hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

井之頭公園から三鷹へ

2011年01月24日 | 日記
井の頭公園を東から西に抜け、玉川上水沿いの風の散歩道をたどって三鷹駅まで歩いた。途中山本有三記念館へ寄ったのだが、それは次回。

井の頭池の東端のひょうたん橋を渡り、池の南側を西に歩く。



井之頭弁財天には赤いノボリ、旗?が一杯。東京都が用意するはずないと思ったら、寄進元の町内会、個人や、会社の名前がそれぞれに書いてあった。



西園の方角へ雑木林の中を歩いて行くと、玉川上水の脇に「松本訓導殉難の碑」がある。1919年(大正8年)、遠足に来た永田町小学校の生徒の一人が、玉川上水に落ちた。松本先生は上水に飛び込んだが、殉職した。33才だった。なお、生徒は流されたが助かったという。当時の玉川上水は急流だったらしい。



そのまま吉祥寺通りに出て、渡邉万助さんがかけたという万助橋に出る。



ここから玉川上水沿いに800m以上まっすぐな道は、三鷹市によって「風の散歩道」として整備されている。





三鷹市の市長さんはなかなかやり手との評判を聞く。HPで見てみたら、清原慶子さんだった。昔々、彼女が若い頃、懇談会で一緒したことがある。期間1年間だったが、妊娠して最後は欠席されたと思う。落ち着いたやさしい方だった。

山本有三記念館に寄って(次回報告)、むらさき橋を過ぎてから、太宰治の入水した地点を探したが、石碑など目印がなかった。
関連の石などは設置されているが、入水地点ははっきりしないらしい。
現在ではこのあたりの玉川上水も小川程度だが、当時は急流だったという。
「入水」は「じゅすい」と読むと奥さんに教えてもらった。辞書をひくと、「水中に身を投げて自殺すること」とある。ならば、「入水自殺」はダブりなのか?



玉川上水はそのまま三鷹駅の下をくぐり、境浄水場方向へ向かう。三鷹駅は40年ほど前まで約10年間通った駅だが、まったく様変わりしている。駅南側にはペデストリアンデッキが出来たが、パチンコ屋はまだそのままあった。お世話になりました。いや、大変お世話しました。



北側に出ると、タクシー乗り場の傍に、懐かしの碑が。国木田独歩「山林に自由存す」の碑だ。



昨年完成の武蔵野タワーズはまだ完売ではないらしい。



タワーを2つ見上げて、2階のスーパーを見学して、早々に退散。



吉祥寺までムーバスで出て、海外旅行のパンフレット集め。

御用達の沖縄の喫茶店でおなじみの日替りランチ950円をいただき、ご満悦で帰宅。1万3千歩は立派。


コメント
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