神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

上から目線で外国を見る

2015年09月23日 23時28分22秒 | 地理

明治初期に、日本の東北地方の寒村を旅したイギリスの女性旅行家

イザベラバードの日本旅行記を読み返している。

なぜかというと、彼女が栃木県の日光から鬼怒川沿いに福島県

そして新潟県へと歩くのだが

この当時、我が家の祖先たちは、この周辺で暮らしていたのだ

彼女の旅行記から当時の栃木県の貧農集落の暮らしぶりが明らかになる

わが祖先の暮らしも、ここに書かれているのとさほど差はなかったと思われる

どんな暮らしかというと、東京が出発点で、東京の暮らしについては

日本人とはいかなる人種かと言うことが書かれているが、暮らしぶりは

欧米風に近づこうという努力が見えてくる、日本人の和装の不便さを書き

洋装が似合わないと書く

日本人は顔は醜く、体型はみっともない、お歯黒、ちょんまげの不快感

しかし日本人は勤勉で働き者で正直で、おとなしく、子供まで紳士であると

性質については絶賛している。

だが栃木の田舎では上流家庭は無く、僅かな中流以外は全て貧しい

もっと田舎では、全てが貧しく、不衛生で不潔で、大部分の人が皮膚の感染症で

苦しんでいる

 

これを読んで、明治初期の祖先の様子も垣間見えた

同時に、今の日本人がアジアを旅して言うことと同じだと思った

**国の田舎は不衛生で不潔、とても耐えられない

イザベラバードが書いた日本の東北の姿を上から目線で見ているように

われわれ日本人も後進国の生活を上から目線で同じように語る

イザベラバードが見た日本と150年後の日本はまったく違う国になった

田舎の奥まで舗装道路どころか高速道や新幹線が通る

山深い下水道の無い村にも水洗トイレは普及し、田舎町では

シャワートイレが都会と同じように設置されている

人々はマイカーを持ち、スマホを持ち、インターネットをしている

もはや田舎も都会も家庭生活においては変わらないようになった

 

 

 


明治維新の大魔術

2015年09月22日 22時32分02秒 | 日本史

明治維新でどうしてもわからなかったのが

なぜ長州、薩摩など革命軍の大名(殿様)があっさりと

新政府のいいなりになってしまったかと言うことだ

新政府、すなわち各藩の殿様の家来たちである

 

だが先日ホームページのトップページを差し替えていてわかった

トップページは、URLとリンクしている

トップページには私の場合index.htmlを充ててある

トップページを根本から変更する場合は新しいトップページを造った方が早い

そして新しいページにindex.htmlをページの名前にする

そして旧のトップページをいったん棚上げしておいて

新しいページを登録してしまう

そして旧のトップを削除する

 

まさに明治維新はこの手で殿様をだまして、排除したのだ

大名の領地から遙かに離れた江戸に、帝をお連れして遷都してを行う

そして帝の命という形で中央集権の新政府をつくり、維新の先導者たちが政府の要職に就き

司法、行政、立法、警察、軍事を牛耳ってしまう

地方大名が反乱を興しても簡単に鎮圧できるだけの中央政府軍を作り上げる。

そのシステムが出来るまでは地方大名は江戸時代のままの形で残し

中央で役に立つ(力や能力)人間だけを、中央に引き抜く

そして中央が盤石になったとき、一気に地方大名に帝の名で、大名の軍の解体を命じる

そして大名には名誉職の貴族という称号を与えて知事に任命、藩を解散させる(武士の失業)

廃藩置県が行われ、能力の無い大名は政治が出来ないのでこれを廃し

中央官僚を県知事に送り込んで、その県(藩)を中央政府の直轄にする

この時点で、大名は、かっての家臣の風下になったことに気づくが、もう遅い

トップページの置き換えはこうして完了する

 

失業した武士が各地で反乱を起こすが各個撃破されて、皆首を切られてしまう

新政府の大臣でさえ新政府に刃向かえば容赦なく殺される

西郷隆盛、江藤新平などがその例だ

 

大名の失敗は、徳川との戦争に先頭に立たなかったことだ

京、大坂、江戸に自ら乗り込まなかったことだ

田舎でのんびりと勝利の報告を待っていたから、家来にいいようにやられてしまった

先頭に立っていれば、手柄を立てた家臣が上に立とうとしたとき「無礼者!」で

それを阻止することが出来たはずだ

だが、それだけの知恵と力が、革命下級武士団より劣っていたのだ

もし大名が先頭に立っていたなら結局、明治維新は成功しなかったろう

 

今、田舎でも若い知恵者の集団があちらこちらでイベントを大々的に行う

年老いた我々は、それを横目で見るだけで何も出来ない

吉田拓郎の歌の通り、新しい海に漕ぎ出すのは、新しい水夫なのだ

歴史はいつも繰り返す

そして次々に若い英雄が現れて、古い英雄を凌駕していくのだ

僕の通った道は、やがてきみが通る道

 

 


平成時代劇が、かっこいい

2015年09月22日 17時34分12秒 | 映画/ドラマ/アニメ

最近BSで何本か時代劇を見た

幕末もの、仇討ちものなど・・・時代劇というと

大昔は江戸時代の武士がそのまま映画に出ているような

泥臭くて、かび臭くて、野生そのもので、殺伐としている

そんな俳優が演じるから、戦国や殺陣がリアルだった

 

最近見た映画は、中井貴一、役所広司、佐藤浩市などが主演

なかなかみんな味のある俳優になっていた

どの映画も昭和時代劇に比べるとスマートでライトで清潔でかっこいい

知性的で清潔な主役、重くない人情劇、脚本の妙に寄るところが大だが

まさに平成時代劇である

黒沢明監督のリアルで汚れて、野獣的でまっすぐで無慈悲

三船敏郎キャラそのものからみると、全く違う時代劇だ

リアル時代劇から、ライト時代劇への変化は

くみ取り便所からシャワートイレに変化したのに似ている

 

西部劇もアメリカ製、ジョンフォード&ジョンウェインのリアル西部劇から

イタリア製のマカロニウェスタン=ライトな西部劇の流行(1960年代)

にへんかしたことがあった。

それに似ている

 

平成時代劇は、過去の時代劇で定番化した「忠臣蔵」「幕末物」を

視点を変えることで定番物をあたらしい時代劇に変えて、観客を引きずり込む

「その後の・・・」あるいは、集団の中の一人を主役にしたり

いわゆる完全なフィクションである

それ故に自由な発想と表現ができて面白い仕上がりになる

但し、当然愚作も出てくる、見終わって「面白かったなあ」と思えば

それは良い映画なのだ、そういう意味では良い映画をBSは選択しているとも言える。

 


実験 ヤブ蚊が満腹して飛び去るまで我慢してみた

2015年09月21日 17時43分28秒 | どうでもいいこと

8月29日.30日に「蚊に刺された話」と「刺されても痒くない方法」を書きました

ただ、29日の話は、本当に刺したのは蚊なのかどうかは、はっきりしていませんし

30日の話は、通説ですが実証したことはありません

ところが今日の夕方、外で愛犬の世話をしていたら、蚊に刺されたのです

違和感があって腕を見たら、ヤブ蚊が停まっている

すぐに叩こうと思ったが、この話を思い出してSTOP

じっくりと見る事に決めました

約1分間じっとしています 刺されている間は少しも痒くない

心配なのはこうしている間に、別の蚊に刺されることです

小さな蚊のお腹がみるみる膨れていきます

もう一生懸命で私が見ていることなんか全く眼中にありません

そして、パッとヘリコプターかオスプレイみたいに垂直にやや後方に飛んだ

それから方向転換してどこかに行きました

今度は別の蚊がうろついています

別の蚊に刺されてしまえば、どの蚊の痒みかわからなくなるので

急いで家の中に退散

 

まったく痒くないわけではありません

少し痒いです

写真は20分後の様子

膨らんで這いますが、いつものような強い痒みはありません

多分、麻酔薬の回収はしたのだろうが、少しは残ったのかもしれません

その分だけ痒みが

今は刺されて45分ですが、もう痒みはほとんど無いです

薬も塗っていません

蚊は血を満腹まで飲み干すと、痒みのもと(アレルギー成分)を回収する

だから、蚊の邪魔をしないで飲み干させれば、痒くならない」は

この実験では、75%程度の精度で実証されたと思います。

 


旅行スタイル

2015年09月21日 10時01分17秒 | 地理

旅行 理屈なしに楽しめば良い

それでも理屈を書いてみよう

中国人の「爆買い旅行」 を見ていると、かっての「NOKYO」旅行を思い出す

バブル、高度成長のシンボル、世界に名高い「の-きょ」団体海外旅行ツアー

風刺画には出っ歯、めがね、首からカメラのジャパニーズスタイル

大いに世界にあぶく銭をばらまいてきた慈善団体

今は後退する日本経済の救世主「中華ばくがい」ツアー

 

それにしても、日本、中国、台湾などアジア系は団体旅行が多い

全くないわけではないが、白人の団体ツアーっていうのはあまり見たことが無い

小人数のプライベート旅行が国民性なのだろうか

日本に来る白人旅行者が少ないせいなのか?

ヨーロッパ辺りだと白人が団体で観光バスから降りてくるのだろうか?

先日、ちょっとだけ知り合ったフランス人の女の子は、一人で京都へ遊びに行くって

言ってた。 日本語は旨かったけど

欧米人の旅行スタイルはゆとりがあって洗練されている

 

アジア人の団体旅行にも傾向はある

中国人などは家族や夫婦で来るのが多い、だが日本人は男だけの団体が多い

異常に多い、これが国民性なのか

日本人は韓国ほどではないにしろ、昔から男尊女卑の国だった

「女房なんかと旅行に行けるか! 旅行は男同士に限る」などとおおみえきって

温泉旅館で芸者あげてどんちゃん騒ぎ

今や、熟年離婚で仇をとられている

それに比べれば現代の30~50代夫婦はファミリー家族だ

どこへ行くのも家族みんな一緒、これこそ家族の姿だ

封建的な旅行スタイルはわれわれの年代でおしまいだな

今は同年代の男女混成「同級生旅行」や「同好会」旅行がいいね!

 

 

 

 


シルバードライバー見参!危機一髪!

2015年09月20日 18時38分24秒 | yottin日記

昨日は高齢者ドライバーの危険運転2件目撃

例の黄色と緑(茶色?)のマークをつけて

朝一に国道の交差点、赤信号で私は右折車線で停車

数秒後に後方から来たマーク車がなんのためらいも無く

赤信号の交差点を60kmほどで直進していった

私は呆然? 口あんぐり

国道と国道が交差する主要幹線道路

いつもよりずっと車が少ない土曜の朝で良かった

 

昼過ぎには、例の交通事故の多い交差点で

私は海方向に直進していたのだけど

反対方向の車が、私の車線に入り込んできた

まだ10m以上あったので私は止まって待った

前を見ると、右の方で車が一台もがいている

マークの車(高齢者)だ

どうやら左側に駐車しようとしているらしい

だが、そこは交差点の横断歩道から1m

駐車すれば後続車は反対車線に乗り出すしか無い

マーク車は少しでも左に寄ろうとしているが

そこは歩道で道路より25cm位高い

そこに半分乗り上げて、まっすぐにしようとしているのだが

後輪がひっかかって、うまくいかず

後続車が追い越そうとすると、前に出たりして

大迷惑! あきらめて直進していけば良いのに

どうしても、そこに駐車したいらしい

そんな内に、後続車が3台ほどたまり、交差点内で立ち往生

こっちの車線にも対向車が頭を突っ込むし

私も右折したいので右折車線に入れないで困っている

私の後も2台ほどたまっている

これも土曜故まだ助かっているのです

平日なら大パニック、事故もおこるかも

 

うちの父も80歳まで運転していた

それで何度か返すように勧めたが、うんと言わなかった

タクシーは行動が自由にならない

田舎は車が無ければ、どこにも行けない

歳をとればなおのこと

だから高齢者に車に乗るなとは言えない

でも、こんな危険を見ると、首がかしがる

人のことは言えない、私も後期高齢者の仲間に入ったのだから

どんどん増える、高齢者 どんどん増える高齢者ドライバー

どうなるんだ日本?


国営越後丘陵公園で夢を見ていました

2015年09月17日 21時47分56秒 | ライフスタイル

夏休みも終わり、お客さんもこの広い中ではまばらです

入園するとコスモス広場へ直行

まだ早いですけど、一部咲いています 色とりどりに

コスモスは葉の部分でしょうか?緑の茎葉が好きです

金魚草みたいで、すずしげです

コスモスというと信州の田舎の風景を連想します

可憐です 好きです

 

 

広場を抜けて、436段の石段をまっすぐ一息、休まずに登り切った

まだまだ元気です 体力を確認しました 安心です

小学生の遠足が6人ほどこの高台にいます

僕はベンチに座って広いこの地を見ています

 

「カマキリ捕まえた!」 「わっ!凄い 大きい!」

捕まえたのは女の子です 驚いているのは男の子です

「集合だよ」別の子が言いました

みんな436段の石段を下りていきました

誰もいなくなって静かです  本当に静かです

秋の風が 暑くも無く 寒くもなく 涼やかに何度も何度も過ぎていく

ずっと考えていました 8000の兵で 15000の敵をどう迎え撃つか

ここはまるで本丸 本陣です

地形が一眺めです

どう考えても守るには不適切な地形です 敵の雑兵が上ってきました

もうダメ! 討ち死にゲームオーバー

 

ベンチに横になった 良い風です まだ吹いています

うとうとします 誰もいない平和な世界です

みんなこうして寝れば良いのです

日本人も 朝鮮人も 中国人も アメリカ人も イスラム人も

そうすれば世界は平和です

世界の首脳に提案します

軍艦より 風通しの良い丘陵にベンチをたくさん作ってください

寝るのにちょうど良い長さと柔らかさで

 

金儲けの亡者は、金儲け島に集まって戦えば良い

殺しあいが好きな連中は 殺しの島に集まって殺し合えば良い

僕らは丘の上のベンチで 秋の風を楽しみながらまどろむのです

 

 


弱い国が生き残るには犠牲がついてまわる(負けるが勝ち)もある

2015年09月17日 13時34分25秒 | 韓国.北朝鮮.台湾.中国

500年の昔、今の愛知県岡崎市に、徳川家康が生まれた松平家がありましたとさ

位で言えば、岡崎市長といったところ

その頃、愛知県半分と静岡県全部の知事をしていた大権力者が今川義元

松平の西には愛知県半分の郡知事織田信秀が睨んでいる

織田は数千、今川は万の兵を動員できる実力者、松平はせいぜい数百

どちらかにつかないと、すぐに滅ぼされてしまう危ない立ち位置

家康の父は今川に付き、戦の度に今川の先兵となって次々に戦死する

さらに今川を裏切らないように息子の家康は今川の人質になって静岡に置かれた

年月が経ち、父が死に、家康は今川義元のために織田と戦い続けた

織田家も織田信長に代替わりした

家康は今川の重臣の娘を娶り、男子も生まれた

ついに今川義元は数万の軍を率いて、京へ上ろうとした

最初に邪魔な織田を滅ぼす

だが織田信長は一か八かの奇襲で今川義元を殺した

形勢は逆転、今川は凡人の息子が後を継ぎ、気骨ある者は今川を見限った

家康も今川を見限り、故郷の岡崎に入城した

そして新進気鋭の織田信長に寝返って、今川の領地を侵略して領土を広げた

信長も岐阜県、滋賀県、三重県を侵略して今や有数の大名になった

 

山梨県、長野県をおさめる戦国一の戦上手の大名、武田信玄が攻めてきた

狙いは織田信長。 

徳川家康など小者は相手にしていない、家康の住む浜松城を素通り

武田が攻めてこないからと、知らぬ顔では後々、織田信長の怒りに触れるだろう

織田は強力な同盟国、その同盟国が攻められれば家康も織田を守るため

戦わなければならない、それが同盟国というものだ

そして出陣 さんざんに負けた 命からがら城に逃げ戻った

だが信長には義理を果たした

その後、まもなく織田と戦う前に武田信玄は病で陣中で死んだ

織田信長の強敵は無くなった

唯一の脅威、上杉謙信もまもなく死んだ

信長は家康を試した、家康の、妻と長男が今川のスパイらしいから「殺せ!」

家康に命令した 家康は信長の言うとおりに二人を殺した

苦渋の選択  国を滅ぼすのか、家族を殺すか・・しかもできの良い長男と落ち度のない糟糠の妻

家康は妻子より国の安全保障を選んだ

 

信長は8割方日本を手中にした

西は岡山県、鳥取県、北は富山県、東は群馬、長野まで領地に加えた

家康もかっての今川義元の大領地を得ていた

 

敵なしの信長が家来のクーデターで殺された

犯人は明智光秀

あっという間に光秀は、同じく信長の家来だった秀吉に殺された

秀吉は信長の主立った家老たちを殺すか部下にするかした

秀吉が天下を9割手に入れた

家康は信長の息子(凡人)に義理立てして、秀吉と戦った

秀吉と家康は、互いに力量を認め合って仲間になった

見かけ上、家康は秀吉の下手になった

 

自分の故郷、文化的な愛知県、静岡県を取り上げられて

かわりに関東一円の広大な荒野と未開地を与えられた

秀吉は家康が怖かった、だから未開の遠くの土地にやったのだった

それでも家康は耐えて臣従した

それから更に25年、家康は辛抱を続け

秀吉が死ぬと、3度にわたる全国的な大戦を行って

ついに日本の武家の王となった

徳川家は明治に至るまで260年武家の王座を守った