アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリング、コンサルティングを行っています。
アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

通勤途上、中野区の龍興禅寺の前を通りかかったら、枝垂(しだれ)桜が7部咲きでした。

さて、特にこれから本を出したいと思っている人に「あなたも本を出せるのですよ。だって、この私でも本を出しているのですから」という立場から

1.私自身が本を出すようになった経緯

2.本を出すためのとっておきの出版社情報

3.著者としてそこそこの文章が書ける秘訣

の3点についてお伝えするシリーズの第2回目です。

本来ならば、2回で終わるよう記事を書いていたら、分量がオーバーしてしまいましたので、今回を第2回目、明日の朝に第3回目をアップします。


第1回目では、「私自身が本を出すようになった経緯」に関して経営関係に重点が置かれていたような印象を与えましたが、決してそうではありません。

心理・教育のジャンルに関しても論文(エッセイ)、分担執筆があることもお伝えしておかなければなりません。

この分野では、一番古くは、社団法人 日本産業カウンセラー協会が1987年7月に発行した会報「産業カウンセリング」No.63に『やぶにらみカウンセリング論―現代アドラー心理学の立場から』というタイトルで、「こんなカウンセラーは店じまいせよ!」という1項を含んだ過激な論文を書いています。

1993年ー94年にかけては、宗教法人 解脱会発行の季刊誌“Sun-Sun”に「岩井俊憲のにこニコナイス講座」を8回連載しました。人間関係をテーマにしています。

以下は、論文のいくつか

(1)明治図書から・・・・1997年11月『生活科授業を楽しく』に「アドラー心理学の“勇気づけ”と“ほめる”・“叱る”の問題」

(2)学事出版から・・・・1997年1月号 月刊『高校教育』に「『勇気づけ』の教育」

雑誌への掲載論文がさらには連載、分担執筆、単独執筆に発展しています。

明治図書の雑誌へ論文が高橋史朗氏(明星大学教授)編著の『癒しの教育相談理論』(1997年8月発刊、高橋氏のほかに木村駿氏、相馬誠一氏と分担執筆)執筆のご縁につながりました。

この本は、明星大学心理教育学部の教科書にもなりました。

学事出版の月刊『高校教育』の論文は、これがご縁で同じ月刊『高校教育』に1997年4月号から1999年3月号まで2年間(24回)「人を動かす心理学」というタイトルの連載になり、やがて1999年6月『子ども・生徒・学生をうま~く動かす心理学』という本として単行本になりました。


分担執筆の機会は、諸富祥彦先生(明治大学教授、ヒューマン・ギルド会員)から8冊ほどいただいております。
そのうちの5冊ほどを発刊年月不同で紹介しておきます。

学級再生のコツ―カウンセリング・テクニックで上手な学級づくり
諸富 祥彦
学習研究社

このアイテムの詳細を見る

「宮台真司」をぶっとばせ!―“終わらない日常”批判
諸富 祥彦,トランスパーソナルな仲間たち
コスモスライブラリー

このアイテムの詳細を見る

カウンセリングプロセスハンドブック

金子書房

このアイテムの詳細を見る

子どものやる気を引き出すできる教師の言葉の魔法 (心を動かす言葉の法則)

教育開発研究所

このアイテムの詳細を見る

教師のやる気を引き出すできる校長・教頭の言葉の魔法 (心を動かす言葉の法則 (No.1))
諸富 祥彦
教育開発研究所

このアイテムの詳細を見る


そして、決定版が金子書房から2002年9月に出版され、累計販売部数10,000部を超えた『勇気づけの心理学』です。

勇気づけの心理学
岩井 俊憲
金子書房

このアイテムの詳細を見る

この本もヒューマン・ギルドの長い間の会員の渡邊一久さん(金子書房 金子心理研究所 副所長)のお力添えの賜です。

こう書いてみると、私がいかに人に恵まれているか、改めて感謝の念を持って回顧できます。



コメント ( 2 ) | Trackback ( )




おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

ヒューマン・ギルドの会員の方には、実際に著書を出している人、出版社にいて編集の仕事をしている人、著作のプロデュースをしている人など、そして、これから本を出したい人など多彩な人材がいます。

そこで、このブログでは、特にこれから本を出したいと思っている人に

「あなたも本を出せるのですよ。だって、この私でも本を出しているのですから」

という立場から

1.私自身が本を出すようになった経緯

2.本を出すためのとっておきの出版社情報

3.著者としてそこそこの文章が書ける秘訣

の3点を、2回に分けてお伝えします。


1.私自身が本を出すようになった経緯

私は、細かく数えていませんが、今までに単独著書、翻訳、監訳、共著、分担執筆を含めると30冊近くの著書(論文を除く)を出しています。

本を出すことは、学びのアウトプットだけでなく、学びのインプットを効率的にしてくれます。

それはさておき、本を出すことでやはり自分の足跡が残ることで、自己肯定感が高まります。他者(読者)の役にも立ちます。そして、何よりも自己PRに役立ちます。

私が本を書くきっかけになったのは、雑誌に投稿した1つの論文からでした。

1988年に同友館から発行していた『企業診断』(1月号)の「組織における人間革新 ― 現代アドラー心理学の立場から」です。

これは社団法人 中小企業診断協会主催の大会で発表し、社団法人 中小企業診断協会会長賞を受賞した論文がベースになっています。


この論文が同友館の千田編集長に認められて、同じ『企業診断』4月号に「企業イノベーターをいかに育成するか」を書きました。


同じ1988年には、研修の講師としてお世話になっていたIEC(当時産業教育センター)から『提案型営業』の基本コース、中堅実践コース&マネジャー実践コースの3つの通信教育テキストの分担執筆をしています。

1991年後半から、1人のライターがヒューマン・ギルドの講座を受けにきました。

石原加受子さんというライター(現在まで著書豊富)で、ベーシック・コースからSMILE、カウンセラー養成講座を受けてくれました。

彼女は、私の講義内容を面白がり、

「岩井さん、青春出版社から本を出しましょうよ。私が紹介します」

と言ってくれて、話を同社の長沢副編集長に繋いでくれました。

青春出版社は、どういうご縁か忘れましたが、“Big Tomorrow”という雑誌から私が1980年代後半に誕生順位に関する取材を受けていて、その内容が掲載されていたためトントンと話が進んで、1992年9月同社から『人を動かす人に29の切り札』が出ました。

今ではとても考えられないことですが、いきなり30,000部発行。自分でもビックリでした。

私は、どうせ出すなら同じタイミングでもう1冊出そう、との野心を持ち、同じ時期にヒューマン・ギルドのニュースレターやさまざまな依頼原稿を集めて、ヒューマン・ギルド出版部発行として『勇気づけで生きる』を出しました。

発起人に10人くらい(一部上場会社社長、専門学校理事長も含む)協力していただき出版記念パーティーも行ったため、会場には100人ほどの人が集まりました。

これが1つの山場でした。

1996年には、サングラハ心理教育研究所主催の、奈良興福寺で行われたワークショップでPHP研究所の若林邦秀さん(『心の雨の日の過ごし方』の編集者)とのご縁ができ、若林さんのご依頼で当時ヒューマン・ギルドのスタッフだった坂本州子さんと共著でPHP研究所から『ぼく、お母さんの子どもでよかった』(1997年1月発刊)を出しました。

この本は、ロング・セラーになり、累計29,900部売れました。



1997年7月には、同じPHP研究所から『人はだれに心をひらくのか』を出しました。

この本は、現在の『アドラー心理学によるカウンセリング・マインドの育て方』(コスモス・ライブラリー)のオリジナル版です。

アドラー心理学によるカウンセリング・マインドの育て方―人はだれに心をひらくのか
岩井 俊憲
コスモスライブラリー

このアイテムの詳細を見る

かなり長くなってしまいましたので、この辺で私の体験をまとめます。

(1)私が著者になれた出発点は、論文や通信教育のテキストなどを地道に書いていたからです。

(2)人のご縁の大切さを感じます。石原加受子さんや若林邦秀さんなどとのご縁があってこそ私が著書を残せるようになっているのです。

(3)1つの論文が次の論文を、論文の集まりが著書に、著書の執筆が次の執筆に、と発展させることができているように、スモル・ステップを築きながら階上に昇ることが可能になるのです。

<お目休めコーナー> 通勤途上で(桜ではないのですが、何かは不明)

 



コメント ( 4 ) | Trackback ( )