hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

Albany (1)

2006年04月10日 | 西オーストラリアWA州
Albanyはパースの南南西400km、南氷洋Southern Oceanに面する昔、鯨漁の港で知られた町である。町はずれのEmu Pointの先端にあるB&Bに3泊した。なんと隣に豪州屋という日本人の方が経営する日本料理店があった。




River Cruises

朝9時Emu PointのJettyから出るKalgan Queenと称する船でRiver Cruisesに出かけた。Oyster HarbourからKalgan Riverをさかのぼるツアーで、まず餌をねだるペリカンの歓迎を受ける。


  


川に入ってからも、ペリカンが餌を求めて船を追ってくる。Percyと名づけられたペリカンは、船長の”one, two, tree”の掛け声でクルクルと回転してからご褒美の餌をもらう。世界で始めてのDancing Pelicanだそうだ。この船長、野生の鳥に餌付けする権利をWA州から得ているそうで、Sea Eagleオジロワシや、Kiteトビを見かけると笛を吹いて呼び寄せ餌を投げる。半分くらいはペリカンに横取りされてしまうのだが、そのたびに船内は沸きあがる。





4時間で$45は多少高い気がするが、船長のユーモアを解する人たちはご機嫌であった。


Whale World

オーストラリア最後の捕鯨基地があったAlbanyのFrenchman Bayにある捕鯨のすべてを展示するWhale Worldも見ものだ。





    


捕鯨船が1隻展示してあり船内をくまなく回れる。鯨を加工する大きなのこぎりや、油をとる工場などが残されている。油を貯蔵した大きなタンクも5つほど残されていて、中は鯨に関する歴史展示や、映画上映、眼鏡をかける3D映画などに使われている。34mにもなるシロナガスクジラblue whaleの中では小さなほうだそうだが、それでも22mある鯨の骨格標本もあり、さすがに大きさを実感できた。

世界地図の中の日本には、「捕鯨は、いまだ日本の沿岸漁業にとって、高い賃金を補完するものとして(意味がわからない)、重要な役割を演じていて、毎年2千頭も捕獲する」と説明があり、オーストラリアの所には、「年に1000頭捕獲していた残った捕鯨基地も1978年には閉鎖した」とあった。

欧米各国の異常な鯨に対する思い入れを聞くと、鯨を唯一の動物性蛋白源として育った私には、いろいろ反論もある。油だけ取って捨てていた欧米諸国と違い、日本では功徳とばかり、骨、皮に至るまでしっかり利用させてもらっていたなどといまさら言っても詮無いことだが、少なくとも鯨が増えすぎ生態系を壊す心配はしておいた方が良い状況と思うのだが。

Brig Amity号のレプリカ


    


Brig Amity号は、WA州に最初の英国の定住地建設のための人々を運んで来て、1826年12月26日、この近くに上陸した船である。その同一サイズのレプリカが展示され、船内に自由に入れる。上級船員の部屋は立派だが、下級船員はハンモックである。この一帯には博物館などもある。


風力発電





Wind Farm Lookoutと名づけられたところからは8機の風力発電機が見られる。12機でAlbanyの電力の70%をまかなっている。写真では実感できないが、100mの高さで羽はボーイング747の翼と同じく35mある。近くで見ると壮観であり風を切る音も意外とうるさくはないが、迫力がある。


南十字星

かねてあこがれの南十字星the Southern Crossを見た。パースでThe Night Skyと言う商品名のPlanet Finderを&28出して買った。月日と時間を合わせると天空のどの位置に星座が見えるかわかる円盤状の器具である。パースでは街の明かりがあって星はそれほど見えなかった。

Albanyでは、夜空を見上げて驚いた。満天の星とはこのことか。空にこんなにも星があったとは。恥ずかしながら東京近郊しか住んでいない私は、天の川を見るのも始めてであった。まさにMilky Wayである。その中に、二つの明るい星の指す先に南十字星を発見した。カメラに撮ってはみたがまったく写っていなかったのでご披露できないのが残念である。


Albanyと言えばGapをはじめとする海岸線が美しい。これについては別途。
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WA州での山火事

2006年04月10日 | 西オーストラリアWA州
西オーストラリア州WA州の南にある木材の街、Pemberton近くにShannon国立公園がある。この一帯はユーカリの一種カリーKarriの大木の森で有名で、赤黒い堅材はオーストラリアの重要な輸出品である。


  


WA州では毎年300件以上の山火事があり、郊外にはところどころ今日の山火事危険度を示す看板が立っている。実際、かなりの木々が下の方は黒こげになっているところが多い(写真はパース郊外のもの)。

このShannon国立公園に過去の大きな山火事の模様を伝える看板があったので、ご紹介する。





1969年3月7日10:15am、土地所有者が木の切り株を爆薬で吹き飛ばしていたときの火花が原因で山火事が発生した(A地点)。南方1.5km(B地点)に直ちに広がっていった。

ブルドーザーで北と南から(C)防火帯をDeoside Coast Roadまで押し上げたので、火は東に向かった。

8日5pmに、火は2方向に分離しShannon Riverに4kmに迫った。消火は絶望的で消化隊は火に追われ川の東に移った。

9日1:45pmに火は川を越えた。この時点で火種は8kmにまで飛び、1時間に3.5kmの速さで移動していた。

9日4pmに山火事の広がりは、1967年に山火事防止のためにあらかじめ燃やされたSouth Western Highwayの防火地帯で止まった。森の下草の木口(ほくち:火種)もほぼ消えた。


最終的に7160ヘクタール(71億平米)、発火地点から24km、半径67km、影響を受けた森の31%が葉を失い、61%がひどく焦げ、26%だけが上の部分が緑を保った。





森の中の道路を走っていると、カンガルーや鳥や多くの動物の死体を見ます。土地を荒らし、動物の世界を分断し、車の排気ガスを撒き散らし、道路は環境破壊の代表例ですが、山火事防止というメリットもあります。実際、道路の片側の樹木が真っ黒で、反対側は緑という光景もよく目にします。物事にはたいてい悪い面の裏側には良い面もあり、その逆もあるということでしょうか。


山火事の詳細を伝える看板を設置する方(ほう)も変わっているが、またそれを訳して紹介する方も変人ではある。そして何より、そんなものを読む人は?
火事と森


以下、西オーストラリア州WA州の南にある木材の街、Pemberton近くのShannon国立公園にあった看板の続き。


もしあなたの方へ近づいてくる火事を見たら、たいていの場合のあなたの行動は逃げるでしょう。この反応は森の動物の同じです。しかし、森自体はどうでしょうか?
毎年、WA州では300以上の山火事がありますが、火事で森が無くなったという話は聞いたことがありません。ほとんどの場合、焼けた地域は平均2年でもとに戻ります。これが何故可能なのでしょうか?


果実

多くの植物(例えばユーカリ)の果実は固く、木のようで、そして燃焼に抵抗力があります。火事の熱が果実の中の種が熟すのを助け、そしてしばしば殻を割る原因を作ります。2、3日たつと種は新しくなった土壌の上に落ちます。Marriの俗称honkey nutや、大きな木のようなバンクシャーbanksiasの果実は火事に強い果実の良い例です。

樹皮-すべての季節での守り

大部分の大きな森の植物は最も猛烈な火事にも耐えられるように厚く頑丈な樹皮を持っています。ユーカリはこの良い例です。ブッシュグラスは樹皮で覆っておらず、燃えた葉を密に絡ませます。燃えて残った頂点に新しい頂点が成長します。このように、ブッシュグラスは燃えるごとに高さを高くします。

休眠芽から発生する芽

休眠芽は幹の樹皮の下にある特別な葉芽です。頂点部への火事の破壊が刺激となりこれらの芽は樹皮から出てきて、頂点部が回復するまで樹木が本質的機能を司れるように葉の役割を演じます。これらはmarriとkarriにもっとも顕著に現れ、幹の周りを登っているレース模様のツルのように見えます。

根茎Rootstock-地下の食料貯蔵庫

略(地下の根に栄養を蓄えて火事で焼けたあとに耐えます)。

不朽の種

略(火事で焼けた植物は地面に落ちて、種の生き残りの栄養となり、結果として森の地面の下に潜り、種を育て、再生します)。


看板の説明によれば、このように焼けた森も2年で再生すると言う。しかし、現実の森はいくつかの巨木と、根元のひょろひょろした若木だけで、中間の樹木は見当たらない。

つまり、再生したと言っても、焼け残るのは根元だけを黒く焦がした高くそびえる巨木だけで、下草や数多くの若木は皆、焼けてなくなってしまう。このように、森はいくつかの巨木がますます大きく伸び、若木のほとんどは焼け滅び、ごく少数の運の良い若木だけが巨木への道を進む。

からだの弱いものは死に絶え、力の弱いものは子孫を残せない動物と同じ、植物もまた自然淘汰と言う摂理による格差社会なのだろう。

人間社会も豊かさを維持するために、現在、格差社会をより強烈なものにしようとするいくつかの政策がとられている。人間社会にあっては、まず弱きものをどこまで、どう応援していくのかをまず議論し、実行すべきである。競争促進のための格差拡大策はその次の議論である。
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パースからアルバニーへドライブ

2006年04月10日 | 西オーストラリアWA州

パースからAlbanyまで、 Highwayをまっしぐら400km、途中昼飯や休憩1時間を入れて5時間ちょうどで着いた。平均時速100km/hとなる。


パースから郊外に出ると、ほとんどが制限速度110km/hである。途中通り過ぎる5つほどある町中で60km程度になるだけである。町と言っても、ガソリンスタンド1つだけの町もあり、商店がある場合でも100mほどしか続かない。西部劇で悪徳支配者が何から何まで牛耳っているそんな感じの小さな町である。KojonupからMt Barkerまでは100km、途中何も無い。したがって、けして110km/h以上では走らないのに、平均時速100km/hとなる。


こちらの車は几帳面に制限速度をぴたりと守る。街中で60kmなのが、町の出口で90kmに、直ぐ110kmになったりすると、ぴたりとその速度に合わせる。監視カメラがそこいらじゅうにあるためらしい。
先日、パース郊外を走っていると、対向車が2台ともパッシングする。ライトでもついているのかなと思っていると、わずかな駐車スペースのある場所に監視カメラが置いてあった。わざわざその前に止めて確認したが、なんだかビビッテ、写真を撮れなかった。残念。


地方の道は、直線はむしろ少なく、左右や上下のうねりが緩やかに続くことが多い。Albany Highwayでカンガルーの死体を10くらい見た。夜間はいきなり飛び出してきて、車も人も危険らしい。鳥の死骸も何度か見たが、動作が鈍いのだろうか。



基本的に一車線なので、ときどき、ロードトレインと呼ばれる50m程度ある長距離大型トラックの後ろに付くことがある。たいてい、平地では時速100km/h程度で走っているので、1.2km程度の距離がないと追い抜けない計算になる(詳細な算数計算は私のホームページの交通規則をご覧ください)。後5kmと1kmで追い抜き車線Overtaking Laneありとの看板があるので、じっと我慢の子である。



日本の高速道路を走っていて、気がつくといつも集団の最後を走っているので、我ながらおとなしい運転と思っていた。しかし、考えてみると、前に車があると、いつもついつい追い抜いてしまい、結局、二車線ともふさがれた集団の後ろに付くことになるとわかった。



自他共に認める温厚でのんびりした私であるが、車に乗ると人が変わるようである。若かりしとき、後部座席の幼稚園の息子が、前でゆっくり走っている車を見て、「モタモタするな!ぶつけちゃうぞ!」と叫んでいる。息子の隣の女房に、「幼稚園へ行くと悪い言葉を覚えて困るな」と言う。すると、彼女は冷たく、「あなたの真似してるだけです」と言った。

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