滋賀県の湖東・湖南地方には勧請縄の民俗行事が伝わり、勧請縄は集落ごとに個性豊かで独特の伝統が引き継がれています。
勧請縄は集落に悪いものをいれないための魔よけとして信仰され、同時に五穀豊穣・村内安全を祈願する年頭行事でもあります。
昨年から滋賀の勧請縄を巡っていますが、昨年や数年前にはあったはずなのに中断または途絶えそうになっている勧請縄があり、行事が失われつつあることを実感しています。
竜王町の岡屋・小口・薬師集落の勧請縄を巡った後、あと3ヶ所の勧請縄を見て回ることとしました。
<七里「石部神社」>
石部神社の最初の鳥居は七里集落内にあり、2つ目の鳥居は三井アウトレットパークへ通じる国道の脇にあり、この鳥居に勧請縄は吊るされています。
勧請縄にはトククグラズや祈祷札や小幣はなく、12本の小縄が吊るされているのみ。
本殿へは善光寺川の端を渡って石段を登っていくことになるが、かつてはこの奥にある石段の登り口の木に吊るされていたようです。
元は集落から鏡山の山麓への参拝道があったのだと思いますが、国道や河川改修で分断されてしまい、道路沿いに建てられた鳥居に移動してきたのかもしれません。
神社は国道沿いの鳥居がなければ神社があるとは思えない場所にありますが、石段でお参りの方に会いましたので、氏子の方は日常的に参拝されている神社なのかと思います。
御祭神は天照皇大神を祀り、境内社として左右に春日社と八幡社が並んでおり、拝殿は立て替えて真新しい建物です。
不思議だったのは本堂への石段の前にあった何か祭礼に使われると思われる石です。
何か書いてあったのですが、文字は不明瞭で読み取れなかったものの、石部神社にとっては重要な場所なのかと思います。
<鵜川「天満宮」>
鵜川集落は山麓から少し離れた蒲生野の田園地帯にあり、田圃の真ん中に集落があるという印象を持ちました。
鵜川天満宮も鳥居のある場所と境内が道路によって分断され、勧請縄は祖父川の堤防の下にひっそりと祀られています。
勧請縄は参道の2本の木に吊るされ、小縄が12本、主縄の上には小幣が12本刺さり、中央には特徴的なトリクグラズが付けられています。
小縄の先の枝葉は複数の種類あるように見えますが、この枝葉はヒノキ・ユズリハ・グミ・カシの4種を使っているそうです。
トリクグラズは牛の顔を模したもので丸に十の先に突き出ているのはウシの角を表しているとされます。
牛は神使いとも菅原道真に由来する撫牛信仰として聖なるものや縁起の良いものとされていますが、農耕の神として霊力を持つ牛を魔よけにするといった意味にもとれます。
牛の顔と角を表すトリクグラスと小縄に付けられた4種の枝葉を見ていると、豊作祈願と農耕に必要だった牛に感謝する気持ち。
神使いの牛の角で魔よけをするという気持ちが伝わってくるように感じます。
境内の奥にある天満宮には当然ながら菅原道真公が祀られ、境内社に八幡社と若宮社が祀られています。
境内を掃き清めておられる方がおられ、掃いたばかりの参道に当方が参拝して砂を乱してしまい申し訳なく思います。
<須恵「八幡神社」>
雪野山と鏡山に挟まれた竜王町の田園地帯には牛の角を模したトリクグラズが見受けられ、集落の勧請縄の個性と共に地域性のようなものが感じられます。
須恵の八幡神社の勧請縄のトリクグラズは牛の角を表わしながらも、黒い✖が入ってくるものを拒む象徴のように見えます。
勧請縄は主縄に小縄を12本下げたもので、祈祷札や小幣は見られず、トリクグラズの✖が目立っています。
竜王町のトリクグラズは弓矢や矢が刺さった様式のものや、牛の角を模したものが幾つかあり、祈祷札に願いを込めるというよりも、威圧するようなものが多いようです。
須恵八幡神社は、鎌倉時代の弘長年間に男山八幡宮より勧請され、男山八幡宮は源氏諸氏族の武将から氏神として祀られていたといいます。
武将ゆかりの神を祀ることが威圧感のあるトリクグラズに影響しているのかもしれません。
各神社で祀られる御祭神と、祀る側が後世まで影響を受けてきたことを想定すると、なぜその地にその神を祀ったのか興味深く感じます。
本殿は石垣の上に社殿を構え、境内社には若宮八幡宮・天満宮・日吉神社・林幸神社が祀られます。
地図から想像すると、祖父川が大きく曲がる場所の堤防下に神社がありますので、水害の被害から護るかのような位置に神社があるようにも思えます。
本殿の祠の横には龍が祀られていました。
龍は水神。水は農耕には欠かせないものであり、氾濫すれば被害を受ける。
竜王町巡りの最後に、集落を守護する龍王にやっと出会いました。
勧請縄は集落に悪いものをいれないための魔よけとして信仰され、同時に五穀豊穣・村内安全を祈願する年頭行事でもあります。
昨年から滋賀の勧請縄を巡っていますが、昨年や数年前にはあったはずなのに中断または途絶えそうになっている勧請縄があり、行事が失われつつあることを実感しています。
竜王町の岡屋・小口・薬師集落の勧請縄を巡った後、あと3ヶ所の勧請縄を見て回ることとしました。
<七里「石部神社」>
石部神社の最初の鳥居は七里集落内にあり、2つ目の鳥居は三井アウトレットパークへ通じる国道の脇にあり、この鳥居に勧請縄は吊るされています。
勧請縄にはトククグラズや祈祷札や小幣はなく、12本の小縄が吊るされているのみ。
本殿へは善光寺川の端を渡って石段を登っていくことになるが、かつてはこの奥にある石段の登り口の木に吊るされていたようです。
元は集落から鏡山の山麓への参拝道があったのだと思いますが、国道や河川改修で分断されてしまい、道路沿いに建てられた鳥居に移動してきたのかもしれません。
神社は国道沿いの鳥居がなければ神社があるとは思えない場所にありますが、石段でお参りの方に会いましたので、氏子の方は日常的に参拝されている神社なのかと思います。
御祭神は天照皇大神を祀り、境内社として左右に春日社と八幡社が並んでおり、拝殿は立て替えて真新しい建物です。
不思議だったのは本堂への石段の前にあった何か祭礼に使われると思われる石です。
何か書いてあったのですが、文字は不明瞭で読み取れなかったものの、石部神社にとっては重要な場所なのかと思います。
<鵜川「天満宮」>
鵜川集落は山麓から少し離れた蒲生野の田園地帯にあり、田圃の真ん中に集落があるという印象を持ちました。
鵜川天満宮も鳥居のある場所と境内が道路によって分断され、勧請縄は祖父川の堤防の下にひっそりと祀られています。
勧請縄は参道の2本の木に吊るされ、小縄が12本、主縄の上には小幣が12本刺さり、中央には特徴的なトリクグラズが付けられています。
小縄の先の枝葉は複数の種類あるように見えますが、この枝葉はヒノキ・ユズリハ・グミ・カシの4種を使っているそうです。
トリクグラズは牛の顔を模したもので丸に十の先に突き出ているのはウシの角を表しているとされます。
牛は神使いとも菅原道真に由来する撫牛信仰として聖なるものや縁起の良いものとされていますが、農耕の神として霊力を持つ牛を魔よけにするといった意味にもとれます。
牛の顔と角を表すトリクグラスと小縄に付けられた4種の枝葉を見ていると、豊作祈願と農耕に必要だった牛に感謝する気持ち。
神使いの牛の角で魔よけをするという気持ちが伝わってくるように感じます。
境内の奥にある天満宮には当然ながら菅原道真公が祀られ、境内社に八幡社と若宮社が祀られています。
境内を掃き清めておられる方がおられ、掃いたばかりの参道に当方が参拝して砂を乱してしまい申し訳なく思います。
<須恵「八幡神社」>
雪野山と鏡山に挟まれた竜王町の田園地帯には牛の角を模したトリクグラズが見受けられ、集落の勧請縄の個性と共に地域性のようなものが感じられます。
須恵の八幡神社の勧請縄のトリクグラズは牛の角を表わしながらも、黒い✖が入ってくるものを拒む象徴のように見えます。
勧請縄は主縄に小縄を12本下げたもので、祈祷札や小幣は見られず、トリクグラズの✖が目立っています。
竜王町のトリクグラズは弓矢や矢が刺さった様式のものや、牛の角を模したものが幾つかあり、祈祷札に願いを込めるというよりも、威圧するようなものが多いようです。
須恵八幡神社は、鎌倉時代の弘長年間に男山八幡宮より勧請され、男山八幡宮は源氏諸氏族の武将から氏神として祀られていたといいます。
武将ゆかりの神を祀ることが威圧感のあるトリクグラズに影響しているのかもしれません。
各神社で祀られる御祭神と、祀る側が後世まで影響を受けてきたことを想定すると、なぜその地にその神を祀ったのか興味深く感じます。
本殿は石垣の上に社殿を構え、境内社には若宮八幡宮・天満宮・日吉神社・林幸神社が祀られます。
地図から想像すると、祖父川が大きく曲がる場所の堤防下に神社がありますので、水害の被害から護るかのような位置に神社があるようにも思えます。
本殿の祠の横には龍が祀られていました。
龍は水神。水は農耕には欠かせないものであり、氾濫すれば被害を受ける。
竜王町巡りの最後に、集落を守護する龍王にやっと出会いました。
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