冲方丁著『天地明察』2009年11月角川書店発行、を読んだ。
江戸時代、四代将軍家綱の頃、碁打ちの渋川春海(はるみ)が日本独自の太陰暦を作り上げるまでの20年の奮闘、挫折、成功、恋。
渋川春海の本来の名は安井算哲で、将軍家お抱えの碁打ち4家の一つ安井家の跡取り。ライバルに本因坊道策がいる。道策との碁では第一手、天元の碁が有名。
しかし、春海は将軍に前であらかじめ決まった手を打つお城碁に飽きたらず、数理(数学、和算)に情熱を燃やす。しかし、天才、関孝和との力の差に圧倒される。
当時日本では800年以上昔に伝来した宣明暦という暦を使用していたが、天体とのズレが丸一日にもなり、月触予測がずれていた。春海は、老中酒井から、日本各地の緯度計測(北極出地)を命じられ、建部、伊藤らと観測隊を作り、各地に出かけ天体観測、距離計測の技を磨く。そして、苦労、失敗の末、日本の経度に適合した暦を作りあげる。
本屋大賞1位、吉川英治文学新人賞受賞、直木賞候補
題名は、算術の解答が正しかった場合に「ご明察」と言うが、天と地の観測が一致して初めて、経度、緯度の測定、そして、正しい暦が作られるとの意。
初出:「野性時代」2009年1月号-7月号を加筆、訂正
冲方丁(うぶかた とう)
14歳まで、シンガポール、ネパールに在住。
1996年早稲田大学在学中に『黒い季節』で第1回スニーカー大賞 金賞を受賞しデビュー
1997年ゲーム制作者としてデビュー。先鋭的なゲーム開発に多数関わる。
2003年小説『マルドゥック・スクランブル』で日本SF大賞受賞
私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
さすがベストセラー、面白い。いきなり和算の問題図が出てきて、時間をとられてしまった。しかし、和算もそうだが、暦の話も意外と複雑で、女性や、理工系でない人は面白いのだろうか?
歴史上の人物が多く出てきて、それだけでも興味をつないでいくのだが。
主人公の春海は圧倒的天才でなく、明るくドジで、囲碁では本因坊道策に敗れ、和算で関孝和に敗れる。そして、暦同士の戦いでの月蝕予測でも敗れながら、最後に勝利する。この流れは良いのだが、題材の面白さに頼っていて、小説としての出来、深みは今ひとつ。
エピソードを一つだけ。
観測隊の建部、伊藤は60歳前後。春海が関孝和の書いた本を読んでいると二人は興味を示し、ぜひ弟子入りしたいと言う。
江戸時代、四代将軍家綱の頃、碁打ちの渋川春海(はるみ)が日本独自の太陰暦を作り上げるまでの20年の奮闘、挫折、成功、恋。
渋川春海の本来の名は安井算哲で、将軍家お抱えの碁打ち4家の一つ安井家の跡取り。ライバルに本因坊道策がいる。道策との碁では第一手、天元の碁が有名。
しかし、春海は将軍に前であらかじめ決まった手を打つお城碁に飽きたらず、数理(数学、和算)に情熱を燃やす。しかし、天才、関孝和との力の差に圧倒される。
当時日本では800年以上昔に伝来した宣明暦という暦を使用していたが、天体とのズレが丸一日にもなり、月触予測がずれていた。春海は、老中酒井から、日本各地の緯度計測(北極出地)を命じられ、建部、伊藤らと観測隊を作り、各地に出かけ天体観測、距離計測の技を磨く。そして、苦労、失敗の末、日本の経度に適合した暦を作りあげる。
本屋大賞1位、吉川英治文学新人賞受賞、直木賞候補
題名は、算術の解答が正しかった場合に「ご明察」と言うが、天と地の観測が一致して初めて、経度、緯度の測定、そして、正しい暦が作られるとの意。
初出:「野性時代」2009年1月号-7月号を加筆、訂正
冲方丁(うぶかた とう)
14歳まで、シンガポール、ネパールに在住。
1996年早稲田大学在学中に『黒い季節』で第1回スニーカー大賞 金賞を受賞しデビュー
1997年ゲーム制作者としてデビュー。先鋭的なゲーム開発に多数関わる。
2003年小説『マルドゥック・スクランブル』で日本SF大賞受賞
私の評価としては、★★★★(四つ星:お勧め)(最大は五つ星)
さすがベストセラー、面白い。いきなり和算の問題図が出てきて、時間をとられてしまった。しかし、和算もそうだが、暦の話も意外と複雑で、女性や、理工系でない人は面白いのだろうか?
歴史上の人物が多く出てきて、それだけでも興味をつないでいくのだが。
主人公の春海は圧倒的天才でなく、明るくドジで、囲碁では本因坊道策に敗れ、和算で関孝和に敗れる。そして、暦同士の戦いでの月蝕予測でも敗れながら、最後に勝利する。この流れは良いのだが、題材の面白さに頼っていて、小説としての出来、深みは今ひとつ。
エピソードを一つだけ。
観測隊の建部、伊藤は60歳前後。春海が関孝和の書いた本を読んでいると二人は興味を示し、ぜひ弟子入りしたいと言う。
「だいたいにして若い師というのは実によろしい」
「ええ、ええ。教えの途中で、ぽっくり逝かれてしまうということがありませんから」
確か、日本地図を作った伊能忠敬も、引退後自分の息子のような人に測量術を習ったはずだ。
「ええ、ええ。教えの途中で、ぽっくり逝かれてしまうということがありませんから」
確か、日本地図を作った伊能忠敬も、引退後自分の息子のような人に測量術を習ったはずだ。