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小谷城は日本五大山城(戦国五大山城)のひとつに数えられ、他には春日山城・七尾城・観音寺城・月山富田城が数えられている。
しかし、小谷城は1573年に織田信長と浅井長政との間で行われた「小谷城の戦い」で落城してしまい、長政とお市の方の悲劇の舞台とされます。
三代目の浅井長政と信長の妹・お市の間に生まれた浅井三姉妹は、歴史ドラマに何度も登場しますし、豊臣家と徳川家の覇権争いにも深く関わりました。
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近江国は、小谷城の浅井氏滅亡後に長浜城を居城とした羽柴秀吉が納め、その後城主は変わりながら大坂の陣の後に彦根城(井伊藩)へと支配が移ります。
支配者の居城が遷されるたびに資材なども移されたようですが、土塁・曲輪・石垣などが遺構として残っており、城跡ファンが訪れる場所となっています。
長浜観光協会では5月のGWや11月の休みの日に「番所」までのシャトルバスの運行があり、城址はにぎわいをみせます。
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シャトルバスの運行がなくても城址へ行くことは出来ますが、バスの運行があるとついバスに乗って小谷山へ行ってしまいます。
小谷山は標高495mと登るのに適当な高さの低山ですが、熊出没の噂のある山で、あちこちに「熊注意!」の看板があるので薄気味悪い。
バスの運行で人が増えていれば熊は出たくても出てこれないだろう、と安心して登れそうということもあります。
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始発から満席となったバスで「番所跡」まで行き、そこから先は城址の散策になります。
「本丸」まで行って折り返す方も居られれば、小谷山の山頂になる大嶽城跡まで行く方もあって山中は何ともにぎやかなことになります。
小谷城ののぼりのある最初のポイントからは、虎御前山や山本山、琵琶湖と竹生島の景色が見られます。
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かつて「黒鉄御門」があった場所には今も両側の巨石と石段の一部が残り、在りし日の姿を留めています。
黒金御門の先には千畳敷とも呼ばれる巨大な曲輪(大広間跡)があり、その先は小谷城の本丸跡へと続きます。
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小谷城址では拡張現実(AR)でかつての姿を見ることができ、黒鉄御門もARで見ると下の写真のようになります。
近年、観光地でARを導入しているところがありますが、往年の姿を想像させるにはとても効果のある技術だと思います。
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浅井家の家臣の供養塔などがある「桜馬場跡」には、小谷城の戦いの際に織田信長軍が陣取っていた虎御前山を見るお市の方と三姉妹の姿がARで再現されています。
戦国時代とはいえ、実の兄に攻められて亭主が亡くなり、お家が滅亡していくお市の心境は心苦しいものがあったことでしょう。
歴史にIFはありませんが、もし金ヶ崎の戦いで長政が信長を裏切らなかったら歴史はどう変わっていたのでしょうか。
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小谷城の中心であった「本丸跡」にはまだ一部石垣が残っています。
本丸は、南北40m×東西25mの規模がだったとされ、上下二段から成り立ち、二層天守が築かれていたとの説もあります。
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ARで再現された天守は戦国時代の山城とは思えないほど立派なもので、当時の浅井氏の繁栄ぶりが分かります。
本丸の北側には巨大な堀切があり、その上には中丸・京極丸・小丸・山王丸と続きます。
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山王丸の正面は石垣が崩れており、時の経過によって崩れたのでしょうか?それとも落城時に打ち壊されたのでしょうか?
実際のところは分かりませんが、戦いの傷跡を感じさせる遺構です。
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ここから右に回り込んだ道を進むと「大石垣」という壮大な石垣を目にすることになります。
高さは約5mあるといい、規模では本丸を上回り、一説では浅井氏はこれらの石垣を権力の象徴として戦国大名になっていったといいます。
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小谷城址に訪れた人は、本丸までで折り返す人・山王丸で折り返す人がいますが、ここから六坊跡を経て小谷山の山頂になる大嶽城跡までは道が明らかに変わります。
ここまでは城址の中を歩く緩やかな道でしたが、ここからは登山道になり、一旦六坊跡まで下って、鞍部を経て山頂までの約500mほどは長く急な木段を登ります。
谷の向こうに山頂らしきが見えてきますが、あそこは山頂ではなく山頂はさらに向こう側になるようです。
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まずは六坊跡のある鞍部まで急坂を下ります。
岩が剥き出しになっている場所もあり、急坂にはロープ場もあります。
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山頂まで約500m登る木段です。
一部は段差が高くなっていて登りにくく汗が吹き出してきますが、あと〇mの標示が何ヶ所かにあり、気を紛らわせながら登る。
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木段の途中に岩尾という休憩スポットがあり、そこから見る景色は素晴らしい。
左には伊吹山が聳え、物部守屋伝説が残り冬の野鳥の観察場所でもある西池、姉川の戦いで信長軍が陣取った横山城址も見えます。
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汗をいっぱいかきながら木段を登って小谷山の山頂となる大嶽城址(495m)へ到着。
広い山頂部には何組かの方が休憩中で、陽射しの良さと緩やかな風にゆられる、ゆっくりとした時間を過ごされています。
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山頂からは山本山と琵琶湖に浮かぶ竹生島。奥に見える半島は葛籠尾崎でしょうか。
なんか年中山の上から琵琶湖を眺めているような気がします。
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これで下山となりますが、このまま普通に下山するとシャトルバスが昼休みで運行がなくなり時間待ちが長くなってしまいます。
歩いて下山も出来ますが、往復料金の券なのにバスに乗れないのもつまらないので、バスの時間に間に合うように走って下山します。
バスの発車時間まで40分足らず。
軽く走って下りたら25分で着いてしまい、今度は逆にバスの到着時間待ちになってしまったという落ちが付きました。
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