武蔵野市民文化会館で第百回となる武蔵野寄席を聴いた。
大ホール1370席の中で前から5列目、ただし、一番端の席。出演者の横顔が見えるような席だった。
開演の15分位前にようやく着いた会館の前の横断歩道に和服にコートを着た男の人がいた。珍しいなと思って顔をしげしげと見た。始まってみたら桂平次さんだった。落語家さんはぎりぎりに来るものらしい。
平次さんの高座が始まると、次に出る団春さんからこの後すぐ駆けつける時間が迫っているので話を伸ばさないでくれと言われたが、いじわるするんだといって、口を開いたまま、しばらくそのままじっとして、笑いをとった。落語家は寄席をはしごすることが多く、ギリギリに来て、自分の高座が終わるとそそくさと帰る人が多いと言っていた。
2003年に亡くなった師匠の春風亭柳昇の真似をしてちょっとだけ小咄をしたが、のんびりして人の良さそうな素振りに変身し、そっくりだった。落語家は師匠のまねをして育つので、皆さん師匠のモノマネがうまい。林家木久扇(旧名は林家木久蔵)の、師匠林家彦六の真似なぞは声の震え方といい、絶品だ。
噺は、お祝いに肥甕(こえがめ)を持ち込んで、それを使った料理を出されて、どれも食べられなくなる「肥甕」。
立川談春は、まくらで円楽さんの話をした。円楽さんが飛行機で熊本へ飛んだが、大幅に遅れて間に合いそうにない。円楽さんは、客室乗務員を呼んで、「スチュワーデスさん。パラシュートはありませんか」と聞いたそうだ。
深夜へべれけで帰宅し、なお酒とさかなを要求するしょうもない亭主が、おでんを買いに行った女房のことを、実は・・・という噺。
春風亭昇太は、お定まりの結婚していない話で笑わせたあと、あの渋顔の立川志の輔と同期で芸歴28年だが、自分は芸の深みが顔に出ないタイプだと笑わせた(笑われた)。噺は、熊五郎がご隠居からなんど説明されても、美人の奥さんを持つと短命になる理由が分からないという「長命」。
仲入りのあと、古今亭志の輔が浪曲を唸る「夕立勘五郎」があり、その後、ボンボンブラザースの太神楽曲芸があって、とりは歌丸さん。
歌丸さんは、さすが落語芸術協会会長、まくらもなく、人情話をたっぷり、しんみりと、聴かせた。噺は、だまされて宿をとられた主人のために左甚五郎が彫ったねずみが動き出す「ねずみ」。
すでに聴いた噺も面白い。初めての噺はなお面白い。まくらの小咄もはなしかさんの個性が出て笑える。おばかな連中の話には安心して聞いていられる。「あ、なんだな・・・」と始まったとたんに話の中の世界に入っていける。
落語をボーとして聞いていると、子供のころ、唯一といってよい娯楽だったラジオの落語に耳を付けるように聞き入っていた頃に戻っている。
いやー、落語っていいものですね。