おはようございます。
アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外部研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(3月16日)は、もともと私にとって特別な日であったのに、さらに特別な日になってしまいました。
特別な日であったというのは、3年前のこの日に私が子どもの頃から慕っていた5歳上の次兄がこの世を去った日だったからです。
義姉が夕方に私のスマホに「パパの呼吸が止まりそうなの」と電話してきた声が今でも忘れられません。
告別式や49日や3回忌は、研修の日と重なっていたためカミさんと共にタクロウや上の息子に出てもらいました。
私は昨夕、仏壇で南無阿弥陀仏を唱えました。
◆兄がこの世を去ったことについては、次のブログに書いています。
2017年3月21日付けブログ 神仏は無慈悲にも愛する人を奪ってしまうのか?(1)
2017年3月22日付けブログ 神仏は無慈悲にも愛する人を奪ってしまうのか?(2)
2017年3月22日付けブログの最後で「あなたの分まで生きていきます」と誓ったことは、今でもますます強い思いとなって、
2020年1月8日付けブログ 王 貞治さんに双子の姉がいた話から:【代受苦】に代わる【代授生】
に「(亡くなった)その人たちの無念さ、やるせなさを受け止め、彼らが生きて実現したかった様々なことを私が身代わりになって果たしたいと思う【代授生】の想いが私の日々の行動とミッションを支えている、と感じるこの頃です」と書きました。
「無念さ」については、正月の2日間ドラマ『教場』で強く印象に残った場面があります。
卒業まであと1週間というときに、木村拓哉演ずる風間教官から特別授業が開催されました。
訓練生のグループごとに山や海などへ行き、特別な課題を与えられ、それをこなさなければ卒業できません。
5人のグループは、現場を臨場するために山奥に連れて行かれます。
翌日、迎えにきた風間に生徒たちは答えを提示します。
被害者像、加害者像を述べた生徒たちに風間は「正解」と言うが合格ではないと言います。
退校届を突き出され、今日中に出せと命じられた5人は途方に暮れます。
その後のやり取りを大幅にカットして、次のシーンに入ります。
訓練生の一人のしのぶは、自分達は与えられた課題の答えとして「被害者はさぞ無念だったでしょう」と言うべきだったと風間に言いました。
「忘れるな。苦しんでいる人に耳を傾けること、それが警察の仕事だ」と言い、去り際に「全員合格」と告げました。
天寿を全うした人ならともかく、若くして亡くなった人には「無念さ」がつきものです。
亡き人に強い思いを抱く人は、その「無念さ」を自分の中に取り込み、ミッションとして自分の中で生かし続けなければならない、と私は思うのです。
補足的に特別な日になってしまったことに触れておきます。
今年の7月に4日間のワークショップをご担当いただくことになっていたジョセフ・ペルグリーノ博士の来日が新型コロナウイルスの国際的な影響で来日不可能になってしまいました。
詳しくは、3月19日(木)配信のメルマガでお伝えしますが、速報気味のお知らせでした。
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<お目休めコーナー>3月の花(17)