hiyamizu's blog

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レベッカ・ブラウン「家庭の医学」を読む

2008年05月24日 | 読書2
レベッカ・ブラウン著、柴田元幸訳「家庭の医学」朝日新聞社2002年10月発行を読んだ。

翻訳本は、私もそうだが、訳者あとがきから読み始める人が多いらしい。ここでも、あとがきの引用から始める。
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この本の原題は Excerpts from Family Medical Dictionary である。直訳すれば、「家庭医学事典からの抜粋」。それぞれの章の題にも、貧血、薄暮睡眠、転移・・・と、まさに家庭医学事典の項目になっていそうな用語がつけられ、さらには各章の冒頭にそれらの用語の事典的定義まで掲げられている。母親が癌に冒されていることが判明し、その治療や手術に立会い、やがて亡くなった母を見送るまでを綴ったノンフィクションのタイトル・構成としてはいささか風変わりという気もする。
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著者、Rebecca Brownレベッカ・ブラウン、1956年、アメリカ生れ。シアトル在住。「体の贈り物」でラムダ文学賞、ボストン書評家賞、太平洋岸北西地区書店連合賞を受賞。
訳者は、村上春樹の翻訳の盟友である柴田元幸さん。私の好きな訳者の一人だ。



好きでたまらない元気な母親が、徐々に弱っていき、癌で入院、手術、苦しい闘病を経て看取りに至る。悲劇を、娘としての感情を抑えて、冷静に、事実だけを淡々と描き重ねていく。その描写によりかえって著者の深い悲しみが伝わってくる。



レベッカ・ブラウンの「体の贈り物」は一度読んだはずだが、もう一度読んでみたい。


私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め)



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意識がすっかりなくなった、本人にはどのみちわからなくなった時点で、点滴という選択肢を私たちは話しあったが、どのみちあと数日ですよと看護婦たちに言われた。それに、私たちはみな、何か自分にできる作業を必要としていたのだと思う。・・・そうやってあたかも、私たちにできることが何かの役に立つかのように。
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・・・
ある朝、母ははっと目をさました。ベッドの上でまっすぐ体を起こし、「支度できた?」と言った。・・・「うん」と兄が言った。「支度できたよ、母さん」・・・「そうよ、母さん。何もかもちゃんとやってあるから。何も心配要らないからね」・・・
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人は年取って意識が不確かになると、人生でもっとも輝いていた時期に戻るという。この母親も幼い子供たちを連れて映画や公園、兄がでる野球の試合へ出かけるときに戻っていたのだろう。



私がボケたら、いつ頃にもどるのだろう。
仕事関連でのピークはいつだろう。管理業務だけでなく実際自分で作業に携っていた頃がもっとも充実した時期だったのだろう。当時、技術開発を終えると、資料を事業部へ送付することになっていた。送付時期になり、伺い文書に印をもらう段階になって、「実際に資料なんて出来てないのに形式だけ進めるんだ」という噂が聞こえてきた。「こうなったら、何が何でも、資料をまとめようぜ」とチームにハッパをかけ、ほとんど徹夜で頑張って資料を書き上げた。紙袋に厚いファイル3冊の資料を下げて、伺い文書を持って、お偉いさんを回り、持ちまわりで印をもらって歩いた。二日で全部の印をもらったのは新記録だと感心された(あきれられた)。
ボケたらあのときに戻る? どうも違和感がある。

やはり、プライベートで、子どもが3、4歳の可愛い盛りのころだろうか。
子どもの両手を奥さんと持ち、水溜りを飛び越えさせた。本人は自分で飛んだつもりで、ケラケラと笑いながら、私の顔を見た。あの時だろうか。
それとも、横岳の坪庭で、先をトコトコ走っていった子どもが、また駆け戻ってきて、本当に楽しそうに笑いながら「早くしないと、行っちゃうよ!」と叫んだとき、あのときが我生涯最高の瞬間で、ボケたら、「ホイホイ、よーし、競争だ!」とでも応えるのだろうか。






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