hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

今年の(例年の)墓参り

2010年07月16日 | 行楽

墓参りで麻布十番に行った。
ブログ内検索してみると、墓参り関連の記事が出てく、出てくる。毎年同じことを書いていることをあらためて思い知り、いやになる。日記であり、自分のためのメモなのでしかたないが、発想が完全に固定されてしまっている。
以下、「*」で注を付け、過去ブログを引用する形とする。

南北線「麻布十番駅」からパティオ通りを行くと、小さな公園のパティオ十番があり、一番上にきみちゃんの像*1がある。横浜の港の見える丘公園にある赤い靴を履いた女の子のモデルになった女の子の像だ。



お寺の入口は急坂だ。子どもの頃は「すごい坂」で、大人になって「なんてことない坂」になり、今、年取って、「けっこうきつい坂」になった。*2



小山の上のお寺は木々に囲まれた荘厳な墓地だったが、今や頭でっかちの元麻布ヒルズで景観台無しだ。*2



ブログによれば、約10ヶ月ぶりの墓参りになるらしい。信仰心に欠けた私だが、この墓への思いはある。*3
墓参りの後、七面坂を降りて麻布十番大通りとの角にある魚可津で昼飯とした。



魚可津定食は1000円で、10種類の魚を選べる。
金目鯛の煮付と、



銀むつの味噌漬焼



魚が美味しく、大きく、満足、満腹。みそ汁の具には、滅多に見ないほど大きいアサリが6個も入っていた。

昔から墓参りは一種の行楽なのだ。


*1:きみちゃんの像

 像の下の石にはこうある。
赤い靴はいてた女の子は
今、この街に眠っています。

野口雨情の童謡「赤い靴」の詩にはモデルがありました。
その女の子の名前は「きみちゃん」。
きみちゃんは赤ちゃんの時、いろいろな事情でアメリカ人宣教師の養女に出されます。母 かよさんはきみちゃんがアメリカに行って幸せに暮らしていると信じて雨情にこのことを話し、この詩が生れました。しかし、きみちゃんは病気のためアメリカには行けませんでした。
明治44年9月、当時麻布永坂町、今の十番稲荷神社のあるところにあった孤児院で、ひとり寂しく亡くなったのです。まだ、9歳でした。
母と子の愛の絆を、この「きみちゃん」の像に託して、今、みなさまの幸せを祈ってやみません。

詳しい話しはこのブログ「日本の歌百選+赤い靴の女の子の話」に書いた。



*2:景観台無し
墓参りへ


*3:私の墓への思い
自らの死に方と残された家族の思い


*4:魚可津で昼飯
麻布十番へ






コメント
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