カナダ東部にあり、世界文化遺産に登録されているケベックの3報目で、新市街にあるケベック州議事堂と、旧市街の城壁で囲まれたアッパー・タウンめぐりのご報告。
1886年に建造されたケベック州議事堂 Hotel du Parlement はフランス・ルネッサンス様式の建物で、旧市街の小高い丘に建っていて、パーラメント・ヒル Parliament Hill とも呼ばれる。
正面の塔の下2段には先住民の像があり、その上には1759年のケベック最後の決戦でともに戦死したイギリス軍のウルフWolfe将軍が左側に、フランス軍のモンカームMontcalm将軍が左側にならんでいる。
ヨーロッパ出身者として始めてカナダ本土に到達し、セントローレンス河口やプリンス・エドワード島を発見した冒険家のジャック・カルティエ Jacques Cartier の像があり、その上にはフランスの植民地としてケベックの基礎を築いたサミュエル・ド・シャンプランSamuel de Chanplain の像がある。
グランダレ Grande-Allee 通りを東に歩いていくと、旧市街のアッパー・タウンを囲む城壁が見えてくる。通りはサン・ルイ Porte St-Louis 門をくぐりアッパー・タウンに入り、通りの名前も Rue St-Louisに変わる。
アッパー・タウンで目立つのは、何と言ってもセントローレンス河を見下ろすフェアモント・ル・シャトー・フロントナック Fairmont Le Chateau Frontenac だ。カナダ大陸横断開通に伴いカナダ太平洋鉄道(CP鉄道)が1893年に建設したものだ。CP鉄道はカナダ主要地に一流ホテルを建設運営していたが、関連会社により米国のフェアモント・ホテルを買収し、フェアモントのブランドで各地に気品ある古城のような外観の一流ホテルを運営している。
敷地内の工事現場の写真が以下で、各年代の地層から建物の遺跡が出土していた。
ケベックの基礎を築いたシャンプラン Chanplain の像が工事中で台座から下ろされ、囚われの身のように縛られて金網に入れられていた。
アッパー・タウンの真ん中とも言える場所に、英国教会の建物があった。敬虔なカソリックが多いケベックのフランス系住民の真ん中に英国教会を建ててしまうのは、イギリスの傲慢さか。
画家通りと呼ばれるトレゾール通り Rue du Tresor は、長さ数十mの路地だが、自作の絵を並べている。
シャンプランにより建設されたノートルダム大聖堂 Basilique-Cathedrale Notre-Dame-de-Quebec には豪華なステンドグラスや黄金の祭壇がある。主祭壇の上の金襴の天蓋は場所が狭くて柱では支えられず、 caryatid 女人像柱で支える独自の設計がなされている(とパンフレットにあった)。
次回はケベックの誕生の地、旧市街のロウワー・タウンのご紹介。長々引っ張ってきたが、次回でケベックは終了して、次々回からプリンスエドワード島に移動する。