画面右上には小亀塚がある。
あー 良い天気だ。
主体部は二基あり最初に造られた主体部は大分県下最大級の石棺である。
第二の埋葬施設は当然に第一主体部の近親者である。「私が死んだら王の横に埋葬してくれ(下さい)」と言ったのだろうな。
画面右に別区画が設けられている。埴輪で囲まれている。これが造出しである。括れの部分から少し離されて造られているように見えるが基礎の部分にと同じレベルである。
造出しを持つ古墳はそれほど多くなく大分で言えば御塔山古墳(円墳だが)福岡は石人山古墳(前方後円墳) 宮崎は女狭穂塚、児屋根塚、大久保塚(前方後円墳 左右に設けられている)松本塚。熊本は江田船山古墳(前方後円墳)とこれくらいだな。だから造出しを持つ古墳のほうが希少で珍しい訳だな。
清々し
さがお判りになるだろうな。
向うに工場群が見えるが築造当時は後円部の直ぐ向うが海岸線であった。海上からはっきりと判るように白い石で表面を葺いていたのである。
大和連合の一員であるということが判るように威厳を示すとともにランドマークとしても役に立っていたのである。
前方部括れの部分から埴輪が樹立され、また、その括れにあたる箇所に小さいが造出が見られる。少し考えていた、或は今まで見てきた造出とは異なるような気がするのだがな。
後円部にかけて石で葺いている。また周縁を埴輪で取り巻いている。空が抜けるように青いな。うーむ、綺麗だな。
ワクワクするぞ。
左右に延びる溝が見えるがこれが排水溝である。向うに見える建物は海部古墳資料館である。早朝だったので開館していなかった。
さあ登ってみよう。
おっと、その前に亀塚古墳の説明を読んでおかねばならない。やはり海上からはっきりと確認できるようにと築造されていることが判る。大和政権連合の一員であるという証である。壬申の乱で活躍する大分君の御先祖かな。
溝が彫られているのが判る。築造された墳丘から染み出て来る水を逃がす構造である。横穴式石室の真ん中に溝が掘られ墳丘の外に排水させる遺構を見ることが出来るが、それの大規模なものであろう。