神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

東アジア・侵略国家続出の大陸

2015年09月16日 10時37分45秒 | 韓国.北朝鮮.台湾.中国

11世紀から20世紀の1000年間は漢民族も(韓/朝鮮)半島民族も

北方の匈奴(騎馬民族.遊牧民族)の侵略に次ぐ侵略に振り回された時代

11世紀から12世紀、日本では貴族藤原氏の栄華が武士の台頭で没落

平清盛を中心とした平氏が、天皇家にまで血脈を残そうとした、それは対抗する

源氏によって阻止されたが、武家の地位は上がり国政を支配するまでになった

同じ頃、大陸では旧高句麗の辺りに誕生した契丹人の国「遼」が勢力を拡大して

周辺国を次々に侵略した。

中国では10国時代がようやく終わり、統一国家「宋」が誕生した

半島では「高麗」が足固めをしていた

遼は、攻め足の速さと訓練された軍で、宋に攻め込んだ

兵数では圧倒する宋だったが、戦争では遼に歯が立たず押しまくられ国の北半分を譲り

屈辱的な不平等条約を結ばされ遼の風下に置かれた、以後「南宋」となる

遼は高麗にも攻め込み、略奪と侵略を続けた、高麗は外交努力で難局をどうにか乗り切った

 

遼の栄華は短かった、、遼に支配されていた女真族が蜂起して「金」を建国

「南宋」の誘いで遼を挟み撃ちで攻撃し、ついに遼を滅ぼした

ところが南宋の裏切りに激怒して、今度は南宋対金の戦争となり、またしても南宋は追い込まれた

金の攻勢も短かった、モンゴル平原に誕生した「蒙古」が力をつけたからだ、蒙古は遼や金を

遙かに凌駕する軍隊をもち、その作戦行動も統一された強力な者もので一気に金と南宋を滅ぼした。

漢民族は支配されて蒙古に組み込まれた、蒙古の「モンゴル帝国」はとどまるところを知らず西進を続け

イスラム圏に進行、現在のイラン、イラク、トルコ、シリアまで勝ち進み、いくつものイスラム王国を占領

更にモスクワ付近にまで到達して、まさに中央アジア帝国と呼べる自由化前のソ連に劣らぬ巨大国家を

築いた。

 

当然、その進行は半島の高麗にも至る、全く歯が立たぬ高麗は、今のソウルの西、江華島に逃げ込んで

籠城した。 騎馬民族のモンゴルは海に弱く攻め込むことが出来なかったが、王家と軍がいない半島は

蒙古の勝手に蹂躙され、町は焼かれ、多くの国民が殺されたり奴隷として拉致されて行った。

やがて力尽きた高麗は降参して蒙古の属国になった。

次に蒙古は海の向こうの日本を征服しようと企んだ、そして高麗に軍船建造の苦役を命令した

数千隻というその船に僅かな蒙古の指揮官と、多くの高麗兵、宋兵を乗せて九州に上陸した

1274年である、この時日本は鎌倉時代、執権北条氏が国政を担っていた

日本は戦争のやり方も武器も蒙古軍に劣った、しかし台風のような自然現象で蒙古軍はあっけなく海に

全軍が消えてしまった、これ以後、日本は神国で神風に守られるというジンクスが出来たとか出来ないとか?

「神風」の語源になったらしい

1281年にもまた攻め寄せたが、これまた神風で全滅、二度と日本を攻めることはなかった。

蒙古の周辺国で占領されなかったのは日本、ベトナム、インドくらいだったらしい。

巨大な蒙古も圧倒的な漢民族の数の中に埋もれる、もともと蒙古人は少なく、しかし領土は広大

アジアに広がった蒙古は、いくつかの王国に別れ、やがて現地に吸収されて消滅していった

中国では漢民族の志士や一揆が、貴族化した弱い蒙古を追い払った

高麗王朝は、王子が蒙古に人質として行って蒙古の姫を娶るという同化政策がなされていた

蒙古従属以来、高麗王は代々、蒙古風の名を与えられていた

しかし蒙古の力が弱ると、高麗は蒙古従属を続けるか否かで内紛が起きた

そして中国では南部の漢民族による統一国家「明」が洪武帝によって誕生する

蒙古従属の高麗王は蒙古と共に、明を征伐する軍を差し向けた

その遠征軍の一方の指揮官こそ朝鮮王国を興す、「李ソンゲ」将軍だった

 

日本では足利幕府の全盛期で、足利義満が金閣寺造営など行った時代

一方、九州沖に本拠を持つ、日、朝、中の多国籍海賊集団「倭寇」が明国沿岸

高麗、朝鮮各地を略奪して荒らし回り、明や高麗、朝鮮を震え上がらせた。

                                  続く

 

 

 

 

 

 


(朝鮮)(韓)半島の歴史をおさらい 知ればわかるかも 

2015年09月15日 18時12分23秒 | 韓国.北朝鮮.台湾.中国

帝国日本の力によって建国されたという満州国

その満州の地、2000年以上前にチュモンという王が高句麗を建国したといわれる

多分に神話的要素も多いが、とにかく高句麗は誕生した。

この位置を根拠に、今の中国では高句麗は半島人の国ではなく

中国の国だったと言うのだろう

半島の南は韓民族の国が有り、新羅があり、百済があった

半島の南東部は新羅が制圧して、百済や高句麗と三国時代に入る

この頃、倭国(日本)は百済と友好的で、百済の敵だった新羅や、高句麗と戦った

その時代は日本では神功皇后の頃から天智、天武天皇の頃

高句麗は国境を隋、唐の漢民族と接していたので常に中国と戦争状態であった

隋は高句麗征伐に入れ込みすぎて大被害を被り、2代で滅んだ

続く唐も高句麗に攻め込んだ、今の韓国ドラマでは逆に高句麗が攻め込んだというのもある

一方、新羅はそんな唐に接近して後援を取り付け、百済を攻め滅ぼした

しかし、この頃から半島人は漢民族の影響下に置かれるようになった

多くの上流百済人はその文化や技術、仏教と共に日本に亡命して帰化人となった

その後、新羅と唐は高句麗を挟み撃ちして、とうとう滅ぼしてしまった

高句麗人はちりじりとなったが、その一派が後に渤海国を築いたともいう

渤海は高句麗に加え、今の沿海州にまで及ぶ広大な国だった

 

新羅はついに半島を統一した、北の渤海、南の新羅で南北時代とも言う

渤海は半島人と無関係ともいう

大陸人の事は、なかなか日本人にはわからない

それから200~300年、西暦900年頃になると新羅は国家が怠慢になり

その間に北では後高句麗が、西には後百済が誕生した

どちらも乱世の英雄である、後三国時代

しかし後高句麗では横暴な指導者に対して内紛が起き、王建が新たな指導者になった

戦闘力が無くなり貴族化した新羅は、後百済に攻め込まれ、危機を感じて王建に従属した

後高句麗と後百済の2強対決が始まる

優勢だった後百済だったが、海戦で大勝利した後高句麗が優勢となる

すると後百済の中で王子が王と兄弟王子を襲うクーデターが起きた

その時、百済王はなんと敵の王建を頼って、後高句麗に逃げ込んだ

若い王建は、年長の百済王に親子の礼を尽くして接したという

この後、王建は後百済を滅ぼし、半島を統一、高麗を建国した

936年と言われる

ここまでが半島民族自立の時代、これから今に至るまで半島人苦難の歴史が始まる

 

日本では平安時代の真っ只中、藤原純友、平将門の乱が相次いで起こった頃だ

貴族文化優美な平和な時代だ、半島とも平和なつきあいが続いていた

中国では5代10国の小国乱立混乱の時代で、半島に関わるどころではなかった

北方の満州、旧渤海、内蒙古、さらに奥地では強力な騎馬民族が動き始めていた

 

                                                つづく

 

 

 

 


復讐ドラマは面白いが 

2015年09月13日 21時41分25秒 | 映画/ドラマ/アニメ

ちょっと沈んでるなあ

昨夜の飲み会も燃焼不良 相棒が来なくて

一次会で帰宅 21時・・・あああ

ビールだけで2時間半 大好きな日本酒も飲まず

韓ドラ見ながら寝てしまった

 

韓国どうでもよくなったが 韓ドラは相変わらず面白い

何が面白いって、恨みを晴らす「復讐ドラマ」がやたら多い

絶対ありえない複雑な人間関係の絡み合いが面白い

整形美女のオンパレードが面白い

 

日本の復讐劇の代表は「忠臣蔵」と「水戸黄門」

だけど韓ドラのようにドロドロねちゃねちゃしないのが日本的

忠臣蔵のテーマは復讐だが、たしかに浅野殿様は

「乱心ではござらぬ、遺恨でござる」と言い張るが

殿の敵を討つ赤穂浪士に恨みの念はない

あるのは主君への義理立て

あるいは亡き殿に、あの世から「よくやってくれたなあ」と褒めてもらいたいという気持ち

親と子の情念だ

復讐ドラマより人情ドラマの要素が強い

どこで感動するかと言えば「吉良の首を取ったシーンではない」

吉良の間者に悟られまいと、奥方を大石が欺いて叱責軽べつを受けながら

最後の別れをしたあと、奥方が大石らの本意に気づく場面

あるいは裁可の日まで、大名屋敷お預けとなった時、手厚く保護する大名の男気

また、討ち入りの時、高提灯を立てて庭を照らしてくれた隣家の殿様の心遣い

こうした「男心に男が惚れた」俗に言う浪花節、これが日本人好みなのだ

優しい心を投げ捨て夜叉となり、にくい敵をこれでもかと追い込んで

相手が瀕死になるまで復讐を続ける韓ドラとは少し焦点が異なる。

「水戸黄門」も復讐劇だ

悪代官とやくざモノが結託して、まじめに働く貧乏人や商人をひどい目に遭わせる

時には無念の死を遂げる者もある

途方に暮れたときに、水戸黄門一行が通りがかって悪人を懲らしめる

それだけで聴衆は胸がスカッとする

これが日本人の感覚だ

悪人も弱ったら許してやろうという仏教的な思想なのか

日本人の不思議さだ

 

 

 


カメムシ参上!

2015年09月12日 13時47分43秒 | 花鳥と昆虫・爬虫類・魚

さあ秋本番、秋と言えばこれ

嫌われ者の代表「カメムシ」本年初見参

だが若いからなのか、妙に緑が綺麗で惚れ惚れします

いつもの茶色だか黒だかのカメムシはゴキブリと双璧の嫌われ者

3年くらい前の大発生から、しばらく静かでしたが

猛暑の夏だった今年は、どうなんでしょうか

そういえばエチゼンクラゲもどこに行ったんでしょうかね?

 

図鑑で調べたら、ものすごくカメムシって種類が多いんですね

アメフトみたいな、いかり肩状のツノ、緑色なので

ツノアオカメムシの可能性が高いと思いますが

もっと接写すれば良かったなあ


また水害! 栃木県やばい

2015年09月11日 16時41分33秒 | 自然災害

茨城県、栃木県が河川氾濫で大被害を被っている

いずれも今年行こうと考えていた我が家のルーツ

大量の雨が降ったことで鬼怒川が大増水して

その逃げ道である利根川に続くのだが

利根川も水量多くて、鬼怒川は出口を塞がれた

逃げ道の無い流れが、堰を破ったと言うことなのだろう

 

父の故郷の茨城県古河市には渡良瀬川が流れている

雀神社付近では、ひじょうに高い堤になっているが

その向こうは広大な遊水池に続いている

渡良瀬川も埼玉に入って利根川に合流する

昔は渡良瀬川も利根川の水流に遮られて随分と氾濫したという

それを解決するために遊水地を今から100年くらい前につくったのだ

 

日本海側の河川は2000~3000m級の山が近いので

滝のように海に流れ込む、流れは素早く海に到達する

一方利根川は広々とした関東平野(今は関東住宅地)をゆったりと流れる

それ故に大雨になれば川は増水して支流の侵入を許さない

 

東京も新潟も川の方が市街地より高いという場所がある

当然都会の川の土手は頑強につくられ、分水など様々な方法で町を

防衛している、しかし近年の自然災害は、「統計を取り出してから一番」とか

「100年に一度、50年間で一番」、などの数値がどんどん出てくる

異常気象が日常的になってきた、どこにどんな災害がおこるか予測がつかない

 

自衛隊、消防、警察のご苦労はたいへんなものだ、頼もしい

 

 

 


今年3回目のゴルフ

2015年09月10日 07時38分19秒 | スポーツ全般

台風が日本海と太平洋にあってサンドイッチの日本列島

そんなわけで今日のゴルフはどうかなって思ったんですが

なんせ100数十人のコンペで仲間もある事だし

急に「風邪ひいたので」ット言うわけにもいかず

雨の中、ゴルフ場まで40分 クラウンに乗せてもらって行きました

 

ゴルフ歴25年目です 未だ100を切れません

というか、この2年は130AV(ビデオではありません アベレージのつもり)

もうやめようと思う度に友達がホールインワンとかやって

記念コンペにでないのかって脅すので いつまでもやめられない

 

今日のコンディションは、当然最悪で、雨バシャバシャ

雨具をつけてのゴルフは誰だって嫌ですよね

だけど今日のチームは一輪の花があったので

我慢できました

それでいつもの調子で15番まで行ったのですが

16番から急にドライバーとウッドが当たり出して

5番Wで200ヤード行くようになって 突然だったので

180のピンを遙かに超えてOB

だけど最後の3ホールは良く飛んで

面白かった

結果は57-51久々の100点台

ぴったり100位で賞品は、これまたぴったりの地元の銘酒

これはいいわ 最高!!!

 

 


多重人格

2015年09月09日 18時48分11秒 | うつ病.障碍

ネットニュースを見たら、「多重人格者」がおこした犯罪について出ていた

正確に言えば、多重人格を持つ人の中に住む一人がおこした犯罪

なかなか面倒でわかりづらい表現になる

もう30年くらい前だかに、三田佳子さんが主演のドラマで始めて知った

多重人格者

それから興味をもって、外国での実例の本を何冊か読んだ

三田さんのドラマは、あまり覚えていないが人格数はそんなに多くなかった

と思う、だが本で読んだものでは一人の体の中に数百人も人格が

あった例もあるらしい

私にも、パターンで言えば、10位の感情というか対人パターンはある

だけど、それは今日はテンション高いとか、落ち込んでるとか

強気、弱気など誰にでもある感情の浮き沈みだ

だが多重人格は、みんなそれぞれの固有の名を持ち、固有の性格を持つ

 

主格は生まれて以来の自分である、それがある日突然

別の固有の人格Bが自分に成り代わっている時間が発生する

その間、自分は失われる、Bが何をしているかなどはわからない

そのBがおとなしい性格であるなら問題は小さい(本人には大問題)

Bが攻撃的だったり、犯罪者的ならたいへんだ

逮捕されるのはBだが、留置所の中で自分が再び戻ったとき

どうして留置所に入っているのか、まったく理解できないだろう

これがもっと多くの個体の人格を持っている場合は複雑だ

出てくる時間の長さも、順序も、年齢も、性別もみんな違う

24時間を本来の「自分の体」をどの個体がどれだけ占有するかと

言うことになる、場合によっては本来の自分が消される恐れもある

それぞれの個体は、同時にに現れることは出来ないが

中には個体が、別の個体を認識している場合がある

そしてライバル視したり、敵対視したり、尊敬したり、助け合ったりする

こんなことがあるのだろうか

自分という体の中で

助け合うという現象は興味がある

助け合って共用する体を守るなんて・・・不思議だ

泣き虫のいじめられっ子である「本来の自分」を守る人格が

現れたり、いじめられっ子の自分に代わって攻撃的な人格が

現れる場合もあるという。

今回のニュース例は、「本来の自分」が失われているとき

現れた悪意の別の個体が犯罪を犯したのでは無いかという疑い

それで精神鑑定ということなのだろう

 

何ヶ月か前にも洋画であった

警官だったろうか、シャイで真面目な男の中に暴力的な別人格が現れ

恋人?の女性をからめての逃亡アクション

あれも多重ならぬ二重人格者のコメディだった

 

 

 


大丈夫 伝わってますよ

2015年09月08日 21時28分32秒 | yottin日記

「今どきの高校生は、どうして無反応なんだ

別の高校でもやるが、どうせあれと同じだ

あんなのが卒業して、あんたがたの会社に入ってくる

それを育てていくのは容易なこっちゃない

覚悟した方がいいですよ」

先日、高校で生徒に講演を行った素人の講師が

別の会場で小会社、零細会社の社長たちに、そう言った

「そうだ そうだ」の賛同者ばかり

だけど、その場にいた、講演も聴いていた

若手の弁護士が、立ち上がって言った

「ぼくも職業柄、講演はしますからわかります

だけど彼らは黙っていても大事な所は、ちゃんと伝わっていますよ」

 

そうだな、オレだってそうだ

「わかっってる人、手を上げてみて」

わかっていても手を上げずに周囲の反応を見る

シャイな田舎の人間に、黒白の発言を求めるのは困難だ

だけど肝心な部分はやっぱり吸収している

やっぱり弁護士は視点が違う

そうだ そのとおりだよな

講師さん、腐ることはなかったんだよ

ちゃんと伝わっているんだ

 

 


人間、動いてなんぼ!

2015年09月04日 07時16分22秒 | ライフスタイル

今、新たに2つの仕事と、3つのプライベートを始めた

毎日、タイムスケジュールを白板に書いておく

そうしないと私も周囲の人間も予定がわからなくなるからだ

今まで一日の半分はパソコンを使った仕事だったが

今は一日30分程度になった

そのびん、あれこれ動き回ったり、現場仕事をしたり

とにかく忙しい それでもこの忙しい中にプライベートの遊びも入れて

まさに「忙中ひまあり」の実写版といったところ

動くようになったせいか、一週間で体重が1kg減った

ちょっとしたミニ運動もするようになって

少し健康的な生活になりつつある

「やる気になった」ためだろうか、今までは2日に1回くらいしか

携帯に電話がかかってこなかったのに

9月に入ってから急に増えだして1日に5~10本かかってくる

動けば何かしらの現象が現れる それを今は実感している


大災害被災都市 東京

2015年09月03日 07時49分18秒 | 自然災害

9月1日は関東大震災92周年

東京は大正12年の関東大震災

昭和20年3月10日の東京大空襲

二度の天災、人災に襲われて、いずれも10万人以上の

犠牲者を出している

私の戸籍上の祖父は、この2度の災害を両方とも経験した

そして二度目の災害で実祖母と共に亡くなった

地震の時は日本橋兜町に住んでいて被災

戦災の時は城東区亀戸で米軍の焼夷弾で犠牲になった

 

関東大震災で犠牲者の大多数(4~5万人)が集中した

本所被服廠跡地、ここに今は慰霊堂がある

両方の災害の爪痕が写真、絵画、遺品で展示されてある

二階には押しつぶされるような迫力の絵が展示されている

戦災から70年、大震災から92年記憶は風化され

戦争があったことさえ知らない若者が増えてきている

東京では両国第一ホテルに泊まる

横断歩道を渡れば慰霊堂という近さが便利だからだ

今年も春先にお参りしてきた、改修工事の最中だったが

中に入ることが出来てよかった

 

東京は日本唯一の1000万都市だ

あれから70年幸いに災害は起こっていないが

地震が懸念されている

東京大空襲では十数万人が爆焼死して

100万人以上の都民が家を失った

当時は今の三分の一程度(疎開者や軍役者などを差し引いて)

くらいの人口だったろう

今、同じような災害を受けたらいったいどれだけの人が避難民に

なるのだろうか

誰が、どこがその人々を受け入れることが出来るのだろうか

仮設住宅だけでも数十万戸、100万戸も造らないと追いつかない

予算的にも早急に出来るわけがない

現代人は、終戦後のバラック住まいのような生活などできまい

出来ることは災害が起きないことを祈る、建物の崩壊や火災が

無いことを祈る、天に祈ることだけである。

 

戦争で破壊された国 その傷跡から容易に立ち直れない国が多い中

日本はたくましい人間の強さで、戦後10年あまりで経済の礎を築き

30年後には世界有数の経済大国になった

これからの我が国に、それだけのパワーはあるだろうか?

貧しい生活に耐えながらも発展していく根性はあるだろうか