おはようございます。
アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
オコーおばちゃんが亡くなって思い出した、彼女の恐怖の教えのもう1つのことに触れておきます。
これは、癒しまでに40年もかかることなく数年で終わった話ですが、15年ほど前に前世療法を受けたときの「あなたは、肝心な時になると逃げる」という決めつけに関連する思い出です。
そこに、オコーおばちゃんから脅されていた、幼き頃の私の山伏の法螺貝恐怖の物語があります。
◆2011年10月2日付けブログ 続・カウンセリング/セラピーでの決めつけの弊害 に書いてあることです。
11月6日・7日に宇都宮で研修があったことと結びつけ、次兄の家に泊まりました。
その際、私が5,6歳のころ法螺貝を極度に恐れた理由として、△△さんから受けた前世療法で、私の前世が坊さんでありながら、修験道の教団から脱走し、法螺貝を吹く仲間から発見されるのを恐れて身を隠す自分のイメージとつなげられたことを兄に話しました。
すると兄は、「何言ってるんだ俊憲、お前がなかなか寝ないでいると、オコーおばちゃん(当時のお手伝いさん)が『寝ないと法螺貝を吹くお坊さんに連れて行かれちゃうよ』と、さんざん脅かされていたんだぞ。覚えているか」といわれてハッとしました。
私の法螺貝恐怖は、前世とはまったく関係がなく、お手伝いさんの脅しによって条件づけられたもので、物語は催眠誘導によって創作したイメージで、それをセラピストから決めつけられたことでしかなかったのです。
このことを知って私は自分自身を解放できました。
小学2年生のころ、修験道の僧侶が吹く法螺貝を聞きながら「数年前、法螺貝を恐れている自分がいたな。もう怖くはないんだ」と思った早期回想も出てきました。
アドラーによれば、「人は記憶を作る」のです。
何も自分を窮屈にする記憶をわざわざ作り出す必要はないのです。
生きる上でより建設的な記憶に基づく物語を抱きながら生活すればいいのです。
私はこの理論と、それに基づく生き方を選びたいと強く思いました。
脅しの物語から離れると、ここで私は、前世の有無について議論するつもりはありません。
ただ、「前世」を称するものについては、アドラー心理学で扱う早期回想と同じように、その人の語る物語として、ライフスタイルを解釈するための価値はあるかもしれません。
話を戻すと、子どもにある行動に向けさせたり、特定の行動をやめさせるために恐怖を使うことは、私自身の体験からしても有害であるのは間違いありません。
さて、ここからはオコーおばちゃんの別の思い出です。
この上の文章は、昨晩書いていたものです。
ここからは今朝追加したものです。
今朝、布団の中でふと思い出した感覚があります。
オコーおばちゃんの背中の大きさと温かさでした。
まるで私が幼子のように、リアル感を伴って蘇ってきたのです。
病弱だった母親の皮膚感覚はありませんが、私が幼いころのオコーおばちゃんにおんぶをされていたことを思い出したのです。
オコーおばちゃんのことを思い出すと、恐怖の思い出はたった2つだけで、それ以外は無限の愛情の物語が蘇ってきます。
隣家のオコーおばちゃんの家でうどんを食べた3歳くらいの思い出も蘇ってきました。
昼寝もよくしていました。
独身だったオコーおばちゃんは、私を実の息子のようにかわいがってくれていたのです。
私の一番古い記憶は、オコーおばちゃんにだっこされていたときの思い出です。
オコーおばちゃんは、私の第2の母です。
オコーおばちゃんの背中は、私の安全基地でした。
無限の受容感を教えてくれました。
オコーおばちゃん、本当にありがとう。
今朝私のところにお別れに訪れてくれたことに心からの感謝を添えて、御霊安らかに旅立たれることをお祈り申し上げます。
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