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“男のためのガーデニング”改め

日野町の勧請縄1~西明寺と杉集落の山之神~

2024-03-15 06:02:02 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 日野町には馬見岡綿向神社や熊野神社、西明寺の道切りや北脇の野神さんや諸木神社に勧請縄の民俗行事が現在も続けられています。
これまで日野町の勧請縄で未確認だったのは西明寺にあるもう一つの勧請縄と原集落の「芦谷神社」の勧請縄でしたが、今回も発見は出来ずでした。

まず西明寺集落へと向かいましたが、西明寺は綿向山の麓にあり、途中に綿向山の登山口の前を通過することになります。
綿向山は鈴鹿山脈の一座で標高は1100m。年中登られる方がいる山とされていますが、冬季のスノーハイクは人気が高いといいます。
登山口の駐車場には満杯近くの車が停まり、登山に向かわれる人が多く見受けられ、登りたい衝動が高まりましたが、雪の登山は諦めるしかない。



西明寺集落には西と東に道切りの勧請縄があるといいますが、今回も東の勧請縄しか見つからず、西の勧請縄をさがして集落内を行ったり来たり。
東の勧請縄は谷奥にある墓地へと続く道に下げられ、山に挟まれた集落の西側の道切りとなっています。



主縄から下げられた小縄の数は13本で、これは閏年にちなんだものと思われます。
小縄に付けられた枝葉はシキミで、この時はまだ青々しい状態でしたので、吊るされて一ヶ月少々といったところです。

トリクグラズはシキミの枝を丸く丸めたものを立てている。
このループは月を表すとされているが、意味するところは分からない。



勧請縄の下には六角形と七角形の柱に十三仏の菩薩や如来の名前が書き込まれています。
過去の年に祀られたものもそのまま残されており、朽ちるまでここに留め置かれている。





西明寺の勧請縄は視線に切れるまで吊るしておくとされているが、昨年の者は横の地面に置かれている。
主縄は役目を終えて土に帰っていくのでしょう。



日野町の東側にある集落は、どの集落も滋賀県の最奥の集落となり、熊野しかり西明寺しかり、この後訪れた原集落しかりとなる。
途中で林業用の道に入ってしまい引き返すのに往生しつつも何とか原集落に到着して「芦谷神社」を見つけることが出来ました。

しかし、神社の周囲には金網と金柵がめぐらしてあり、近づく事すら出来ず、勧請縄があったのかないのかも確認出来ずでした。
仕方なく引き返してきたところで「大屋神社」と古墳のような森があったので立ち寄ってみました。



まず大屋神社の鳥居からのぞいてみると、永い石段が続いており非常に立派な神社であることが分かります。
御祭神は五十猛神という神様で、我が国に樹木を植えて廻り緑豊な国土を形成した神様を祀るのは、おそらく林業などが盛んな地であったためかと思われます。

鳥居の横には御神木が丁寧に祀られており、樹齢がさほどでもなさそうなので何代目かの御神木と思われるが「竜王の御神木」との名がある。
この方角にある竜王山(綿向山と続いている)では山頂で雨乞い神事が行われ、霊石を迎えた麓の神社でも雨乞い祈願を行っていたといいます。
尚、神社での雨乞いは消えたものの、現在も7月1日に竜王山の山頂で祭は続けられていると書かれてあった。



で、気になるのは神社から200mほど離れた場所にあり、何か特殊な感じのする森です。
かつての古墳跡かとも思ったが、垣根で囲まれてこんもりとした森は何らかの信仰の場所に見えます。



ところが中を覗いてみてびっくりです。
霊木と思われる樹に竹で作られた鳥居が掛けられ、周囲を取り巻くように注連縄か勧請縄のようなものが置かれている。



思わず足が竦むようなスピリチャルな雰囲気の漂う場所で、最初は野神さんかと思ったが調べてみるとこの地域の山之神のようだった。
大屋神社の正月神事に「山之神祭り」があり、大屋神社からこの山之神の森の神木に注連縄を巻きつけるのだという。



この神事は烏を山之神の使いに見立てて、奉納した山の神餅(楕円の白餅)を烏がくわえたことを唱和して、烏喰みを示す神事だという。
餅を烏に奉納することで人々の穢れを祓い、オッタイ・メッタイも供えるということですので子孫繁栄の祈りもありそうです。



縄の周辺には葉のない枝に幾つもの藁苞が結ばれているのが見えます。
日野町や永源寺町で同じように山之神に藁苞を結んであるのを見たことがありますが、この地方独特の信仰によるものかもしれません。
この藁苞は1ケは山之神に捧げ、もう1ケは自宅に持ち帰り柿の木などに下げて、豊穣のシンボルとしているといいます。



日野町の山側は、綿向山への信仰や鈴鹿の山々に囲まれていることがあって山之神への信仰が深いことが感じられます。
日野町や奥永源寺の山麓の集落は、鈴鹿山系が目前に連なる滋賀県の最奥の地であり、独特の山岳信仰が育まれてきたような地の印象を強く感じます。



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