hiyamizu's blog

読書記録をメインに、散歩など退職者の日常生活記録、たまの旅行記など

トレヴェニアン『パールストリートのクレイジー女たち』を読む

2021年12月06日 | 読書2

 

トレヴェニアン著、江國香織訳『パールストリートのクレイジー女たち』(集英社文庫2018年5月25日集英社発行)を読んだ。

 

裏表紙にはこうある。

パールストリート238番地。ある日、消息不明だった父に突然呼ばれ、スラム街の一角に越して来た僕。しかし父は現れず、エキセントリックな母と女優を夢見る妹を支える、僕の奔走が始まるのだった。大恐慌、貧困、第二次世界大戦…。「僕」の目が見た、パールストリートの風変りな住人らの姿を通して語られるアメリカ。謎多きカリスマ作家・トレヴェニアンの自伝的小説を、江國香織の名訳で!

 

原題は、“THE CRAZYLADIES OF PEARL STREET”

 

1936年、6歳の僕・ジャン=リュック・ラポアント、母・ルビー・ルシル・ラポアント、3歳の妹・アン=マリーは、NY州オールバニーのスラム街・ノースパールストリート238番地の家の階段の脇に家財道具を置いて、並んで腰をおろしていた。失踪後何の連絡もなかった父親・レイから一緒に暮らそうと連絡があったためだが、父親は現れなかった。まだ27歳で、肺に問題があるが攻撃的にまで自立してパワフルな母親は、息子を"相棒"と呼んで、3人で生きて行こうと決めた。

 

どん底アイルランド人のスラム街・パールストリートには、クレイジーな女性が何人もいた。荒くれ者で頭の鈍いミーハン一族のミセス・ミーハンはパニックになると何か掴んだ手が離れなくなってしまい大騒ぎになる。奇妙な買物の仕方、異常な恥ずかしがりぶりでクレイジーと言われていたミセス・マクギャヴニィの買物の手伝いを僕は手伝ってしまい以後なかなか断れなくなってしまった。

また、雑貨店主のケーンさんは資本主義の競争効果と社会主義者の道義心・人間性が共に必要と考えるユダヤ人だった。

 

物心ついたときにはもう読み書きができていて、知能が高いが、妄想におぼれ、思い悩みがちな僕は、そんなクレイジーな女たちが住むスラム街で成長し、ベンというカウボーイが現れ、やがて時代は第2次大戦へと向かっていく。

 

1945年、ついに家族はオールバニーを去り、最終章「僕たちの船が来る」となる。
妹の船はずっと求めていた、平穏という積荷を積んでいた。そして、母の船が積んでいたのは、拒絶され続けてきた成功という積荷だった。僕の船もまた来た。そして、それは愛を積んでいた。

 

この本の刊行後一年を経ずしてトレヴェニアンは亡くなった。

 

 

本書は、2015年4月、ホーム社より刊行。

 

 

私の評価としては、★★★★☆(四つ星:お勧め、 最大は五つ星)

 

主人公が少年から死ぬまでの600頁を超える大河小説だが、そのほとんどは歳よりはるかにしっかりしているとは言え、まだまだ子供に過ぎない主人公のミクロな視点からのディテールが積み重なって出来上がっている。
そして、大恐慌、第二次世界大戦下のアメリカ合衆国の、ある種の典型であるNY州のスラムの貧しい人々の暮らしの、本当に細かい描写が油絵のように積み重ねられる。

 

作者である僕は、自分の母を"あのフランスにしてインデイアンの気質"と何度も書いている。気が強く、活動的ながら肺に病を持ち無理すると何日も寝込む母。子供たちに献身的愛を持ちながら、強情、突っ張りで周囲と喧嘩し、悲運を招いてしまう。僕はそんな母が好きなのだが、結局重荷になって、悩みの種となる。
私には、この魅力的な女性・母が主人公のように思えてしまう。

 

 

日本の真珠湾攻撃に怒った男たちは

――かかってこい! がに股でつり上がり目のちびたちが、どこまで持ちこたえられるっていうんだ?(p461)

 

 

トレヴェニアン Trevanian
1931年、アメリカ・ニューヨーク州生まれ。本名はロドニー・ウィリアム・ウィテカー。

覆面作家として、複数のペンネームで執筆。初のトレヴェニアン名義の小説は72年に発表した『アイガー・サンクション』。2005年12月14日逝去

 

 

江國香織(えくに・かおり)小説家、児童文学作家、翻訳家、詩人。
1964年東京生まれ。父はエッセイストの江國滋。
目白学園女子短大卒。アテネ・フランセを経て、米国のデラウェア大学に留学。
1987年「草之丞の話」で小さな童話大賞
1989年「409ラドクリフ」でフェミナ賞受賞。
1992年『こうばしい日々』で第7回坪田譲治文学賞、同年『きらきらひかる』で第2回紫式部文学賞

2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で第15回山本周五郎賞

2004年『号泣する準備はできていた』で第130回直木賞

2007年『がらくた』で第14回島清恋愛文学賞

2010年『真昼なのに昏い部屋』で第5回中央公論文芸賞

2012年「犬とハモニカ」で第38回川端康成文学賞

2015年『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』で第51回谷崎潤一郎賞を受賞

その他、『ウエハースの椅子』、『金平糖の降るところ』、『抱擁、あるいはライスには塩を』、『神様のボート』、共著『チーズと塩と豆と
約25冊の長編小説、10冊のエッセイ本、12冊の短編集、12冊の絵本、4冊の詩集、約75冊の童話を翻訳

 

 

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ヘイト(?)デモ

2021年12月05日 | 日本

 

井の頭公園駅近くの三角公園でヘイト(?)デモがあり、大量に警官が動員されているという情報があり、おっとりスマホで取材に(?)駆け付けた。

50人足らずの人が集まっているが、柵が置かれていて近寄りがたい。遠くから警戒する警察の人の方が多い。

マイクで皆に話しかけている。

武蔵野市が、住民投票に外国籍の人も投票できるようにする条例案を議会に提出したことに対する抗議のデモのようだ。話し方は激烈ではなく、穏やかに話している。周りを囲む警察官のことも、我々のファンですからなどと笑い、井之頭通りに出るまでは住宅街なので静にしてください、などと注意する。

 

参考(東京新聞より

松下玲子(武蔵野)市長は12日の定例記者会見で「市民参加を進める手段の1つに住民投票制度を加えるのが目的で、外国籍の人を排除する合理的理由は見いだせない」と説明。外国人参政権につながるとの批判には「代表者を選ぶ選挙権とは違うので論理の飛躍だ。住民投票に法的拘束力はない」と反論した。

 

この角から井の頭通り。警官がずらり。

 

デモ隊がやって来た。

 

井の頭通りに入ると、声をあげだす。

 

日の丸がはためくが、あまり意気は上がっていない。沿道から「帰れ! 恥ずかしくないのか!」の声が一つだけ。そんなこと言ったって、信じ込んでデモしている人が大半なのだろうから、無意味だと思う。

 

日本第一党」と書いてある小型トラックが2台ほどある。検索すると、あの桜井誠氏の団体のようだ。これが多分主催者なのだろう。スタート直後しか見てないが、ヘイトデモというより、意見表明というおとなしい感じだった。 下の写真で、子供が加わっているが、いいの?と思う。

 

私は、外国籍の人でも税金を納めていれば、自分が住む地域の問題に意見する権利はあると思う。国政となると限定的にすべきだと思うが。

 

日本人だってそもそもはよその国から来た人がけっこういると思うし、最近まで外国の文化を見事に取り込んで日本文化を作り上げてきたのだから、かたくなにならず、もっとオープンマインドになったらいかが?

 

 

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再び東急吉祥寺の屋上へ

2021年12月04日 | 日記

 

 

またまた東急吉祥寺へ行ったので、先日のリベンジと、屋上に上がってみた。今日は雲一つない青空。

さっそく「富士山ビューテラス」へ。

「おお、富士山が!」

 

富士山が眼前に広がる(ちょっとオーバー)。口をついて出るのは「真白き富士の根 緑の江の島」(古っ)。

 

屋上ロビーには変わった自販機が並ぶ。手前は3階「吉祥寺マルシェ」にあるおいしいパンの店「Chris Bakery」のパンの自販機。

 

ここにもあった喫煙ボックス(吉祥寺駅南東)。武蔵野市が設置しているようだ。

 

 

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たまには空を見上げよう

2021年12月03日 | リタイヤ生活

 

 

ふと外を見ると、南の空に力強い雲が湧き広がる。こんな逞しい雲がただの水蒸気だなんて思えない、思いたくない。

 

東の空には、ポツリと切れ端の雲が孤高を守る。

 

子供時代、雲に心を吸われ、一人いつまでも空を見上げていたものだと思い出し、じっと佇んでいたら、

もうすぐ帰れそうな、帰っちゃいそうな気がしてきて、ブルっと頭を振って部屋に戻った。

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デパートの屋上にのぼってみる

2021年12月02日 | 日記

 

何度も来ている吉祥寺東急。案内を見ていて屋上があることに気がついた。昔は子供向けの遊具などでにぎやかな場所だったし、一時はビアガーデンだったりしたのだが、今はどうなっているのか?

 

8階から上へ上るエスカレータがないので、階段を登る。

吉祥寺観音が祀られている。昭和34年に飯能市から迎えられ、ご本尊は「不空羂索観世音菩薩(ふくうけんじゃくかんぜおんぼさつ)」との由来が書いてある。

 

中央は「太陽の広場」という名前で、人工芝の開放空間になっている。もっぱら数組の母親と幼児がくつろいでいて、ハイハイし放題だ。最近のご時世で、幼児の写真を撮るのはご法度で、おじいさんはジロジロ見ないように気を遣う。

 

 

看板の「富士山ビューテラス」の方向へ行くと、

 

観覧スペースがあって、富士山が

 

見えなかった。

よく見ると、丹沢の山蔭の向こうに、富士山らしき影がみえるような、見えないような。

 

三鷹駅北口すぐの武蔵野タワーズがはっきり見える。売り出しの時の謳い文句「特別快速が止まる三鷹駅直近で、住所は武蔵野市」というのがあって、笑えた。今検索すると、スカイクロスタワー、最上階31階、東南角部屋、3LDK、131平米で2億6,800万円とあった。リビングが25畳とちょっと狭くて、迷うところだ。

 

 

エレベーターのある方へ行くと、喫煙ボックスがあっ。今どきわざわざ「アヘン窟」を設置するとは!

 

かって、食堂でのランチや、屋上の遊園地と子どもたちの楽園、ハレの場所だった百貨店は今? 近鉄も伊勢丹も去って吉祥寺で唯一の百貨店となった東急も、静かな屋上、人気企業にまるごと貸し出すフロアなど、苦しみがにじみ出ているように思えてしまった。

 

 

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