎌倉期のものとされ、像の左右には「元亨4年(1324年)7月10日」と「大願主経貞」の銘が微かだが確認出来る。
磨崖仏のサイズが畳一枚くらいだとすると、彫られている巨石の大きさにも圧倒されるものがあります。
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地蔵菩薩が浮き上がるように見えるのは、磨崖仏が彫られている枠の中が白く汚れがないからなのでしょう。
地元の方が定期的に手入れをされているのかと思われますが、山中の巨石に浮き立つ地蔵様の姿には感動を覚えると共に、出会えたことに感謝の気持ちが高まります。
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また、厚さ10cmの地蔵尊は劣化や傷みが少なく、くっきりとした姿が残っているのも珍しい。
これは長年、草木の中に埋もれていて風雪を免れたことが影響しているともいうが、詳しいことは分らない。
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滋賀県の南部、湖南地方には磨崖仏が多く残されていて、古代よりの巨石信仰と山岳宗教・神道・仏教が融合した信仰がみられます。
この地に良質な巨石が多かった影響もあるかと思いますが、弥生~古墳時代に崇められた石の文化が鎌倉期に磨崖仏の文化として花開いたとの考え方もあるようです。
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