「魔王ダンテ」永井豪(1971)
「BASTARD!! 暗黒の破壊神」萩原一至(1988)
「地獄戦士魔王」苅部誠(1994)
「まおゆう魔王勇者」橙乃ままれ(2009)
「はたらく魔王さま!」和ヶ原聡司(2011)
とりあえず思いついたものだけ。最近だと『オーバーロード』とかを加えてもいいかな。
ダンテの頃はオカルトでシリアスだったけれど、バスタードの頃からRPGの要素が入ってコメディ的な要素が強くなっていくわけです。最近のは、RPG風小説のバリエーションが出尽くしての逆転現象のような気がするけれど、この源流は『ワードナの逆襲』から始まり、『AZITO』へと続くパソコンゲームの系譜かもしれません。
魔王小説とピカレスク小説とは少しニュアンスが異なるのだけれど、「魔王」に限らず、単に従来のカテゴリーでは悪役・敵役という役回りの存在が主役というと、『怪人フー・マンチュー』とか『ファントマ』みたいに悪くて怖いヤツが主役の話は当然として、歌舞伎『楼門五三桐』の石川五右衛門とかコミック『ルパンIII世』まで普通にあるし、なんだったら『泣いた赤鬼』を加えたって良い。
そもそも視点の違いで善悪がひっくり返るのは茶飯事。
これを初めて実感したのは、『宇宙大作戦(スタートレック)』の「未確認惑星の岩石人間」の回。「善と悪」の代理戦争ということで善のサイドに主役メンバーやエイブラハム・リンカーンが加わるのは当然として、悪のサイドにジンギスカンがいたことでした。ジンギスカンったら、「義経は大陸に渡ってジンギスカンになったのであります」……などとどこぞの校長先生の口の端に上るくらい、日本では小学校の図書館に普通に伝記が置かれていた偉人。それが悪人扱いなんだ。
1974年放映の『仮面ライダーX』でも、悪人軍団にジンギスカンコンドルとかサソリジェロニモとかクモナポレオンとか、悪人と言い切って良いのか疑問に思うラインナップです。
そりゃあ、攻め込まれたヨーロッパから見たら、チンギスハンは悪人だし、豊臣秀吉だってそうだよなあ。
「BASTARD!! 暗黒の破壊神」萩原一至(1988)
「地獄戦士魔王」苅部誠(1994)
「まおゆう魔王勇者」橙乃ままれ(2009)
「はたらく魔王さま!」和ヶ原聡司(2011)
とりあえず思いついたものだけ。最近だと『オーバーロード』とかを加えてもいいかな。
ダンテの頃はオカルトでシリアスだったけれど、バスタードの頃からRPGの要素が入ってコメディ的な要素が強くなっていくわけです。最近のは、RPG風小説のバリエーションが出尽くしての逆転現象のような気がするけれど、この源流は『ワードナの逆襲』から始まり、『AZITO』へと続くパソコンゲームの系譜かもしれません。
魔王小説とピカレスク小説とは少しニュアンスが異なるのだけれど、「魔王」に限らず、単に従来のカテゴリーでは悪役・敵役という役回りの存在が主役というと、『怪人フー・マンチュー』とか『ファントマ』みたいに悪くて怖いヤツが主役の話は当然として、歌舞伎『楼門五三桐』の石川五右衛門とかコミック『ルパンIII世』まで普通にあるし、なんだったら『泣いた赤鬼』を加えたって良い。
そもそも視点の違いで善悪がひっくり返るのは茶飯事。
これを初めて実感したのは、『宇宙大作戦(スタートレック)』の「未確認惑星の岩石人間」の回。「善と悪」の代理戦争ということで善のサイドに主役メンバーやエイブラハム・リンカーンが加わるのは当然として、悪のサイドにジンギスカンがいたことでした。ジンギスカンったら、「義経は大陸に渡ってジンギスカンになったのであります」……などとどこぞの校長先生の口の端に上るくらい、日本では小学校の図書館に普通に伝記が置かれていた偉人。それが悪人扱いなんだ。
1974年放映の『仮面ライダーX』でも、悪人軍団にジンギスカンコンドルとかサソリジェロニモとかクモナポレオンとか、悪人と言い切って良いのか疑問に思うラインナップです。
そりゃあ、攻め込まれたヨーロッパから見たら、チンギスハンは悪人だし、豊臣秀吉だってそうだよなあ。