hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

筒井泉『量子力学の反常識と素粒子の自由意志』を読む

2011年06月18日 | 読書2
筒井泉著『量子力学の反常識と素粒子の自由意志』岩波科学ライブラリー179、2011年4月、岩波書店発行、を読んだ。

アインシュタインは,量子力学が生まれたとき,その根本の考え方に疑問を持ち、EPR論文を書いた。彼の言葉は、「君が今見ている月は、君が見ている間だけ実在しているなんて信じているの?」と言うものだった。
(私が覚えているのは「神がサイコロを振るはずない」といった主旨の発言だ)

しかし、その非常識な量子力学の理論結果が実験結果等の現実ときちんと対応することから、このアインシュタインの疑問は「触らぬ神に祟りなし」、過去の遺物と無視されてきた。
1964年のベルの定理、1967年のコッヘン-スペッカー定理、2008年のコンウェイ-コッヘンの自由意志定理により、近年、物理専門誌におけるEPR論文の引用数は著しく伸び、再注目されている(らしい)。
そして今でも、
量子力学の反常識的世界像が自然界の究極の姿かどうかはまだわからない。またその意味解釈について、現在でも物理学者の間で議論が続いていることも確かである。


本書は、EPR論文でアインシュタインらが指摘した「実在」概念の問題点とは何かを説明し、その反証であるコッヘン-スペッカーらによる実在性の議論を紹介する。さらに、時代の寵児「量子もつれ」の説明から、実在性と因果律の意味を読み解く。



筒井 泉(つつい・いずみ)
1982年東京大学教養学部基礎科学科卒。1988年東京工業大学大学院博士課程了(物理学、理学博士。ハンブルク大学、ダブリン高等学術研究所を経て、1994年東京大学原子核研究所助手に着任。
1998年より高エネルギー加速器研究機構(KEK)准教授
「個人的には、自由意志は(特に家庭内では)存在しないと感じている」と書いている。



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

量子力学の数学をきちんと理解できる人は少ないだろうが、そんな人でもこの本のような根底的哲学的論議は好まないだろう。量子力学自体は分からないのに雰囲気が好きだという変わり者でも(それは私です)、学者が議論中で結論が得られていない哲学的な話、実在性や因果律といった話にはついて行きにくい。


以下、私のメモ。

ハイゼンベルクの不確定原理によれば、
測定した結果を確率的にしか予言できないとする確率性を基本とし、測定によって位置や運動量などの物理量のすべてを同時に正確に決めることは原理的に不可能だ。

その理解の仕方として、「人間は測定のためどうしても物理量に影響を与えてしまうので正確な値を知ることができないが、神ならば、その値を知ることができるはずだ」というのは間違いで、神でさえ本当の値を知ることはできない。つまり、量子力学的ミクロの世界では、本当の値自体も確率的なのだ。量子力学の結果を統計的に説明するような実在論に基づく理論は存在しないというのがボーア達のコペンハーゲン解釈だ。
ここまでは大学の時にも聞いたことがある(もちろん表層だけだが)。



アインシュタインと同僚のポドルスキー、ローゼンの共著のEPR論文は、
量子力学の深奥に、非実在性や確率性とともに非局所性と呼ばれる、測定によって瞬間的に互いに遠く離れた二つの対象に関係が生ずるという、きわめて常識に反する性質が潜んでいる可能性を見抜いた・・・。

まるでテレパシーのようだ。

そして、その議論の鍵となったのが、後に量子のもつれ(エンタルグルメント)と呼ばれる量子状態の不思議な性質であった。

量子もつれとは、二つ以上の部分からなる物理系があったとき、全体の系の状態が量子力学的には確定しているにも拘らず、それぞれの部分系の状態は確定していない状態を指す。


ベルの定理では、ERP論文の議論が、自然観のあり方に関する哲学的議論などではなく、実験的検証によって白黒をつける問題であることを示したのである。


2006年(2009年改定版)のコンウェイとコッヘンによる「自由意志定理」は、素粒子は自由意志を持つというものだ。つまり、世界は非決定論的だと主張する。自由意志とは、その発現に先立ついかなる出来事によっても決められないものという(非決定論)意味だ。


目次
1 量子力学とは――スピンの世界
2 EPRパラドックス――量子力学は不完全か?
3 ベルの定理――局所性・実在性との矛盾
4 コッヘン-スペッカーの定理――状況に依存する実在
5 自由意志定理――素粒子は自由意志を持つか?



















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筒井泉『量子力学の反常識と素粒子の自由意志』を読む

2011年06月18日 | 読書2
筒井泉著『量子力学の反常識と素粒子の自由意志』岩波科学ライブラリー179、2011年4月、岩波書店発行、を読んだ。

アインシュタインは,量子力学が生まれたとき,その根本の考え方に疑問を持ち、EPR論文を書いた。彼の言葉は、「君が今見ている月は、君が見ている間だけ実在しているなんて信じているの?」と言うものだった。
(私が覚えているのは「神がサイコロを振るはずない」といった主旨の発言だ)

しかし、その非常識な量子力学の理論結果が実験結果等の現実ときちんと対応することから、このアインシュタインの疑問は「触らぬ神に祟りなし」、過去の遺物と無視されてきた。
1964年のベルの定理、1967年のコッヘン-スペッカー定理、2008年のコンウェイ-コッヘンの自由意志定理により、近年、物理専門誌におけるEPR論文の引用数は著しく伸び、再注目されている(らしい)。
そして今でも、
量子力学の反常識的世界像が自然界の究極の姿かどうかはまだわからない。またその意味解釈について、現在でも物理学者の間で議論が続いていることも確かである。


本書は、EPR論文でアインシュタインらが指摘した「実在」概念の問題点とは何かを説明し、その反証であるコッヘン-スペッカーらによる実在性の議論を紹介する。さらに、時代の寵児「量子もつれ」の説明から、実在性と因果律の意味を読み解く。



筒井 泉(つつい・いずみ)
1982年東京大学教養学部基礎科学科卒。1988年東京工業大学大学院博士課程了(物理学、理学博士。ハンブルク大学、ダブリン高等学術研究所を経て、1994年東京大学原子核研究所助手に着任。
1998年より高エネルギー加速器研究機構(KEK)准教授
「個人的には、自由意志は(特に家庭内では)存在しないと感じている」と書いている。



私の評価としては、★★(二つ星:読めば)(最大は五つ星)

量子力学の数学をきちんと理解できる人は少ないだろうが、そんな人でもこの本のような根底的哲学的論議は好まないだろう。量子力学自体は分からないのに雰囲気が好きだという変わり者でも(それは私です)、学者が議論中で結論が得られていない哲学的な話、実在性や因果律といった話にはついて行きにくい。


以下、私のメモ。

ハイゼンベルクの不確定原理によれば、
測定した結果を確率的にしか予言できないとする確率性を基本とし、測定によって位置や運動量などの物理量のすべてを同時に正確に決めることは原理的に不可能だ。

その理解の仕方として、「人間は測定のためどうしても物理量に影響を与えてしまうので正確な値を知ることができないが、神ならば、その値を知ることができるはずだ」というのは間違いで、神でさえ本当の値を知ることはできない。つまり、量子力学的ミクロの世界では、本当の値自体も確率的なのだ。量子力学の結果を統計的に説明するような実在論に基づく理論は存在しないというのがボーア達のコペンハーゲン解釈だ。
ここまでは大学の時にも聞いたことがある(もちろん表層だけだが)。



アインシュタインと同僚のポドルスキー、ローゼンの共著のEPR論文は、
量子力学の深奥に、非実在性や確率性とともに非局所性と呼ばれる、測定によって瞬間的に互いに遠く離れた二つの対象に関係が生ずるという、きわめて常識に反する性質が潜んでいる可能性を見抜いた・・・。

まるでテレパシーのようだ。

そして、その議論の鍵となったのが、後に量子のもつれ(エンタルグルメント)と呼ばれる量子状態の不思議な性質であった。

量子もつれとは、二つ以上の部分からなる物理系があったとき、全体の系の状態が量子力学的には確定しているにも拘らず、それぞれの部分系の状態は確定していない状態を指す。


ベルの定理では、ERP論文の議論が、自然観のあり方に関する哲学的議論などではなく、実験的検証によって白黒をつける問題であることを示したのである。


2006年(2009年改定版)のコンウェイとコッヘンによる「自由意志定理」は、素粒子は自由意志を持つというものだ。つまり、世界は非決定論的だと主張する。自由意志とは、その発現に先立ついかなる出来事によっても決められないものという(非決定論)意味だ。


目次
1 量子力学とは――スピンの世界
2 EPRパラドックス――量子力学は不完全か?
3 ベルの定理――局所性・実在性との矛盾
4 コッヘン-スペッカーの定理――状況に依存する実在
5 自由意志定理――素粒子は自由意志を持つか?



















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