川上未映子著「ヘブン」2009年9月、講談社発行を読んだ。
主人公の僕は、斜視が原因で手ひどいイジメを受けている。同じクラスの女子のコジマは、別れた父親を忘れないようにするためあえて不潔な格好をしていて、彼女もイジメられている。二人は隠れて逢ったり、手紙を交換したりする。
「僕」は自分自身で斜視にこだわり、イジメにただ耐えるだけだ。コジマはイジメる側がそのうち気づくに違いない、むしろ彼らがかわいそうと言わんばかりだ。そして、私たちが守りながら立ち向かっているのは、美しい弱さだと考える。
イジメグループの百瀬は「したいことをやってるだけ」、たまたま「僕」で、斜視は関係ないと言う。「他人は別の世界にいるので、イジメられる側のことなど分からないし、罪悪感もない」という。さめた百瀬は、今の多くの中学生のような気がしてくる。
初出:「群像」2009年8月号
私の評価としては、★★★☆☆(三つ星:お好みで)
ただただ、主人公の僕は、イジメを受け続け、抵抗することも、大人にに訴えることもしない。コジマと気持ちを通わせることで切れそうな気持ちに毎日耐えているだけだ。同じような事件の連続に単純な私はイライラしてしまい、読んでいて楽しくない。
コジマや、百瀬の考えは、「僕」との話し合い、議論の中で、はっきりと示され、イジメに関する被害者と加害者の一つの明快な考え方が示されている。中学生では無理もないが、社会との関係に気づいていないので、狭く閉じた範囲内ではどんな考え方でもできてしまうということだと私は思うのだが。
「僕」とコジマが、美術館に「ヘヴン」という絵を見に行き、そして帰る夏の一日の描写は、陰惨なイジメの話の中で、すがすがしくオアシスのように際立っている。また、ラストの「僕」が並木道でたたずむ場面は、光り輝く木々の葉が目に浮かび、秀悦だ。川上さんは詩人だけあっていくつかの場面の描写力はすばらしい。
川上未映子の略歴と既読本リスト