私は物のない時代に育ったので、ご飯はよほどのことがない限り残さない。お茶碗についたご飯粒は一粒も残さない。お腹一杯でも、親の敵のように、こびりついたご飯粒もこそぎ取り、半粒でも残さない。お芋や、グリンピースばかりで、それも満足になかった時代に育った欠食児童であったためであろう。お百姓さんに申し訳ないとしつけられたせいでもあろう。
オカズも出されたものはまず残さない。魚の骨の間の肉も出来る限り取って食べる。発がん性のサッカリン、ズルチンで鍛えられた体だ。添加物で出来たインスタント・ラーメンの汁も飲み干してしまう。何にも残したくない。出来れば、トイレでも出したくない??
まさに、飢餓細胞大活躍である。その結果、お腹が出てきて、散歩や運動でエネルギーを無駄に消費することになる。いったいこれは何なのだ??
ティッシュも裂いて半分だけ使うこともある。電気はこまめに消し、出かける時は、コンセントから抜く。エアコンはなるべく入れない。水道の水はけして流しっぱなしにしない。日本では、ペットボトルの水やお茶はほとんど買わない。
もちろん、無駄なものは買わない。何回か購入を見送って、それでもとなってから買う。借金はしない。
昔の話だが、家を買おうと思い貯めた貯金が目標額に近づいてきたときには、家の価格がさらに上がっていた。家の価格は、平均的収入の人が、背伸びしても手が届かない価格に常に設定されていると気づいた。しかたなく、家を買ったときは、涙をのんで住宅ローンを借りた。しかし、何年かして無理して一括返却した。
私は金に汚い、ケチなのか?節約家なのか?自分では「無駄なことしたらお天道様に申し訳ない」とのモッタイナイの精神だと思っている。自分のことを「エコ亭主」と言っているのだが、奥様は「濁るのでは」とおっしゃる。
私はホテルのバスタブに入るとき、お湯をなるべく使わないようにする。長々と寝て、あんまり長くないが、身体の半分くらいまで浸るくらいしかお湯を入れない。お湯につかってない上部に、お湯で濡らしたタオルを掛け、ときどきタオルにお湯掛ければ、寒さをしのげる。
考えてみれば、お湯をケチってもホテルに払うお金は変わらない。これで、私がお金をケチるのでなく、モッタイナイの精神であることが証明された。それとも、単に、ケチが身にしみ込んでしまっているだけなのだろうか。