「綿向山」は、滋賀県と三重県の県境に連なる鈴鹿山系の中でも最も滋賀県側に突き出した山で、古くから山岳信仰の対象として崇拝されてきた山とされます。
日野町に祀られる「馬見岡綿向神社」の御由緒によると“「神武天皇の御代、綿向山に出雲国開拓の祖神を迎え祀り、545年、その頂上に祠を建てたのが始まり。”とある。
「馬見岡綿向神社」は796年に里宮として現在地に遷されたとされ、綿向山山頂(標高1110m)に祀られる奥之宮(大嵩神社)は20年ごとに社殿を建て替える式年遷宮が続けられているといいます。
また山麓の南側の熊野には、綿向山の修験道山伏により「熊野神社」が祀られており、山岳信仰や熊野修験道の信仰の形跡が今も感じられます。
綿向山へは御幸橋の駐車場に車を置き、山から流れ出る清流に沿って砂防堰堤に向かって歩き、登山口を目指すことになります。
清流ではカワガラスの姿が確認でき、ゴロゴロとした岩の間を流れる水は透明度が高く、水量も豊富です。
清流沿いから林道に入ると「接触変質地帯」と彫られた石標が見えてきます。
この地帯の岩石はジュラ期(1.4億年~1.9奥年前)に堆積した土山層が高温のマグマによって変質して大理石化し、珪灰石・透輝石・ベスブ石・ざくろ石で形成される地質となったという。
岩の表面には違う岩の境界があることは分かる程度で、細かいことは分からずです。
尚、この接触変質地帯は「綿向山麓の接触変質地帯」として国の天然記念物に指定されているそうです。
林道の終点まで歩くと「表参道登山口」と「水無山北尾根コース」の分岐点であり登山口である「ヒミズ谷出合小屋」に到着します。
綿向山には大嵩神社のある山頂(標高1110m)以外に水無山(標高990m、南峰985m)や竜王山(標高826m)がありますが、今回は表参道コースをピストンで登ります。
表参道コースはほぼ全コースがなだらかな九十九折のコースとなっていて急登などはありませんが、その分距離が長い。
九合目までの看板に出会うとどこまで登ってきたか把握はできるものの、まだそのくらいしか登っていない?と思えてしまうほど。
山頂までは2時間ほどで登りきることが出来ますが、五合目までは日陰になるスギ林の間となる同じような風景の単調な道が続きます。
登山者と出会うこともありませんでしたので、合目の標識が出てくるのを待ちながら黙々と登っていくのみです。
三合目を過ぎると「あざみ小舎」という小屋が見えてきます。
綿向山は標高千m少々の山ではありますが、登山コースに3つの避難小屋があり、それぞれ整備されています。
綿向山は雪山登山の山として人気が高いと聞きますので、避難小屋が整備されているのかもしれませんね。
山に入ってから初めて人に会ったのは五合目小屋で、登りでは山頂までこのご家族しか見かけませんでした。
下山時は登ってくる方多数とすれ違いましたので、当方のような7時登山開始の9時登頂組は少なかったようです。
せっかくなので小屋の入口に吊るされた「夢咲の鐘」を景気よく鳴らして残り半分の道を登ります。
日陰で薄暗かった道も五合目小屋を過ぎると日当りが良くなり、体が温まって汗がにじむ様になってきて上着を脱ぎます。
日当りが良くなったので小さなスミレの花が見られるようになってきて、飛んできて樹木に留まるアカゲラやホオジロの姿が見えるようになってきました。
綿向山は山岳信仰や修験道が盛んだった山だとされているものの、ここまで信仰や修験の霊山と感じる場所に出会うことが出来ませんでした。
七合目でやっと「行者コバ」という不動明王と役行者が祀られている祠に到着し、修験道場としての綿向山のかつての信仰を感じられる場所と出会う。
「日野綿向行者尊」と彫られた石碑の奥には小さな祠が祀られており、明治期に登山道が開かれるまでは尾根の北のタカオチ谷を登って行者コパに取りついたのだといいます。
修行する山伏はこの尾根で服装などを整える儀礼を行った場所とされ、戦後に行者尊を安置し平成には役行者・不動明王を安置し、日野町民の無事息災を祈念しているという。
八合目辺りにに「金明水」への方向を示す看板があり、どんな場所か立ち寄ってみることにします。
こんとんと涌き出る清水は登山道唯一の水飲み場だとされていますが、この水を飲むのは躊躇われます。
足場も傾斜があってあまりよくないので登山道へ戻りますが、少し上に登山道が見えていましたので急登を無理やり登ってショートカットする。
この日は快晴の青空ではありましたが、行者コパの辺りからは強風にさらされることになり、道が狭くなってきたりやや危険な場所もあります。
そして山頂までの最後の難関の石段登りが始まります。
九十九折の道とはいえ2時間近く歩いた後のこの石段はは苦しいが「天国への階段」と思い登って行きます。
石段の最後に近づくと「大嵩神社」の鳥居が見えてきて、その奥には大嵩神社の祠や山頂表示と360°ビューの山頂の光景が広がります。
当方が下山した時間帯は登って来る人のピークの頃でしたので、何人かの方とすれ違いましたが、さすがに皆さん最後のこの石段はきつそうでしたね。
「大嵩神社」の主祭神は里宮の「馬見岡綿向神社」と同じ「天穂日命・天夷鳥命・武三熊大人命」。
神武天皇の時代に出雲国の神を迎えて祀ったとされ、545年(欽明天皇6年)に祠を建てたといい、毎年4月20日には嶽祭りの祭礼が行われ、水の恵み・自然の恩恵を乞い祈るといいます。
日野町では綿向山の標高1110mにちなんで、11月10日を「綿向山の日」と制定していて、開催される「ふれあい綿向山 Day」には大勢の登山客が参加されるそうです。
また地元の方から綿向山は「おおだけさん」と呼ばれて親しまれ、町内各学校の校歌や町を代表するものに「おおだけさん」が使われているそうです。
湖北地方の「伊吹山」と似たような親しまれ方のように感じられますね。
綿向山の山頂の写真でよく見かける「青年の塔」は、1970年に日野青年団を中心にして後世に何か残そうと建設されたのがタイムカプセルを埋設したのだという。
50年後の若者たちにタイムカプセルを取り出してほしいと期待して埋設されたタイムカプセルは、2022年に取り出されそうです。
さらには次の50年後に夢をつなげるため新たなタイムカプセルを埋設したということです。
山頂からの眺望は360°見渡せる絶景が広がります。
正面が雨乞岳で奥に見える尖ったピークは鎌ヶ岳でしょうか。
雨乞岳への縦走路の看板はありましたが、“ルート不明瞭 遭難多発”と書かれていました。
山の配置が彫られた東方展望図の金属板では、遠くに知多半島や渥美半島、伊良湖岬や伊勢湾などまで書かれているが、霞みの中で識別不能です。
山頂の右手に道がありますが、あの道は水無山に続いているようです。
ヒミズ谷出合小屋から水無山北尾根コースを進むと、あちら側から綿向山の山頂に来るのでしょう。
山頂は強い風が吹きつけていて寒かったのですが、竜王山へと続く尾根筋を歩いてみると台風のような爆風で歩くのに怖さを感じ、突然の突風にバランスを崩されないよう意識して歩く。
すぐに「ブナの珍変木(幸福ブナ)」という変形生育したブナの木がありますが、こんな珍妙な形になったのは風雪の影響だとか。
竜王山への分岐とイハイガ岳大峠・雨乞岳への分岐がありましたが、雨乞岳は遭難多発・龍王山へは難路とありますので、進むつもりはなく目の前の小ピークで折り返します。
稜線から振り返ってみると綿向山の山頂が見え、山頂部に青年の塔がわずかに突き出しているのが確認できます。
山頂の景色に満足したら再び九十九折の登山道を下りて下山します。
下りばかりなので膝が痛くなってきますが、登山道を無事下り終えて水木砂防堰堤まで戻る。
砂防堰堤付近の道には「野鳥道標」が並んでおり、探鳥スポットとしてもいいかもしれませんね。
日野町に祀られる「馬見岡綿向神社」の御由緒によると“「神武天皇の御代、綿向山に出雲国開拓の祖神を迎え祀り、545年、その頂上に祠を建てたのが始まり。”とある。
「馬見岡綿向神社」は796年に里宮として現在地に遷されたとされ、綿向山山頂(標高1110m)に祀られる奥之宮(大嵩神社)は20年ごとに社殿を建て替える式年遷宮が続けられているといいます。
また山麓の南側の熊野には、綿向山の修験道山伏により「熊野神社」が祀られており、山岳信仰や熊野修験道の信仰の形跡が今も感じられます。
綿向山へは御幸橋の駐車場に車を置き、山から流れ出る清流に沿って砂防堰堤に向かって歩き、登山口を目指すことになります。
清流ではカワガラスの姿が確認でき、ゴロゴロとした岩の間を流れる水は透明度が高く、水量も豊富です。
清流沿いから林道に入ると「接触変質地帯」と彫られた石標が見えてきます。
この地帯の岩石はジュラ期(1.4億年~1.9奥年前)に堆積した土山層が高温のマグマによって変質して大理石化し、珪灰石・透輝石・ベスブ石・ざくろ石で形成される地質となったという。
岩の表面には違う岩の境界があることは分かる程度で、細かいことは分からずです。
尚、この接触変質地帯は「綿向山麓の接触変質地帯」として国の天然記念物に指定されているそうです。
林道の終点まで歩くと「表参道登山口」と「水無山北尾根コース」の分岐点であり登山口である「ヒミズ谷出合小屋」に到着します。
綿向山には大嵩神社のある山頂(標高1110m)以外に水無山(標高990m、南峰985m)や竜王山(標高826m)がありますが、今回は表参道コースをピストンで登ります。
表参道コースはほぼ全コースがなだらかな九十九折のコースとなっていて急登などはありませんが、その分距離が長い。
九合目までの看板に出会うとどこまで登ってきたか把握はできるものの、まだそのくらいしか登っていない?と思えてしまうほど。
山頂までは2時間ほどで登りきることが出来ますが、五合目までは日陰になるスギ林の間となる同じような風景の単調な道が続きます。
登山者と出会うこともありませんでしたので、合目の標識が出てくるのを待ちながら黙々と登っていくのみです。
三合目を過ぎると「あざみ小舎」という小屋が見えてきます。
綿向山は標高千m少々の山ではありますが、登山コースに3つの避難小屋があり、それぞれ整備されています。
綿向山は雪山登山の山として人気が高いと聞きますので、避難小屋が整備されているのかもしれませんね。
山に入ってから初めて人に会ったのは五合目小屋で、登りでは山頂までこのご家族しか見かけませんでした。
下山時は登ってくる方多数とすれ違いましたので、当方のような7時登山開始の9時登頂組は少なかったようです。
せっかくなので小屋の入口に吊るされた「夢咲の鐘」を景気よく鳴らして残り半分の道を登ります。
日陰で薄暗かった道も五合目小屋を過ぎると日当りが良くなり、体が温まって汗がにじむ様になってきて上着を脱ぎます。
日当りが良くなったので小さなスミレの花が見られるようになってきて、飛んできて樹木に留まるアカゲラやホオジロの姿が見えるようになってきました。
綿向山は山岳信仰や修験道が盛んだった山だとされているものの、ここまで信仰や修験の霊山と感じる場所に出会うことが出来ませんでした。
七合目でやっと「行者コバ」という不動明王と役行者が祀られている祠に到着し、修験道場としての綿向山のかつての信仰を感じられる場所と出会う。
「日野綿向行者尊」と彫られた石碑の奥には小さな祠が祀られており、明治期に登山道が開かれるまでは尾根の北のタカオチ谷を登って行者コパに取りついたのだといいます。
修行する山伏はこの尾根で服装などを整える儀礼を行った場所とされ、戦後に行者尊を安置し平成には役行者・不動明王を安置し、日野町民の無事息災を祈念しているという。
八合目辺りにに「金明水」への方向を示す看板があり、どんな場所か立ち寄ってみることにします。
こんとんと涌き出る清水は登山道唯一の水飲み場だとされていますが、この水を飲むのは躊躇われます。
足場も傾斜があってあまりよくないので登山道へ戻りますが、少し上に登山道が見えていましたので急登を無理やり登ってショートカットする。
この日は快晴の青空ではありましたが、行者コパの辺りからは強風にさらされることになり、道が狭くなってきたりやや危険な場所もあります。
そして山頂までの最後の難関の石段登りが始まります。
九十九折の道とはいえ2時間近く歩いた後のこの石段はは苦しいが「天国への階段」と思い登って行きます。
石段の最後に近づくと「大嵩神社」の鳥居が見えてきて、その奥には大嵩神社の祠や山頂表示と360°ビューの山頂の光景が広がります。
当方が下山した時間帯は登って来る人のピークの頃でしたので、何人かの方とすれ違いましたが、さすがに皆さん最後のこの石段はきつそうでしたね。
「大嵩神社」の主祭神は里宮の「馬見岡綿向神社」と同じ「天穂日命・天夷鳥命・武三熊大人命」。
神武天皇の時代に出雲国の神を迎えて祀ったとされ、545年(欽明天皇6年)に祠を建てたといい、毎年4月20日には嶽祭りの祭礼が行われ、水の恵み・自然の恩恵を乞い祈るといいます。
日野町では綿向山の標高1110mにちなんで、11月10日を「綿向山の日」と制定していて、開催される「ふれあい綿向山 Day」には大勢の登山客が参加されるそうです。
また地元の方から綿向山は「おおだけさん」と呼ばれて親しまれ、町内各学校の校歌や町を代表するものに「おおだけさん」が使われているそうです。
湖北地方の「伊吹山」と似たような親しまれ方のように感じられますね。
綿向山の山頂の写真でよく見かける「青年の塔」は、1970年に日野青年団を中心にして後世に何か残そうと建設されたのがタイムカプセルを埋設したのだという。
50年後の若者たちにタイムカプセルを取り出してほしいと期待して埋設されたタイムカプセルは、2022年に取り出されそうです。
さらには次の50年後に夢をつなげるため新たなタイムカプセルを埋設したということです。
山頂からの眺望は360°見渡せる絶景が広がります。
正面が雨乞岳で奥に見える尖ったピークは鎌ヶ岳でしょうか。
雨乞岳への縦走路の看板はありましたが、“ルート不明瞭 遭難多発”と書かれていました。
山の配置が彫られた東方展望図の金属板では、遠くに知多半島や渥美半島、伊良湖岬や伊勢湾などまで書かれているが、霞みの中で識別不能です。
山頂の右手に道がありますが、あの道は水無山に続いているようです。
ヒミズ谷出合小屋から水無山北尾根コースを進むと、あちら側から綿向山の山頂に来るのでしょう。
山頂は強い風が吹きつけていて寒かったのですが、竜王山へと続く尾根筋を歩いてみると台風のような爆風で歩くのに怖さを感じ、突然の突風にバランスを崩されないよう意識して歩く。
すぐに「ブナの珍変木(幸福ブナ)」という変形生育したブナの木がありますが、こんな珍妙な形になったのは風雪の影響だとか。
竜王山への分岐とイハイガ岳大峠・雨乞岳への分岐がありましたが、雨乞岳は遭難多発・龍王山へは難路とありますので、進むつもりはなく目の前の小ピークで折り返します。
稜線から振り返ってみると綿向山の山頂が見え、山頂部に青年の塔がわずかに突き出しているのが確認できます。
山頂の景色に満足したら再び九十九折の登山道を下りて下山します。
下りばかりなので膝が痛くなってきますが、登山道を無事下り終えて水木砂防堰堤まで戻る。
砂防堰堤付近の道には「野鳥道標」が並んでおり、探鳥スポットとしてもいいかもしれませんね。
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