「孝行したいときには親は無し」という言葉があるが
今のご時世、長寿社会になって死語化している
「孝行してもらいたいときには、(家には)子は居らず、老いた親の老々介護」
というのが現実だ
団塊世代はまさに、この状況を今味わっている
私の親戚の同世代の一人息子は関東に住んでいる
子供が2人いたが誰も同居せず、60代夫婦でマンション暮らし、田舎には90歳の母一人
私が身元引受人になっている(ならざるを得ない)
以前、彼女が行方不明になった時(単なる行き違いを近所の人が大騒ぎした事件)
真っ先に警察から私に電話が来て、驚いて隣町のその家に駆けつけたが、中で倒れているのではと
警察が承諾を得て、勝手口の硝子を割って中に入ったがもぬけの殻だった
そのとき、すでに親戚のおばさんは老人会の会場にいたのだった
それがわかるまでに1時間かかり、警察は用水をずっと下まで探し回った
そんな騒ぎがあって、もうリタイアしている埼玉の息子に電話をした
呑気なもので、田舎に住む親友や、私たち兄妹に「悪いがもう少し頼む」で終わらせた
こっちは合計4名の老親を日々見ている上に、この男の親まで見る羽目になった
この父親が亡くなったときも、通夜が始まる直前にやっと来て「すまんすまん」と言いながらすっかり
お客さん気分だったのにはさすがにムッとしたが、子供の時からこの調子だから、すぐに覚めた
親友と私と妹で葬儀のあらかたの準備を2日間やったのだった
香典が集まってきて、葬儀屋の精算も終わりまだ数十万円残った、それを見たこの息子
60半ばと言うに「こんなに残ったのか、母ちゃんと山分けだ」と嬉しそうに言った
90になる母親は「ばかなこというもんじゃない! まだお寺の払いも残っている、余るどころか
足りないよ!」とキツく言った、私たちに「世間知らずで困るよ、いろいろ教えてやってください」
90歳になっても、これじゃおばさん呆けてもいられない、だから今でもしっかりしている
そんな息子だが、去年から心を入れ替えたのか、毎夕かならず電話を入れる様になり
二ヶ月に一度くらいは家に来て一ヶ月ほど滞在する様になった
一度は女房共々、田舎に帰ってきて同居するという話しにもなったが、嫁は「私は絶対行かないからね」
とがんと言い張って、話しは流れた
こんな無責任男でも、母の老いを目の当たりにして孝行の2文字が浮かんだと見える
これが本気なら、私もアルバイト程度の仕事は紹介しなけりゃならないと思っている
観光サービス営業ではベテランだから、使い道はある
田舎では親と同居する者は多い、一緒に呑んだり食べたりしながらする話しは大体3つ
親の介護、孫自慢、ペット