おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(10月18日)の午前中は『看護師のためのアドラー心理学』(長谷 静香さんとの共著、日本医療企画、1,500円+税)の拡販策の検討のために長谷 静香さん と日本医療企画様をお訪ねしました。
(長谷さんの写真を借用)
私たちとやり取りしてくださったのは、下の写真左から
医療・栄養事業対策販売推進部 部長代理 高久 大様
医療・栄養事業対策販売推進部 部長 松村 和晃様
教育・出版事業本部 担当課長 江島 久様
でした。
さまざまな方法をお考えいただいていて心強く思うと共に著者としてももっと力を入れなければ、と思いました。
本を読まれた方は、フェイスブックなどでのご紹介やAmazonへのレビューも含めてよろしくお願いしますね。
さて、ヒューマン・ギルドの過去のメルマガに書いた原稿をブログに転載する第16回目です。
今回が最終回になります。
アドラー心理学で発想したら(16):認知論(4)― 自分自身を省みる目としての共感
前回は、私的論理を超えて共通感覚に至る手立てで重要なのは「共感」であることと、それに続いて共感の3つの訓練法について述べました。
今回は、「共感」についての最近の私の見解について書きます。
アドラーは共感について「他者の目で見、他者の耳で聞き、他者の心で感じること」と言っています。
しかし、これに対して私は、共感の際に他者を全面的に対象にしていいかどうか疑問に思うことがあります。
アドラー心理学ベーシック・コースでは、共感と同情の違いについて時間を割いていますが、他者に対する関心が100%だと、つい同情モードに入ってしまう懸念もありますし、さらには、共感過剰のため詮索気味になる危険性もあります。
そうならないためには、自分を制するためにある程度自分の感情や態度を見つめる目も必要ではないでしょうか?
もう1つあります。それは、自分と他者とのやり取りを俯瞰する、前回の言葉を用いれば「メタ認知」の目です。
私は、共感を語る際に、最近では仏像のたとえを用いています。
(私が一番好きな仏像:薬師寺金堂 薬師如来像)
仏像をよく見ると、仏の目は半眼です。
半分開いた眼は、慈悲を込めて衆生を見る目です。
半分閉じた目は、自分自身を省みる目です。
それだけではありません。
仏の頭は頂上部分が盛り上がっています。
それは、宇宙(仏の世界)につながった部分です。
そこで、相手も見る目6:自分を見る目2:俯瞰する目2の割合で共感するくらいが、適度な共感ではないか。
こんなふうに思う最近の私です。
◆「アドラー心理学で発想したら」シリーズのすべて(1回から15回)は、次のとおりです。
1回目 5月12日 自己決定性(1)
2回目 5月15日 自己決定性(2)
3回目 5月19日 自己決定性(3)
4回目 5月28日 自己決定性(4)
5回目 6月1日 自己決定性(5)
6回目 6月8日 自己決定性(6)
7回目 6月14日 目的論(1)
8回目 7月1日 目的論(2)
9回目 7月7日 目的論(3)
10回目 7月11日 目的論(4)
11回目 8月1日 目的論(5)
12回目 8月28日 全体論
13回目9月7日 認知論(1)
14回目 9月23日 認知論(2)
15回目 10月13日 認知論(3)
<お目休めコーナー>10月の花(16)
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