ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。
H.オーグラー著『アドラー心理学入門』シリーズの第20回目。
今回は、「人生問題の誤った解決」として神経症をテーマにします。
H.オーグラーはこの項の最初に、アドラーの神経症に関するスタンスについて言及しています。
アドラーは、神経症の本質と起源に関する知識は、医者だけに限定せず、できるだけ広く拡大されるべきだと考えていました。
そうしていると、教育者が神経症の最初の兆候に気づいて、重篤な障害を防ぐための予防策を取る適切な時機を知ることができるからです。
著者は、母に死なれた38歳の女性の神経症のケースを取り上げます。
彼女は、母を失ってから胃の具合が悪いと訴え始め、医師の食事と薬による治療を受けますが、病状はよくなってもつかの間。つねに病気が再発します。
彼女は、アドラーのところに相談に行きました。アドラーは、彼女に次のことを説明しました。
・彼女は、極端に甘やかされた人であること
・自分を最大限に甘やかしてくれた人の喪失に耐えられないでいること
・彼女は、(誰かに)甘やかされ続けることを望んでいること
・彼女の病気は、夫がもっともっと自分を甘やかしてくれることを目指していること
彼女は、アドラーのこの解釈をもとに自覚したとき、彼女の胃の病気は消え失せ、食事や薬に悩むことはなくなり、健康を取り戻しました。
アドラーによれば、
神経症は、脅かされた威信を保護するために、あるショック体験を利用すること
です(『人生の意味』、邦訳は『生きる意味を求めて』アルテ)。
アドラーは、「神経症は何を目指しているか?」の問いに対して
ある人が神経症になると、その人は、解決する自信のない問題を「私は神経症ですから」ということで、未解決のままにしておくことができるのだ
と答えます(『神経症の諸問題』、邦訳は『人はなぜ神経症になるのか』春秋社)。
著者はさらに、神経症者が「はいーしかし(yes-but)」の「煮え切らない態度」を示すこと、さらには「神経症者は、魔女の輪の中にあって独力では出口を見つけられないでいる」という、アドラーの比喩(意見)も示しています。
ところで、著者は、ウィーンでアドラーが行った神経症に関する講演会の内容で面白いことを書いています。
・思考型の人びとは、(そうでない人よりも)強迫神経症になりやすい。
・感情型は、不安神経症になりがち
これからがアドラー心理学らしいところです。解説だけで終わらず、必ず打開策を提示しています。
この項の最後を飾る文章なので、そのまま引用します。
アドラーは、神経症者を、暗い部屋の中に捕らわれていて、出口を見つけることができない人びとになぞらえている。
個人心理学は、その部屋を光で照らして出口が見えるようにし、彼らが現実の世界、すなわち、挫折もある世界、他の人びとが平等の価値と生きる権利を持つ世界、取ると共に与えることもしなければ生きてゆけない世界、他の人びとと共に働き、共に悩み、また共に愛し合う世界へ歩み入るように勇気づけるのである。
簡潔に補足すると、やはり共同体感覚に向けての勇気づけが打開策なのです。
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