hiyamizu's blog

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飛鳥の談山神社へ

2007年12月04日 | 観光
奈良県の桜井市の多武峰山中にある藤原鎌足を祭る神社、談山(たんざん)神社に行った。

歴史
蘇我蝦夷と入鹿親子が権勢を誇っていたとき、中臣鎌子(後の藤原鎌足)と中大兄皇子(後の天智天皇)が飛鳥の法興寺(今の飛鳥寺)の蹴鞠会(けまりえ)で出会った。
645年5月、鎌足と中大兄皇子が、この多武峰に登り、藤の花の下で大化改新の構想を語り合い、646年の大化の改新となった。

これにちなんで、この地は談山(かたらいやま)と呼ばれ、談山神社の社号の起こりとなった。
鎌足の長男の定慧和尚は、多武峰に父の墓を移し、十三重塔を建立した。
平安時代に天台僧・増賀を迎えたことから、宗派の違う興福寺と仲が悪くなり、たびたび、興福寺衆徒に襲われ、建物を焼かれた。
明治の廃仏毀釈の際に、寺院建築をそのまま使用したまま、寺を廃し神社となった。

現在では、桜や紅葉と、十三重塔が有名だ。



十三重塔(室町時代、重要文化財)
藤原鎌足の長男・定慧によって西暦678年に建立された。現存の塔は1532年の再建。木造十三重塔は、世界唯一。高さは約 17 m で、屋根は伝統的な檜皮葺き(ひわだぶき)。

桧皮葺は30年に一度、葺き変える必要があるが、ヒノキの皮が手に入りにくい上に、職人の数が限られていてなかなか仕事してもらえないそうだ。




拝殿(室町時代、重要文化財)
朱塗で舞台造の拝殿から見た紅葉はあざやかだった。中央の天井は伽羅の香木で作られている。




本殿(江戸時代、重要文化財)
藤原鎌足公をお祀りする本殿は、極彩色の模様や、花鳥などの彫刻によって装飾されていて、日光東照宮造営の際のお手本となった。



境内いたるところ、鮮やかな紅葉で、黄色、朱色、真紅とモザイク模様。一本の木で赤から黄色にグラデーション(濃淡のぼかし)している木もある。



十分堪能して帰り際、振り返ると、十三重の塔が紅葉の中に屹立していた。



高松塚古墳
帰り道、飛鳥駅近くの高松塚古墳に寄った。直径18mの小円墳だが、極彩色の壁画が有名。
実物は写真のように保存のために厳重に密閉されていて見学はできない。しかし、そばの高松塚壁画館には、壁画の発見当時のままの現状模写を西壁、北壁、東壁、天井に星宿図(星座)を展開状にして展示してある。また、剥落や汚れを加減して見やすくした一部復元模写と、制作当時の西壁の女子群像の再現模写や、副葬品の模造品を展示してある。
また、石槨(せっかく)内部の原寸模型を盗掘口から覗けるようになっている。

この壁画館は高松塚古墳保存の記念郵便切手の寄付金で作った。





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