異論のある人には申し訳ないけれど、この覚え書きでいうところの「ライトノベル」とは、
「中高生を主な購買層として刊行されている文庫サイズの書籍で、表紙や本文イラストにそのとき流行のマンガやアニメ的な絵が採用されている」とパッケージ論として定義しています。
ネット上ではそもそも論も過去の研究も無視したトンデモ科学のようなライトノベル論が散見されますが、少なくとも「ライトノベル」という言葉ができた時の
定義は、ソノラマ文庫やコバルト文庫のような表紙にマンガ絵やアニメ絵を使い、挿画もふんだんに盛り込んだ文庫本のパッケージスタイルのことを指していたそうですし、このあたりがもっとも合理的なんじゃないでしょうか?
中には、マンガ絵の表紙で太宰治とかニーチェを刊行してたりしますが、これも対象が中高生ならラノベ扱いですが、中身は太宰治やニーチェのままなのです。なにをもって「中高生向きの内容」とするかについては、これまた議論百出でしょうが、さすがにいくら「若き人々へ」といっても、これをライトノベルと言い張るのには無理がありますね。
『連帯惑星ピザンの危機』 高千穂遥
日本初のスペースオペラで、イラストは当時現役アニメーターだった安彦良和。ソノラマ文庫がライトノベル・レーベルだったかどうかについて異論が出ることもあろうけれど、この作品を否定したらこの世にライトノベルなど存在しません。
『星へ行く船』 新井素子
中高生向けの愛や性をテーマにした少女小説やノンフィクションが売りのレーベルだったコバルト文庫ですが、海外の翻訳作品と共にオリジナルの少女向けSF小説も刊行し始めます。
なので、レーベル単位で定義するとライトノベルになりませんが、宇宙に飛び出した少女が活躍するSF小説で、イラストを漫画家が担当する文庫という定義では立派なライトノベル。そういう意味でライトノベル作家の元祖の1人であり、高校2年生でデビューしたSF界のアイドルであり、作家本人がキャラクター化までされ、その影響は少なくありません。
『野獣の都』 マイクル・ムアコック
科学者の主人公が転送実験に失敗して太古の火星に飛ばされ、そこで意外な才能を発揮して大暴れでお姫様を救うという冒険小説。35年前のイギリス作家も書いていることはたいして変わりません。主人公が少年少女であると限定するとライトノベルから外れるけれど、中高生が手に取りやすい表紙と値段と内容です。
初期のハヤカワ文庫はモノクロ挿絵はもちろんカラー口絵まで、松本零士がかなりイラストを描いてました。他にハヤカワ文庫でイラストで参加していたのは、藤子不二雄、モンキーパンチ、萩尾望都、吾妻ひでお、横山えいじ、米田仁士、あすなひろし、おおやちき、柴田昌弘、紫堂恭子etc...。最近でもエナミカツミ、赤井孝美といった人を採用してますね。
『憑物語』 西尾惟信
特殊能力を持った高校生男子が主人公に、周囲には一癖も二癖もある美少女たちが集合している物語だけれど、これについてはハードカバーなので、ライトノベルじゃない。優劣ではなく、売り方のスタイルの問題なのだ。
『ふたりの距離の概算』 米澤穂信
とある高校を舞台にした日常系ミステリ。
アニメ化もされているけれど、これだけだとライトノベルじゃない。でも、カバーを裏返してリバーシブルにするとアニメ版のキャラが登場するのでライトノベル。
『彩雲国物語』 雪乃紗衣
彩雲国初の女性官吏となった少女の奮闘記。
コミックも担当している由羅カイリが表紙を描いている角川ビーンズ文庫版はライトノベル。シックなデザインの角川文庫版は一般文芸。
このパターンは最近だとやはり『今日からマ王』シリーズがビーンズ文庫から一般の文庫レーベルに移籍してます。面白ければ、装幀を変えるだけでどこでも通用するんよ。
『霊能者は女子高生!』 メグ・キャボット
もともとヤングアダルト系のソフトカバーで刊行されていた海外シリーズを、ヴィレッジブックスというロマンス小説が多いレーベルから再刊したもの。主人公が霊能力をもつ女子高生で、大昔の美青年幽霊とケンカしながら、悪霊や悪人をぶっ飛ばしていくハイスクール小説。
翻訳作品で、ライトノベル・レーベルでもないけれど、ライトノベル。
「ステップファザー・ステップ」 宮部みゆき
講談社ペーパーバックスのバージョンは、荒川弘のイラストなのでライトノベル。内容が中高生向きかどうかについては、内容そのままで小学校高学年向けの青い鳥文庫にもなっているので問題なし。表紙が一般文芸な講談社文庫版はライトノベルじゃありません。
宮部みゆきの作品あたりになりますと、講談社から出た単行本で読めばきちんと大人向けとして読めるのに、荒川弘がイラストだとライトノベルっぽく思えて、青い鳥文庫になると難しい漢字にふりがなをふるくらいのことで小学校高学年から中学生向けで通用してしまいます。
「ライトノベル」という箱書きは、書籍販売か電子書籍かと同じような、単なる販売形式の違いであって、中身まで限定するものではないというのが自分の解釈。
遺伝子でマッピングするでなし、ジャンルがクロスオーバーするのに不都合もないし、自分的にはいちばん整理しやすいので、何のために定義するのかを考えたら、これがいちばん無難だと思います。定義した上で、簡単に例外事項とかグレーゾーンが出てくるのは、分類として美しくないじゃないですか。
まあ、こういう定義の内容で論争するのも、博物学的で、端から見守るには愉しいものですけれど、少なくとも論とするなら簡単に定義から外れる例外が続出するような定義は問題外です。(2011/09/29 2013/04/10改稿)