ポール・ベンジャミン著『スクイズ・プレー』(新潮文庫オ-9-1、2022年9月1日発行)を読んだ。
裏表紙にはこうある。
私立探偵マックスが受けた依頼は、元大リーガー、チャップマンからのものだった。キャリアの絶頂時に交通事故で片脚を失い、今は議員候補と目される彼に脅迫状が送られてきたのだ。殺意を匂わす文面から、かつての事故にまで疑いを抱いたマックスは、いつしか底知れぬ人間関係の深淵へ足を踏み入れることになる……。ポール・オースター幻のデビュー作にして正統派ハードボイルド小説の逸品。
あのポール・オースターのデビュー作(1982年刊行)だが、ポール・ベンジャミン名義だ。なんだか不思議な小説を書くオースターが、ハードボイルド小説を書いていたなんて。
「よしの・じん」氏の書評によれば、
カフカやベケットを愛するオースターは、生活のため、お金のために『スクイズ・プレー』を書いた、とのちに明言している。だが、裏を返せば、お金を得るために売れ筋の作品を仕上げてみせたといえるだろうし、オースターの個性も強く残っている。
マックス・クラインは大学野球の選手だったが無名選手のまま卒業し、ロースクールに通い、検事補となる。明らかに冤罪者を起訴するような圧力がかかり、検事を辞めて私立探偵になった。
マックスに元大リーグ・アメリカンズのスター選手、あこがれだったジョージ・チャップマンから依頼の電話がかかる。チャップマンは、あらゆるタイトルを総なめにしていた5年前、交通事故で左脚を失くし選手生命を終えた。だが、その後も、美しい妻、豪邸、表舞台に顔を出し続け、上院議員に立候補の噂も出ていた。その彼に脅迫状が届いたのだ。
そこで33歳のマックスの出番となり、美しいチャップマンの妻・ジョディスと、彼女の浮気相手でノンフィクション作家のブライズ教授に迷わされ、マフィアのボス・コンティニの影が見え、敵は容赦なく叩き潰す球団アメリカンズのオーナー・ライトに脅され、彼の迷走、ボロボロになりながらの苦難が始まる。
私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め、最大は五つ星)
ハードボイルド好きに限れば五つ星。ポール・オースターのハードボイルド、しかも、ハメットや、チャンドラーを向こうにまわすコチコチで見事なハードボイルド!
主人公マックスのワイズクラック(へらず口)が生き生きと冴えわたる。命の危機のさなかにあってさえも。相手は怒り狂い、より凶暴な暴力を振るう。ハードボイルドだど!
ハードボイルドはどうもという人にも読んで欲しい。
マックスの仕事優先の生活でキャシーとの結婚は破綻し5年経った。息子のリッチーとは毎週逢っているが、キャシーとは友達に戻りつつあった。互いに好きなのに、再び一緒に暮らすことができない二人。
行為が終わっても、私たちはふたりとも不幸せから逃れなれなかった。肉体は解決にはならない。かぎりない悲しみの在処(ありか)にはなっても。
ニューヨークのすさんだ街並みの情景も印象に残るが、大リーグに夢中になる息子リッチーを連れて野球場に行くシーンは、秀逸だ。地下鉄を降り、球場のまわりを大勢と並んで歩き、ゲートに入って、トンネルから斜面をあがり、いきなり眼前に現れる巨大な芝生のグリーン。TVと解説本でオタクとなったが、生で試合をみるのは初めてのリッチー、9歳のドキドキがほほえましい。気が付くと私も70年前に戻っていた。
ポール・ベンジャミン Paul Benjamin
1947年生れ。米国の作家ポール・オースターの別名義。オースター名義での第一作『孤独の発明』発表以前にこの筆名で『スクイズ・プレー』を執筆。1978年に脱稿したが、ペーパーバック・オリジナルとして刊行されたのは1984年のことで、翌年のアメリカ私立探偵作家クラブ主催シェイマス賞最優秀ペーパーバック賞の候補作となった。
ポール・オースター Paul Auster
1947年、ニュージャージー州ニューアーク生まれ。1970年に コロンビア大学大学院修了後、メキシコで石油タンカーの乗組員、フランスで農業等様々な仕事につく。
1974年にアメリカに帰国後、詩、戯曲、評論の執筆、フランス文学の翻訳などに携わる。
1985年から1986年にかけて、『ガラスの街』、『幽霊たち』、『鍵のかかった部屋』の、いわゆる「ニューヨーク三部作」を発表し、一躍現代アメリカ文学の旗手として脚光を浴びた。
以来、無類のストーリーテラーとして現代アメリカを代表する作家でありつづけている。他の作品に『ムーン・パレス』、『偶然の音楽』、『リヴァイアサン』、『ティンブクトゥ』、『幻影の書』『オラクル・ナイト』などがある。
田口俊樹(たぐち・としき)
1950年、奈良市生れ。早稲田大学卒業。ブロックの“マット・スカダー・シリーズ”をはじめ、ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』、スミス『チャイルド44』、テラン『神は銃弾』、チャンドラー『長い別れ』、ウィンズロウ『業火の市』など訳書多数。