一度は見ておくべきではないだろうか。
うーむ。良くここまで復元してくれたものだ。修復復元し国指定ともなった古墳もあるがここは違うぞ。この姿は殆ど築造当時に近いだろう。素晴らしいの一言だ。
主体部は二基あり最初に造られた主体部は大分県下最大級の石棺である。
第二の埋葬施設は当然に第一主体部の近親者である。「私が死んだら王の横に埋葬してくれ(下さい)」と言ったのだろうな。
画面右に別区画が設けられている。埴輪で囲まれている。これが造出しである。括れの部分から少し離されて造られているように見えるが基礎の部分にと同じレベルである。
造出しを持つ古墳はそれほど多くなく大分で言えば御塔山古墳(円墳だが)福岡は石人山古墳(前方後円墳) 宮崎は女狭穂塚、児屋根塚、大久保塚(前方後円墳 左右に設けられている)松本塚。熊本は江田船山古墳(前方後円墳)とこれくらいだな。だから造出しを持つ古墳のほうが希少で珍しい訳だな。
清々し
さがお判りになるだろうな。
向うに工場群が見えるが築造当時は後円部の直ぐ向うが海岸線であった。海上からはっきりと判るように白い石で表面を葺いていたのである。
大和連合の一員であるということが判るように威厳を示すとともにランドマークとしても役に立っていたのである。