ご覧のように綺麗に手が入れられているのがわかる。指定の史跡なのだからこれが当たり前なのだが、指定してしまったらそれで終わりというようなところもあり情けなくなる古墳もある。こんなことでは文化財を大切になどというのが全くもって空々しく思えるよな。
説明にもあるように岳崎古墳という名が出ているが次に訪れることにしている。
この地域には前方後円墳が2基存在するが円墳が見当たらない。歴史資料館でも確認したのだがそのような話はないということだった。賢明なる読者諸氏ならもうどういうことかお判りだろうが・・
長崎県北 田平町 長崎県下に存在する数少ない前方後円墳のうちの1基である。しかも前方部が撥型をしており4世紀中頃以前とみられる。そんな古墳が日本最西端地区にある。4世紀中頃にはすでに大和連合国のネットが張られていたということだと言っても過言ではあるまい。
古墳の上空は見事な五月晴れである。賢明なる読者諸氏ならもうお判りだろうがこの古墳探訪は去年の5月3日の話なのである。これからさらに北上して最西端の前方後円墳を目指すのである。まだまだ続く。
すぐ脇を走る国道205号から見ている。道路敷設で少し削られているものの完全な形と言ってよい。
綺麗だ。この様な形を考えた者に敬意を表したいと思うのは我輩だけだろうか。